251214
『天幕のジャードゥーガル』2巻 メモ
モンゴルへ来て8年
1229年
1227年チンギスカン崩御
ベゾアール(ジャダ石)毒消し
ブハラのマシュハド
オゴタイ・カアンの第六妃ドレゲネ皇后(カトゥン)
オゴタイの第四妃モゲ
オゴタイの第三妃キルギスタニ
ナイマン族(遊牧民だが西の都市から文化も流れ込む)
アルタイ山脈を西に臨む
ナイマン族とメルキト族が同盟を組む。
↑メルキトをモンゴルが支配(1204)
チンギス・カンの弟 テムゲ
歴史、学びメモ
251214
『天幕のジャードゥーガル』2巻 メモ
モンゴルへ来て8年
1229年
1227年チンギスカン崩御
ベゾアール(ジャダ石)毒消し
ブハラのマシュハド
オゴタイ・カアンの第六妃ドレゲネ皇后(カトゥン)
オゴタイの第四妃モゲ
オゴタイの第三妃キルギスタニ
ナイマン族(遊牧民だが西の都市から文化も流れ込む)
アルタイ山脈を西に臨む
ナイマン族とメルキト族が同盟を組む。
↑メルキトをモンゴルが支配(1204)
チンギス・カンの弟 テムゲ
251213
『天幕のジャードゥーガル』1巻 メモ
1213年イラン東部トゥース
(ホラズム朝?ペルシア)
お金の単位。現在1ディルハム=40円
知を求めることはイスラム教徒のつとめ。「ハディース」の勧めること
「勉強して、賢くなれば困ったことが起きても何をすれば一番いいかわかるんだ」
ニーシャプール
エウクレイデス『原論』
モンゴル帝国第四皇子トルイ
1221年4月ペルシア遠征
タールカーン夏営地
1ジュチ、2チャガタイ、3オゴタイ、4トルイ
シラ(サマルカンド人)
シタラ(星)=ファーティマ
ドレゲネ。オゴタイの妻。
1221年秋
中央アジアの大国ホラズム朝、最後の王を討つためガズナへ。「インダス河畔の戦い」
チンカイ(ウィグル人)
トルイ妃。ソルコクタニ。
アルタイ山脈。ケルレン川。
1224年
モンゴルがホラズム朝を敗る。
251213
「六国史(りっこくし)」・・奈良時代から平安時代にかけて朝廷が編纂した6つの正史(公式の歴史書)の総称。
1『日本書紀』(にほんしょき)720
2『続日本紀』(しょくにほんぎ)771
3『日本後紀』(にほんこうき)840
4『続日本後紀』(しょくにほんこうき)869
5『日本文徳天皇実録』(にほんもんとくてんのうじつろく)879
6『日本三代実録』(にほんさんだいじつろく)901
<六国史の構成>
1『日本書紀』(にほんしょき):720。神話時代から41代持統天皇まで。
2『続日本紀』(しょくにほんぎ):771。42代文武天皇から48代称徳天皇まで。
3『日本後紀』(にほんこうき):840。50代桓武天皇から54代仁明天皇まで。
4『続日本後紀』(しょくにほんこうき):869。54代仁明天皇から55代文徳天皇まで。
5『日本文徳天皇実録』(にほんもんとくてんのうじつろく):879。55代文徳天皇。
6『日本三代実録』(にほんさんだいじつろく):901。56代清和天皇、57代陽成天皇、58代光孝天皇の3代。
<特徴と重要性>
・正史としての役割:国家の公式記録として、天皇の治世や政治・社会の出来事を記録し、古代史の根本史料となる。
・編纂体制:天皇の命令(勅撰)によって編纂され、平安時代には優れた漢文学者が執筆に参加し、漢文が洗練された。
・内容の変化:初期は国家全体の歴史を扱ったが、後期になるにつれて宮廷社会のより詳細な記録へと変化していった。
251212
「魏志倭人伝」(著者:陳寿。西晋の歴史家。『三国志』)
「邪馬台国」は三十余のクニグニの頂点に立つクニとされる。これらのクニグニがまとまったものを邪馬台国連合という。
<邪馬台国連合のクニ>
対馬(つしま)、一支(いき)、末盧(まつろ)、伊都(いと)、奴(な)、不弥(ふみ)、投馬(とうま)、斯馬(しま)、巳百支(しはき)、伊邪(いや)、都支(とき)、弥奴(みな)、好古都(ここと)、不呼(ふこ)、姐奴(そな)、対蘇(つそ)、蘇奴(そな)、呼邑(こお)、華奴蘇奴(かなそな)、鬼(き)、為吾(いご)、鬼奴(きな)、邪馬(やま)、躬臣(くし)、巴利(はり)、支惟(きい)、烏奴(うな)
倭の五王(宋書)
421年 讃(さん)・・ 履中(17)(or 応神(15)or 仁徳(16)?)
438年 珍(ちん)・・反正(18)(or 仁徳(16)?)
443年 済(せい)・・允恭(19)
462年 興(こう)・・安康(20)
478年 武(ぶ)・・雄略(21)
中国 南北朝時代
南朝 宋(420~)、済、梁、陳
『セシルの女王』4巻
エリザベス女王はロンドンからはるか北、ハットフィールド宮に。
グレイ法学院
弁える(わきまえる)
クレーフェ公国・・現在のドイツとオランダにまたがる地域に存在した神聖ローマ帝国の領邦国家
宮廷道化師
ソマーズ
大蔵卿ノーフォーク公爵
トマスハワード
アンブーリンの叔父
フランスとローマは休戦
クロムウェルはルター派
『セシルの女王』3巻
枢機卿・・教皇に次ぐ最高位。
ロンドン塔 ベルタワー11C建造
枢機卿・・教皇に次ぐ最高位。
カトリックは国王を国教会の首長と認めない。
弟ヘンリー8世
兄アーサー
カンタベリ大司教
クランマー大司教
ケンブリッジ大学はプロテスタントに傾く
オクスフォードはまだカトリック。
ハンティンドンシャー州キンボルトン城
キャサリン・アラゴン王妃逝去
当時のフランス国王はフランソワ
『セシルの女王』2巻
フランドル地方
現在のオランダ🇳🇱南部、ベルギー🇧🇪西部、フランス🇫🇷北部にまたがる地方。
テューダー朝開祖ヘンリー7世
先王の后の後夫の子孫。
スタンフォードはロンドンの北。
ケンブリッジ大学
セントジョンズカレッジ
フェロー 大学の特別研究員
ジョンフィッシャー
カトリックの司教(ビショップ)、ケンブリッジの総長
アンブーリンを正当な王妃と主張=プロテスタント
1534年3月 王位継承法
エリザベスの王位が成立
1534年11月 国王至上法および反逆罪法
英国国教会がローマ教皇庁から独立。
(トマス・クロムウェルの尽力)
ヘンリー8世は政治と宗教、両方の頂点に。
法律家トマス・モア(著書『ユートピア』)はカトリック教徒として結婚問題に反対。処刑される。
『セシルの女王』1巻
1533年
イングランド リンカンシャー州スタンフォード
ウィリアム・セシル12才
ばら戦争の傷跡はいまだ深く多くの貴族が没落。
→ジェントリ(地方の地主)の台頭
スタンフォードからロンドンは150km
ロンドン グリニッジ宮殿
ヘンリー8世
・ヘンリー8世の側近
トマス・クロムウェル
・ヘンリー8世の王妃
第一王妃 キャサリン・オブ・アラゴン(スペイン)ー娘メアリ
第二王妃 アン・ブーリン(エリザベス女王の母)
第三王妃 ジェーン・シーモア
1533年9月7日
アン王妃が女児を出産(⇒エリザベス女王)。
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「NON SANZ DROICT(ノン・サンズ・ドロワ)」は 中世フランス語(古フランス語) 。現代フランス語に近いが、当時の綴り方のまま。
■ 意味
直訳すると
「権利(正当性/正義)なくしてではない」
→ つまり 「正当な理由なくしては(行わない)」
→ 「正義に基づいて行動する」 といった意味になる。
■ 有名な使用例
イギリスの劇作家 ウィリアム・シェイクスピアが自身の紋章にこの言葉を入れていた。「自分の創作は正当な努力と権利の上に成り立っている」という意思表示とされている。
Non: ~でない、否定Sanz: ~なしに(Sans)Droict: 権利、法、正当なもの(Droit)