260707
日本史【26】江戸時代(近世ー4)
<統治機構の全体図>
[将軍]ー(側用人・将軍側近)
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(・大老(臨時1人)(太政大臣のようなもの))
・老中(もと年寄)(常時3~5人)(左大臣など)
・寺社奉行★
・京都所司代(朝廷の監視)
・若年寄(わかどしより)(老中補佐)
↑↑ここまで譜代大名から任命
(譜代大名:徳川家に古くから仕えていた大名)
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[老中]
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・大目付(おおめつけ)(大名の監視)
・勘定奉行★
ー 郡代(ぐんだい)・・10万石以上の天領の役人
ー 代官(だいかん)・・10万石以下の天領の役人(直接、税金を取る人)(中世の「地頭」「荘官」)
・町奉行(江戸)★
※ただ「町奉行」というと「江戸の町奉行」のことを指す。他は地名が前に付く。「大坂町奉行」など。
(遠国奉行・おんごくぶぎょう)
・町奉行(大阪・京都・駿府)
・奉行(長崎・佐渡・日光・山田(伊勢))
・城代(二条城・伏見城・駿府城)
[若年寄]
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・目付(直参の監視)
↑↑ここまで旗本から任命
★三奉行(さんぶぎょう):寺社奉行、勘定奉行、町奉行(江戸)。3つのうち最高格は「寺社奉行」。将軍直属。
・1635年 要職は月番制(つきばんせい)1ヶ月交代。権力集中を防ぐ。
<幕府の軍事基盤(武士の種類)>
・「大名(1万石以上)」と「直参(将軍直属)(1万石以下)」に分かれる。
☆大名
・大名(約300人ほど)・・「藩」を作る。(300藩)。藩の中は自由、自己責任。税金など。
・大名は以下の3つに分かれる。
[1]親藩(しんぱん)・・徳川一門。家康の親戚。
(御三家:尾張(義直)、紀伊(頼宣)、水戸(頼房))
2代秀忠の弟たち
[2]譜代(ふだい)・・関ヶ原より前からの家臣
[3]外様(とざま)・・関ヶ原以後の家臣
☆直参(直属部下)藩は作れない
・旗本(はたもと):御目見得(おめみえ)以上→将軍への謁見ができる)
土地をもらったり、米をもらう
・御家人(ごけにん):御目見得以下(将軍へ謁見できない)
土地はもらえず、米をもらう
<幕府の財政機構>
全国の土地から米で収入が入る。
・幕領・天領(幕府の直轄地)・・400万石
・旗本知行地(幕府直属の部下)・・ 300万石
・大名領・・2000万石
・他・・50万石(天皇の禁裏御料、寺社の土地)
・幕府分は700万石(全国の4分の1)→収入が多く、大名の反乱を押さえられる。「安定した政権」につながる。
・大名分は2000万石(4分の3)。大名1人平均6万石。
<朱印船貿易>
朱印船貿易(1601~1635年)
日本人が外国に行って貿易する。
朱印状(渡航許可証)を使用
東南アジアでの、中国との出会貿易が中心(秀吉の時代から)
・背景:明の海禁政策
(日本との直接貿易禁止。日本が中国にも行けないし、中国から日本に来ることもできない)
・貿易地:ルソン(フィリピン)、インドシナ半島→アンナン(ベトナム)、カンボジア、シャム(タイ)
・輸入品:生糸(白糸・しらいと)
・輸出品:銀
<貿易家と日本町>
☆朱印船貿易家
・角倉了以(すみのくらりょうい):京都。大堰川(保津川)や高瀬川の治水事業も。
・茶屋四郎次郎:京都。糸割符仲間。
・末吉(すえよし)孫左衛門:大坂平野(ひらの)
・末次平蔵(すえつぐへいぞう):長崎
☆日本町(にほんまち)の形成
・山田長政(ながまさ):アユタヤ(シャムの首都)の日本人町の長。シャムの王に気に入られて、のちリゴールの太守になる。
<徳川家光③>
1623年 秀忠、将軍職を子の徳川家光に譲り、大御所となる。(→1632年死去)
1623年 イギリス、貿易競争に敗れ、自ら撤退。
1624年 イスパニア船、来航禁止。
1627年 紫衣事件(しえじけん)
後水尾(ごみずのお)天皇が幕府の許可なく与えた紫衣勅許を、幕府(秀忠)が無効とした。抗議した沢庵は流罪。(山形へ)
→後水尾天皇は怒って明正天皇(娘)に譲位。(幕府に政治は任せたが、宗教まで口を出されるいわれはない。)女帝は8人。7番目。
1629年 絵踏開始。
踏絵を使って隠れキリシタンを捜す。
1631年 奉書船(ほうしょせん)制度:海外渡航船に老中奉書の所持を義務づける。(朱印状+奉書)
1633年 鎖国令①
奉書船以外の海外渡航の禁止
1635年 鎖国令③
日本人の海外渡航、及び帰国の全面禁止(奉書船もダメ)
1637年 島原の乱
島原(長崎)・天草(熊本)での圧政(税金取り過ぎ)に対し、天草四郎時貞ら4万の農民が原城(はらじょう)跡に立てこもる。
→翌年、老中・松平信綱が鎮圧。
1639年 鎖国令⑤
ポルトガル船の来航禁止
1641年 オランダ商館を長崎の出島に移す
→【鎖国の完成】
ただし江戸時代もオランダとは貿易を続けていた。