『応天の門』 11巻 メモ
一刻:約30分
55代 文徳天皇
54代 仁明天皇の皇子。
・源能有(みなもとのよしあり)(宇治)・・55代文徳天皇の息子。
(源定省(さだみ)(59代・宇多天皇。菅原道真を登用)とは、いとこ同士。)
『抱朴子(ほうぼくし)』
『傷寒論(しょうかんろん)』
惟喬親王(これたかしんのう)は皇位継承で命を狙われた。
歴史、学びメモ
『応天の門』 11巻 メモ
一刻:約30分
55代 文徳天皇
54代 仁明天皇の皇子。
・源能有(みなもとのよしあり)(宇治)・・55代文徳天皇の息子。
(源定省(さだみ)(59代・宇多天皇。菅原道真を登用)とは、いとこ同士。)
『抱朴子(ほうぼくし)』
『傷寒論(しょうかんろん)』
惟喬親王(これたかしんのう)は皇位継承で命を狙われた。
応天の門 10巻 メモ
李白「山中問答」
大内裏 談天門
渤海
鴻臚館(こうろかん):外交のための迎賓館。平安京(京都)、難波(大阪)、筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられた。
胡人(こじん):中国から西の諸民族の呼び名。西域人。
波斯(はし):中国におけるササン朝ペルシアの呼称。現在のイラン。
左馬寮(さまりょう)
葬送の地。
化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)
応天の門 9巻 メモ
弘法大師由来の長岡精舎
(「精舎」は出家修行者がとどまって修行する堂舎)
官家が管理している。
「勧学院の雀は蒙求を囀る」(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)
=「門前の小僧習わぬ経を読む」
「勧学院」・・藤原冬嗣が藤原氏のために建てた教育施設。後に大学別曽と呼ばれた。
「蒙求(もうぎゅう)」・・中国故事を集めた初学用の教科書。徳川家康も愛読。
応天の門 8巻 メモ
・暦について
日本初の暦は6世紀554年、百済からの暦博士にもたらされた。
862年(貞観4年)から使われたのが宣明歴(せんみょうれき)。
織田信長は宣明歴を三島暦に変えるように朝廷に迫ったので、朝廷は本能寺の変を引き起こしたという説もある。
宣明歴は以降1684年まで800年以上使われた。
1685年 渋川春海による貞享暦(じょうきょうれき)という和暦が使われる。(「天地明察」小説、コミック、映画)
陰陽道。天文学
暦道(れきどう)。
陰陽寮(おんみょうりょう)。陰陽師。
平安時代の従者。
内教坊(ないきょうぼう)
妓女(ぎじょ)
応天の門 7巻 メモ
弾正大忠(だんじょうだいちゅう)
紀貞則(きのさだのり)の一子
紀長谷雄
讃岐守 紀夏井(きのなつい)兄
紀豊城(きのとよき)弟
応天の門 6巻 メモ
兄:源信(みなもとのまこと)
弟:源融(みなもとのとおる)
別荘、庭園など。
和歌の世界の再現を狙った。
彼の邸宅、河原の院。
右大臣 藤原良相。
藤原冬嗣の五男。良房の弟。
応天の門 5巻 メモ
(桔梗)
魂鎮め(たましずめ)
祭儀 神泉苑
針をなくした子の父
大宅鷹取(おおやけのたかとり)
権史生(ごんのししょう)
右衛門佐(うえもんのすけ)
伴中庸(とものなかつね)
医師(くすし)
典薬寮の職員
応天の門 4巻 メモ
明石の藻塩焼き
(97.来ぬ人をまつほの浦の 夕なぎにを焼くや藻塩の 身もこがれつつ/権中納言定家)
<反藤原勢力>
・伴中庸(とものなかつね)
・式家 藤原良近(よしちか)
・源融(みなもと とおる)
・南家 藤原有貞
・大江公幹(おおえのきみみき)
参議 藤原時行(ときつら)
基経のいとこ
藤原良相(よしみ)の息子
応天の門3巻メモ
清和天皇の母。染殿。明子(あきらけいこ)。
・平安時代 天皇
50 桓武天皇
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51平城天皇 52 嵯峨天皇 53 淳和天皇
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54 任明天皇
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55 文徳天皇
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56 清和天皇
701年 国・群・里
国司、群司・里長
715年 国・群・郷
国司(こくし)、群司(ぐんし)・郷司(ごうし)
郷司・・税の取り立てが主な職務
島田忠臣
島田宣来子
『応天の門』2巻 メモ
(花 : 燕子花(カキツバタ)?)
図書寮(ずしょりょう)
「神農本草経」「白氏文集(はくしもんじゅう)」
高子は良房の姪。基経の妹。
2人の父は長良。
長良(ながよし)は良房の弟か。
長良の三男が基経。兄は国経、遠経。
清和天皇は良房の娘の子。つまり孫。
自分の孫に自分の姪を嫁がせる計画。
・得業生(とくごうしょう)・・文章生の中から成績優秀者に与えられる身分
「哀江頭(こうとうにあいす)」杜甫
「山海経(せんがいきょう)」一本御所所(いっぽんごしょどころ)(唐の原書)
道真の父、是善は帝の侍読(じどく)。
帝に仕え学問を教える学者。