260725
日本史【40】諸法典の編纂と初期議会(近代ー9)
<「衆議院議員 選挙法」の変遷>
| 公布 | 首相 | 直接国税 | 年齢・性別 | 人口比 |
| 1889年 | 黒田清隆 | 15円以上 | 25歳以上の男子 | 1.1% |
| 1900年 | 山県有朋 | 10円以上 | 25歳以上の男子 | 2.2% |
| (大正)1919年 | 原敬 | 3円以上 | 25歳以上の男子 | 5.5% |
| 1925年 (普通選挙法) |
加藤高明 | なし | 25歳以上の男子 | 20.8% |
| (昭和)1945年 | 幣原喜重郎 | なし | 20歳以上の男女 | 50.4% |
<刑法・民法の制定>
・1880年 ボアソナード(仏・法学者)起草
-「刑法」(罪と罰)
-「治罪法」→「刑事訴訟法」
・1890年 「民法」を制定。
ボアソナード起草(自由主義的=個人の人権を重視。平等)↓↓
☆「民法典 論争」(みんぽうてん ろんそう)
賛成派:梅謙次郎(うめけんじろう)
反対派:穂積八束(ほづみやつか)
「民法出デテ忠孝亡ブ」
↓↓
反対派の意見が通り、修正される
・1896年・98年 「新民法」を制定
「戸主権」を規定
★「国会」
<初期議会>
・「帝国議会」・・今でいう「国会」。立法機関(法律を作る)。
・「初期議会」・・「第1回帝国議会」から「第6回帝国議会」のこと。→その後、日清戦争へ。
・「政府(内閣)」は「行政府」のトップ。(法律を使う)
※今は、国民が「国会議員」を選んで、その「国会議員」の中から「内閣」を作っていくが、この時代は天皇が「内閣」を決めていた。=つまり「政府・内閣」は民主的になりにくい。
お金を払いたくない「国会」
VS
お金を集めたい「内閣」
(帝国議会)
✕・「吏党(りとう)」:政府同調政党(例:大成会)(税金集めたい)
VS
〇・「民党(みんとう)」:政府反対政党(税金払いたくない)
(例:立憲自由党・立憲改進党)
「民力休養・政費節減」(スローガン)
__↓_____↓
地租軽減__行財政整理
民党が多数決で勝つ
↓↓
・「政府」は「超然主義」で対抗。
(=何事にもとらわれない=国民の意見はあまり聞きません)
黒田内閣が宣言。「政党政治」を否認。
<山県有朋内閣①>(3)
「第一(帝国)議会」
・1890年 「府県制・郡制」
府県会・郡会などについて規定。モッセ(独)の助言。
・1890年(明治23年) 「第1回 衆議院議員 選挙」
・1890年 「第一回帝国議会(第一議会)」
– 吏党(政府側):129
– 民党(政府反対派):171(→優勢)
※内閣・政府が予算案を作って、国会で承認を得る必要がある。
→軍事予算アップしたい政府 VS 民党。
★山県有朋首相が、国会で予算案の承認を求めて演説。
→政府は自由党・土佐派を買収し、予算を成立させる。
→これに抗議して、自由党・中江兆民(『民約訳解』)、議員辞職。
<松方正義内閣①>(4)
(外交)
・外務大臣・青木周蔵が、条約改正交渉。
法権回復にイギリスは賛成。→しかし大津事件で引責辞職。
・1891年 「大津事件」(滋賀県)
来日中のロシア皇太子ニコライ(二世)を警備の津田三蔵(つださんぞう)巡査が斬りつけた事件。
(第二議会(第二回帝国議会))
・1891年 政府側の海軍大臣・樺山資紀(かばやま・すけのり)の蛮勇演説(「藩閥政府」を擁護)
→「野蛮で勇ましいだけで中身がない」と批判される。
※内閣は国会の解散という手段を持つ。
・1892年 第二議会後、議会解散。
→内務大臣(警察の管轄)・品川弥二郎の選挙干渉。
(選挙妨害・400人以上死傷)
「政府の悪口言ったら逮捕!」
→失敗。自由党・民党の人数は減らず。