歴史note – ページ 48 – 歴史の学びメモ

「軍師官兵衛」Disc4-第13回「小寺はまだか」メモ

「軍師官兵衛」Disc4-第13回「小寺はまだか」メモ

秀吉の援軍が播磨に来る。
姫路城を明け渡す。義兄弟の書状。

粉骨砕身(ふんこつさいしん)・・(骨を粉にし身を砕いて)力の限りを尽くすこと。

秀吉のところに挨拶に来る。
神吉城主。神吉頼定 (かんきよりさだ)
三木城の別所長治と御着城の小寺は来ない。

秀吉的には別所重宗(しげむね)と官兵衛をつなぎとめるのが肝要。
重宗の娘と官兵衛の嫡男松寿丸を縁組みさせる。


長浜城で、おねの元で松寿丸、福島正則、加藤清正も一緒に育つ。


摂津。本願寺との闘い。荒木村重、高山右近、中川清秀が苦戦。


秀吉の方から小寺に会いにいく。プレッシャーかける。


天正5年 1577年 11月
秀吉8千の軍勢は西播磨へ。
福原城。
囲師必闕(いしひっけつ)。孫子の兵法。
三方を囲んで一方だけ逃げ道を作る。

大儀。天下統一。乱世を終わらせて天下泰平に。。
軍師官兵衛 ここに誕生。。

 

「軍師官兵衛」Disc3-第12回「人質松寿丸」メモ

「軍師官兵衛」Disc3-第12回「人質松寿丸」メモ

天正5年 1577年8月

2年越し。播磨に秀吉の援軍がくる。


武家社会に茶の湯が流行していた。名物と呼ばれる茶道具は一国一城に匹敵するほどの価値がある。富と権力の象徴。

天正5年 1577年8月
松永久秀謀反
平蜘蛛(ひらぐも)
大和の国主。信貴山城(しぎさんじょう)

播磨から人質を取る。


9月9日
邪気を払い長寿を願う。
重陽(ちょうよう)の節句。


岐阜城 城主は嫡男・織田信忠に。
織田の当主。


松寿丸が自ら人質を申し出る。

 

「軍師官兵衛」Disc3-第11回「命がけの宴」メモ

「軍師官兵衛」Disc3-第11回「命がけの宴」メモ

1574年7月
木津川の合戦
毛利軍の勝利。織田の負け。

秀吉の援軍が来ない。

義昭の仲立ちで上杉、武田、北条が和睦。
丹波の波多野。

備前の宇喜田直家を調略する。

上月城。上月影貞。

宇喜田直家「お主の目は澄んでおるな。そのような目の男を何人か知っておる。皆早死にしたがな。ハハハ。」

常に損得で考える。人は信じない。


お道と善助が夫婦に

摂津

善助「いつでもワシらが殿を支えてみせます」
官兵衛「頼むぞ」

キリシタン大名 高槻城主・高山右近と出会う

 

有岡城

荒木村重に頼むが援軍もむり。

 

「軍師官兵衛」Disc3-第10回「毛利襲来」メモ

「軍師官兵衛」Disc3-第10回「毛利襲来」メモ

将軍義昭
備後 鞆の浦
石山本願寺とも手を組む
顕如
信長包囲網

1576年 天正4年
姫路に毛利軍が襲来
英賀の浜(あがのはま)
毛利 五千 VS 姫路 千


1576年
信長VS本願寺
信長が太ももを討たれる


英賀御道(あがみどう)に毛利本陣
毛利に一向宗の門徒宗も付いた。
毛利軍大将 浦宗勝

旗を立てて援軍が来たように見せる。
官兵衛が勝利する。

信長が官兵衛を褒める書状を出す。


信長、安土城を作り始める。

安土に移る。

秀吉とおねとの夫婦喧嘩をいさめる手紙を信長が書く。

悋気(りんき)・・男女間の事で(主に女が)焼くやきもち。

天正4年7月
摂津 木津川河口
織田軍が毛利水軍に大敗する
本願寺へ兵糧を運ぶ毛利軍

 

「軍師官兵衛」Disc3-第9回「官兵衛試される」メモ

「軍師官兵衛」Disc3-第9回「官兵衛試される」メモ

石田三成と官兵衛がバチバチ。
竹中半兵衛と初対面。これまた厳しくバチバチに試される。

お手前(おてまえ)・・同じ身分の武士に使う対称。

「播磨の三家の当主をそろって信長に拝謁させる。」という策。
三木城・別所
御着城・小寺
龍野城・赤松


織田家
越前の一向一揆は、長島よりまとまりがない。


播磨
三木城当主・別所長治(18)(べっしょながはる・織田派)学問に秀でている。叔父の賀相(よしすけ・毛利派)と重棟(しげむね・織田派)が後見役。

「人に国柄(こくへい)を貸すなかれ」(「六韜」りくとう)
=(意味)「君主は臣下に統治の力を貸してはならない」

龍野城・赤松広秀

赤松は備前の宇喜田に攻められているので、織田側につけば宇喜多領も手に入れられると説いた。

御着がごねているのは竹中半兵衛が荒木村重をつかわせてくれた。

京都 妙覚寺で、播磨三当主と信長が会う。

「兵の情は速やかなるを主とす」孫子
(意味)戦いは迅速でなくてはならない