ロシアの皇帝(ツァーリ) – 歴史note

ロシアの皇帝(ツァーリ)

■ ロシアの皇帝(ツァーリ)

在位期間 君主名 備考
1547–1584 イヴァン4世(雷帝) 初代「ツァーリ」。専制君主制を確立。
1584–1598 フョードル1世 イヴァン4世の息子。子がなく断絶。
1598–1613
(動乱時代)
多数の僭称者と短命政権 ボリス・ゴドゥノフ、偽ドミトリー1世・2世など。
1613–1645 ミハイル・ロマノフ ロマノフ朝創始者。貴族の支持で即位。
1645–1676 アレクセイ・ミハイロヴィチ ミハイルの息子。「ロシア法典」を整備。
1676–1682 フョードル3世 アレクセイの息子。短命。
1682–1696 イヴァン5世 & ピョートル1世(共同統治) イヴァンは名目上の君主。実権は後にピョートルへ。
1696–1725 ピョートル1世(大帝) 単独統治に移行、西欧化を推進。ロシア帝国を創設、西欧化を推進。1721年に正式に「皇帝(インペラートル)」の称号を使用。

1725–1727

エカチェリーナ1世

ピョートル1世の妻。

1727–1730

ピョートル2世

ピョートル1世の孫。若くして死去。

1730–1740

アンナ

ピョートル1世の兄イワン5世の娘。

1740–1741

イヴァン6世

幼児皇帝。廃位されて幽閉。

1741–1762

エリザヴェータ

ピョートル1世の娘。

1762

ピョートル3世

エリザヴェータの甥。即位後半年で
妻エカチェリーナにより廃位。

1762–1796

エカチェリーナ2世(大帝)

啓蒙専制君主、ロシアの黄金時代を築く。

1796–1801

パーヴェル1世

エカチェリーナ2世の息子。暗殺される。

1801–1825

アレクサンドル1世

ナポレオン戦争で勝利、神聖同盟結成。

1825

コンスタンチン
(拒否)

正式には皇帝ではないが、継承問題の
中心人物(デカブリストの乱の発端)。

1825–1855

ニコライ1世

保守的な統治。クリミア戦争勃発。

1855–1881

アレクサンドル2世

農奴解放令を発布。暗殺される。

1881–1894

アレクサンドル3世

反動的政策を実施。

1894–1917

ニコライ2世

最後の皇帝。ロシア革命で退位し
1918年に一家ともに処刑される。

 

ロマノフ朝 系図

(Wikipedia)