歴史マンガ(日本史) – ページ 2 – 歴史note

『阿吽』2巻メモ

『阿吽』2巻 メモ

比叡山
薬師如来
1200年。不滅の法灯

桓武天皇
藤原種継

母 井上(いがみ)内親王
弟 他戸(おさべ)親王

侍中(じちゅう)・・側近

種継の娘、薬子

和気清麻呂(わけのきよまろ)

安殿親王(あてのみこ)
藤原乙牟漏(おとむろ)桓武天皇の正妻。

桓武天皇と最澄が出会う。

『阿吽』1巻メモ

『阿吽』1巻 メモ
1571 比叡山延暦寺焼き討ち

800年前

広野(後の最澄)
東大寺 戒壇(鑑真が作った)

佐伯真魚(さえきのまお)(後の空海)
大学寮「周易」「尚書」「孝経」

長岡京を建設中。
早良親王
他戸(おさべ)
井上内親王
藤原薬子(安殿(平城帝)の義母)
高野新笠
伊予親王

李白、王維
空山人を見ず(王維)

785
泰範(最澄の一番弟子)
勤操(ごんぞう)和尚(かしょう)

鑑真 高僧
孝謙天皇から大和上(だいわじょう)の位を与えられる

平城京から長岡京に遷都

悟り。涅槃寂静。ニルヴァーナ。

『レイリ』3巻メモ

260204

『レイリ』3巻 メモ

高天神城から2通の手紙

岡部丹羽守は救援を求める
横田は救援不要

穴山玄蕃は救援行くべきと。
小山田信繁は慎重論。

高天神城は信玄が落とせなかったが、勝頼が落とした。

信長は必ず勝頼が出てくると踏んで、罠を仕掛けた、か?

長篠で3倍(1.5万VS4.5万)、今は6倍。
(1万 VS 6万ぐらいか)

結局、救援はせず。

『レイリ』2巻メモ

260204

『レイリ』2巻メモ

土屋惣蔵(つちやそうぞう)
剣も槍も武田家一と言われる。
甲府のお偉い方

岡部丹羽守の一軍は小山城から高天神城に入る。

一方レイリは土屋と共に甲府・府中(山梨県・甲府市)へ。
甲府館(こうふやかた)=躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)

武田信玄
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武田勝頼(かつより)
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武田信勝(のぶかつ)

智将 真田昌幸

『レイリ』1巻 メモ

260204

『レイリ』1巻メモ
天正7年(1579)
岡部丹羽守

4年前、長篠の戦い@三河国
天正3年(1579)
× 武田勝頼 武田軍 1万5千
VS
◯ 織田信長 織田・徳川連合軍 3万5千

・岡部丹羽守は武田軍で敗戦。元々は今川義元の家臣。

・桶狭間の戦い(1560年)では、今川側として鳴海城を守っていた。

今川義元が討たれたとき、義元の首級(みしるし)を返してもらうよう織田側に交渉した。首は実際に返してもらい、一緒に遠江に戻ったとのこと。

天正7年(1579年)
遠江国(静岡県西部)
小山城(武田家前線基地)

武田家は戦力を失いながらも、まだ広大な領土を保っていた。

武田家家臣 土屋惣三(つちやそうぞう)

高天神城 横田甚五郎
まだ若いので岡部丹羽守に主将として入ってほしい。

『信長を殺した男』4巻メモ

260120

『信長を殺した男』4巻メモ

・土岐一族。明智家と繋がりのある源氏一族。四国の長宗我部元親とも縁がある。

・三好康長。三好一族の代表。阿波と讃岐。清和源氏の流れを組む。

三好良房=木下弥助(秀吉姉の夫)

三好良房の息子=三好信吉(後の関白・豊臣秀次)

家老。重臣のトップ。

宿老。古参の重臣。

・京都お馬揃え(1581)パレード。

天皇も観覧された。天子様(天皇)

・遠江・高天神城

武田勝頼× VS ◯徳川家康

・細川藤孝 山城国・勝龍寺城を献上(という名の没収)→北の丹後国へ(京都・天橋立)

明智は近江坂本城と丹波国(兵庫、京都)をもらっている。福知山など。

由良川の治水や税金の免除など善政をしいたと伝わる。「福知山音頭」

・1581 ヴァリニャーノ イエズス会を通じて王に軍船の支援を要請。

・安土城ライトアップ

・因幡国・鳥取城。秀吉の兵糧攻め。「鳥取の渇え殺し」

・斎藤利三。明智家筆頭家老。

『信長を殺した男』3巻メモ

260120

『信長を殺した男』3巻メモ

・荒木村重謀反(1578)

毛利の村上水軍を織田水軍大将・九鬼嘉隆が鉄甲船で敗る。

石火矢(いしびや)大砲

・高槻城・高山右近はバテレンに調略される。

・茨木城・中川清秀も織田側に付く。

『信長を殺した男』1巻メモ

260117

『信長を殺した男』1巻メモ

・惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)
明智光秀 本能寺の変のとき67歳

・吉田兼見(朝廷との連絡)

・足軽・・国に雇われた歩兵。
中間(ちゅうげん)・・戦ごとに金品で雇われる。(今でいう派遣社員)
小物(こもの)・・雑用。使い走り。

・1564頃
十兵衛[明智光秀(49)]は細川藤孝(兵部大輔)に仕える中間だった。

・永禄の変(1565)
13代室町将軍・足利義輝が討たれる。

弟義昭の護衛で光秀は越前、朝倉義景の元へ。

・本圀寺の合戦(1569)
光秀は義昭を守り手柄を立て奉公衆に出世。

・土倉(どそう)悪徳な金貸し業。寺社がやっていた。その代表格が比叡山延暦寺。

・越前攻め(朝倉義景、一乗谷)(1570)

浅井長政の裏切り

2ヶ月後。姉川の合戦(1570)近江

浅井、朝倉は比叡山に逃げ込んだ。

1571.9 比叡山焼き討ち

光秀はこの後信長の正式な家臣となる。

近江、坂本城。

1573.8 朝倉、浅井を討つ

1576.4 対本願寺、雑賀衆

『応天の門』21巻メモ

260116

『応天の門』21巻メモ

・白馬(青馬)の節会(あおうまのせちえ)

正月七日

黒毛の馬

芦毛(あしげ)灰色の馬

在原業平は「右馬頭(みぎのうまのかみ)」になった。

・昔の正月1日は、今の2月17日頃。

・熱田津(にぎたつ)は、伊予国(愛媛県松山市。道後温泉のあたり。)