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日本史【36】自由民権運動(近代ー5)

260723
日本史【36】自由民権運動(近代ー5)

<征韓論>
・1873年 岩倉遣外使節団、帰国
〇(征韓論反対・洋行組)
岩倉具視(公家)、大久保利通(薩摩)、伊藤博文(長州)、木戸孝允(長州)
VS
✕(征韓論賛成・留守組)
西郷隆盛(薩摩)、板垣退助(土佐)、後藤象二郎(土佐)、江藤新平(肥前)、副島種臣(そえじまたねおみ)(肥前)

・1873年 留守組5人は下野→「明治六年の政変」
→その後、大久保利通中心の政府に。下野組は文句を言う。

<自由民権運動(士族民権運動)>
内務卿:大久保利通(政府)
↑↑
・1874年 「愛国公党」設立
板垣・後藤・江藤・副島らが設立。(政府に文句を言う)

※「自由民権運動」の目的は「国会」や「憲法」を作ること。

・1874年 「民撰議院 設立建白書」(国会を作れ)
板垣・後藤・江藤・副島ら、8人が左院に提出→政府は無視
↓↓
・1874年 「立志社(りっししゃ)」設立(土佐)政治団体
板垣・片岡健吉らが設立。(民衆は各地で盛り上がる)
↓↓
・1875年 「愛国社」設立(大坂)
各地の団体をまとめる全国的組織。板垣らが設立。
↓↓
(運動が大きくなってきたので政府が動く)

[政]・1875年 「大阪会議」(←明治から「阪」になる)
大久保が下野していた板垣・木戸を呼んで三者会議を行う。

①(漸次・ぜんじ)「立憲政体樹立の詔」
→国会開設の準備をする。(期限はなし)
(立憲政体:憲法に基づく政治体制)

②元老院(立法)・大審院(だいしんいん)(司法)(最高裁の前身)・地方官会議を設置。

→板垣は政府に戻る。

[政]・1875年 「讒謗律(ざんぼうりつ)」(讒謗:人を悪く言うの意味)、「新聞紙条例」
弾圧立法。政府の批判を禁止→「愛国社」解散

※盛り上がった「愛国社」を、政府は「大阪会議」と「讒謗律」「新聞紙条例」でつぶした。

<士族の解体>
内務卿:大久保利通

[政]・1876年 「廃刀令」
警察官・軍人以外の帯刀を禁止。

[政]・1876年 「秩禄処分(ちつろくしょぶん)」
家禄の支給を停止し、代わりに「金禄公債(きんろくこうさい)証書」(退職金の紙)を発行。(6年~30年後にお金に換えられる。くじで決定。)
武士はそれを元手に商売を始めるも「士族(武士)の商法」で失敗。
→政府は士族授産(救済政策)で対応。
ex. 屯田兵(北海道の開拓)

★地租改正反対一揆
(1873年 地租改正)
・1877年 地租を軽減 3%→2.5%へ。
「竹槍でドンとつきだす2分5厘」

<士族の反乱>
・1874年 佐賀の乱(佐賀):江藤新平←征韓論の挫折など
(「民撰議院設立建白書」を出したあと佐賀にもどった。)
・1876年 秋月(あきづき)の乱(福岡)
・1876年 萩の乱(山口)

・1877年(明治10年) 西南戦争(鹿児島):西郷隆盛
(国内最後の内乱)

・1878年(明治11年) 紀尾井坂(きおいざか)の変
大久保利通の暗殺事件

(木戸孝允も明治10年に病気で亡くなっており、これで「維新の三傑」全員が亡くなった。→中心は伊藤博文らへ・・。)

<自由民権運動(豪農民権運動・民権運動Part2)>
内務卿:伊藤博文

・1877年 「立志社」(土佐)建白
政府を批判、国会開設などを要求

・1878年 全国組織「愛国社」を再興。盛り上がる。
↓↓
・1880年 「国会期成同盟」:愛国社を改称し結成
期成・・作り上げる
↓↓
[政]・1880年 「集会条例」
弾圧立法。集会の許可制・警察官監視制など

・「愛国社」は「讒謗律・新聞紙条例」につぶされる。
・「国会期成同盟」は、「集会条例」につぶされる。

もう国会開設はダメかと思いきや・・ここで!
↓↓
・1881年(明治14年) (北海道)開拓使 官有物払下(はらいさげ)事件

(払下げ:国のものを民間に売ること)

政府の黒田清隆(薩摩)(北海道開拓使)が、タダ同然で官有物を、同じ薩摩出身の政商・五代友厚に払い下げようとしたことが発覚。
→政府に批判集中

(大久保・伊藤博文など政府は、国会開設はまだ早いと思っていた。最初は欧米に学んだ自分たちプロがやるべきだと。しかしこの事件で「やっぱり政府はダメだ」となってしまった。)
↓↓
・1881年(明治14年) 「国会開設の勅諭」
政府は10年後(1890年)の国会開設を公約。
(→実際、伊藤は1890年に開いた。)

・1881年(明治14年) 「明治十四年の政変」
伊藤博文は、大隈重信(国会開設・賛成派)を事件と関係ありとみて(リークしたのでは?証拠はなし)と追放

↓↓
「政党」の結成へ・・

 

日本史【35】明治初期の外交(近代ー4)

260722
日本史【35】明治初期の外交(近代ー4)

<条約改正問題>
幕末に結んだ不平等条約の解消
①領事裁判権の撤廃(=法権回復)
②関税自主権の回復(=税権回復)

・1871年(明治4年)11月~1873年(明治6年)9月(約2年間)
岩倉遣外使節
予備交渉に失敗し、欧米視察して帰国

・1878年(明治11年) 外務卿・寺島宗則の交渉
税権回復に米が賛成も、英・独の反対で失敗。
(米も白紙に→米に最恵国待遇があるから。)

<清との関係>
・1871年(明治4年) 「日清修好条規」
※最初の対等条約

・1871年 琉球漂流民事件
台湾に漂着した琉球漁民が、台湾原住民に✕。
↓↓
・1874年(明治7年) 台湾出兵
西郷従道(つぐみち)(西郷隆盛の弟)が指揮を取る。
※木戸孝允、台湾出兵に反対して下野。(政府をやめる)

<琉球との関係>
・江戸時代は日中両属(日清双方に朝貢)。
琉球から江戸に慶賀使、謝恩使が行っていた。

・1872年 「琉球藩」設置
国王・尚泰(しょうたい)を藩王として華族に列する。
(いきなり沖縄県(日本の領土)とすると、中国や琉球から文句を言われるかも、なので。)
↓↓
・1879年 「沖縄県」設置
琉球王国(1429年建国・尚巴志)を廃止。廃藩置県を断行(琉球処分)。
→清の抗議。日中関係が悪くなる。

<朝鮮との関係>
・「征韓論」問題
留守政府は鎖国中の朝鮮を、武力により開国させることを主張。
→岩倉使節帰国
→征韓論中止
→1873年 明治六年の政変

・1875年 「江華島(こうかとう)事件」
日本の軍隊が鎖国中の韓国を挑発
→砲撃を受ける
↓↓
・1876年 「日朝修好条規」
日本が朝鮮を開国させる。
日本全権:黒田清隆(きよたか)(薩摩)
※日本優位の不平等条約

<ロシアとの関係>
領土問題
・1854年 「日露和親条約」
日本領:択捉島以南 ロシア領:得撫(ウルップ)島以北
樺太:両国雑居(実際は、ほぼロシア人)
↓↓
・1875年 「樺太・千島交換条約」
日本全権:榎本武揚(えのもとたけあき)
(旧幕臣→この条約から政府に復帰)
・樺太:(雑居→)ロシア領に
・千島列島:(択捉以南→)千島全島を日本領に

 

日本史【34】明治維新(近代ー3)

260721
日本史【34】明治維新(近代ー3)

<戊辰戦争>1868.1月~1869.5月
〇官軍(薩長)新政府軍
VS
✕旧幕府軍

・1868年(明治元年)1月 鳥羽・伏見の戦い
京都近郊で旧幕府軍撤退
↓
・1868年 4月 江戸無血開城
西郷隆盛・勝義邦(海舟)の会談により実現
↓
奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟
陸奥・出羽・越後など。
会津若松城の戦い、長岡城の戦い
↓
・1868年 10月(~1869年) 五稜郭の戦い
榎本武揚(えのもとたけあき)ら旧幕臣がたてこもる。
「箱館戦争」ともいう。

<新政府の動き>
・1868年 3月 五箇条の(御)誓文
天皇が神に誓う。政府の方針表明。
「会議をしながらいい政治をしていく」
↓
・1868年 3月 五榜の掲示(ごぼうのけいじ)
政府から庶民へ。ex. キリスト教禁止(最初の5年間)
↓
・1868年 閏4月 政体書
政治組織として太政官制(だじょうかんせい)を採用
↓
・1868年 9月 明治改元(慶応→明治)
一世一元の制。
一人の天皇の間、一つの元号を使う。
(現在は法制化されている)
↓
・1869年(明治2年)
東京遷都

<地方の政治制度>
幕藩体制の、今度は300の「藩」の方をつぶしていく。
(第1弾)
・1869年(明治2年) 「版籍奉還」
藩主が領地(版図=土地)と領民(戸籍=人民)を天皇へ返上。
「旧藩主」を「知藩事(ちはんじ)」に任命し、石高の1割を家禄(俸禄)として支給。(名前が変わっただけ)
↓↓
(第2弾)
・1871年(明治4年) 7月 「廃藩置県」
薩摩・長州・土佐の精兵(1万)を集めて御親兵(ごしんぺい)とし、その武力を背景に断行。
→中央政府から府知事・県令を派遣。大名は全員罷免。
(東京府・大阪府・京都府。残りは県。300→70→47)

<中央の動き>
・「藩閥(はんばつ)政府」
薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)出身の実力者が、政府の実権を握る。

・1871年11月 岩倉遣外使節
欧米に条約改正・欧米視察のために渡航。(不平等な条約の改正は相手にしてもらえず。)
(大使)
岩倉具視・・公家
(副使)
大久保利通・・薩摩
木戸孝允・・長州
伊藤博文・・長州

<身分制度>
・1869年(明治2年) 四民平等
近世の身分制度(士農工商)を撤廃し、平民にも苗字、通婚、移転の自由を認めた。
華族・・藩主、上層公家
士族・・武士
平民・・農工商民

・1872年(明治5年) 壬申戸籍(じんしんこせき)作成
最初の近代的戸籍。全国を調査。

<金融制度>
・不換紙幣(ふかんしへい)の発行
(例:戊辰戦争の戦費調達・太政官札(だじょうかんさつ)など)
本位貨幣(金や銀)と交換できない紙幣。
→信用できないから貨幣価値が下がって物価が上がる。

・1871年(明治4年) 「新貨条例」
円・銭・厘採用。
「金本位制」確立が目的。
(※金本位制:「金」と「貨幣」を交換する制度。)
→金不足で実際は銀も使っていた(貿易には銀を使う)
→「金銀複本位制(きんぎんふくほんいせい)」。
↓↓
・1872年(明治5年) 「国立銀行条例」
アメリカのナショナル・バンクにならった「民間」の銀行。
「兌換(だかん)紙幣」発行。
(※兌換(だかん)紙幣:いつでも金銀と交換できる紙幣)
(中心:渋沢栄一)
例:「第一国立銀行」(名前は「国立」だが、「民間」)
政府にお金がない(金(きん)がない)から民間でやる。
→最初は4行。
→その後、兌換義務を廃止(1876年)したので、153行まで続いてできた。
→貨幣価値が低くなる
→インフレ(物価高)に・・。
(→後に「松方デフレ」に)

<軍隊制度>
・1872年 徴兵告諭(ちょうへいこくゆ):徴兵の予告。
国民皆兵を宣言。
→徴兵反対「血税一揆」を誘発。
↓
・1873年(明治6年) 徴兵令:法制定
大村益次郎(戊辰戦争で活躍)(長州)
(構想→1869年暗殺)
↓
山県有朋(実現)(長州)
20歳以上の男子が3年間、軍に入る。

☆「兵役免除規定」が多くあり
例:官吏(役人)、戸主や跡継ぎ、代人料270円を納めた者など。→日清戦争の前ぐらいまでに免除規定も減り、国民皆兵となった。

<警察制度>
・1873年(明治6年) 「内務省」設置。(力は大きい)
警察を管轄下に置き、政府の最高権力を握る。
初代内務卿:大久保利通

「内務省」の下に
↓↓
・1874年 「警視庁」創設:東京

(※現在)
・警察庁
|
・警視庁(東京)
・都道府県警(地方。例・大阪府警、神奈川県警など)

<土地制度の変化>
★地租(土地の税金)改正

・1871年 田畑勝手作の禁 解禁
→商品作物OKになる。

・1872年 田畑永代売買の禁 解禁
→田畑の売買もOKになる。

・「地価」を国が決定し、「地券」を発行する。

※「地価」・・現在の「土地の価格」とは違う。「地価」は「地券」に書かれた「固定価格」のこと。物価が上下しても「地価」は変わらない。

土地の「所有権」を認める。
例:「壬申地券(じんしんちけん)」1872年(明治5年)

・1873年(明治6年) 「地租改正条例」公布
(改正前):「石高(収穫)」(不定)を「耕作者」が「原則物納」
↓↓
(改正後):「地価」の「3%」を「土地所有者」が「金納」

・今までは「土地の値段」というのはなかった。(土地の売買はできなかった)。米の収穫が基準の「石高」があったのみ。

・(前)米の収穫500万の半分250万
↓↓
(後)地価1億円の3%の、300万円。
など、たいてい税金はアップした。

・1876年(明治9年) 「地租改正反対一揆」へ

 

日本史【33】幕末の動乱(近代ー2)

260718
日本史【33】幕末の動乱(近代ー2)

<徳川家茂⑭の時代>
大老:井伊直弼
アメリカ以外の他国とも「修好通商条約」を結ぶ。
・和親条約は4ヶ国(アオイロ)
・通商条約は5ヶ国。
米・蘭・英・仏・露(ア・オ・イ・フ・ロ)
→「安政の五カ国条約」
(すべて「違勅条約」(無許可))

・1859年 貿易開始
(輸入品)
(1)毛織物(40%)(2)綿織物(3)武器物
(輸出品)
(1)生糸(絹織物の原料)(80%)(2)茶(3)蚕卵紙
(※生糸は日本の輸出品のメインになっていく)

中心港:横浜(神奈川という町からちょっと離れた場所)
(貿易は、横浜・箱館・長崎)
中心相手国:イギリス
(アメリカは南北戦争中・1861~65)

★井伊直弼への非難
・1858年~1859年 安政の大獄(あんせいのたいごく)
井伊直弼を批判した吉田松陰(長州)や橋本左内(越前)らを処刑。→100名以上を処罰

・1860年 桜田門外の変(江戸城の外)
水戸浪士(+薩摩浪士)らが井伊直弼を暗殺。

★開国・貿易開始の影響(経済)
①在郷商人(農村の商人)が江戸を通さず、居留地(横浜)へ直送。
(居留地:外国人の住む場所。ここで貿易をする)
↓↓
・1860年 「五品江戸廻送令(ごしな えどかいそうれい)」
雑穀、水油、ろう、呉服、生糸
この五品は「必ず江戸を通すこと」という令。
→反発が起きる。

②金貨大量流出
金銀交換比率の相違。
日本金:銀=1:5
外国金:銀=1:15
金の価値が外国金の方が高い。比べて日本金は安い。
→外国に日本から金を持っていって、両替するようになる。
→日本から金が流出。金がかなり少なくなる。

・1860年 「万延小判(まんえんこばん)」鋳造
金の含有量を3分の1に減らす。
(=外国とレートを同じにした。)
↓
貨幣価値が下がる。
インフレ。物価高。庶民の生活を圧迫。
↓
攘夷(外国排斥)運動へ・・

<老中(井伊直弼→)安藤信正へ>

・1862年 和宮降嫁
孝明天皇の妹・和宮(かずのみや)を、徳川家茂⑭の夫人に迎える。(公武合体政策)(京都(上方)から江戸へ下る。)
(「幕府を討て」派の人を押さえられる。)
↓↓
・1862年 坂下門外の変
老中・安藤信正(あんどうのぶまさ)が尊攘派に襲われ負傷。

★幕末の思想
「尊王攘夷論」(尊攘派)
天皇中心。幕府打倒を図る(=幕府は不要)
VS
「公議政体(こうぎせいたい)論」
雄藩連合の会議による政治。(=幕府は残す)

<徳川家茂⑭>
・1862年 文久の(幕政)改革
薩摩藩・島津久光による幕政改革。
薩摩から江戸に行って幕府を立て直す。
(内容)
(1)将軍後見職(将軍のサポート):一橋慶喜
(2)政事総裁職(せいじそうさいしょく)(慶喜のサポート):松平慶永(よしなが)(親藩大名)
(3)京都守護職(京都の治安維持):松平容保(かたもり)(会津藩)
会津(東北)から江戸を通って京都へ。その途中で募集されたのが新撰組。近藤勇。土方歳三。
(※「京都所司代」の上に「京都守護職」を置いた。)

ほかに「参勤交代の数を減らす」など。
↓↓
(薩摩への復路でのできごと)
・1862年8月 生麦(なまむぎ)事件
薩摩藩士が武蔵(神奈川県)・生麦でイギリス人3人を殺傷。
↓↓
・1863年 「薩英戦争」
英〇 VS ✕薩
双方、被害を受け、講和。
→双方接近(お互い認め合う。)
(薩摩は攘夷は無理だと悟る。→外国とは手を組んで幕府を討とう。)
→後に薩長が幕府を倒すとき、英がバックアップする。

・1863年 「長州藩・外国船砲撃事件」(下関事件)
長州藩が、米・仏・蘭の船を下関で攻撃。
(5月10日。幕府の決定した攘夷の決行)

★幕府に対する挙兵
・1863年 ①生野の変(但馬)
・1864年 ②天狗党の乱(常陸)

・1864年 「池田屋事件」
幕府の警備隊「新撰(選)組」(近藤勇ら)が、尊攘派(長州中心)を襲う。
↓↓
・1864年 「禁門の変」(蛤御門(はまぐりごもん)の変)
長州藩が報復に京都(幕府)に攻め込む。
→京都の幕府軍(諸藩(薩摩・桑名・会津))が長州藩を討つ。
↓↓
・1864年 「第一次長州征伐(征討)」
(長州が弱っている今がチャンス)
幕府による長州攻撃→長州降伏

・1864年 「四国艦隊 下関砲撃事件」
「下関事件」(外国船に大砲を撃った)の報復に、英・米・仏・蘭が長州藩を攻撃。→下関を占領
(長州も攘夷は無理だと悟る。→外国とは手を組んで幕府を討とう。)
↓↓
・1866年 「薩長同盟(連合)」
仲が悪かった両藩が連合し、相互援助・武力倒幕を約す。(下級藩士が台頭)
・薩摩:西郷隆盛
・長州:桂小五郎(後の木戸孝允)
・仲介:土佐・坂本龍(竜)馬(商人)(海援隊(会社の始まり))
龍馬→薩摩が長崎でトーマス・グラバー(英)から武器を買う。その仲介、交渉をするなど。
↓↓
・1866年 「第二次長州征討」
→薩摩は参加せず(長州と同盟を組んでるから。)
→幕府が苦戦。

<徳川慶喜⑮>
・1866年 孝明天皇死去
薩長は天皇による「幕府討伐命令」を出してほしい。
(孝明天皇は出さなかった。)→明治天皇へ

・1867年10月14日 ①「討幕の密勅」
公家・岩倉具視の尽力。
「錦の御旗」新政府軍が正義の軍隊を掲げられる。

↓↓(同じ日)

・1867年 ②「大政奉還」(たいせいほうかん)
(江戸時代終わり。1603~1867年)
慶喜が朝廷に提出し、将軍職を返上。
幕府の方から、幕府、将軍をやめる。権力を天皇に返す。
→「討幕の密勅」が意味をなさないものになる。
(幕府を攻めさせないため。薩長との全面戦争を避けるため。)

<江戸幕府の滅亡>
☆1867年12月9日 「王政復古の大号令」
・摂関・幕府の廃止
・「三職」を設置
①総裁(そうさい):有栖川宮 熾仁(ありすがわのみや・たるひと)親王(皇族)
②議定(ぎじょう):公家、藩主
③参与(さんよ):下級武士 下級貴族

※ここに徳川慶喜が入ってない
=江戸幕府は絶対的な権力。対等、平等にはならない。
↓↓
(同じ日)
☆1867年12月9日 「小御所会議(こごしょかいぎ)」
・徳川慶喜の「辞官」(将軍だけでなく内大臣も辞退させる)
・「納地」を決定(領地を返上)
(=薩長は煽っている。そうすれば徳川軍を反乱軍として討てるので。)
↓↓
慶喜は挑発に乗らず、受け入れる。
↓↓
しかし「幕臣」が暴発。「戊辰戦争」へ・・。
(直参たちのプライドが許さない。)

☆世直し一揆・打ちこわしの頻発
「ええじゃないか」の乱舞(1867年)
世の中が退廃的なムードに・・。

 

日本史【32】開国(近代ー1)

260717
日本史【32】開国(近代ー1)

<徳川家慶⑫>
(水野忠邦→)老中・阿部正弘(あべまさひろ)

☆各国の開国要求
・1844年 オランダ国王の開国勧告(蘭)(「オランダとは貿易してるけど、他国とも開国した方がいいよ」)→幕府拒否。

・1846年 ビッドル来航(米)
浦賀に来航し、強硬に開国要求→幕府拒否。「大統領の国書を持ってこい」という。

・1853年 ペリー来航(米)
アメリカ大統領フィルモアの国書を持参し、浦賀に来航。
(浦賀:相模(神奈川県・横須賀市)。モリソン号(米)事件も浦賀。)一回帰る。

・1853年 プチャーチン来航(露)
長崎に来航し、開国要求。

<徳川家定⑬>
1854年 ペリー、再び浦賀に来航。

1854年 「日米和親条約」(神奈川条約)
老中・阿部正弘
(天皇からは一応OKが出ていたが、「すぐに鎖国に戻す」という約束だった。)
①下田(伊豆)、箱館(松前)の開港
②薪水、食料の給与
③アメリカに(一方的・片務的(へんむてき))最恵国待遇を与える。(米に与えた条件より他国との条件がいい場合、米にも同じ条件を認める。)
④領事(大使)の下田在住。

↓↓(他国とも結ぶ)
ア・オ・イ・ロ
(アメリカ、オランダ、イギリス、ロシア)

1854年 「日露和親条約」
①下田、箱館、長崎の開港
②国境規定
☆千島列島
・得撫(うるっぷ)島以北→ロシア領
・択捉(えとろふ)島以南→日本領
☆樺太
ロシア・日本、両国雑居地

<老中首座・堀田正睦(ほったまさよし)>
(cf.堀田正俊は綱吉⑤)

1856年 アロー号事件(英)
英船アロー号が清に臨検(検査)されたことに、英が抗議
→アロー戦争(第2次アヘン戦争)

1856年 下田に総領事としてハリス着任。
→「通商条約」の締結を強く求める。
老中首座・堀田正睦が京都に行くが、条約勅許を得られず。

<徳川家定⑬>
<大老・井伊直弼>
1858年 井伊直弼、大老就任
→無勅許(天皇の許可なし)のまま、条約調印。

1858年 「日米修好通商条約」
①神奈川、長崎、新潟、兵庫の開港
②江戸、大坂の開市
③「領事裁判権(治外法権)の承認」
④「関税自主権の欠如」(協定関税制)
(→この2つはその後、50年ほど戻らない)
関税:貿易に対してかけられる税金

★将軍継嗣問題(家定⑬のあと)(1857年)

〇 南紀派(なんぎは):徳川慶富(よしとみ)(紀伊藩・若年)→家茂⑭
井伊直弼ら譜代大名(大老・老中・寺社奉行・京都所司代・若年寄)
VS
✕ 一橋派(ひとつばしは):一橋慶喜(よしのぶ)・・水戸斉昭の子。水戸藩から一橋家に養子に出ていた。(頭のいい切れ者)
外様大名ら、島津斉彬、山内豊信(とよしげ)、松平慶永(まつだいら・よしなが)