歴史note – ページ 52 – 歴史の学びメモ

どうする家康(7)「わしの家」メモ

「どうする家康」第7回「わしの家」メモ(2023年2月19日放送)

1563年 永禄6年

於大は上之郷城(かみのごうじょう)

 

元康から家康に改名。

武家の元祖 八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)
源義家(後三年の役)1083年

 

夏目広次(なつめひろつぐ)

 

 

鷹狩 西尾

謀反
・東条  吉良義昭(とうじょう きらよしあきら)
・大草松平(おおくさまつだいら)
・上野  酒井忠尚(さかいただなお)
(秀吉は「ただよし」って言ってるようだけど「忠尚(ただなお)」かな?)

・荒川義弘

蜂起(ほうき):大勢が一時に暴動・反乱などの行動を起こすこと

 

本證寺(ほんしょうじ)
浄土真宗(一向宗)

「不入の権」
国の役人、検田使(けんでんし)の立ち入りを禁止する

「不輸の権」
年貢を納めない。=収穫物は、権利を与えられた者への直接収入となり、国衙へ移送しないよう国司へ指示された。(不輸)

<一向宗>
本證寺(ほんしょうじ)
上宮司(じょうぐうじ)
勝鬘寺(しょうまんじ)
など

 

寺内町(じないまち)

松平家臣
土屋長吉(ちょうきち)重治

槍の半蔵
渡辺半蔵守綱(わたなべはんぞうもりつな)

空誓上人(くうせいしょうにん)
蓮如(れんにょ)上人のひ孫

仏敵

「進者往生極楽 退者無間地獄」
進む者は往生極楽(おうじょうごくらく)
退く者は無間地獄(むげんじごく)

 


「どうする家康」ツアーズ

愛知県・岡崎公園

豆味噌。八丁味噌。

岡崎城から西へ八丁(約870m)離れた八丁村で作られたのが由来。

大久保忠世が家康に出した。焼き味噌にして湯漬けにして馬上で食べた。

家康は江戸に移り住んでも岡崎からみそを取り寄せていた。

 

応天の門 12巻

応天の門 12巻 メモ

二条堀川 藤原邸 藤原基経

 

黄泉戸喫(よもつへぐい)

郡司(ぐんじ)


火の神 木花之佐久夜姫(このはなのさくやひめ)を浅間大神(あさまのおおかみ)として祀る霊峰富士

貞観の大噴火

蟷螂の斧(とうろうのおの)

土師忠道(はじのただみち)

左大臣 源信(みなもとのまこと)

臣籍降下したといえ力を持つのは血筋でいえば力を持つのは源一門。

財力、手練れの家人、私兵がある。

 

 

 

『応天の門』11巻メモ

『応天の門』 11巻 メモ

一刻:約30分

55代 文徳天皇
54代 仁明天皇の皇子。

・源能有(みなもとのよしあり)(宇治)・・55代文徳天皇の息子。
(源定省(さだみ)(59代・宇多天皇。菅原道真を登用)とは、いとこ同士。)

『抱朴子(ほうぼくし)』
『傷寒論(しょうかんろん)』

惟喬親王(これたかしんのう)は皇位継承で命を狙われた。

 

 

応天の門 10巻

応天の門 10巻 メモ

李白「山中問答」

大内裏 談天門

渤海

鴻臚館(こうろかん):外交のための迎賓館。平安京(京都)、難波(大阪)、筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられた。

胡人(こじん):中国から西の諸民族の呼び名。西域人。

波斯(はし):中国におけるササン朝ペルシアの呼称。現在のイラン。

左馬寮(さまりょう)

 

葬送の地。
化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)

 

 

応天の門 9巻

応天の門 9巻 メモ

弘法大師由来の長岡精舎

(「精舎」は出家修行者がとどまって修行する堂舎)

官家が管理している。


「勧学院の雀は蒙求を囀る」(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)

=「門前の小僧習わぬ経を読む」

「勧学院」・・藤原冬嗣が藤原氏のために建てた教育施設。後に大学別曽と呼ばれた。

「蒙求(もうぎゅう)」・・中国故事を集めた初学用の教科書。徳川家康も愛読。