日本史まとめ – ページ 4 – 歴史note

日本史【41】日清戦争(近代ー10)

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日本史【41】日清戦争(近代ー10)

<伊藤博文内閣②(朝鮮問題)>(5)
第四議会
・1893年 伊藤内閣は天皇の建艦詔書で予算を成立させる。

★朝鮮問題
(日清戦争のきっかけとなる)
・1894年 甲午農民戦争(東学党の乱)
朝鮮で起きた農民反乱。日・清両国が出兵。(どちらも領土的野心がある。)
→乱は鎮圧も、乱後の朝鮮の内政改革をめぐり、日清両国が衝突。

・1894年7月 「日英通商航海条約」締結
→「法権回復」領事裁判権の撤廃(同時に税権も一部回復)
外相:陸奥宗光
駐英公使:青木周蔵

・1894年 日清戦争

・1895年4月 下関条約
(全権)
〇 日本:伊藤博文首相・陸奥宗光外相
✕ 清:李鴻章
① 清は朝鮮の独立を認める。
② 遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島(60島ほど)の割譲(日本の領土に)。
③ 賠償金2億両(テール・清のお金の単位)
(3億1000万円・当時の日本の国家財政の約3倍)。
④ 重慶・沙市(さし)・蘇州・杭州の開市・開港(長江沿岸)。

<伊藤博文内閣②(日清戦争後)>(5)
・1895年4月 三国干渉
露が独・仏と共に、中国への遼東半島返還を日本に要求。(ほぼ脅迫)
→政府は(渋々)受け入れる。
国民は「臥薪嘗胆」をスローガンに我慢。

・1895年 「台湾総督府」設置
台湾の統治機関。
初代台湾総督:樺山資紀(かばやますけのり)(「蛮勇演説」の人)

・1895年 閔妃✕事件
朝鮮公使・三浦梧楼(みうらごろう)らによる。

・1896年 戦争後は自由党と提携(板垣内相・内務大臣)
→政党も軍備拡張を容認。

<列強の中国分割>
★租借地(借りるが期限を延ばす⇒実質は領土割譲)
・ロシア:旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
(遼東半島の先の町⇒実質はその北側の大きな部分をロシアが支配)
・イギリス:九竜(きゅうりゅう)半島・威海衛(山東半島)
(租借地でもない長江沿岸をも支配)
・ドイツ:膠州湾(山東半島)
・フランス:広州湾
・列強不割譲(欧に持っていかせないようにした)(日本):福建省。(台湾の向かい)
・アメリカ:当初不参加。(フィリピン占領に忙しい)
→方針転換・国務長官(外務大臣)ジョン・ヘイの三原則
(門戸開放・機会均等・領土保全)
→しかし結局中国の領土は支配できず。

↓↓
★義和団の乱(1900年)
「扶清滅洋」を唱え、中国国民が反抗。←日本を含む8カ国連合軍が鎮圧。北京制圧。

<日清戦争後の政治>

<松方正義②>(6)
(日清戦争で松方から伊藤に総理を渡す。戦後また戻した。)
・1896年 「進歩党」(元・立憲改進党)と松方内閣が提携(大隈外相)
「松隈(しょうわい)内閣」と呼ばれる。

・1897年 「職工義友会」
労働組合の結成を呼びかけ。
アメリカ帰りの高野房太郎らによる。
↓↓
・1897年 「労働組合期成会」に改名
高野房太郎(たかのふさたろう)、片山潜らによる
→各地で「労働組合」結成

<伊藤博文内閣③>(7)
・1898年 「地租増徴案」(2.5%から上げる案)
→「自由党」、「進歩党」が反対。
→この2つが合体して「憲政党」を結成。
(※「憲政会」ではないので注意)

(伊藤:「じゃあ、あんたたち政治やってみれば」)
↓↓
<大隈重信内閣①>(8)
・1898年 初めての「政党内閣」(陸海相以外は憲政党院)。
(=初めての「国民の選んだ国会議員による民主的な内閣」が誕生。それまでは内閣は天皇が選ぶ形だった。)
首相:大隈重信
内相:板垣退助
→「隈板(わいはん)内閣」
↓↓
・1898年 「共和演説事件」
文部大臣・尾崎行雄が共和制を例に出し、金権政治を批判。
↓↓
「憲政党」は分裂し(大隈たちが出ていく→憲政本党)、内閣総辞職。(「政党内閣」は、数カ月でつぶれる・・)

↓↓
「民党のやつら、何もできなかったじゃん。」
「すいません・・」
↓↓
<山県有朋②>(9)
・1898年 地租増徴(2.5%→3.3%)

・1899年 「文官任用令」改正←政党勢力の官吏(役人)進出を防ぐため

(※1900年は19C最後の年。1901年から20C。)

・1900年 「治安警察法」制定:弾圧立法
政治・労働運動の規制を強化

・1900年 「衆議院議員 選挙法」改正
(直接国税15円→)10円、25歳以上の男子。全人口比2.2%。

・1900年 「軍部大臣 現役武官制」制定
陸軍・海軍大臣を現役の大将、中将に限定。(→軍が内閣をつぶすことができるようになる)

・1900年 北清事変
義和団事件を日本他8か国が鎮圧。

・1900年 伊藤博文が、憲政党員(元・自由党員)を中心に「立憲政友会」を結成→伊藤④へ
→幸徳秋水、伊藤博文と組んだ憲政党員を「自由党を祭る文」で批判

<伊藤博文内閣④>(10)
・1900年 内閣成立(外相・陸海相以外は「政友会」員)

・1901年 「八幡製鉄所」操業開始

・1901年 「社会民主党」結成
(法律を作るのは政府ではなく立法機関の国会。)
最初の社会主義政党。(=労働者を守る)
中心:幸徳秋水、片山潜、安部磯雄、木下尚江
→「治安警察法」により禁止。
→すぐに解散させられた。

★日清戦争後の政党の動き

松方② 伊藤③ 大隈① 山県② 伊藤④
自由党(板垣) → ↓ ↗ → 立憲政友会(伊藤) →
(戦後自民党へ)
憲政党
立憲改進党(大隈) →進歩党→ ↑ ↘憲政本党 → →
進歩党が内閣と提携 伊藤内閣が超然主義に戻り合体 共和演説事件を機に分裂

 

日本史【40】諸法典の編纂と初期議会(近代ー9)

260725
日本史【40】諸法典の編纂と初期議会(近代ー9)

<「衆議院議員 選挙法」の変遷>

公布 首相 直接国税 年齢・性別 人口比
1889年 黒田清隆 15円以上 25歳以上の男子 1.1%
1900年 山県有朋 10円以上 25歳以上の男子 2.2%
(大正)1919年 原敬 3円以上 25歳以上の男子 5.5%
1925年
(普通選挙法)
加藤高明 なし 25歳以上の男子 20.8%
(昭和)1945年 幣原喜重郎 なし 20歳以上の男女 50.4%

<刑法・民法の制定>

・1880年 ボアソナード(仏・法学者)起草
-「刑法」(罪と罰)
-「治罪法」→「刑事訴訟法」

・1890年 「民法」を制定。
ボアソナード起草(自由主義的=個人の人権を重視。平等)↓↓
☆「民法典 論争」(みんぽうてん ろんそう)
賛成派:梅謙次郎(うめけんじろう)
反対派:穂積八束(ほづみやつか)
「民法出デテ忠孝亡ブ」
↓↓
反対派の意見が通り、修正される
・1896年・98年 「新民法」を制定
「戸主権」を規定

★「国会」

<初期議会>
・「帝国議会」・・今でいう「国会」。立法機関(法律を作る)。

・「初期議会」・・「第1回帝国議会」から「第6回帝国議会」のこと。→その後、日清戦争へ。

・「政府(内閣)」は「行政府」のトップ。(法律を使う)

※今は、国民が「国会議員」を選んで、その「国会議員」の中から「内閣」を作っていくが、この時代は天皇が「内閣」を決めていた。=つまり「政府・内閣」は民主的になりにくい。

お金を払いたくない「国会」
VS
お金を集めたい「内閣」

(帝国議会)
✕・「吏党(りとう)」:政府同調政党(例:大成会)(税金集めたい)
VS
〇・「民党(みんとう)」:政府反対政党(税金払いたくない)
(例:立憲自由党・立憲改進党)
「民力休養・政費節減」(スローガン)
__↓_____↓
地租軽減__行財政整理

民党が多数決で勝つ
↓↓

・「政府」は「超然主義」で対抗。
(=何事にもとらわれない=国民の意見はあまり聞きません)
黒田内閣が宣言。「政党政治」を否認。

<山県有朋内閣①>(3)
「第一(帝国)議会」
・1890年 「府県制・郡制」
府県会・郡会などについて規定。モッセ(独)の助言。

・1890年(明治23年) 「第1回 衆議院議員 選挙」

・1890年 「第一回帝国議会(第一議会)」
– 吏党(政府側):129
– 民党(政府反対派):171(→優勢)

※内閣・政府が予算案を作って、国会で承認を得る必要がある。
→軍事予算アップしたい政府 VS 民党。

★山県有朋首相が、国会で予算案の承認を求めて演説。
→政府は自由党・土佐派を買収し、予算を成立させる。
→これに抗議して、自由党・中江兆民(『民約訳解』)、議員辞職。

<松方正義内閣①>(4)
(外交)
・外務大臣・青木周蔵が、条約改正交渉。
法権回復にイギリスは賛成。→しかし大津事件で引責辞職。

・1891年 「大津事件」(滋賀県)
来日中のロシア皇太子ニコライ(二世)を警備の津田三蔵(つださんぞう)巡査が斬りつけた事件。

(第二議会(第二回帝国議会))
・1891年 政府側の海軍大臣・樺山資紀(かばやま・すけのり)の蛮勇演説(「藩閥政府」を擁護)
→「野蛮で勇ましいだけで中身がない」と批判される。

※内閣は国会の解散という手段を持つ。

・1892年 第二議会後、議会解散。
→内務大臣(警察の管轄)・品川弥二郎の選挙干渉。
(選挙妨害・400人以上死傷)
「政府の悪口言ったら逮捕!」

→失敗。自由党・民党の人数は減らず。

 

日本史【39】内閣と憲法(近代ー8)

260725
日本史【39】内閣と憲法(近代ー8)

<伊藤博文内閣①(内閣制度創設)>(初代)
(伊藤は①~④回、総理をやっている)

・1885年(明治18年) 「内閣制度」創設(←明治元年に政体書で作った「太政官制」を廃止)
★初代大臣
・初代総理大臣:伊藤博文
・初代外務大臣:井上馨
・初代内務大臣:山県有朋
・初代大蔵大臣:松方正義

・初代文部大臣(教育):森有礼(ありのり)
・初代陸軍大臣:大山巌(いわお)
・初代海軍大臣:西郷従道(つぐみち)
・初代農商務大臣:谷干城(たにたてき)

内務「卿」→内務「大臣」へ。

★「内大臣」(ないだいじん)
(※内閣とは別物)
天皇補佐。輔弼(ほひつ)。
初代:三条実美(さねとみ)

☆「憲法」の起草
(総理)
・伊藤博文
+
(官僚)
・伊東巳代治(いとうみよじ)
・金子堅太郎
・井上毅(いのうえこわし)
+
(顧問)
・ロエスレル(独)
・モッセ(独)

・1888年 市政・町村制:地方自治制度の整備。(市町村の選挙)
モッセが助言

<伊藤博文①(外交)>
(条約改正)
・外務大臣・井上馨は「欧米主義政策」を推進
(日比谷の鹿鳴館での外交に象徴される)

・外国人判事(裁判官)の任用を認めようとする。

・1886年 「ノルマントン号事件」(英)
英船が紀州沖で沈没。英人だけ全員助かる。
→領事裁判の結果、英領事は船長に無罪の判決。
→政府内からも批判
→井上馨、辞任(1887年)

<伊藤博文①(民衆運動)>
「自由民権運動」の復活

・1886年 「大同団結運動」
「旧・自由党」と「立憲改進党」が団結。
大同小異(細かいことは違うが大まかなところは同じ。)
↓↓
・1887年 「三大事件 建白運動」
①「地租軽減」(2.5%)、②「言論の自由」、③「外交失策」(条約改正交渉を批判)の撤回を求め、建白書を提出。
↑↑ ✕弾圧
・1887年[政] 「保安条例」でつぶす
弾圧立法。
民権派を皇居外3里の地に、3年間追放。
例:尾崎行雄、中江兆民、片岡健吉、星亨(ほしとおる)など500名以上。
(1)「愛国社」✕←「讒謗律・新聞紙条例」
(2)「国会期成同盟」✕←「集会条例」
(3)「三大事件建白運動」✕←「保安条例」

★憲法
<黒田清隆内閣(枢密院)>(2)
黒田清隆
・1888年 「枢密院」(天皇の最高諮問機関)を設置。
→天皇臨席のもと、極秘に憲法審議。
(天皇と憲法の仕上げにかかった。)
初代・枢密院議長:伊藤博文

・1889年2月11日(紀元節)
①「大日本帝国憲法(明治憲法)」発布
A.欽定憲法:君主が制定した憲法
(cf. 民定憲法)
B.天皇主権
C.天皇大権(たいけん)
(例)・「統帥権」(とうすいけん)(軍の最高指揮権。陸海軍が輔弼(サポート))
・「緊急勅令」(法律に代わる勅令)
D.国民=臣民
(基本的人権は法律の範囲内で認められる)
E.二院制
衆議院・・国民が選挙・300名
貴族院・・華族議員、勅選議員など

②「皇室典範(皇室法)」制定
皇位継承の順位、摂政の復活。

③「衆議院議員 選挙法」制定
選挙権・・直接国税(地租など)15円以上納める、25歳以上の男子のみ。全人口の1.1%。100人に1人。

<黒田清隆内閣(外交)>(2)
(条約改正の過程)
・外務大臣・大隈重信が、国別秘密交渉を行う。
(外国人判事任用を大審院(最高裁)に限定)

→ロンドンタイムス(英)に交渉内容を暴露され、世論の攻撃を受ける。
→玄洋社員(右翼)に襲われ、爆弾で重傷を負う。(右足切断)
→交渉中止。

 

日本史【38】明治初期の経済(近代ー7)

260725
日本史【38】明治初期の経済(近代ー7)

・1870年代 殖産興業政策
・1880年代 松方財政(不況に)
・1890年代 産業革命で花開く

・殖産興業(産業をさかんにしていく)の役所が2つ。
①「工部省」と②「内務省」

<殖産興業政策(①工部省)こうぶしょう>
・1870年(明治3年) 工部省
初代工部卿:伊藤博文
鉱工業・鉄道・通信など

★官営軍事工場
長崎造船所・横須賀造船所

(通信)
・1871年(明治4年) 郵便制度:前島密(1円切手)が整備

(陸運)
・1872年(明治5年) 鉄道開通:新橋ー横浜間
(鉄道を見たら目がつぶれる!土地は売らない!→人気に)
陸蒸気(おかじょうき)
モレル(英)が指導。

・1881年 日本鉄道会社:最初の私鉄(華族が出資)
国鉄より私鉄の方が多くなっていく。

(海運)
・岩崎弥太郎:土佐出身の政商。
政府の保護を受け、発展。
三菱汽船→日本郵船会社
(三井は江戸から。三菱は明治から。)

<殖産興業政策(②内務省)ないむしょう>
・1873年(明治6年) 内務省
初代内務卿:大久保利通
警察・軽工業・農業など

★官営模範工場
・1872年(明治5年) 富岡製糸場(群馬県)(生糸を作る→絹織物)フランス式(ブリューナ)。
武士の士族の娘など。女性工員。
→後に三井に払い下げ。
・1877年 新町紡績所(群馬県)(綿糸を作る→綿織物)
・1877年 「第1回 内国勧業博覧会」開催(東京)
・1881年 「農商務省」設置(産業関係はこちらに移る)

<松方財政>
松方デフレ・・デフレ(物価を下げる)にしていく
大蔵卿→大蔵大臣(1885~内閣ができるので)
松方正義(薩摩)(資本主義の基礎)

【西南戦争などによる政府の不換紙幣の大量発行→インフレ】
(不換紙幣・・金や銀と交換できない。貨幣価値が低い。)

①紙幣整理(←増税(酒税など)&歳出削減)
世の中に出回るお金の「数」を減らす。→インフレが収まってくる

②1882年(明治5年) 「日本銀行」設立(国立)
「銀本位制」採用:渋沢栄一らによる。
→1885年 中央銀行である日本銀行が「銀兌換銀行券」を発行。日本銀行券。
(今までは民間の銀行がお金を発行していた。民間だが「国立銀行券」という。今度は日銀が発行したもののみを広めて、民間の価値の低い紙幣は回収する。)
→お金の「質」を上げる→インフレ収まる。

③官営事業の払い下げ推進
・1880年 工場払い下げ概則
→厳しすぎたため、1884年に廃止して払い下げが進む。
例:1887年長崎造船所(→三菱へ)

<松方財政(松方デフレ)の影響>
「デフレ政策」の影響。(物価安・貨幣高・不況)
①自作(土地持ち農民)↓
→米価の下落により、地租を払えず、小作農(土地を借りる)に没落。(物価が下がっても地租の価格は変わらない。)
(→その後、工場などで雇用される労働者になっていく。)

②地主↑
→土地集中が進み、「寄生地主制」が進行。(高率の現物小作料を取る)
(→その後、資本家となり会社・工場を作っていく。)

→貧富の差は拡大するが、「資本主義の基盤」が形成される。

(デフレ政策3回。松方デフレ・井上デフレ・ドッジデフレ)

 

日本史【37】政党の結成(近代ー6)

260724
日本史【37】政党の結成(近代ー6)
(1881~1885年)

<政党の結成>(国会を作る)
☆政府を批判する政党
・1881年 「自由党」
党首:板垣退助
機関誌:自由新聞
フランス流・自由主義的・急進(過激)
「自由民権運動」の人たち
支持層:士族、豪農、商工業者

・1882年 「立憲改進党」
党首:大隈重信
機関誌:郵便報知新聞
イギリス流・穏健
支持層:都市の実業家・知識層

☆政府の味方の政党
・1882年 「立憲帝政党」
党首:福地源一郎
機関誌:東京日日新聞
保守的・政府系

★私擬憲法
政党など民間で作られた憲法の私案
・東洋大日本国国憲按:植木枝盛(うえき・えもり)(自由党系)(国民の自由を強く認めよう)
・私擬憲法案:交詢社(こうじゅんしゃ)(福沢諭吉系)

<憲法制定の準備>
政府の中心:伊藤博文
82~84年準備。85年内閣制度ができる。→89憲法→90国会

<1882年→伊藤が渡欧。自由党が激化。朝鮮で政変>

・1882年 伊藤博文、渡欧
グナイスト(ベルリン大学)
シュタイン(ウィーン大学)
に師事。プロイセン憲法(ドイツ憲法)を学ぶ。
「国家主義」国民一人一人より国を優先。国権論。

・1884年 「華族令」
貴族院創設に備え、5爵の爵位を創設。華族の数を増やす。
(華族:江戸時代の大名。身分の高い貴族)
例:公、侯、伯、子、男

<自由党の激化事件>
(政府:伊藤博文)
自由党が警察と衝突して過激になっていく。

・1882年 「福島事件」(福島県)
福島県令・三島通庸(みしまみちつね)の圧政(税金取り過ぎ&労役)に、農民や自由党員が抵抗。自由党幹部・河野広中(こうのひろなか)ら逮捕。

・1884年 「加波山(かばさん)事件」(茨城県)
栃木県令・三島通庸の暗殺計画→失敗
→「自由党」解党へ
(「政党」とは国会議員のグループ。「国会」とは法律を作るところ。党員が違法なことをしてはいけない。)

・1884年 「秩父事件」(埼玉県)
借金党・困民党(こんみんとう)など数千人から数万の貧農が蜂起。警官と自由党がぶつかる。

・1885年 「大阪事件」(大阪)
朝鮮で政権打倒計画(朝鮮政府を乗っ取って、日本政府(伊藤)に圧力をかけようとした)→渡航直前に大阪で逮捕。
大井憲太郎・景山英子・磯山清兵衛ら。

<朝鮮問題>
政府:伊藤博文
日本と中国(清)が朝鮮を取り合う。
(壬午軍乱82・甲申事変84→天津条約85)

・1882年 「壬午軍乱(じんごぐんらん)(事変)」
実権:閔妃(王の后)(親日)
↑↑
大院君(王の父)(親清)がクーデター
日本公使館・襲撃
(クーデター:非合法に武力などで政権を奪取すること)
(日本が援助してクーデターを阻止)

・1882年 「済物浦(さいもっぽ)条約」(日朝間)
日本は朝鮮に賠償金を払わせた。

・1884年 「甲申事変」
閔妃:事大党(親清)
↑↑
金玉均(きんぎょくきん)・朴泳孝(ぼくえいこう)(独立党)(親日)がクーデター。失敗。

・1885年 「天津条約」(日清間)
全権 日本:伊藤博文 清:李鴻章
・日清両国は朝鮮から撤兵
・以後、出兵時には相互に事前通達する

★脱亜論
・1885年 福沢諭吉が主張。
「脱亜入欧(だつあにゅうおう)」を唱える。