260618
日本史【14】鎌倉幕府(中世2)
<鎌倉幕府の統治機構>
鎌倉幕府・相模国(神奈川県)
(中央)
・将軍
(後に執権、連署(れんじょ)、評定衆、引付衆など)
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・侍所(さむらいどころ)・・武士の統率
・公文所(くもんじょ)→政所(まんどころ)・・政務一般
・問注所(もんちゅうじょ)・・裁判所
(地方)
・京都守護(京都)
・鎮西奉行(九州)
・奥州総奉行(陸奥)
・守護
・地頭
★封建制度
主人と従者が土地を通じて「御恩」と「奉公」の関係で結ばれている制度。
_(将軍)
↓御恩↓ ↑奉公↑
_(御家人)
鎌倉幕府は全国の御家人(武士=将軍の家来)を束ねる政府。
☆「御恩」・・御家人を地頭に任命すること(税収を認める。領有権を保障する。)
・本領安堵(ほんりょうあんど)
・新恩給与(しんおんきゅうよ)
☆「奉公」・・軍役や警備
戦時:軍役「いざ鎌倉」
平時:御家人役
①京都大番役(朝廷警護)
②鎌倉番役(幕府警護)
最初は非御家人も多くいたが、御家人が増えていく。
<鎌倉時代の政治>
初期:将軍独裁(初代頼朝のみ)
中期:執権政治(北条氏)
後期:得宗専制(北条氏の嫡流・本家)
<初代執権・北条時政>
北条時政
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北条政子=源頼朝
☆北条時政が他氏排斥(ライバル潰し)を行なう。
・1200年 梶原景時の乱
・1203年 比企能員の乱(頼家の義父)
・1205年 畠山重忠の乱
☆時政は将軍までも排斥
・1203年 3代将軍・源実朝が就任。
→2代賴家を伊豆・修善寺(しゅぜんじ)に幽閉。
・1204年 源頼家を討つ。@修善寺
☆北条時政、政所(元・公文所)別当に就任。
別当が二人体制に。
・貴族出身 大江広元
・武士出身 北条時政
<2代執権・北条義時>
・北条義時も他氏排斥
1213年 和田合戦:和田義盛(侍所の初代別当)を破る。
→義時が「侍所」と「政所」の別当を兼務。
→この兼務する人を「執権」と呼ぶようになる。
→執権の地位を確立。
1219年 3代将軍・源実朝 甥の公曉(くぎょう)に暗殺される。鶴岡八幡宮。(義時の陰謀?)
<承久の乱>
(乱の前)
「公武二元支配」
後鳥羽上皇ーー北条義時
(西国支配) (東国支配)
1221年 承久の乱
後鳥羽上皇✕ VS 〇北条義時
・朝廷・後鳥羽上皇が義時追討の院宣を出す。
・御家人の士気が低い→政子が檄を飛ばす→御家人奮起
・北条泰時と北条時房が京都を攻め、幕府軍の圧勝。
↓↓
以降、幕府の支配地域が西日本にまで広がる(九州は別)。