「平清盛」大河2012/総集編1
平清盛 1118年-1181年(享年64才)(松山ケンイチ)
父・平忠盛(ただもり)(中井貴一)
(白河上皇が本当の父親?の設定。)
幼名:平太(へいた)
平忠盛の弟:平忠正
武士は王家(朝廷)に仕えていた。盗賊の追討など。
「王家の犬」と呼ばれ、さげすまれている時代。
石清水八幡宮での舞い
父:源為義(ためよし)(小日向文世)⇒源氏の棟梁
嫡男:源義朝(よしとも)(玉木宏)
(八幡太郎 源義家の曽孫)
源氏は平氏に後れをとっていた。
1132年
平忠盛 殿上人(内裏への昇殿を許される)となる。
上流貴族の仲間入り。
鳥羽上皇から信頼を得たため。
摂関家の長:藤原忠実(ただざね)(國村隼)は反対。
源為義(小日向)が平忠盛(中井)を討とうとする。
源為義の父、源義親(よしちか)は、平忠盛の父、平正盛に討たれたから。
そこから源氏が落ちていった。
その敵討ちをしようとするが失敗。
清盛は義朝や佐藤義清(のりきよ)(のちの西行)らと切磋琢磨。
佐藤義清「いかなる世でも美しく生きるのが志」
清盛は「おもしろく生きたい」という。
1135年
西海を荒らす海賊追討令。清盛の初陣。追討使(ついとうし)
唐船(からふね)。宋。
高階通憲(みちのり)。のちの信西(しんぜい)。
海賊を仲間にする。海外(宋)に目が向いている。
最初の妻:明子(→疫病で亡くなる。)
嫡男(長男):平重盛(しげもり)
清盛の弟:平家盛、平頼盛。
まだ武士に参議(さんぎ)が許されない。
平時忠(ときただ)(森田剛)の、姉・時子が清盛の後添え(後妻)になる。
(平時忠。公家出身。桓武平氏・高棟流(堂上平氏)、平時信の子。
「平家にあらずんば人にあらず」を言った人。)
源氏。
源義朝と由良姫との子が源頼朝。
鳥羽上皇(三上博史)
正妻・璋子(たまこ)は白河院(祖父)と通じていた。
その間にできた子供が崇徳帝。鳥羽上皇の第1皇子。
側室・得子(なりこ)は鳥羽上皇との子を産む。国母(こくぼ)の座を狙うか。
鳥羽上皇の第4皇子。
雅仁・まさひと(のちの後白河天皇)(松田翔太)
清盛とすごろくをして子供をかけろという。
延暦寺の僧侶、山法師による「強訴(ごうそ)」
武士は追討を命じられていた。
清盛は神輿(しんよ)(みこし)を討つ。
藤原頼長(よりなが)(山本耕史)が追放しようとする。信西はかばう。
清盛は父になぜ自分を拾ったのか、平氏に災いをもたらすと思わなかったのかと問う。
清盛の母は陰陽師の世迷言などものともせず守り抜いた。たった一人で巨大な白河院に立ち向かった。
だから清盛が迷信に立ち向かう日を待っていた。これからに必要な人物だと父忠盛はかばった。
しかし弟・家盛が急死。
忠盛の正妻・宗子らが清盛のせいだと責める。。
曼荼羅の製作。一門を背負って立つ覚悟。
「武士の世」を作るため。武士が頂きに立つ。