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日本史【45】大正時代(近代ー14)

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日本史【45】大正時代(近代ー14)

<西園寺公望内閣②>(14代)

・1912年 大正改元

・1912年 陸軍の二個師団増設要求
→西園寺内閣②は、財政難を理由に拒否
→上原勇作陸相、辞任(陸軍のストライキ。大臣を出さない。=軍務大臣現役武官制を使う。)

→西園寺内閣・総辞職
(軍が内閣をつぶしてしまった)

<桂太郎内閣③>(15代)
・1912年 内大臣だった桂太郎が、宮中と府中の別を破って組閣したため批判が集中。「天皇を利用しているだけだ」。

☆1912年 第一次護憲運動
・尾崎行雄:(立憲)政友会
・犬養毅:立憲国民党
「憲政擁護」、「閥族打破」
↓↓
桂太郎は、新党結成で対抗。
・国民党の一部を吸収して「立憲同志会」を設立(桂の死後)

民衆のデモ。国会の周りを民衆が取り巻いた。
→内閣総辞職(大正政変)
(民主主義的風潮が強くなってきた証)

<山本権兵衛①>(16代)
・1913年 薩摩・海軍の山本権兵衛が組閣。
(与党:立憲政友会)

・1913年 軍部大臣 現役武官制 改正
現役規定を予備役・後備役(OBなど)にまで拡大

・1914年 ジーメンス(シーメンス)事件
海軍賄賂事件。独の会社。
→総辞職

<大隈重信②(第一次世界大戦)>(17代)
・1914年 第一次世界大戦(~1918年)
三国同盟
ドイツ・イタリア・オーストリア
VS
三国協商
イギリス・フランス・ロシア

サラエボ事件がきっかけ
(オーストリア皇太子が暗殺された事件)
・日本は日英同盟のよしみで参戦
・「中国・太平洋のドイツ領」を攻撃
・青島(山東半島)、南洋諸島の一部を占領

<大隈重信②(二十一カ条の要求)>
・1915年 (対華)二十一カ条の要求
外相:加藤高明(立憲同志会・内閣の中心)
↓↓
中華民国・大総統:袁世凱
5月9日 一部を除いて受諾
→この日を中国は「国恥(こくち)記念日」とする。
(内容)
①山東省の旧ドイツ権益の継承
②漢冶萍公司(かんやひょう・こんす)(製鉄会社)の共同経営
※公司(コンス)は中国語で「会社」

<寺内正毅内閣(大戦景気)>(18代)
・1915年~18年 大戦景気
①輸出急増(生糸・綿織物)
②世界第3位の海運国へ→船成金などの登場
③満鉄による鞍山(アンシャン)製鉄所設立(1918年)
→工業国へ

・1917年 西原借款(しゃっかん)
借款:国が国にお金を貸すこと。
日本政府・西原亀三(かめぞう)→段祺瑞(だんきずい)政権へ。中国への経済援助。(袁世凱の次の権力闘争)中国での権益拡大を意図。
→失敗(お金を貸したが段祺瑞が失脚)

・1917年 金輸出禁止(金本位制を停止)

<寺内正毅内閣(ロシア革命)>(18代)
・1917年 ロシア革命
ロマノフ王朝が倒れる。
レーニンの主導で、最初の「社会主義政権」成立。
↓↓
①1917年 石井・ランシング協定
日・米間。中国における日本の権益を承認。
(明治の終わりには仲が悪かった日米が、仲直り)
↓↓
②1918年 シベリア出兵
チェコスロバキア軍救出を名目に、英・米・仏と共に出兵。
(戦争中は物価が上がる。)
→米の買い占め、売り惜しみ→米価急騰
↓↓
・1918年 米騒動
富山の漁民主婦の蜂起(越中女一揆)から全国へ
内閣は軍を出して鎮圧。
寺内内閣・総辞職

 

コミック『だんドーン』5巻

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コミック『だんドーン』5巻

・中村半次郎(薩摩藩の侍)
(→後の桐野利秋)
誠忠組と仲良い。
薩摩一の豪速剣。

集成館(薩摩の工場)

川路正之進
森山新蔵(元商人、薩摩藩士)
1両あれば1ヶ月生活できる。

串木野金山(薩摩)

人吉(ひとよし)
球磨川(くまがわ)うなぎ
温泉など

草莽の志士
有馬新七
永国寺。(後に西南戦争で薩摩軍の本陣となる)

・宮部鼎蔵(肥後)

肥後の議論倒れ
熊本城。加藤清正、築城。

幕末四大人斬り
①河上彦斎(かわかみげんさい)(肥後)

・清河八郎
過激な討幕派。

・伊牟田尚平。ヒュースケン暗殺の犯人。
ヒュースケンはオランダ語と英語が話せたので重宝されていた。

・調所広郷(ずしょひろさと)
薩摩藩、家老。
茶坊主。密貿易などで借金を黒字化。

・間部詮勝。元老中。
南紀派。青鬼。井伊直弼の右腕。

・島津久光は討幕派ではない。

長州藩
藩校、明倫館(山口・萩市)
師・吉田松蔭。
桂小五郎
松下村塾の双璧
・久坂玄瑞(げんずい)
・高杉晋作

・山縣小助(有朋)(日本陸軍の父)
・山田市之丞(顕義)(初代司法大臣)

日本史【44】日露戦争後の政治(近代ー13)

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日本史【44】日露戦争後の政治(近代ー13)

<西園寺公望内閣①(1906年)>(12)
ポーツマス条約で得たところが次につながっていく。
(①韓国の指導権②旅順・東清鉄道)
・1905年 「韓国統監府(とうかんふ)」設置(@漢城)(現ソウル)
初代統監:伊藤博文

・1906年 「日本社会党」結成。
最初の合法的社会主義政党。
堺利彦・片山潜らによる。
(※1901年 最初の社会主義政党「社会民主党」はすぐ解散させられた。)

・1906年 「鉄道国有法」制定
民営鉄道17社を国有化。

・1906年 「関東都督府(かんとう・ととくふ)」設置。
(関東州の統治機関)
@旅順(遼東半島)。中国のこの辺りの地域を関東と呼ぶ。

・1906年 「南満州鉄道 株式会社(満鉄)」設立。
旅順・長春間。ポーツマス条約で手に入れた鉄道利権。
半官半民。

<西園寺公望内閣①(1907年)>(12)
・1907年 「第一次日露協約」
支配権を相互承認
(日露戦争後、ロシアとの関係は良好)

・1907年 「ハーグ密使事件」
韓国が、日本の内政干渉をオランダのハーグ万国平和会議に提訴。
↓↓
・1907年 「第三次日韓協約」
韓国の「内政権」も吸収。
(第二次で外交権)
皇帝を退位させ、韓国の軍隊も解散させる。
→「義兵運動」激化。

<桂太郎内閣②>(13)
・1909年 伊藤博文暗殺事件
ハルビン(ハルピン)(満州)で安重根(あんじゅうこん)に暗殺。

・1909年 ノックスの中立案
米・国務長官ノックスが満鉄中立化(みんなのものにしよう)を提案→日露拒否

・1910年 「大逆(たいぎゃく)事件」
明治天皇暗殺計画を名目に、社会主義者らが大逆罪に問われる。幸徳秋水・菅野(かんの)スガら12名が死刑。
(→1911年 警視庁内(東京)に「特別高等課(特高)」設置。以後、社会主義は冬の時代へ。10年ほど活動できず。)

伊藤暗殺後
↓↓
・1910年 「韓国併合条約」
韓国併合(「韓国」を「朝鮮」と改称)
(国が否定され、日本の一部となる)
→「朝鮮総督府」設置
初代統監:寺内正毅(まさたけ)(→後に18代総理になる。1916)
(※朝鮮:1392年・李成桂が建国。1897年に「韓国」に名前が変わり、1910年にまた「朝鮮」に戻る)

<韓国統監府1905伊藤→朝鮮総督府1910寺内、台湾総督府1895樺山資紀、関東都督府1906>

・1911年 「日米通商航海条約」改正
→税権回復(外相:小村寿太郎)
(明治の最後の年、明治44年に、ようやく回復できた。始まりは日米修好通商条約(1858))

・1911年 「工場法」制定(→戦後の「労働基準法」につながる)
→初の労働者保護立法。施行は1916年。
15人未満の工場には適用せず。

<西園寺公望内閣②>(14)
・1911年 辛亥革命
→1912年 (清→)「中華民国」成立
(臨時大総統:孫文)
(明治まで清。大正から中華民国。)

・1912年7月 明治天皇没
→大正改元

(大正時代は、1926年12月まで。)

日本史【43】日露戦争(近代ー12)

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日本史【43】日露戦争(近代ー12)

<桂園時代>
桂園時代・・明治の最後の約10年間。1901(明治34)年~1913(大正2)年。
・桂太郎(陸軍・長州閥)・・山県有朋派
・西園寺公望(立憲政友会)・・伊藤博文派
山県有朋や伊藤博文は元老(天皇の非公式顧問)として、影響力を行使した。

<桂太郎内閣①(日露戦争前の政府)>(11)
戦前の国内の状況
■ 政府
・戦争反対派「日露協商論」
「満韓交換」(満韓をロシアと分け合おう。韓国は日本がもらうので満州はロシアへ)
伊藤博文・井上馨・尾崎行雄
VS
・戦争賛成派「日英同盟論」
桂太郎(首相)・小村寿太郎(外相)・山県有朋
↓↓
・1902年 「日英同盟(協約)」締結
一方と他国との交戦時は、もう一方は厳正中立(参加しない)
(→日露戦争へ前向き)

<桂太郎内閣①(日露戦争前の国民)>
「主戦論」
国民の大部分は主戦論。
VS
「非戦論」
幸徳秋水・堺利彦(社会主義)
「万潮報(よろづちょうほう)」(新聞)が戦争賛成に変わったため、そこの記者をやめ、「平民社」設立。
「平民新聞」を発行。反戦を訴え続けた。

内村鑑三(キリスト教)
与謝野晶子(ロマン主義)
「君死にたまふことなかれ」旅順港にいる弟を嘆いた詩

↓↓
<桂太郎内閣①(日露戦争)>(11)
・1904年 「日露戦争」開戦
戦争の経過(一部)
旅順占領:乃木希典
↓↓
日本海海戦:東郷平八郎
バルチック艦隊を破る
日本有利の状況で終戦。

・資金(17億円以上)は国債・増税・煙草の専売制などに頼る。

(戦争中)
・1904年 「第一次日韓協約」
韓国政府内に日本人顧問を採用。

・1905年 「桂・タフト協定」
アメリカが日本の韓国保護国化を承認。

↓↓
・1905年 「ポーツマス条約」
(全権)
日本:小村寿太郎外相
ロシア:ウィッテ
(米大統領・セオドア・ローズヴェルトの仲介)
①「韓国」に対する日本の指導権を認める。(ロシアは手を出さない)。
(※「朝鮮」→「大韓帝国(韓国)」に名称が変わっている)
②旅順・大連(遼東半島)の租借権を日本に譲る。
(日本が取り返した)南満州のあたり。
長春以南の東清鉄道と、その付属利権を日本に譲る。
③北緯50度以南の樺太(サハリン)領有を認める。
※賠償金はなし。
↓↓
・1905年 「日比谷焼打ち事件」
講和反対国民大会でのポーツマス条約の内容を屈辱とした暴動。戒厳令(軍による治安維持)施行。
(日比谷は鹿鳴館があった場所。)

・1905年 ハリマン計画
米鉄道王ハリマンが満鉄の日米共同経営計画を提案。
→政府は拒否。(日米関係が悪化)

・1905年 「第二次日韓協約」
韓国の「外交権」を吸収。
→保護国化
→1906年 「韓国総督府(とうかんふ)」を設置。

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(29)「天下への道」(2026/7/26放送)

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2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(29)「天下への道」(2026/7/26放送)

【あらすじ】織田信孝(結木滉星)から明智討伐の差配を任された秀吉(池松壮亮)。焦らず敵を追い詰め、光秀(要 潤)を生け捕りにすべきと考えるが、信長を失った織田勢の足並みはそろわず、逸(はや)った高山右近(市川知宏)らが敵陣に攻め入る。小一郎(仲野太賀)は初陣の与一郎(大西利空)を残し、自身は援軍として戦場へ。だが与一郎は、刺客から信孝を守って負傷してしまう。一方、小一郎は秀吉に、どうしても光秀と話したいと頼まれ…。(ーNHK公式サイトより)


・天正10年(1582年)6月
<本能寺の変の後>
・北畠(織田)信雄(のぶかつ)(信長次男)
・織田信孝(のぶたか)(信長三男)と丹羽長秀

・山崎の戦い
明智軍・勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)

中川清秀(茨木城)、高山右近(高槻城)は織田側に付いた。
池田恒興。

織田家は信雄(次男)と信孝(三男)で割れる。

・家康は三河・岡崎城に戻った。明智討伐には参加せず、甲斐・信濃を守る。

・越前・北庄城
柴田勝家、上杉が落ち着いたので京に戻ろうとするも、すでに時遅し。秀吉が戻っていた。

・天正10年(1582年)6月13日
山崎の戦い

ーーーーーーーーーーーーー

「豊臣兄弟!紀行」(29)

・山崎合戦古戦場(京都府・大山崎町)
山城と摂津の国境。小泉川。川を挟んだ総力戦へ。
明智方1万6千、織田方4万。敗戦の色が濃くなった明智光秀は勝龍寺城から抜けだしたが、その道中非業の最期を遂げたといわれている。

 

日本史【42】明治時代の産業発展(近代ー11)

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日本史【42】明治時代の産業発展(近代ー11)

<産業革命の全体図>

★軽工業中心(日清戦争前後)1890年代
・製糸業(繭→生糸)
・紡績業(綿花→綿糸)三河・尾張・河内
・綿織物業(綿糸→綿織物)
↓↓
★重工業中心(日露戦争前後)1900年代
・鉱工業の発達
・陸運と海運の整備
・財閥の形成
↓↓
★社会問題の発生
↓↓
★労働運動・社会主義運動の発展

<産業革命(軽工業)>
■ 製糸業
座繰(ざぐり)製糸→器械製糸(富岡製糸場)アメリカ向け輸出産業

■ 紡績業
ガラ紡:発明・臥雲辰致(がうんたっち/ときむね)
→「機械紡績」の登場で紡績業が発展。

中国・インドからの安価な綿花輸入により発展
・1882年 「大阪紡績会社」設立(渋沢栄一ら)翌年開業
・1890年 綿糸「生産」額、「輸入」額を超える。
・1897年 綿糸「輸出」額、「輸入」額を超える。
↓↓
・1897年 「金本位制」採用(←「貨幣法」1897年)
日銀で「銀」ではなく「金」と交換できるようになった。

■ 綿織物
国産力機織 発明:豊田佐吉(とよださきち)
→第一次大戦ごろ、日本の輸出の主力になっていく。

<産業革命(重工業)>
■ 鉄鋼業
(官営)八幡(やはた)製鉄所(福岡)
・1901年 操業開始→鉄鋼の国産化
☆原料
・石炭・・筑豊炭田(福岡)、撫順炭田(ぶじゅんたんでん)(中国から輸入)
・鉄鉱石・・大冶鉄山(だいやてつざん)(中国から輸入)

※鉄鋼は国産化できたとはいえ、まだ輸入が多い。原料も輸入に頼っている。

■ 陸運
・1906年(※日露戦争後) 「鉄道国有法」:民間鉄道の国有化
1/3が国鉄、2/3が民営だったのが逆転する。国が私鉄を買い上げて2/3が国鉄に。←国内輸送の一元化が目的。

■ 海運
・1893年 「ボンベイ航路」開通。
神戸・インド(ボンベイ)間
(※綿花をインドから輸入して運ぶため。)
日本郵船株式会社が開いた航路。

<産業革命(財閥の形成)>
★「財閥」(コンツェルン)の形成
様々な業種・経済体が結合したグループ
例:四大財閥
・三井:三井合名会社
・三菱:三菱合資会社
・住友:住友合資会社(別子銅山)
・安田:安田保善社(安田善次郎)

その他
・古河(ふるかわ):古河鉱業(古河市兵衛)

<産業革命(社会問題と労働者)>
★社会問題の発生
①高島炭鉱事件(長崎・三菱経営)
・1888年 高島炭鉱の暴動が雑誌『日本人』に発表。

②足尾銅山鉱毒事件(栃木・古河経営)
(足尾銅山は江戸時代は幕府経営→古河鉱業の経営に。)
渡良瀬川流域の鉱毒公害事件。
・1901年 代議士(国会議員)の田中正造が天皇に直訴。

③天満紡績スト
・1894年 大阪での大規模な女工のストライキ
(天満・青物市で出てきた)

★労働者の実態
・1889年 日本之下層社会(横山源之助)
・1903年 職工事情(農商務省編)
↓↓
労働運動・社会主義運動の発展。
「工場法」制定につながる。

 

日本史【41】日清戦争(近代ー10)

260730
日本史【41】日清戦争(近代ー10)

<伊藤博文内閣②(朝鮮問題)>(5)
第四議会
・1893年 伊藤内閣は天皇の建艦詔書で予算を成立させる。

★朝鮮問題
(日清戦争のきっかけとなる)
・1894年 甲午農民戦争(東学党の乱)
朝鮮で起きた農民反乱。日・清両国が出兵。(どちらも領土的野心がある。)
→乱は鎮圧も、乱後の朝鮮の内政改革をめぐり、日清両国が衝突。

・1894年7月 「日英通商航海条約」締結
→「法権回復」領事裁判権の撤廃(同時に税権も一部回復)
外相:陸奥宗光
駐英公使:青木周蔵

・1894年 日清戦争

・1895年4月 下関条約
(全権)
〇 日本:伊藤博文首相・陸奥宗光外相
✕ 清:李鴻章
① 清は朝鮮の独立を認める。
② 遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島(60島ほど)の割譲(日本の領土に)。
③ 賠償金2億両(テール・清のお金の単位)
(3億1000万円・当時の日本の国家財政の約3倍)。
④ 重慶・沙市(さし)・蘇州・杭州の開市・開港(長江沿岸)。

<伊藤博文内閣②(日清戦争後)>(5)
・1895年4月 三国干渉
露が独・仏と共に、中国への遼東半島返還を日本に要求。(ほぼ脅迫)
→政府は(渋々)受け入れる。
国民は「臥薪嘗胆」をスローガンに我慢。

・1895年 「台湾総督府」設置
台湾の統治機関。
初代台湾総督:樺山資紀(かばやますけのり)(「蛮勇演説」の人)

・1895年 閔妃✕事件
朝鮮公使・三浦梧楼(みうらごろう)らによる。

・1896年 戦争後は自由党と提携(板垣内相・内務大臣)
→政党も軍備拡張を容認。

<列強の中国分割>
★租借地(借りるが期限を延ばす⇒実質は領土割譲)
・ロシア:旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
(遼東半島の先の町⇒実質はその北側の大きな部分をロシアが支配)
・イギリス:九竜(きゅうりゅう)半島・威海衛(山東半島)
(租借地でもない長江沿岸をも支配)
・ドイツ:膠州湾(山東半島)
・フランス:広州湾
・列強不割譲(欧に持っていかせないようにした)(日本):福建省。(台湾の向かい)
・アメリカ:当初不参加。(フィリピン占領に忙しい)
→方針転換・国務長官(外務大臣)ジョン・ヘイの三原則
(門戸開放・機会均等・領土保全)
→しかし結局中国の領土は支配できず。

↓↓
★義和団の乱(1900年)
「扶清滅洋」を唱え、中国国民が反抗。←日本を含む8カ国連合軍が鎮圧。北京制圧。

<日清戦争後の政治>

<松方正義②>(6)
(日清戦争で松方から伊藤に総理を渡す。戦後また戻した。)
・1896年 「進歩党」(元・立憲改進党)と松方内閣が提携(大隈外相)
「松隈(しょうわい)内閣」と呼ばれる。

・1897年 「職工義友会」
労働組合の結成を呼びかけ。
アメリカ帰りの高野房太郎らによる。
↓↓
・1897年 「労働組合期成会」に改名
高野房太郎(たかのふさたろう)、片山潜らによる
→各地で「労働組合」結成

<伊藤博文内閣③>(7)
・1898年 「地租増徴案」(2.5%から上げる案)
→「自由党」、「進歩党」が反対。
→この2つが合体して「憲政党」を結成。
(※「憲政会」ではないので注意)

(伊藤:「じゃあ、あんたたち政治やってみれば」)
↓↓
<大隈重信内閣①>(8)
・1898年 初めての「政党内閣」(陸海相以外は憲政党院)。
(=初めての「国民の選んだ国会議員による民主的な内閣」が誕生。それまでは内閣は天皇が選ぶ形だった。)
首相:大隈重信
内相:板垣退助
→「隈板(わいはん)内閣」
↓↓
・1898年 「共和演説事件」
文部大臣・尾崎行雄が共和制を例に出し、金権政治を批判。
↓↓
「憲政党」は分裂し(大隈たちが出ていく→憲政本党)、内閣総辞職。(「政党内閣」は、数カ月でつぶれる・・)

↓↓
「民党のやつら、何もできなかったじゃん。」
「すいません・・」
↓↓
<山県有朋②>(9)
・1898年 地租増徴(2.5%→3.3%)

・1899年 「文官任用令」改正←政党勢力の官吏(役人)進出を防ぐため

(※1900年は19C最後の年。1901年から20C。)

・1900年 「治安警察法」制定:弾圧立法
政治・労働運動の規制を強化

・1900年 「衆議院議員 選挙法」改正
(直接国税15円→)10円、25歳以上の男子。全人口比2.2%。

・1900年 「軍部大臣 現役武官制」制定
陸軍・海軍大臣を現役の大将、中将に限定。(→軍が内閣をつぶすことができるようになる)

・1900年 北清事変
義和団事件を日本他8か国が鎮圧。

・1900年 伊藤博文が、憲政党員(元・自由党員)を中心に「立憲政友会」を結成→伊藤④へ
→幸徳秋水、伊藤博文と組んだ憲政党員を「自由党を祭る文」で批判

<伊藤博文内閣④>(10)
・1900年 内閣成立(外相・陸海相以外は「政友会」員)

・1901年 「八幡製鉄所」操業開始

・1901年 「社会民主党」結成
(法律を作るのは政府ではなく立法機関の国会。)
最初の社会主義政党。(=労働者を守る)
中心:幸徳秋水、片山潜、安部磯雄、木下尚江
→「治安警察法」により禁止。
→すぐに解散させられた。

★日清戦争後の政党の動き

松方② 伊藤③ 大隈① 山県② 伊藤④
自由党(板垣) ↗ → 立憲政友会(伊藤)
(戦後自民党へ)
憲政党
立憲改進党(大隈) →進歩党→ ↘憲政本党
進歩党が内閣と提携 伊藤内閣が超然主義に戻り合体 共和演説事件を機に分裂

 

日本史【40】諸法典の編纂と初期議会(近代ー9)

260725
日本史【40】諸法典の編纂と初期議会(近代ー9)

<「衆議院議員 選挙法」の変遷>

公布 首相 直接国税 年齢・性別 人口比
1889年 黒田清隆 15円以上 25歳以上の男子 1.1%
1900年 山県有朋 10円以上 25歳以上の男子 2.2%
(大正)1919年 原敬 3円以上 25歳以上の男子 5.5%
1925年
(普通選挙法)
加藤高明 なし 25歳以上の男子 20.8%
(昭和)1945年 幣原喜重郎 なし 20歳以上の男女 50.4%

<刑法・民法の制定>

・1880年 ボアソナード(仏・法学者)起草
-「刑法」(罪と罰)
-「治罪法」→「刑事訴訟法」

・1890年 「民法」を制定。
ボアソナード起草(自由主義的=個人の人権を重視。平等)↓↓
☆「民法典 論争」(みんぽうてん ろんそう)
賛成派:梅謙次郎(うめけんじろう)
反対派:穂積八束(ほづみやつか)
「民法出デテ忠孝亡ブ」
↓↓
反対派の意見が通り、修正される
・1896年・98年 「新民法」を制定
「戸主権」を規定

★「国会」

<初期議会>
・「帝国議会」・・今でいう「国会」。立法機関(法律を作る)。

・「初期議会」・・「第1回帝国議会」から「第6回帝国議会」のこと。→その後、日清戦争へ。

・「政府(内閣)」は「行政府」のトップ。(法律を使う)

※今は、国民が「国会議員」を選んで、その「国会議員」の中から「内閣」を作っていくが、この時代は天皇が「内閣」を決めていた。=つまり「政府・内閣」は民主的になりにくい。

お金を払いたくない「国会」
VS
お金を集めたい「内閣」

(帝国議会)
✕・「吏党(りとう)」:政府同調政党(例:大成会)(税金集めたい)
VS
〇・「民党(みんとう)」:政府反対政党(税金払いたくない)
(例:立憲自由党・立憲改進党)
「民力休養・政費節減」(スローガン)
_______
地租軽減__行財政整理

民党が多数決で勝つ
↓↓

・「政府」は「超然主義」で対抗。
(=何事にもとらわれない=国民の意見はあまり聞きません)
黒田内閣が宣言。「政党政治」を否認。

<山県有朋内閣①>(3)
「第一(帝国)議会」
・1890年 「府県制・郡制」
府県会・郡会などについて規定。モッセ(独)の助言。

・1890年(明治23年) 「第1回 衆議院議員 選挙」

・1890年 「第一回帝国議会(第一議会)」
– 吏党(政府側):129
– 民党(政府反対派):171(→優勢)

※内閣・政府が予算案を作って、国会で承認を得る必要がある。
→軍事予算アップしたい政府 VS 民党。

★山県有朋首相が、国会で予算案の承認を求めて演説。
→政府は自由党・土佐派を買収し、予算を成立させる。
→これに抗議して、自由党・中江兆民(『民約訳解』)、議員辞職。

<松方正義内閣①>(4)
(外交)
・外務大臣・青木周蔵が、条約改正交渉。
法権回復にイギリスは賛成。→しかし大津事件で引責辞職。

・1891年 「大津事件」(滋賀県)
来日中のロシア皇太子ニコライ(二世)を警備の津田三蔵(つださんぞう)巡査が斬りつけた事件。

(第二議会(第二回帝国議会))
・1891年 政府側の海軍大臣・樺山資紀(かばやま・すけのり)の蛮勇演説(「藩閥政府」を擁護)
→「野蛮で勇ましいだけで中身がない」と批判される。

※内閣は国会の解散という手段を持つ。

・1892年 第二議会後、議会解散。
→内務大臣(警察の管轄)・品川弥二郎の選挙干渉。
(選挙妨害・400人以上死傷)
「政府の悪口言ったら逮捕!」

→失敗。自由党・民党の人数は減らず。

 

日本史【39】内閣と憲法(近代ー8)

260725
日本史【39】内閣と憲法(近代ー8)

<伊藤博文内閣①(内閣制度創設)>(初代)
(伊藤は①~④回、総理をやっている)

・1885年(明治18年) 「内閣制度」創設(←明治元年に政体書で作った「太政官制」を廃止)
★初代大臣
・初代総理大臣:伊藤博文
・初代外務大臣:井上馨
・初代内務大臣:山県有朋
・初代大蔵大臣:松方正義

・初代文部大臣(教育):森有礼(ありのり)
・初代陸軍大臣:大山巌(いわお)
・初代海軍大臣:西郷従道(つぐみち)
・初代農商務大臣:谷干城(たにたてき)

内務「卿」→内務「大臣」へ。

★「内大臣」(ないだいじん)
(※内閣とは別物)
天皇補佐。輔弼(ほひつ)。
初代:三条実美(さねとみ)

☆「憲法」の起草
(総理)
・伊藤博文

(官僚)
・伊東巳代治(いとうみよじ)
・金子堅太郎
・井上毅(いのうえこわし)

(顧問)
・ロエスレル(独)
・モッセ(独)

・1888年 市政・町村制:地方自治制度の整備。(市町村の選挙)
モッセが助言

<伊藤博文①(外交)>
(条約改正)
・外務大臣・井上馨は「欧米主義政策」を推進
(日比谷の鹿鳴館での外交に象徴される)

・外国人判事(裁判官)の任用を認めようとする。

・1886年 「ノルマントン号事件」(英)
英船が紀州沖で沈没。英人だけ全員助かる。
→領事裁判の結果、英領事は船長に無罪の判決。
→政府内からも批判
→井上馨、辞任(1887年)

<伊藤博文①(民衆運動)>
「自由民権運動」の復活

・1886年 「大同団結運動」
「旧・自由党」と「立憲改進党」が団結。
大同小異(細かいことは違うが大まかなところは同じ。)
↓↓
・1887年 「三大事件 建白運動」
①「地租軽減」(2.5%)、②「言論の自由」、③「外交失策」(条約改正交渉を批判)の撤回を求め、建白書を提出。
↑↑ ✕弾圧
・1887年[政] 「保安条例」でつぶす
弾圧立法。
民権派を皇居外3里の地に、3年間追放。
例:尾崎行雄、中江兆民、片岡健吉、星亨(ほしとおる)など500名以上。
(1)「愛国社」✕←「讒謗律・新聞紙条例」
(2)「国会期成同盟」✕←「集会条例」
(3)「三大事件建白運動」✕←「保安条例」

★憲法
<黒田清隆内閣(枢密院)>(2)
黒田清隆
・1888年 「枢密院」(天皇の最高諮問機関)を設置。
→天皇臨席のもと、極秘に憲法審議。
(天皇と憲法の仕上げにかかった。)
初代・枢密院議長:伊藤博文

・1889年2月11日(紀元節)
①「大日本帝国憲法(明治憲法)」発布
A.欽定憲法:君主が制定した憲法
(cf. 民定憲法)
B.天皇主権
C.天皇大権(たいけん)
(例)・「統帥権」(とうすいけん)(軍の最高指揮権。陸海軍が輔弼(サポート))
・「緊急勅令」(法律に代わる勅令)
D.国民=臣民
(基本的人権は法律の範囲内で認められる)
E.二院制
衆議院・・国民が選挙・300名
貴族院・・華族議員、勅選議員など

②「皇室典範(皇室法)」制定
皇位継承の順位、摂政の復活。

③「衆議院議員 選挙法」制定
選挙権・・直接国税(地租など)15円以上納める、25歳以上の男子のみ。全人口の1.1%。100人に1人。

<黒田清隆内閣(外交)>(2)
(条約改正の過程)
・外務大臣・大隈重信が、国別秘密交渉を行う。
(外国人判事任用を大審院(最高裁)に限定)

→ロンドンタイムス(英)に交渉内容を暴露され、世論の攻撃を受ける。
→玄洋社員(右翼)に襲われ、爆弾で重傷を負う。(右足切断)
→交渉中止。

 

日本史【38】明治初期の経済(近代ー7)

260725
日本史【38】明治初期の経済(近代ー7)

・1870年代 殖産興業政策
・1880年代 松方財政(不況に)
・1890年代 産業革命で花開く

・殖産興業(産業をさかんにしていく)の役所が2つ。
①「工部省」と②「内務省」

<殖産興業政策(①工部省)こうぶしょう>
・1870年(明治3年) 工部省
初代工部卿:伊藤博文
鉱工業・鉄道・通信など

★官営軍事工場
長崎造船所・横須賀造船所

(通信)
・1871年(明治4年) 郵便制度:前島密(1円切手)が整備

(陸運)
・1872年(明治5年) 鉄道開通:新橋ー横浜間
(鉄道を見たら目がつぶれる!土地は売らない!→人気に)
陸蒸気(おかじょうき)
モレル(英)が指導。

・1881年 日本鉄道会社:最初の私鉄(華族が出資)
国鉄より私鉄の方が多くなっていく。

(海運)
・岩崎弥太郎:土佐出身の政商。
政府の保護を受け、発展。
三菱汽船→日本郵船会社
(三井は江戸から。三菱は明治から。)

<殖産興業政策(②内務省)ないむしょう>
・1873年(明治6年) 内務省
初代内務卿:大久保利通
警察・軽工業・農業など

★官営模範工場
・1872年(明治5年) 富岡製糸場(群馬県)(生糸を作る→絹織物)フランス式(ブリューナ)。
武士の士族の娘など。女性工員。
→後に三井に払い下げ。
・1877年 新町紡績所(群馬県)(綿糸を作る→綿織物)
・1877年 「第1回 内国勧業博覧会」開催(東京)
・1881年 「農商務省」設置(産業関係はこちらに移る)

<松方財政>
松方デフレ・・デフレ(物価を下げる)にしていく
大蔵卿→大蔵大臣(1885~内閣ができるので)
松方正義(薩摩)(資本主義の基礎)

【西南戦争などによる政府の不換紙幣の大量発行→インフレ】
(不換紙幣・・金や銀と交換できない。貨幣価値が低い。)

①紙幣整理(←増税(酒税など)&歳出削減)
世の中に出回るお金の「数」を減らす。→インフレが収まってくる

②1882年(明治5年) 「日本銀行」設立(国立)
「銀本位制」採用:渋沢栄一らによる。
→1885年 中央銀行である日本銀行が「銀兌換銀行券」を発行。日本銀行券。
(今までは民間の銀行がお金を発行していた。民間だが「国立銀行券」という。今度は日銀が発行したもののみを広めて、民間の価値の低い紙幣は回収する。)
→お金の「質」を上げる→インフレ収まる。

③官営事業の払い下げ推進
・1880年 工場払い下げ概則
→厳しすぎたため、1884年に廃止して払い下げが進む。
例:1887年長崎造船所(→三菱へ)

<松方財政(松方デフレ)の影響>
「デフレ政策」の影響。(物価安・貨幣高・不況)
①自作(土地持ち農民)↓
→米価の下落により、地租を払えず、小作農(土地を借りる)に没落。(物価が下がっても地租の価格は変わらない。)
(→その後、工場などで雇用される労働者になっていく。)

②地主↑
→土地集中が進み、「寄生地主制」が進行。(高率の現物小作料を取る)
(→その後、資本家となり会社・工場を作っていく。)

→貧富の差は拡大するが、「資本主義の基盤」が形成される。

(デフレ政策3回。松方デフレ・井上デフレ・ドッジデフレ)