260806
日本史【50】軍部の台頭と第二次世界大戦(近代ー19)
昭和戦前7 軍部の台頭1
<陸軍の派閥対立>
陸軍内部の派閥対立
・皇道(こうどう)派(急進派)過激→二・二六事件
真崎甚三郎(まさきじんざぶろう)
↕
・統制派(穏健派)
東条英機・永田鉄山
<岡田啓介内閣>(31代)
・1935年 天皇機関説・問題化
(天皇の権利を押さえて国民の権利を)
内閣は「国体明徴声明」を発表。美濃部学説を否定。
(国体:国の政治体制。天皇制)
→美濃部達吉は貴族院議員を辞職。民主的なものはこのように潰されていく。
・1935年 永田鉄山(統制派)殺害事件
皇道派の相沢三郎が惨殺→皇道派のあせり
↓↓
・1936年 二・二六事件
(追い詰められた)陸軍皇道派・青年将校らのクーデター
1500人以上の兵士。
★戒厳令公布
・暗殺
蔵相:高橋是清
内大臣:斎藤実(元総理(30代目))
・重傷
海軍大将:鈴木貫太郎
↓↓
(結果)
岡田首相は無事だったが、岡田内閣、総辞職。
軍部内は皇道派が一掃され、統制派に一本化。
<広田弘毅内閣>(32代)
「広義国防国家」建設を掲げる
・1936年 「軍部大臣現役武官制」復活
(明治1900年にできた。1913年に改正して、軍が内閣をつぶすことはできなくなっていた。これをまたつぶせるように戻した。)
・1936年 「日独防共協定」調印
秘密協定でソ連を仮想敵国とする。(世界で孤立していた日・独が結び付いた。)
・1936年 西安(しーあん/せいあん)事件
張学良(張作霖の子)が蒋介石(国民党)を監禁。
(蒋介石(国民政府)は満州国を承認するなど、日本に大甘だった。)
→国民政府 VS 中国共産党の国共内戦停止・抗日を要求。
→日中戦争へ
<林銑十郎(せんじゅうろう)>(33代)
<近衛文麿内閣①(日中戦争)>(34代)
・1937年7月7日 盧溝橋事件
北京郊外で日中両軍が衝突。
(cf.1931満州事変・柳条湖事件・奉天郊外)
内閣は不拡大方針。
しかし関東軍は内閣に圧力をかけて戦線拡大。
↓↓
・1937年 日中戦争
・1937年8月 第二次上海事変
(第一次は満州事変のとき)
・1937年12月 南京(国民政府の首都)を占領
南京事件
中国は降伏せず。国民政府は西の重慶まで逃れて抗戦。泥沼の長期戦へ。(~1945.8まで続く)
(援蒋ルート・・米・英から支援を受ける。)
昭和戦前10
<近衛文麿内閣②(新体制運動)>(38代)
(国内)
・1940年 新体制運動
戦争遂行のための国民組織作り
①1940年 政党解散
→「大政翼賛会」(たいせいよくさんかい)結成。
(末端組織:隣組)
②1940年 労働組合解散
→「大日本 産業報国会」結成
③1941年 小学校
→「国民学校」と改称。お国のために尽くすんだ、という教育。
④1941年 米の配給制開始
<近衛文麿内閣②(対外政策)>(38代)
(日中戦争)
・1940年 北部仏印進駐【南進政策①】
(仏印(ふついん):フランス領インドシナ・・現・ベトナム、ラオス、カンボジア)
石油獲得・援蒋ルートの遮断が目的
・1940年 日独伊三国軍事同盟
(前の日独防共協定の仮想敵国はソ連だった)
→今度はアメリカ(米英仏蘭)を仮想敵国とする。米の仲間の仏の領土、仏印に進駐するということが、それを表している。
→アメリカは鉄鋼・くず鉄の禁輸へ(経済制裁)
・1941年 日ソ中立条約
全権:松岡洋右(ようすけ)外相
(米と対立する一方でソ連と手を組む)
(大正・1925年・日ソ基本条約・国交回復)
★近衛は開戦回避のための日米交渉開始。
(近衛総理は外相松岡とは違う動きに。直接米と交渉)
駐米大使:野村吉三郎
国務長官:ハル
<近衛文麿内閣③>(39代)
・1941年7月 南部仏印進駐【南進政策②】
→日米関係はさらに悪化。ABCDライン強化へ。
(米・英・中・蘭の対日経済包囲網)
例:対日石油輸出禁止
・1941年10月 対米強硬路線の陸相・東条英機と近衛内閣は対立
→総辞職
★戦時中の生活
①国内:勤労動員・学徒出陣・女子挺身隊
②朝鮮・台湾
・皇民化政策(日本人化)
創氏改名、日本語強制