260602
日本史【8】奈良時代(奈良1)
<元明天皇>聖武の祖母
藤原京
政権・藤原不比等
・708年 和同開珎(わどうかいちん/ほう)
元号を「和銅」に改元。
「皇朝十二銭」の最初
(最後は乾元大宝(村上朝))
・710年 平城京へ遷都(藤原京から)
都城制。唐の長安をならう。
天子南面。天皇から見る。
___平城宮
____朱 外京(げきょう)
右京 雀 左京
____大
____路
外京に東大寺、興福寺がある。
飛鳥寺(法興寺)(by蘇我馬子)は平城京に移されて元興寺(がんごうじ)となった。
木簡が出土。
・711年 蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)
お金を貯めれば位を高くする。失敗。800年廃止。
・712年 『古事記』
稗田阿礼(ひえだのあれ)の暗記を、太安麻呂(おおのやすまろ)が筆録。
・713年 『風土記』
国域の拡大
・出羽国(でわのくに)設置。(日本海側・秋田、山形)
蝦夷対策
・大隅国(おおすみのくに)設置。(鹿児島)
隼人(はやと)対策
<元正天皇>聖武の叔母
(政)藤原不比等
・718年養老律令制定(施行は757年~)
(不比等の功名心から。大宝律令と内容大差なし)
・720年 『日本書紀』(神代~持統。編年体)
舎人(とねり)親王(天武の子)
・720年 (政)不比等没→長屋王が実権掌握。
・722年 百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶ)
口分田が足りない。田を開墾。→失敗。(計画倒れ)
・723年三世一身の法(さんぜいいっしんのほう)
ー 新たに開墾→ひ孫までの3代
ー 既墾地を開墾→本人1代
の「土地所有」を認める。死後は国に返還。
→一時的な「私有地」の誕生。律令制度(公地公民)が崩れ始める。
<聖武天皇>
(政)長屋王
・724年多賀城(陸奥国/宮城県)に、鎮守府(ちんじゅふ)(東北の役所)を設置。蝦夷対策の拠点。
・729年長屋王の変
藤原不比等の娘、藤原光明子が聖武の皇后(正式な妻)になるのを、長屋王が反対。→藤原四子により謀反の意図ありと死に追い込まれる。
(政)藤原四子(よんし/しし)
長男:藤原武智麻呂(南家)
次男:藤原房前(北家)
三男:藤原宇合(式家)
四男:藤原麻呂(京家)
737年 藤原四子が天然痘で没
(政)橘諸兄(たちばなのもろえ)→左大臣
・吉備真備(吉備地方の出身)
・玄昉(げんぼう)
(アンチ藤原が力を握った)
・740年 太宰少弐藤原広嗣(ひろつぐ)の乱→鎮圧
(おもしろくない藤原氏が反乱)
・740年 恭仁京(山城)へ遷都(平城京から)
(聖武天皇が自分のせいだと嘆いて遷都)
・741年国分寺建立の詔(国分尼寺(こくぶんにじ))
鎮護国家思想①(仏教によって国を治める)
・742年 近江・紫香楽宮(しがらきのみや)造営
・743年 墾田永年私財法
開墾地の永久私有を認める→大貴族、大寺社が開墾。
→「荘園」(初期荘園)の誕生。
・743年 大仏建立の詔
鎮護国家思想②
紫香楽宮→奈良・平城京へ
平城京から
・740年 山城・恭仁京(くにきょう)へ遷都
・744年 摂津・難波宮(なにわのみや)へ遷都(海)
・745年 近江・紫香楽宮(しがらきのみや)へ遷都(山)
(→山の中過ぎて頓挫)
・745年 大和・平城京へ遷都(戻る)
5年で3回遷都した後、平城京に戻る。定まった「くに・な・し」。