歴史note – ページ 7 – 歴史の学びメモ

日本史【35】明治初期の外交(近代ー4)

260722
日本史【35】明治初期の外交(近代ー4)

<条約改正問題>
幕末に結んだ不平等条約の解消
①領事裁判権の撤廃(=法権回復)
②関税自主権の回復(=税権回復)

・1871年(明治4年)11月~1873年(明治6年)9月(約2年間)
岩倉遣外使節
予備交渉に失敗し、欧米視察して帰国

・1878年(明治11年) 外務卿・寺島宗則の交渉
税権回復に米が賛成も、英・独の反対で失敗。
(米も白紙に→米に最恵国待遇があるから。)

<清との関係>
・1871年(明治4年) 「日清修好条規」
※最初の対等条約

・1871年 琉球漂流民事件
台湾に漂着した琉球漁民が、台湾原住民に✕。
↓↓
・1874年(明治7年) 台湾出兵
西郷従道(つぐみち)(西郷隆盛の弟)が指揮を取る。
※木戸孝允、台湾出兵に反対して下野。(政府をやめる)

<琉球との関係>
・江戸時代は日中両属(日清双方に朝貢)。
琉球から江戸に慶賀使、謝恩使が行っていた。

・1872年 「琉球藩」設置
国王・尚泰(しょうたい)を藩王として華族に列する。
(いきなり沖縄県(日本の領土)とすると、中国や琉球から文句を言われるかも、なので。)
↓↓
・1879年 「沖縄県」設置
琉球王国(1429年建国・尚巴志)を廃止。廃藩置県を断行(琉球処分)。
→清の抗議。日中関係が悪くなる。

<朝鮮との関係>
・「征韓論」問題
留守政府は鎖国中の朝鮮を、武力により開国させることを主張。
→岩倉使節帰国
→征韓論中止
→1873年 明治六年の政変

・1875年 「江華島(こうかとう)事件」
日本の軍隊が鎖国中の韓国を挑発
→砲撃を受ける
↓↓
・1876年 「日朝修好条規」
日本が朝鮮を開国させる。
日本全権:黒田清隆(きよたか)(薩摩)
※日本優位の不平等条約

<ロシアとの関係>
領土問題
・1854年 「日露和親条約」
日本領:択捉島以南 ロシア領:得撫(ウルップ)島以北
樺太:両国雑居(実際は、ほぼロシア人)
↓↓
・1875年 「樺太・千島交換条約」
日本全権:榎本武揚(えのもとたけあき)
(旧幕臣→この条約から政府に復帰)
・樺太:(雑居→)ロシア領に
・千島列島:(択捉以南→)千島全島を日本領に

 

日本史【34】明治維新(近代ー3)

260721
日本史【34】明治維新(近代ー3)

<戊辰戦争>1868.1月~1869.5月
〇官軍(薩長)新政府軍
VS
✕旧幕府軍

・1868年(明治元年)1月 鳥羽・伏見の戦い
京都近郊で旧幕府軍撤退
↓
・1868年 4月 江戸無血開城
西郷隆盛・勝義邦(海舟)の会談により実現
↓
奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟
陸奥・出羽・越後など。
会津若松城の戦い、長岡城の戦い
↓
・1868年 10月(~1869年) 五稜郭の戦い
榎本武揚(えのもとたけあき)ら旧幕臣がたてこもる。
「箱館戦争」ともいう。

<新政府の動き>
・1868年 3月 五箇条の(御)誓文
天皇が神に誓う。政府の方針表明。
「会議をしながらいい政治をしていく」
↓
・1868年 3月 五榜の掲示(ごぼうのけいじ)
政府から庶民へ。ex. キリスト教禁止(最初の5年間)
↓
・1868年 閏4月 政体書
政治組織として太政官制(だじょうかんせい)を採用
↓
・1868年 9月 明治改元(慶応→明治)
一世一元の制。
一人の天皇の間、一つの元号を使う。
(現在は法制化されている)
↓
・1869年(明治2年)
東京遷都

<地方の政治制度>
幕藩体制の、今度は300の「藩」の方をつぶしていく。
(第1弾)
・1869年(明治2年) 「版籍奉還」
藩主が領地(版図=土地)と領民(戸籍=人民)を天皇へ返上。
「旧藩主」を「知藩事(ちはんじ)」に任命し、石高の1割を家禄(俸禄)として支給。(名前が変わっただけ)
↓↓
(第2弾)
・1871年(明治4年) 7月 「廃藩置県」
薩摩・長州・土佐の精兵(1万)を集めて御親兵(ごしんぺい)とし、その武力を背景に断行。
→中央政府から府知事・県令を派遣。大名は全員罷免。
(東京府・大阪府・京都府。残りは県。300→70→47)

<中央の動き>
・「藩閥(はんばつ)政府」
薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)出身の実力者が、政府の実権を握る。

・1871年11月 岩倉遣外使節
欧米に条約改正・欧米視察のために渡航。(不平等な条約の改正は相手にしてもらえず。)
(大使)
岩倉具視・・公家
(副使)
大久保利通・・薩摩
木戸孝允・・長州
伊藤博文・・長州

<身分制度>
・1869年(明治2年) 四民平等
近世の身分制度(士農工商)を撤廃し、平民にも苗字、通婚、移転の自由を認めた。
華族・・藩主、上層公家
士族・・武士
平民・・農工商民

・1872年(明治5年) 壬申戸籍(じんしんこせき)作成
最初の近代的戸籍。全国を調査。

<金融制度>
・不換紙幣(ふかんしへい)の発行
(例:戊辰戦争の戦費調達・太政官札(だじょうかんさつ)など)
本位貨幣(金や銀)と交換できない紙幣。
→信用できないから貨幣価値が下がって物価が上がる。

・1871年(明治4年) 「新貨条例」
円・銭・厘採用。
「金本位制」確立が目的。
(※金本位制:「金」と「貨幣」を交換する制度。)
→金不足で実際は銀も使っていた(貿易には銀を使う)
→「金銀複本位制(きんぎんふくほんいせい)」。
↓↓
・1872年(明治5年) 「国立銀行条例」
アメリカのナショナル・バンクにならった「民間」の銀行。
「兌換(だかん)紙幣」発行。
(※兌換(だかん)紙幣:いつでも金銀と交換できる紙幣)
(中心:渋沢栄一)
例:「第一国立銀行」(名前は「国立」だが、「民間」)
政府にお金がない(金(きん)がない)から民間でやる。
→最初は4行。
→その後、兌換義務を廃止(1876年)したので、153行まで続いてできた。
→貨幣価値が低くなる
→インフレ(物価高)に・・。
(→後に「松方デフレ」に)

<軍隊制度>
・1872年 徴兵告諭(ちょうへいこくゆ):徴兵の予告。
国民皆兵を宣言。
→徴兵反対「血税一揆」を誘発。
↓
・1873年(明治6年) 徴兵令:法制定
大村益次郎(戊辰戦争で活躍)(長州)
(構想→1869年暗殺)
↓
山県有朋(実現)(長州)
20歳以上の男子が3年間、軍に入る。

☆「兵役免除規定」が多くあり
例:官吏(役人)、戸主や跡継ぎ、代人料270円を納めた者など。→日清戦争の前ぐらいまでに免除規定も減り、国民皆兵となった。

<警察制度>
・1873年(明治6年) 「内務省」設置。(力は大きい)
警察を管轄下に置き、政府の最高権力を握る。
初代内務卿:大久保利通

「内務省」の下に
↓↓
・1874年 「警視庁」創設:東京

(※現在)
・警察庁
|
・警視庁(東京)
・都道府県警(地方。例・大阪府警、神奈川県警など)

<土地制度の変化>
★地租(土地の税金)改正

・1871年 田畑勝手作の禁 解禁
→商品作物OKになる。

・1872年 田畑永代売買の禁 解禁
→田畑の売買もOKになる。

・「地価」を国が決定し、「地券」を発行する。

※「地価」・・現在の「土地の価格」とは違う。「地価」は「地券」に書かれた「固定価格」のこと。物価が上下しても「地価」は変わらない。

土地の「所有権」を認める。
例:「壬申地券(じんしんちけん)」1872年(明治5年)

・1873年(明治6年) 「地租改正条例」公布
(改正前):「石高(収穫)」(不定)を「耕作者」が「原則物納」
↓↓
(改正後):「地価」の「3%」を「土地所有者」が「金納」

・今までは「土地の値段」というのはなかった。(土地の売買はできなかった)。米の収穫が基準の「石高」があったのみ。

・(前)米の収穫500万の半分250万
↓↓
(後)地価1億円の3%の、300万円。
など、たいてい税金はアップした。

・1876年(明治9年) 「地租改正反対一揆」へ

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(28)「急げ!秀吉」(2026/7/19放送)

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2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(28)「急げ!秀吉」(2026/7/19放送)

【あらすじ】信長を討った光秀(要 潤)は家臣の斎藤利三(内藤剛志)に、小一郎(仲野太賀)を捕らえるよう指示。京に潜伏する小一郎は、備中の秀吉(池松壮亮)と、家族のいる長浜に急を知らせるとともに、畿内周辺の諸将が明智方につかないよう足止めをはかる。事態を知った家康(松下洸平)、勝家(山口馬木也)らもそれぞれの思惑で動く中、秀吉は信長の生存を信じ、毛利との和睦を急ぐ。そしてついに“中国大返し”が始まる!!(ーNHK公式サイトより)


・天正10年(1582年)6月
<本能寺の変のあと>
・京都
小一郎、浅野長吉、前野長康、藤堂高虎
信忠のなきがらも見つからず。

・摂津・住吉
織田信孝(信長の三男)、丹羽長秀。
四国攻めに行く途中だった。

・摂津・大坂城
織田信澄、謀反。明智側に付く。

・堺・津田宗及(つだそうぎゅう)の屋敷
徳川家康。本多忠勝、石川数正。
伊賀越えはせず、海路で三河・岡崎城に戻る。

・美濃・岐阜城
お市。気を失う。

・北近江・長浜城
羽柴家。
城を捨てて逃げるよう、浅野長吉が指示。
平野長泰、副田(そえだ)甚兵衛、石田三成。
長尾弥兵衛(ともの夫)
羽柴与一朗(小一郎の嫡男)

・一縷の望み(いちるののぞみ)
ごくわずかな望み。

・備中・高松城・秀吉
本能寺の変の2日後。毛利と和睦。
和睦の条件を緩める。備中、美作、伯耆の3ヶ国を織田側へ。
城主・清水宗治の切腹。
中国大返し。

・越中・魚津城
柴田勝家。前田利家。佐々成政。
上杉攻めの途中。
柴田は今すぐに明智を討ちに帰りたいが
上杉に背後を襲われるので、すぐには帰れない。

・近江・安土城
明智が入る。
細川、筒井、中川、高山、長宗我部から返信は来ず。
丹波・宮津城・城主 細川藤孝

備中から姫路城まで2日で入った。
小一郎は尼崎城で合流せよと指令。

・山城 下鳥羽 明智の陣
細川藤孝は出家し、忠興に家督を譲る。
明智軍は朝廷から織田に代わって畿内を守ることを託された。
勝龍寺(しょうりゅうじ)城へ。

ーーーーーーーーーーーーー

「豊臣兄弟!紀行」(28)

・備中高松城跡(岡山県・岡山市)
周囲の沼地を利用した難攻不落の城。秀吉はその立地を逆手にとり、堤防を築き水攻めを行う。

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(27)「本能寺の変」(2026/7/12放送)

260718
2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(27)「本能寺の変」(2026/7/12放送)

【あらすじ】信澄(緒形敦)は光秀(要潤)に信長(小栗旬)への積年の思いを打ち明ける。光秀は驚愕しつつも、表沙汰にしないことを決める。一方、備中で毛利攻めの任にあたる秀吉(池松壮亮)は、戦の総仕上げのために信長を連れてくるよう小一郎(仲野太賀)に依頼する。折しも安土城では信長が家康(松下洸平)を接待していたが、食事に毒が盛られていたことが発覚。饗応役の光秀が首謀者をかばっていると察した信長は逆上する。(ーNHK公式サイトより)


信澄は信長を討つことが悲願だと告白。

・天正10年3月
甲斐・武田家、滅亡。

柴田勝家は上杉攻めへ。
信孝は四国攻め。

・備中・高松城
秀吉、水攻め。
高松城主・清水宗治の切腹。
秀吉は馬印をひょうたんにしている。

・安土城で信長は家康の饗応・もてなし。
家康の正妻・築山殿(つきやまどの)と、嫡男の松平信康は、信長からの謀反の疑いで命を落とす。

・信長と小一郎
信長は6月4日、本能寺から備中へ向かうと告げる。

・天正10年5月29日
信長はわずかな供回りを連れて本能寺に入る。

・明智光秀
家臣・斎藤利三。
公方様に断られて信長襲撃を決意。

・本能寺の変
天正10年(1582年)6月2日早朝。
白の桔梗門。明智の軍勢。
信長、没。

ーーーーーーーーーーーーー

「豊臣兄弟!紀行」(27)

・本能寺跡(京都府・京都市)
大規模な城郭寺院で防御の堅いこの寺を、信長は宿所として利用していた。本能寺の変のあと、場所を変えて再建された。

現在では信長ゆかりの品々が展示されている。

香炉「三足の蛙」。
事件の夜、蛙が突如鳴き出し、異変を知らせたと言われる。

・阿弥陀寺(寺町)
信長の墓所。僧侶、清玉(せいぎょく)が信長を密かに埋葬したともいわれる。
近年、明智光秀は京の南、鳥羽にいたという説もある。

日本史【33】幕末の動乱(近代ー2)

260718
日本史【33】幕末の動乱(近代ー2)

<徳川家茂⑭の時代>
大老:井伊直弼
アメリカ以外の他国とも「修好通商条約」を結ぶ。
・和親条約は4ヶ国(アオイロ)
・通商条約は5ヶ国。
米・蘭・英・仏・露(ア・オ・イ・フ・ロ)
→「安政の五カ国条約」
(すべて「違勅条約」(無許可))

・1859年 貿易開始
(輸入品)
(1)毛織物(40%)(2)綿織物(3)武器物
(輸出品)
(1)生糸(絹織物の原料)(80%)(2)茶(3)蚕卵紙
(※生糸は日本の輸出品のメインになっていく)

中心港:横浜(神奈川という町からちょっと離れた場所)
(貿易は、横浜・箱館・長崎)
中心相手国:イギリス
(アメリカは南北戦争中・1861~65)

★井伊直弼への非難
・1858年~1859年 安政の大獄(あんせいのたいごく)
井伊直弼を批判した吉田松陰(長州)や橋本左内(越前)らを処刑。→100名以上を処罰

・1860年 桜田門外の変(江戸城の外)
水戸浪士(+薩摩浪士)らが井伊直弼を暗殺。

★開国・貿易開始の影響(経済)
①在郷商人(農村の商人)が江戸を通さず、居留地(横浜)へ直送。
(居留地:外国人の住む場所。ここで貿易をする)
↓↓
・1860年 「五品江戸廻送令(ごしな えどかいそうれい)」
雑穀、水油、ろう、呉服、生糸
この五品は「必ず江戸を通すこと」という令。
→反発が起きる。

②金貨大量流出
金銀交換比率の相違。
日本金:銀=1:5
外国金:銀=1:15
金の価値が外国金の方が高い。比べて日本金は安い。
→外国に日本から金を持っていって、両替するようになる。
→日本から金が流出。金がかなり少なくなる。

・1860年 「万延小判(まんえんこばん)」鋳造
金の含有量を3分の1に減らす。
(=外国とレートを同じにした。)
↓
貨幣価値が下がる。
インフレ。物価高。庶民の生活を圧迫。
↓
攘夷(外国排斥)運動へ・・

<老中(井伊直弼→)安藤信正へ>

・1862年 和宮降嫁
孝明天皇の妹・和宮(かずのみや)を、徳川家茂⑭の夫人に迎える。(公武合体政策)(京都(上方)から江戸へ下る。)
(「幕府を討て」派の人を押さえられる。)
↓↓
・1862年 坂下門外の変
老中・安藤信正(あんどうのぶまさ)が尊攘派に襲われ負傷。

★幕末の思想
「尊王攘夷論」(尊攘派)
天皇中心。幕府打倒を図る(=幕府は不要)
VS
「公議政体(こうぎせいたい)論」
雄藩連合の会議による政治。(=幕府は残す)

<徳川家茂⑭>
・1862年 文久の(幕政)改革
薩摩藩・島津久光による幕政改革。
薩摩から江戸に行って幕府を立て直す。
(内容)
(1)将軍後見職(将軍のサポート):一橋慶喜
(2)政事総裁職(せいじそうさいしょく)(慶喜のサポート):松平慶永(よしなが)(親藩大名)
(3)京都守護職(京都の治安維持):松平容保(かたもり)(会津藩)
会津(東北)から江戸を通って京都へ。その途中で募集されたのが新撰組。近藤勇。土方歳三。
(※「京都所司代」の上に「京都守護職」を置いた。)

ほかに「参勤交代の数を減らす」など。
↓↓
(薩摩への復路でのできごと)
・1862年8月 生麦(なまむぎ)事件
薩摩藩士が武蔵(神奈川県)・生麦でイギリス人3人を殺傷。
↓↓
・1863年 「薩英戦争」
英〇 VS ✕薩
双方、被害を受け、講和。
→双方接近(お互い認め合う。)
(薩摩は攘夷は無理だと悟る。→外国とは手を組んで幕府を討とう。)
→後に薩長が幕府を倒すとき、英がバックアップする。

・1863年 「長州藩・外国船砲撃事件」(下関事件)
長州藩が、米・仏・蘭の船を下関で攻撃。
(5月10日。幕府の決定した攘夷の決行)

★幕府に対する挙兵
・1863年 ①生野の変(但馬)
・1864年 ②天狗党の乱(常陸)

・1864年 「池田屋事件」
幕府の警備隊「新撰(選)組」(近藤勇ら)が、尊攘派(長州中心)を襲う。
↓↓
・1864年 「禁門の変」(蛤御門(はまぐりごもん)の変)
長州藩が報復に京都(幕府)に攻め込む。
→京都の幕府軍(諸藩(薩摩・桑名・会津))が長州藩を討つ。
↓↓
・1864年 「第一次長州征伐(征討)」
(長州が弱っている今がチャンス)
幕府による長州攻撃→長州降伏

・1864年 「四国艦隊 下関砲撃事件」
「下関事件」(外国船に大砲を撃った)の報復に、英・米・仏・蘭が長州藩を攻撃。→下関を占領
(長州も攘夷は無理だと悟る。→外国とは手を組んで幕府を討とう。)
↓↓
・1866年 「薩長同盟(連合)」
仲が悪かった両藩が連合し、相互援助・武力倒幕を約す。(下級藩士が台頭)
・薩摩:西郷隆盛
・長州:桂小五郎(後の木戸孝允)
・仲介:土佐・坂本龍(竜)馬(商人)(海援隊(会社の始まり))
龍馬→薩摩が長崎でトーマス・グラバー(英)から武器を買う。その仲介、交渉をするなど。
↓↓
・1866年 「第二次長州征討」
→薩摩は参加せず(長州と同盟を組んでるから。)
→幕府が苦戦。

<徳川慶喜⑮>
・1866年 孝明天皇死去
薩長は天皇による「幕府討伐命令」を出してほしい。
(孝明天皇は出さなかった。)→明治天皇へ

・1867年10月14日 ①「討幕の密勅」
公家・岩倉具視の尽力。
「錦の御旗」新政府軍が正義の軍隊を掲げられる。

↓↓(同じ日)

・1867年 ②「大政奉還」(たいせいほうかん)
(江戸時代終わり。1603~1867年)
慶喜が朝廷に提出し、将軍職を返上。
幕府の方から、幕府、将軍をやめる。権力を天皇に返す。
→「討幕の密勅」が意味をなさないものになる。
(幕府を攻めさせないため。薩長との全面戦争を避けるため。)

<江戸幕府の滅亡>
☆1867年12月9日 「王政復古の大号令」
・摂関・幕府の廃止
・「三職」を設置
①総裁(そうさい):有栖川宮 熾仁(ありすがわのみや・たるひと)親王(皇族)
②議定(ぎじょう):公家、藩主
③参与(さんよ):下級武士 下級貴族

※ここに徳川慶喜が入ってない
=江戸幕府は絶対的な権力。対等、平等にはならない。
↓↓
(同じ日)
☆1867年12月9日 「小御所会議(こごしょかいぎ)」
・徳川慶喜の「辞官」(将軍だけでなく内大臣も辞退させる)
・「納地」を決定(領地を返上)
(=薩長は煽っている。そうすれば徳川軍を反乱軍として討てるので。)
↓↓
慶喜は挑発に乗らず、受け入れる。
↓↓
しかし「幕臣」が暴発。「戊辰戦争」へ・・。
(直参たちのプライドが許さない。)

☆世直し一揆・打ちこわしの頻発
「ええじゃないか」の乱舞(1867年)
世の中が退廃的なムードに・・。