平安 – ページ 2 – 歴史note

光る君へ(5)告白 メモ

光る君へ(5)告白 メモ
2024/02/4放送

永観二年(984年)

侍従宰相(じじゅうさいしょう)

式部丞蔵人(しきぶのじょうのくろうど)藤原為時(六位)


・四条の宮
公達4人が話す。

関白:藤原頼忠(よりただ)→息子:藤原公任
左大臣:藤原雅信
右大臣:藤原兼家
大納言:藤原為光(兼家の異母弟)→息子:藤原 斉信(ふじわらのただのぶ)

・藤原行成(ふじわらのゆきなり)
三蹟(さんせき)の1人。

・花山天皇の側近
花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)
乳母子(めのとご)藤原 惟成(ふじわらのこれしげ)

・花山天皇の政治
贅沢を禁じ、銅銭を広め、正しい手続きをしていない荘園を没収しようとする。

・荘園整理令
荘園整理令は、1069年・後三条天皇 による延久の荘園整理令が有名だが、それまでにも何度か出されていた。しかし藤原氏の協力が得られなかった。後三条天皇は藤原氏と外戚関係がなかったため実行した。


殿御(とのご):夫


藤原道綱母・寧子(やすこ)『蜻蛉日記』作者
兼家の妾(しょう)

道綱は順番的には次男だが、立場が違う。


<光る君へ紀行>

雅楽。

「光る君へ(4)五節の舞姫」メモ

「光る君へ(4)五節の舞姫」メモ
2024/01/28放送

永観二年(984年)

六位 藤原為時

藤原宣孝(のぶたか)

論語、荀子(じゅんし)、墨子(ぼくし)も人の道を説いている。


円融天皇から花山天皇に譲位。

東宮が懐仁親王(やすひとしんのう)になった。

花山天皇の側近
花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)
乳母子(めのとご)藤原 惟成(ふじわらのこれしげ)


公卿・学者:藤原 文範(ふじわらのふみのり)


左大臣:源 雅信(みなもとのまさのぶ)

盤双六(ばんすごろく)


倫子サロン

盗賊

辻(つじ)。みちばた。ちまた。

竹取物語


詮子(あきこ)が怒りの抗議。懐仁親王(やすひとしんのう)を兼家の手から取り戻し、守ろうとする。


984年8月 65代 花山天皇 即位

藤原 斉信(ただのぶ)の妹 藤原 忯子(よしこ)が入内。弘徽殿(こきでん)の女房。


為時が12年ぶりに官職を得た。

まひろ弟:藤原 惟規(ふじわらののぶのり)

史記 秦始皇本記 鹿を指して馬となす

趙高欲為乱、恐群臣不聴、乃先設験、持鹿於二世曰、馬也。二世笑曰、丞相誤邪、謂鹿為馬。問左右。左右或黙、或言馬以阿順趙高。或言鹿者、高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高

趙高乱を為さんと欲し、群臣の聴したがわざるを恐れ、乃すなわち先ず験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、馬なり、と。二世笑いて曰く、丞相誤れるか、鹿を謂いいて馬と為す、と。左右に問う。左右或は黙し、或は馬と言いて以て趙高に阿おもねり従う。或は鹿という者あり、高因よりて陰ひそかに諸もろもろの鹿という者に中あつるに法を以てす。後、群臣皆高を畏る。

(宰相となった)趙高(ちょうこう)は謀反を起こそうと考えいたが、群臣が自分の命令に従わないのではないかと疑い、まず、一計を案じ、試してみることにした。鹿をつれてきて二世皇帝に献上し、(趙高が)「馬でございます」と言うと、二世皇帝は笑って、「宰相はまちがっているのではないか。鹿を指して馬などというとは」といい、左右の群臣に問うた。群臣は、ある者は黙り込み、ある者は馬でございますと言って趙高にごまをすった。中には正直に、鹿だと言った者がいたが、趙高は後でひそかにこれらの者を法律によって罰した。以後、群臣は皆、趙高を恐れた。


花山天皇の政治。

民が銅銭を使いたがらない。長雨、日照り続き、米が実らない。物価高。

⇒布一反を百文、銅一斤(600g)を60文に固定。

凶作に際し、自ら装束や食事を減らし模範を示し、それを万民に述べ伝えるようにと。


五節(ごせち)の舞姫

収穫を祝う大嘗祭(だいじょうさい)のあとの宴、豊明節会(とよあかりのせちえ)で未婚の舞姫が舞をささげる神事(しんじ)。

高御座(たかみくら)。


<光る君へ紀行>

寝殿造り

歴史公園 えさし藤原の郷(岩手県・奥州市)

釣殿(つりどの)
納涼や月見などのために池に面してつくられた建物。

 

「光る君へ」と百人一首

「光る君へ」登場人物と百人一首

・紫式部(むらさきしきぶ)
57. めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな

・清少納言(せいしょうなごん)
62. 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ

・儀同三司母(ぎどうさんしのはは)/ 高階貴子(たかしなのたかこ)
54. 忘れじの行く末まではかたければ 今日を限りの命ともがな

・大納言公任(だいなごんきんとう)/ 藤原公任
55. 滝の音は耐えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ

・赤染衛門(あかぞめえもん)
59. やすらはで寝なましものを小夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな

・右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)/藤原寧子(ふじわらのやすこ)
53. 嘆きつつ独りぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る

「光る君へ(3)謎の男」メモ

「光る君へ(3)謎の男」メモ
2024/01/21放送

永観二年(984年)

・放免(ほうめん)・・検非違使(けびいし/京都の治安を守る役職)の下で働く元罪人。犯罪者を探索し、捕縛や拷問を担当。

・看督長(かどのおさ)検非違使庁に属する下級の役人。牢獄(ろうごく)の管理や犯人の逮捕を行う。

・懐仁親王(やすひとしんのう/のちの一条天皇)
円融天皇と詮子の皇子。

・懸想(けそう)する・・恋い慕うこと。

関白:頼忠
左大臣:雅信
右大臣:兼家
大納言:為光


宿直(とのい)・・宮中や役所・貴人の邸宅を警備するために夜間警備を行うこと。

・藤原公任(ふじわらのきんとう)
関白・藤原頼忠の息子。円融天皇の中宮・遵子の弟。

・藤原 斉信(ふじわらのただのぶ)
道長の長兄・道隆のもとに仕える。大納言・藤原為光(兼家の異母弟)の息子。
倫子(ともこ)に想いを寄せる。

・藤原行成(ふじわらのゆきなり)
三蹟(さんせき)の1人。


頭中将(とうのちゅうじょう):藤原実資(ふじわらのさねすけ)
蔵人頭(蔵人所の長)と近衛中将(近衛府の次官)を兼任。

内侍所(ないしどころ)内侍司の女官が詰めた所。温明殿(うんめいでん)の北側の母屋。


高階貴子
定子(さだこ/ていし):道隆と貴子の皇女。

・諸貞親王(もろさだしんのう/のちの花山天皇)
63代・冷泉天皇の第1皇子。円融天皇は叔父にあたる。

 

土御門殿(つちみかどどの)・宇多天皇の血筋。宇多源氏の祖。

・左大臣・父・源雅信(みなもとのまさのぶ)。宇多天皇の孫。
・北の方・母・藤原穆子(ふじわらのむつこ)・まひろの遠縁
・一の姫・源倫子(みなもとのともこ)黒木 華(くろきはる)


前播磨権少丞(さきのはりまのごんのしょうじょう)
藤原朝臣為時娘(ふじわらのあそんためときのむすめ)まひろ

官職はない

偏つぎ(へんつぎ)

・赤染衛門(あかぞめえもん)


孟子(もうし)
「人に忍びざるの心」
他人が苦しんでいるのを、放ってはおけないという気持ち。

「孟子」
「人は皆、人に忍びざるの心有り(人間ならばだれでも、他人が苦しんでいるのを放っておけない気持ちを持っている)」。その証拠として、赤ん坊が井戸の中に落っこちそうになっているのを見れば、誰だって慌てて助けようとするという例を挙げています。孟子の説く性善説を端的に説明したものとして、有名な一節です。

「人皆人に忍びざるの心有りと謂(い)ふ所以(ゆゑん)の者は・・」


倫子サロン

「古今和歌集」752
「見てもまた またも見まくの 欲しければ 馴るるを人は いとふべらなり」

(訳)逢えばまた逢いたくなるので馴れ親しむのをあの人は避けているのでしょう

「古今和歌集」・・日本最初の勅撰和歌集。 選者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑。 60代・醍醐天皇の勅命を奉じ、延喜13年頃(913年)に完成。 20巻、歌数約1100首。

恋の歌3 小野小町
「秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば ことぞともなく 明けぬるものを」

(訳)秋の夜は長いと言うけれど、名ばかりだった。愛しいあなたに逢ったら、あっけなく、あっという間に明けてしまうのだから。


<光る君へ紀行>

「年中行事絵巻」

装いの中に季節の花や自然の色を取り入れた。

かさね色目。

梅かさね(早春)

松かさね(祝いの日など)

女郎花(おみなえし)かさね(秋)

京都市・風俗博物館

 

「光る君へ(2)めぐりあい」メモ

「光る君へ」第2回メモ
2024/01/14放送

永観二年(984年)

成人の儀式。裳着(もぎ)

「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」
(訳)子を持つ親の心は闇というわけではないが、子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものです。

藤原兼輔(かねすけ)の歌。まひろの曾祖父。
百人一首(27)「みかの原わきて流るゝ泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ」中納言兼輔


検非違使
別当(べっとう)・・長官

蔵人頭(くろうどのとう)円融天皇の側近の長。秘書。
藤原実資(さねすけ)「小右記」

懐仁(やすひと)親王。後の66代一条天皇。

 

道長:右兵衛権佐(うひょうえのごんのすけ)。従五位下(じゅごいのげ)。

詮子:梅壺(うめつぼ)の女御(にょうご)

凝花舎(ぎょうかしゃ/[梅壺]うめつぼ)後宮の殿舎のひとつ。壺(中庭)に紅白の梅を植えたことから「梅壺」ともいう。飛香舎(ひぎょうしゃ)の北に建つ。


斉(せい)の名君。孟嘗君(もうしょうくん)

鶏鳴狗盗(けいめいくとう)

秦の昭王(しょうおう)に捕らわれた


「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」

(訳)近くによってはっきり御覧になったらどうですか。黄昏時にぼんやり見えた夕顔の花を

 

源氏物語。夕顔。

「あなたはもしや光源氏ではありませんか?」という問いかけに

「心あてに それかとぞ見る 白露の 光添へたる 夕顔の花」((訳)しっかりと見てみれば光源氏かどうかわかりますよ、会ってみませんか。)

と返した。


散楽(さんがく)
春の女御(遵子)
秋の女御(詮子)


痴れ者(しれもの)。おろかな者。

道兼:蔵人。
陪膳(ばいぜん/はいぜん)。食事係。


高麗人(こまびと)・・高麗の国の人


ちょうこう【趙高】  中国、秦の宦官(かんがん)。始皇帝の死後、丞相の李斯(りし)と謀って、始皇帝の長子扶蘇を殺し、次子の胡亥(こがい)を二世皇帝とした。


式部丞(しきぶのじょう)・・式部省の判官(3番目)四人の総称。 大丞は正六位下、少丞は従六位上相当。


<光る君へ紀行>第2回

京都御所。京都市中心部。

鎌倉末期から江戸の終わりまで天皇の住まいだった。

今の建物は1855年に再建。

今も皇室行事や国賓をもてなす場として使われている。

紫宸殿(ししんでん)。内裏の正殿。

 

御所から西に位置する千本丸太町。

大極殿跡。

平安宮があった場所。

弘徽殿(こきでん)跡。

「光る君へ(1)約束の月」メモ

「光る君へ」第1回メモ

貞元(じょうげん)二年(977年)
大内裏(だいだいり)

陰陽寮(おんようりょう)・・天文・時・暦・占い。
中務省(なかつかさしょう)(天皇の命令作りの原案作り)に属する。

安倍晴明(あべのはるあきら/せいめい)天文博士(てんもんはかせ)正七位下


まひろ(紫式部)

父・藤原為家(学者)

蒙求(もうぎゅう)
王戎簡要 (おうじゅうかんよう)

母・北の方様
(まひろの母)
布を食べ物に換える。
琵琶を弾かなくなった。


<藤原道長の家>
父・藤原兼家(かねいえ)(東三条殿・大納言⇒詮子入内で右大臣に)
長男・藤原道隆(みちたか)
次男・藤原道兼(みちかね)
長女・藤原詮子(せんし/あきこ)
三男・藤原道長(みちなが)

道隆の嫡妻(ちゃくさい)(本妻):高階貴子(たかしなのたかこ)


藤原信孝(のぶたか)為家の親戚

・式部省(しきぶしょう)・・教育、役人の人事(今の文部科学省)

・少丞(しょうじょう)・・判官(じょう)(3番目)、従六位上(じゅろくいじょう)

・除目(じもく)・・天皇、大臣、参議以上の公卿による人事の会議。諸官職や国司を任命する朝廷の儀式。

春(正月)=県召の除目(あがためしのじもく)国司の任命
秋(8月)=司召の除目(つかさめしのじもく)内官の任命

 

・清涼殿(せいりょうでん)・・天皇の日常の居所。政治の中心場所。

 


「史記」馬鹿の語源

権力を欲しいままにした趙高(ちょうこう)。

「鹿」を連れてきて、これは「馬」だと言った。正直に「これは鹿です」と言った者は処刑され、「馬です」と言った者は助かった。

 


64代 円融天皇
在位年:969(11才)~984(26才)

父:藤原頼忠(よりただ)関白・太政大臣
娘:藤原遵子(じゅんし/のぶこ)

藤原基経(もとつね)

藤原忠平(ただひら)

藤原実頼(さねより)

藤原頼忠(よりただ)


大仰(おおぎょう)・・大げさ


散楽(さんがく)

コウメイ。源高明。
安和の変(969年)で藤原氏に排斥された。
それを演じている。

午の刻(うまのこく):11時~13時
未の刻(ひつじのこく):14時~16時


東宮・師貞親王(もろさだしんのう)
後の65代・花山(かざん)天皇

春宮坊(とうぐうぼう)


<光る君へ紀行>

平安神宮。

平安遷都1100年を記念して作られた。(1894年)

大極殿(だいごくでん)。政治の場。

時代祭。平安遷都の10月22日。

京都市北西部。紫野(むらさきの)。

紫式部が生まれたとも、晩年を過ごしたとも言い伝えられている。

「平清盛」大河2012/総集編3海の都

「平清盛」大河2012/総集編3

平清盛 1118年-1181年(享年64才)(松山ケンイチ)

1160年
武士として初めて政に参加できる公卿になった。

宋との交易を本格化。福原に港を作る。
宋銭。


源頼朝。伊豆・蛭ケ小島(ひるがこじま)八重姫。子ができるが八重姫の父は平家のため始末されてしまう。


清盛は財力を元に出世していく。

嫡男・平重盛も参議に。平一門を次々と公卿に推挙。三男宗盛、義弟時盛。

 

清盛の妻・時子の妹、滋子が後白河上皇の妃となる。

王家との関係が深まる。⇒子が生まれ、のちの高倉帝となる。

東宮大夫(とうぐうだいぶ)となる。東宮の長官。

内大臣へ昇進。

治天の君(ちてんのきみ)。天皇または上皇。

 

ついに太政大臣にまでなる。しかし100日で辞職。出家。

福原に移る。

清盛の弟、頼盛らとともに。

 

大和田泊(おおわだのとまり)。

海外との拠点にする。

大和田を博多のようにして、宋や高麗、天竺と交易し富を得る。その富で国を富ませる。それを朝廷ではなく平家一門でやるつもり。

「武士が頂に立つ姿」

 

清盛入道(きよもりにゅうどう)

清盛は時忠に命じて、赤い装束を着た「禿(かむろ)」を京にはなつ。

平家にさからったものは罰する。

時忠「平家にあらずんば人にあらず」

 

福原に朝廷も移す。

福原・大和田泊完成。

遷都。

 

1171
高倉帝の妃に清盛の娘・得子(とくこ)を入内(じゅだい)させる。

朝廷は皇族に武士の血が入ることを反発。

厳島の社で祈願。

中宮となった得子が武家と王家の結びつきを強める。

滋子が急死。後白河天皇と清盛の蜜月が終わる。。

 

 

1177 鹿ヶ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)

「平家を討つ」相談。

藤原成親(なりちか)、僧俊寛を流罪。僧西光は斬首。

 

言仁(ときひと)(のちの安徳帝)の誕生。

後白河法皇を討つことを重盛が体を張って反対する。

「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」

重盛が病に倒れて亡くなる。⇒後白河が重盛の所領を没収。

⇒「治承三年の政変」怒った清盛は法住寺殿へ兵を差し向ける。後白河を鳥羽の離宮へ移す。。

 

ついに清盛が国の頂点に立つ。

 

1180 安徳帝の即位。

都へ福原へ。遷都(せんと)。

公卿の不満がたまる。

「暗闇ばかり。。手に入れても光に届かぬ。。」

 

源頼朝・挙兵。。!

源平合戦の始まり。。

 

駿河・富士川の戦い。

清盛の孫:平維盛(これもり)

平氏は鳥の音を敵襲と間違い逃げ出す。

 

諸国の寺社も謀反。

還都(かんと)。

清盛は10年あまり過ごした福原の都を後にした。。

 

最後に後白河法皇と清盛が双六をする。。

平安の世はおわります。武士同志が戦わされてきた。今後は武士同志が派を争う世となります。。

後白河法皇「もうさようなところまでたどりついておったのか・・」

 

病床に倒れる清盛。頼朝の前に現れる清盛。。

「まことの武士とはいかなるものか見せてみよ・・」

 

1185 3/24 壇ノ浦の戦い

二位尼(にいのあま)(清盛妻・時子)

「海の底にも都はござりましょう・・」

平家滅亡。

 

源頼朝「平清盛なくして武士の世はなかった。。」

 

 

 

「平清盛」大河2012/総集編2保元・平治の乱

「平清盛」大河2012/総集編2保元・平治の乱

平清盛 1118年-1181年(享年64才)(松山ケンイチ)

1153
近衛帝は病に。
次の帝は崇徳上皇の皇子か。

鳥羽法皇は謝ろうとしたが、信西が阻止。
後白河天皇が美濃にいる。

1155
後白河帝の誕生。信西がコントロールするため。


1156 保元の乱
鳥羽法皇崩御。
崇徳院は政から遠ざけられた。鳥羽法皇、後白河天皇側を恨む。
崇徳院左大臣・藤原頼長が手を組む。

〇       ×
(鳥羽法皇)
後白河帝    崇徳上皇
信西
藤原      藤原頼長
平清盛(おい) 平忠正(おじ)
源義朝(息子) 源為義(父)

清盛の弟:平頼盛
清盛の母(忠盛の妻):池禅尼。(忠正から見ると姉)

平氏を絶やさないため、忠正(叔父)は崇徳側についた。

清盛は、忠盛がなれなかった公卿(くぎょう)になり、政に関わり世を変えるのが目標。

白河の北殿(崇徳)を倒すため、後白河側は夜討ちをかける。

後白河側の勝利。
だが・・信西が申し付ける。

平清盛(おい)が平忠正(おじ)と、その子ら4人を斬首。
源義朝(息子)が源為義(父)を斬首。

息子・義朝が殿上人になったことを喜ぶ父・為義。。

為義「殿上人になったそうじゃな。」
義朝「はい。」
為義「もう20数年も前か。平氏の棟梁、忠盛が殿上人となったとき、わしは悔しくてならなんだ。だが今お前がこうしてわしの望みを叶えてくれた。まこと孝行なせがれじゃ。」
義朝「・・・」
為義「義朝、我が首をはねよ。源氏の棟梁の証のその太刀で。」

 

清盛は播磨守(はりまのかみ)に昇進。

義朝は左馬権頭(さまのかみ)止まり。

 

院の近臣
藤原信頼(のぶより)(つかっちゃん)
藤原成親(なりちか)

後白河天皇の遊び。今様(いまよう)の宴。
遊びをせんとや生まれけん・・


時子の妹、滋子。


保元の乱ののち、信西入道が朝廷の実権を握る。清盛と手を組む。

源義朝(よしとも)は低い官位のまま出世せず。妻・由良が亡くなる。

信西への反発
藤原惟方(これかた)
藤原経宗(つねむね)

諸国よりうすく広く税を集める。民の暮らしは上向きに。
信西の国造りに清盛はかけた。

清盛は自分が先に高みに登って、義朝を待つつもりだった。
だが不満を持った義朝と貴族が反乱。
信西を討てば、官位、領地も思いのままとそそのかされる。


1159 平治の乱

源義朝、謀反。
信西の館を襲撃。

藤原信頼(のぶより)(塚地)
藤原成親(なりちか)
藤原惟方(これかた)
藤原経宗(つねむね)

藤原信頼
(のぶより)(塚地)が、三条殿(さんじょうでん)にいた後白河上皇、二条帝を幽閉。

義朝・謀反に驚く清盛(京から離れていた)。

嫡男平重盛(しげもり)は賢明であり、信西の源氏にへの冷遇を考えれば分かる話だと冷静に分析。

源氏の家臣。源頼政(よりまさ)

信西は自害。。

 

清盛は後白河上皇と二条帝の奪還に成功。

源氏と平氏の棟梁同志、源義朝と平清盛が戦うことになる。

賀茂川で一騎打ち。
「わが身は滅びても源氏の魂は断じて滅びぬ」

清盛は謀反に関わった貴族を処罰する。
貴族が武士に処断されるのは前代未聞。

義朝は落ち延びる途中、身内の裏切りにあい果てる。

 

頼朝を助けるように母・池善尼(いけのぜんに)から願われる。

友である義朝の刀、髭切(ひげきり)を頼朝に渡す。自分は下りないと宣言。

伊豆に流罪。

友・義朝の妻、常盤御前は清盛のもとへ。

 

清盛はついに武士で初めて公卿になった。

(朝廷に仕える三位(さんみ)以上の人。)

「平清盛」大河2012/総集編1武士の世

「平清盛」大河2012/総集編1

平清盛 1118年-1181年(享年64才)(松山ケンイチ)

父・平忠盛(ただもり)(中井貴一)

(白河上皇が本当の父親?の設定。)

幼名:平太(へいた)

平忠盛の弟:平忠正

武士は王家(朝廷)に仕えていた。盗賊の追討など。
「王家の犬」と呼ばれ、さげすまれている時代。

石清水八幡宮での舞い


父:源為義(ためよし)(小日向文世)⇒源氏の棟梁

嫡男:源義朝(よしとも)(玉木宏)

(八幡太郎 源義家の曽孫)

源氏は平氏に後れをとっていた。


1132年
平忠盛 殿上人(内裏への昇殿を許される)となる。
上流貴族の仲間入り。

鳥羽上皇から信頼を得たため。

摂関家の長:藤原忠実(ただざね)(國村隼)は反対。

源為義(小日向)が平忠盛(中井)を討とうとする。

源為義の父、源義親(よしちか)は、平忠盛の父、平正盛に討たれたから。
そこから源氏が落ちていった。

その敵討ちをしようとするが失敗。

 

清盛は義朝や佐藤義清(のりきよ)(のちの西行)らと切磋琢磨。

佐藤義清「いかなる世でも美しく生きるのが志」
清盛は「おもしろく生きたい」という。


1135年
西海を荒らす海賊追討令。清盛の初陣。追討使(ついとうし)

唐船(からふね)。宋。

高階通憲(みちのり)。のちの信西(しんぜい)。

海賊を仲間にする。海外(宋)に目が向いている。


最初の妻:明子(→疫病で亡くなる。)

嫡男(長男):平重盛(しげもり)

清盛の弟:平家盛、平頼盛。

まだ武士に参議(さんぎ)が許されない。

平時忠(ときただ)(森田剛)の、姉・時子が清盛の後添え(後妻)になる。

(平時忠。公家出身。桓武平氏・高棟流(堂上平氏)、平時信の子。
「平家にあらずんば人にあらず」を言った人。)


源氏。
源義朝と由良姫との子が源頼朝。


鳥羽上皇(三上博史)

正妻・璋子(たまこ)は白河院(祖父)と通じていた。
その間にできた子供が崇徳帝。鳥羽上皇の第1皇子。

側室・得子(なりこ)は鳥羽上皇との子を産む。国母(こくぼ)の座を狙うか。

 

鳥羽上皇の第4皇子。
雅仁・まさひと(のちの後白河天皇)(松田翔太)

清盛とすごろくをして子供をかけろという。


延暦寺の僧侶、山法師による「強訴(ごうそ)」
武士は追討を命じられていた。

清盛は神輿(しんよ)(みこし)を討つ。

藤原頼長(よりなが)(山本耕史)が追放しようとする。信西はかばう。

 

清盛は父になぜ自分を拾ったのか、平氏に災いをもたらすと思わなかったのかと問う。

清盛の母は陰陽師の世迷言などものともせず守り抜いた。たった一人で巨大な白河院に立ち向かった。

だから清盛が迷信に立ち向かう日を待っていた。これからに必要な人物だと父忠盛はかばった。

しかし弟・家盛が急死。

忠盛の正妻・宗子らが清盛のせいだと責める。。

 

曼荼羅の製作。一門を背負って立つ覚悟。

「武士の世」を作るため。武士が頂きに立つ。

 

漫画『応天の門』16巻メモ

応天の門 16巻 メモ

毎年七月
相撲節会(すまいのせちえ)

各国の力自慢が集められ神前試合を行う。勝つと宮中の守護の職を与えられるなど出世も望める。

内膳司(ないぜんし)・・天皇の食膳の調理を担当した役所。

膳夫(かしわで)・・宮中の調理人

宜秋門(ぎしゅうもん)・・内膳司の出入りする門

宴の松原(えんのまつばら)・・大内裏内の広い松林。宜秋門を出てすぐのところ。