徳川家康年表 – 楽しく歴史

徳川家康ヒストリーその3

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー2

徳川家康 年表(1542-1616)

 

徳川家康ヒストリー3

■1584年(天正12年)43才

「小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦い」

秀吉VS家康・信雄(のぶかつ)信長の次男

決着が付かず。秀吉は信雄にすぐ謝り和議を結ぶ。

家康の次男の於義丸を秀吉の養子に出すことに。

秀吉の妹・朝日姫を家康の正室に。

大政所(おおまんどころ)(秀吉の母)も差し出す。

 

■1590年(天正18年)49才

・北条氏政・北条氏直親子の小田原城を攻め落とす。

 

・領地替え。

三河など東海5国から関東8国に代わる。

武蔵野の江戸に城を構える。

上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、武蔵、相模、伊豆、下総(しもうさ)、上総(かずさ)、安房(あわ)

 

1600年(慶長5年) 59才

「関ヶ原の戦い」

× 石田三成(西軍)VS 徳川家康(東軍)〇

 

1603年(慶長8年) 62才

征夷大将軍となり江戸に幕府を開く

 

■1614年(慶長19年) 73才

「大阪冬の陣」

 

1615年(元和(げんな)元年) 74才

「大阪夏の陣」

豊臣家 滅亡

 

1616年(元和2年) 75才

駿府城にて亡くなる。

「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」という神様としてまつられる。

 

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー2

徳川家康 年表(1542-1616)

 

徳川家康ヒストリーその2

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー3

徳川家康 年表(1542-1616)

 

徳川家康ヒストリー2

1562年(永禄5年)21才

清州同盟。

織田信長と13年ぶりに再会。信長と同盟を結ぶ。

尾張の国、清州城にて。

今川氏真が激怒。人質を殺してしまう。

 

1563年(永禄6年)22才

改名。松平元康から⇒松平家康へ。

酒井忠直が謀反。三河一向一揆。

 

 

■1566年(永禄9年)25才

松平家康から⇒徳川家康へ。

信長の娘・徳姫を、家康の息子・信康の妻にむかえる。

 

力の弱った今川氏を東西から攻める。

武田信玄と家康は手を組む。

今川氏滅亡。
家康は三河と遠江2か国の領主になる。

 

1570年(元亀元年)29才

遠江・浜松城に居城。

 

1572年(元亀3年)31才

三方ヶ原の戦い

武田信玄に大敗

 

1579年(天正7年)38才

築山殿と息子・信康を切るよう信長に命じられる。

 

1582年(天正10年)41才

本能寺の変。

伊賀越え。

甲斐、信濃をおさえ、三河、駿河、遠江と合わせて5か国の大名となる。

 

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー2

徳川家康ヒストリー3

徳川家康 年表(1542-1616)

 

徳川家康ヒストリーその1

徳川家康ヒストリー1(ここ)

徳川家康ヒストリー2

徳川家康ヒストリー3

 

徳川家康ヒストリー1

1542年(天文11年) 1才

12月26日、三河国(愛知の東半分)、岡崎城にて誕生。

父・岡崎城主の松平弘忠、母・於大(おだい)の長男。幼名は竹千代。

 

1544年(天文13年) 3才
母於大と父松平広忠が離縁する。

母於大の兄、水野信元が尾張(愛知の西半分)の織田信秀と同盟を組んだため。

 

1547年(天文16年)6才
父・弘忠は戸田康光の娘と再婚。

織田信秀が攻めてきたので今川義元に援軍を頼む。
息子の竹千代(家康)を人質を出すように言われる。

戸田康光が今川家ではなく、織田家に連れて行ってしまう。

織田信長に出会う。

 

1549年(天文18年)8才
今川家の人質となる。

今川義元の軍師、名僧、太原雪斎(たいげんせっさい)の案で、家康は織田家から連れ戻される。

織田信弘(信長の兄)が今川家にとらえられ、家康と人質交換になる。

竹千代は臨済寺(禅宗)で雪斎に学ぶ。

 

1555年(弘治元年) 14才
駿府で元服。
松平元信と名を改める。

岡崎城に戻ると松平家再興に向けてじい(鳥居忠吉)をはじめ家臣たちが金、米、武具などを準備してくれていた。

 

1557年(弘治3年)16才
今川家の家臣、関口義弘の娘、瀬名(築山殿)と結婚。

瀬名は今川義元の妹の娘なので、義元の姪にあたる。

松平元康と改名。

 

1560年(永禄3年)19才

「桶狭間の戦い」
三河武士を引き連れて大高城を守る。

今川義元が討たれたため、三河の岡崎城に戻る。

 

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー2

徳川家康ヒストリー3

徳川家康 年表(1542-1616)

 

 

徳川家康 年表(1542-1616)

徳川家康 年表

西暦 年齢 できごと
1542 1 12月26日三河国・岡崎城で誕生。父 岡崎城城主・松平弘忠、母 於大(おだい)の長男。幼名は竹千代。
1547 6 織田信秀の人質となる。
1549 8 今川義元の人質となる。
1555 14 元服。松平元信と改める。
1557 16 築山殿(瀬名)と結婚。
1558 17 松平元康と改める。
1559 18 長男・信康が生まれる。
1560 19 「桶狭間の戦い」今川義元が敗れたため故郷の岡崎城にもどり城主となる。
1562 21 織田信長と「清州同盟」を結ぶ。
1563 22 松平家康と改める。
1564 23 一向一揆をおさめ三河国を平定する。
1566 25 徳川家康と改める。
1572 31 「三方ヶ原の戦い」武田信玄に大敗。
1575 34 織田信長と連合軍「長篠・設楽原の戦い」で武田軍を破る。
1582 41 本能寺の変。堺から岡崎城に戻る。
1582 41 三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の五か国を支配。
1584 43 「小牧・長久手の戦い」秀吉と戦う。
1590 49 江戸に移る。
1598 57 秀吉の死後、五大老として政治を行う。
1600 59 「関ヶ原の戦い」家康の東軍と石田三成の西軍が戦い、東軍が勝利。
1603 62 征夷大将軍となり江戸に幕府を開く
1605 64 息子・秀忠に将軍を譲る。
1614 73 「大坂冬の陣」
1615 74 「大坂夏の陣」豊臣家がほろぶ。
1616 75 4月17日。駿府城で死去。