日本史【43】日露戦争(近代ー12) – 歴史note

日本史【43】日露戦争(近代ー12)

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日本史【43】日露戦争(近代ー12)

<桂園時代>
桂園時代・・明治の最後の約10年間。1901(明治34)年~1913(大正2)年。
・桂太郎(陸軍・長州閥)・・山県有朋派
・西園寺公望(立憲政友会)・・伊藤博文派
山県有朋や伊藤博文は元老(天皇の非公式顧問)として、影響力を行使した。

<桂太郎内閣①(日露戦争前の政府)>(11)
戦前の国内の状況
■ 政府
・戦争反対派「日露協商論」
「満韓交換」(満韓をロシアと分け合おう。韓国は日本がもらうので満州はロシアへ)
伊藤博文・井上馨・尾崎行雄
VS
・戦争賛成派「日英同盟論」
桂太郎(首相)・小村寿太郎(外相)・山県有朋
↓↓
・1902年 「日英同盟(協約)」締結
一方と他国との交戦時は、もう一方は厳正中立(参加しない)
(→日露戦争へ前向き)

<桂太郎内閣①(日露戦争前の国民)>
「主戦論」
国民の大部分は主戦論。
VS
「非戦論」
幸徳秋水・堺利彦(社会主義)
「万潮報(よろづちょうほう)」(新聞)が戦争賛成に変わったため、そこの記者をやめ、「平民社」設立。
「平民新聞」を発行。反戦を訴え続けた。

内村鑑三(キリスト教)
与謝野晶子(ロマン主義)
「君死にたまふことなかれ」旅順港にいる弟を嘆いた詩

↓↓
<桂太郎内閣①(日露戦争)>(11)
・1904年 「日露戦争」開戦
戦争の経過(一部)
旅順占領:乃木希典
↓↓
日本海海戦:東郷平八郎
バルチック艦隊を破る
日本有利の状況で終戦。

・資金(17億円以上)は国債・増税・煙草の専売制などに頼る。

(戦争中)
・1904年 「第一次日韓協約」
韓国政府内に日本人顧問を採用。

・1905年 「桂・タフト協定」
アメリカが日本の韓国保護国化を承認。

↓↓
・1905年 「ポーツマス条約」
(全権)
日本:小村寿太郎外相
ロシア:ウィッテ
(米大統領・セオドア・ローズヴェルトの仲介)
①「韓国」に対する日本の指導権を認める。(ロシアは手を出さない)。
(※「朝鮮」→「大韓帝国(韓国)」に名称が変わっている)
②旅順・大連(遼東半島)の租借権を日本に譲る。
(日本が取り返した)南満州のあたり。
長春以南の東清鉄道と、その付属利権を日本に譲る。
③北緯50度以南の樺太(サハリン)領有を認める。
※賠償金はなし。
↓↓
・1905年 「日比谷焼打ち事件」
講和反対国民大会でのポーツマス条約の内容を屈辱とした暴動。戒厳令(軍による治安維持)施行。
(日比谷は鹿鳴館があった場所。)

・1905年 ハリマン計画
米鉄道王ハリマンが満鉄の日米共同経営計画を提案。
→政府は拒否。(日米関係が悪化)

・1905年 「第二次日韓協約」
韓国の「外交権」を吸収。
→保護国化
→1906年 「韓国総督府(とうかんふ)」を設置。