「武家諸法度」など(1615)
■ 「武家諸法度(ぶけしょはっと)」(13か条)(1615年)
大名が守るべき決まり。大名の行動を取りしまり、反乱を起こさないようにした。
・大名同士が勝手に結婚してはならない
・勝手に城を作ってはいけない。
・謀反人をかくまってはいけない。
・隣の国に変なことがあれば知らせる。
など。
■ 「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」
朝廷・公家が守るべき決まり。天皇は学問を優先することや、衣服、官位などについても定めた。
天皇や公家に政治上の力を持たせないため。
■ 「諸宗寺院法度(しょしゅうじいんはっと)」
僧の生活の決まり。
江戸幕府のしくみ
関ヶ原の戦い(1600)
関ヶ原の戦い
1600年(慶長5年)9月15日
■ 東軍 徳川家康 74,000 〇 東軍の勝利
□ 西軍 石田三成 84,000 ✖
■ 東軍 | |
徳川家康 | 30,000 |
福島正則 | 6,000 |
黒田長政 | 5,400 |
細川忠興 | 5,000 |
池田輝政 | 4,500 |
井伊直政 | 3,600 |
加藤嘉明 | 3,000 |
松平忠吉 | 3,000 |
京極高知 | 3,000 |
田中吉政 | 3,000 |
藤堂高虎 | 2,500 |
山内一豊 | 2,000 |
本田忠勝 | 500 |
□ 西軍 | |
石田三成 | 6,000 |
宇喜多秀家 | 17,000 |
※小早川秀秋 | 15,600 |
毛利秀元 | 15,000 |
小西行長 | 4,000 |
吉川広家 | 3,000 |
安国寺恵瓊 | 1,800 |
島左近 | 1,000 |
島津義弘 | 750 |
島津豊久 | 750 |
大谷吉継 | 600 |
※小早川秀秋は西軍だったが裏切って東軍についた。
関ヶ原合戦図(井伊家伝来資料)彦根博物館
五大老・五奉行メンバー(1598)
1598年 豊臣秀吉は豊臣家の政治を安定させるため「五大老・五奉行」を定めた。
■ 五大老(ごたいろう)
五奉行の後見人となり政治全体を取り仕切る。
・徳川家康(とくがわ・いえやす)
・上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)
・宇喜多秀家(うきた・ひでいえ)
・毛利輝元(もうり・てるもと)
・前田利家(まえだ・としいえ)
■ 五奉行(ごぶぎょう)
実際の政治を行う。
・石田三成(いしだ・みつなり)治部(じぶ)
・前田玄以(まえだ・げんい)
・浅野長政(あさの・ながまさ)肥前・名護屋の惣奉行。
・増田長盛(ました・ながもり)土佐に派遣(スペイン・サンフェリペ号事件)
・長束正家(なつか・まさいえ)
(・小早川隆景(こばやかわたかかげ)亡くなる。)
徳川家康の子供たち
父 徳川家康
■ 長男(嫡男):松平信康(まつだいらのぶやす)
信長の娘、徳姫と結婚。のちに謀反を疑われ自害。
母:築山殿
■ 次男:結城秀康(ゆうきひでやす)
於義丸(おぎまる)⇒羽柴秀康(はしばひでやす)⇒結城秀康(ゆうきひでやす)⇒松平秀康(まつだいらひでやす)
秀吉の養子に出される。のちに結城家の養子となる。松平家に戻る。
母:お万(築山殿の女中)
■ 三男:徳川秀忠(とくがわひでただ)
幼名:長松丸(ちょうまつまる)。
羽柴秀吉から秀の一字をもらう。
徳川家二代目将軍。信長の姪、江姫と結婚。
生母:於愛の方(おあいのかた)・西郷局(さいごうのつぼね)
義母:朝日御前
長女 亀姫(かめひめ)
母 築山御前
次女 督姫(すけひめ)
小田原氏直に嫁いだ。
用語集
嫡男(ちゃくなん):正室の生んだ男子のうち最も年長の子。
徳川家康 名前の変遷
1542年(1才)幼名 竹千代
↓
1555年(14才)元服 松平元信
↓
1558年(17才)松平元康(今川義元が信長の「信」が気に入らないから。家康の祖父の清康の「康」をもらう)
↓
1563年(22才)松平家康(信長との清洲同盟を結び、今川義元の「元」と決別)
↓
1566年(25才)徳川家康
徳川四天王、徳川家の家臣
【徳川四天王】
本田平八郎忠勝(ほんだ へいはちろう ただかつ)
井伊兵部直政(いいひょうぶなおまさ)
酒井忠次(さかいただつぐ)
榊原康政(さかきばらやすまさ)
【徳川家康 家臣】
生一本さを持つ三河武士(みかわぶし)。律儀、愚直。
鳥居元忠
鳥居忠吉(じい)
石川数正
服部半蔵
本田正信
平岩親吉(ひらいわちかよし)
大久保忠世(おおくぼただよ)
本多作左衛門重次(ほんださくざえもんしげつぐ)
阿部正勝
永井直勝
西尾吉次
牧野康政
商人 茶屋四郎次郎(武士の時の名前。松本清信)
大久保彦左衛門平助(おおくぼひこざえもんへいすけ)
板倉勝重