ドイツ – ページ 2 – 歴史note

世界史【35】第一次世界大戦とロシア革命

【35】第一次世界大戦とロシア革命
<第一次世界大戦>1914-1918
(1) 20世紀初頭の国際情勢
(2) 第一次世界大戦の勃発
(3) 第一次世界大戦の終結
(4) ロシア二月革命
(5) ロシア十月革命。史上初、社会主義国家の誕生
(6) 内戦と諸外国の干渉


(1)20世紀初頭の国際情勢
ポイント①もう一度確認!20世紀初頭の列強の同盟関係
ドイツに対抗するために生まれた国際関係を整理

ドイツ VS ロシア
(ビスマルク時代)
・三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)
・独と露は再保障条約(秘密条約)

(ヴィルヘルム2世時代)
再保障条約を更新せず、ロシアとけんかを始める。
↓↓
仏はそれをのがさず、露と手を結ぶ。
・露仏同盟(1891)
ヨーロッパの情勢が一気に変わる。

※三国同盟のイタリアとオーストリアは領土をめぐって、実はギクシャク状態。(未回収のイタリア)

ヴィルヘルム2世はこれを解決せず、露にけんかを売ってしまった。

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ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生!
三国同盟と三国協商の対立

ドイツ VS イギリス(三国協商の成立)

独はロシアにけんかを売ったあと、英にもけんかを売る。
ドイツの方が工業力で上になった。
↓↓
「光栄ある孤立」だった英が、他の国と初めてくっつく。
・日英同盟(1902)
↓↓
・英仏協商(1904)
一緒にドイツを止めましょう。エジプト(英)とモロッコ(仏)の相互承認。
↓↓
・英露協商(1907)
↓↓
・三国協商(1907)

三国同盟:独・伊・オーストリア
VS
三国協商:英・仏・露
↑↑
独キライ同盟。
露仏同盟(1891)。英仏協商(1902)。英露協商(1907)。

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ポイント③バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」
一つの火種が大爆発を起こす

<バルカン半島の危機>
なぜ危険?→独や露の思惑がバルカン半島にあったため。

パン=ゲルマン主義(ドイツ)
VS
パン=スラヴ主義(ロシア)
セルビア・・パン=スラヴ主義の中心勢力。バルカン半島はスラブ人が多い。独は入ってくるな。

バルカン半島の情勢が悪化していく・・

青年トルコ革命(1908)→オスマン帝国(トルコ国内が混乱)
・便乗する形でブルガリアが独立。
・そのすきにオーストリアが無理やり隣のボスニア・ヘルツェゴビナを併合。バルカン半島に勢力を伸ばしてくる。
↓↓
隣のセルビアは反発。

・イタリア=トルコ戦争
イタリアが、弱っているオスマン帝国に侵入。アフリカのリビアを獲得。
↓↓
セルビアは、この弱っているオスマン帝国の領土を奪う
↓↓
・バルカン同盟(1912)
セルビア・ブルガリア・モンテネグロ・ギリシアの同盟(+ロシアの支援)

・第1次バルカン戦争(1912)
バルカン同盟 〇VS ✕オスマン帝国敗北

・第2次バルカン戦争(1913)
セルビア・モンテネグロ・ギリシア ルーマニア・オスマン帝国〇VS✕ブルガリア。仲間割れしてブルガリアが敗北。
↓↓
負けたオスマン帝国とブルガリアは、セルビアやロシアに反感を持つようになる。
↓↓
独、オーストリア側(三国同盟側)に付く。


(2)第一次世界大戦の勃発
ポイント①第一次世界大戦の引き金をひいたある事件!
セルビアの青年が放った銃弾が世界大戦を引き起こす・・

・サライェヴォ事件(1914.6.28)
オーストリア帝位継承者夫妻・フェルディナント夫妻。
陸軍演習の視察でサライェヴォ(ボスニアの州都)を訪問。ボスニアはオーストリアが無理に併合した地域。

セルビア青年が夫妻を暗殺。
「にっくきオーストリアめ・・」
↓↓
オーストリアがセルビアに宣戦。
↓↓
ロシア(協商国=連合国)がセルビアを支援。
↓↓
ドイツ(同盟国)がオーストリア側に付く。露・仏に宣戦布告。
↓↓
第一次世界大戦へ・・

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ポイント②ロシア・フランス・イギリスに囲まれたドイツの戦術とは?
<ドイツの短期決戦作戦>
独は不利。三方を囲まれている。
英
仏 独 露
墺

独は短期決戦をめざし、まずは全力で仏を倒してその後ロシアへ。

■ 西部戦線(仏との戦い)
独はベルギーの中立を侵犯し、仏・パリを攻めようとした。
(中立国は攻めてはいけない。国際ルール)
英が怒る⇒英の対ドイツ宣戦。

・マルヌの戦い(1914.9)
〇仏 VS ✕独

■ 東部戦線(露との戦い)
・タンネンベルクの戦い(1914.8)
仏に向かうさなか、ロシアが後ろから来た。独はロシアに勝利。
〇独 VS ✕露
勝った勢いのままロシアに侵攻するが、そこでは独は敗北。

→膠着状態。長期戦へ・・。

■ 海上戦(英との戦い)
独は潜水艦を使う。
ルシタニア号の撃沈。軍艦ではなく一般客船。
米の国民が犠牲に。⇒米が怒る





(3)第一次世界大戦の終結
ポイント①日本の参戦!イタリアの裏切り!?
各国の思惑が一気に噴出した大戦の様相

<日本の参戦(1914)>
日英同盟
があったため英側(協商国側)に付く。
→独が持つ中国領土を攻める。
・膠州湾と青島(チンタオ)を占領。
・二十一カ条の要求・・大隈重信内閣(早稲田大学創設)
どさくさに紛れて中国の植民地化を進める。
・ドイツ領南洋諸島占領(マーシャル諸島など)

<イタリアの参戦(1915)>
三国同盟の伊は中立を保っていた。それに英と仏は目を付ける。
→「未回収のイタリア」を渡すから・・と交渉。
→イタリアの裏切り!三国同盟を離脱して英・仏に付く。

<英の秘密条約>
どうしても勝ちたい英の3枚舌外交。オスマン帝国領土の3重契約。
[1]フセイン・マクマホン協定
オスマン帝国は英の敵の独側(同盟国側)。そこでアラブ人をオスマン帝国内で反乱を起こすようけしかける。アラブ人国家の独立を約束。(映画『アラビアのロレンス』)

[2]サイクス・ピコ協定
オスマン帝国領を英・仏・露で分割しよう。

[3]バルフォア宣言
パレスチナ(オスマン帝国領内)におけるユダヤ人国家建設を支援。「だからユダヤ人さん、お金を貸して」
↓↓
現在まで続く中東問題の諸悪の根源に・・。

・英は植民地のインドにも自治の約束

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ポイント②世界大戦の終結に向けて
1917年は世界大戦の動向に大きな影響を与えた年!

協商国(連合国)英・仏・露・米・日・伊など20カ国
VS
同盟国 独・墺・オスマン帝国・ブルガリア

・総力戦
国民全員で一致団結。
女性の工場労働。兵器工場。

・ヴェルダン要塞をめぐる攻防
独✕ VS 〇仏

・ソンムの戦い
英軍が初めて戦車(タンク)を使う。→決着は付かず

・独・無制限潜水艦作戦(1917)
「すべての船を無警告で撃沈する。」
⇒米が怒る。米参戦を決定。(1918)
ウィルソン大統領
十四カ条の発表

・ロシアの単独講和
ブレスト=リトフスク条約(1918)
ロシア革命が起こり、ロシアは戦線離脱。独と休戦。

・ブルガリア、オスマン帝国、オーストリア降伏

・ドイツ革命(1918~19)
キール軍港の水兵反乱
各地にレーテ(評議会)が成立
→皇帝ヴィルヘルム2世は亡命。共和制へ・・。

・ドイツ休戦協定
第一次世界大戦終結

 


(4)ロシア二月革命
ポイント①ついにロシアで不満が爆発!ロシア二月革命
第一次世界大戦の戦況悪化が革命の引き金に・・

・ロシア二月革命(1917)(西暦では三月革命)
第一次世界大戦で民衆が不満を高める。
・ペトログラード蜂起(←ロシア読み。「ペテルブルク」は独語)
労働者、兵士も合流。
↓↓
・ソヴィエトの結成
労働者と兵士の代表による評議会(会議)。皇帝に対し早く戦争終結を求める。
↓↓
・皇帝ニコライ2世の退位
ロマノフ朝の滅亡。皇帝がいなくなり共和制(王や皇帝がいない)へと移る。
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ポイント②二重権力の時代
臨時政府とソヴィエトが併存するロシア社会の行方

・臨時政府
中心:立憲民主党
金持ちが支持。戦争継続の方針。

ロシアの4つの政党
[1]立憲民主党・・富裕層が支持
[2]社会革命党・・農民が支持
[3]メンシェヴィキ・・穏健派
[4]ボリシェヴィキ・・急進派

・ソヴィエト
中心:社会革命党・メンシェヴィキ
即時講和(戦争を終わらせる)

二重権力
臨時政府 VS ソヴィエト

・レーニン(ボリシェヴィキ)
亡命先のスイスから帰国し「四月テーゼ」を発表。
「すべての権力をソヴィエトへ」臨時政府はいらない。
即時講和を主張。
→臨時政府に追われて亡命

・ケレンスキー
社会革命党=ソヴィエトの主導者
臨時政府の首相に就任。二重権力のリーダーが同じになった。
→戦争が終わると思いきや、何と戦争継続の方針を継続。
→民衆は社会革命党(ソヴィエト)に失望・・。
↓↓
ボリシェヴィキに期待するようになる・・。

 





(5)ロシア十月革命。史上初、社会主義国家の誕生
ポイント①臨時政府を打倒!ロシア十月革命の勃発
ついにすべての権力がソヴィエトへ結集

・ロシア十月革命(1917)(西暦では十一月革命)
レーニン・ボリシェヴィキの武装蜂起
臨時政府の消滅
世界史上初の社会主義国家を樹立

・全ロシア=ソヴィエト会議
臨時政府打倒とソヴィエト権力の樹立を宣言

・「平和に関する布告」の採択
無併合・無償金・民族自決・・領土を取らない。賠償金を請求しない。独立は認める。
全交戦国に講和条約のあり方を提唱した(→欧は黙殺)

・「土地に関する布告」
地主廃止
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ボリシェヴィキの独裁体制へ!
レーニンの強引な政権の掌握

ボリシェビキの一党支配

・憲法制定のための選挙を実施
→第1党:社会革命党(農民支持)
第2党:ボリシェヴィキ
(何とレーニン負ける。)

どこにアンチがいるかあぶり出す・・

・チェカ(非常委員会)を作る
革命政権を守るための治安組織。秘密警察。

・憲法制定会議の開催
1週間で武力で解散。
↓↓
ボリシェヴィキの一党支配に(プロレタリア独裁期間)

・ブレスト=リトフスク条約
ロシア全権:トロツキー
独との単独講和。第一次世界大戦から離脱。

・赤軍(せきぐん)の設立
社会主義の色

・ロシア共産党と改称
ボリシェヴィキは「多数派」の意味。「ロシア」を政党名に入れて愛国心の高揚をめざす。

・モスクワへ遷都
欧とは距離を置くため


(6)内戦と諸外国の干渉
ポイント①国内は混乱!外国勢力も干渉!どうするロシア・・
社会主義政権に反発する内外の勢力

ロシア内戦(1917~1921)
・反革命軍(白軍・はくぐん)の蜂起
ソヴィエト政権に反対する勢力。地主・貴族・反ボリシェヴィキの反乱+諸外国

・対ソ干渉戦争(1918~22)
シベリア出兵。チェコ兵救済を理由に勝手にロシアの領土に入る。

・ポーランド=ソヴィエト戦争
ポ〇 VS ✕ソ

↓↓ これに対してレーニンは・・

・コミンテルンを結成
ロシア共産党が中心。全世界で革命を起こさせよう!

(経済政策)
・戦時共産主義(1918~1921)
「みんな、ごめん。外国を追い出すから食料を政府がいったんもらうね・・」農作物を強制徴発・食料配給制に。→人々はやる気を失う。生産力低下。
↓↓
・新経済政策(ネップ)(1921~27)
穀物徴発制の廃止。小規模私企業、小農の経営を認める。→やる気を取り戻す。

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ポイント②ソ連の誕生!
内戦を終結したロシアは新体制へ移行

・ソヴィエト社会主義共和国連邦(1922)
(ソ連、ソ連邦)

4つの共和国で発足
・ロシア
・ウクライナ
・ベラルーシ/白(はく)ロシア
・ザカフカース(現ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン)カフカス山脈の南。
→後に15の共和国に。

・ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法の制定

<各国のソ連承認>
・ラパロ条約(1922) 独がソ連を承認。欧で初。
・英、伊、仏、日の順に承認。
・アメリカのソ連承認(1933)→ソ連国際連盟加入。

 


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世界史【32】世界分割と列強の対立

251009
【32】世界分割と列強の対立
(1)アフリカ分割の始まり
(2)英のアフリカ進出
(3)仏のアフリカ進出
(4)独・伊のアフリカ進出
(5)欧米の太平洋地域進出
(6)ラテンアメリカ・メキシコの動向
(7)列強の二極化。三国同盟VS三国協商


(1) アフリカ分割の始まり

ポイント①アフリカってどんなところ?
「暗黒大陸」の悲惨な歴史と探検家の活動

「暗黒大陸」
奴隷の獲得⇒資源の獲得
プランテーションの労働力。
商品作物。サトウキビ、タバコ、綿花

・大西洋三角貿易(16~18C)
黒人奴隷貿易
1.西欧⇒西アフリカ(武器)
2.西アフリカ⇒米大陸(奴隷)黒人2000万人ほど
3.米大陸⇒西欧(商品作物)

・奴隷制度の廃止(19C)
奴隷以外にアフリカには何がある・・?
↓↓
2人の探検家
[1]リヴィングストン(英・宣教使)
ナイル川の水源調査。消息不明。
↑↑(救出)
[2]スタンリー(英生まれ米)
リヴィングストンの救出に成功。
→コンゴ(アフリカの真ん中)探検。(ベルギー王が支援)。
→ベルギー王がコンゴの領有を宣言
→欧の反発。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アフリカをもらうなら「早い者勝ち」!?
ヨーロッパ国際会議で決定した驚きの事実とは・・

・ベルリン会議(1884~85)
(※「ベルリン会議」は2つある。1つ目は19Cロシア南下⇒ロシア=トルコ戦争のあと。ビスマルク調停(1878))

今回もビスマルク主催。
・先占権(せんせいけん)(早い者勝ち)⇒アフリカ分割に拍車をかける。
・コンゴ自由国⇒ベルギーの支配下に。


(2)英のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部への進出
何があってもエジプトとスーダンだけは他国に渡せない!

<英の縦断政策(アフリカ北部)>
スエズ運河ができたことで、英のアフリカ進出が始まる。
スエズ運河
沿いの2つの国、エジプト(北)・スーダン(南)が欲しい。安全性を確保したい。

<英がエジプトに進出>
・ウラービー運動(1879~82)
陸軍大臣アフマド・ウラービー「エジプト人のためのエジプト」。→鎮圧される→エジプトは英の保護国化に。

<英がスーダンに進出>
・マフディーの反乱(1881~98)17年
マフディー=「救世主」の意味。
ムハンマド・アフマド。
総督ゴードン戦死。
(↑ 清の太平天国の乱を鎮圧した常勝軍。)
↓↓
・ファショダ事件(1898)
✕仏 VS 英〇
スーダンのファショダという地で対峙(にらみ合い)。

・英の3C政策
ケープタウン(南ア)、カイロ(エ・埃)、カルカッタ(印)。
インドへの道を盤石なものにしたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②金とダイヤモンドをめぐる南アフリカ戦争
ブール人国家との戦争

<英アフリカ縦断政策(南アフリカ)>

・ケープ植民地(中心ケープタウン)南ア
元々オランダ領だったが、ナポレオンなきあと欧の国際秩序のためのウィーン会議(1814)で蘭領から→英領となる。
(→オランダの人は北へ移動し、トランスヴァール共和国を建国。ブール人と呼ばれる。)

・セシル・ローズ
英領有の南ア・ケープ植民地の首相。元企業家。金・ダイヤモンド鉱山を発見!

金が見つかったのは隣の、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国。(英領ではない。ケープ植民地の北東)。ブール人(=オランダ人)の国。→大義名分などない、金とダイヤの争奪。
↓↓
・南アフリカ戦争(1899)
英本国から派遣⇒植民相ジョゼフ=チェンバレン
全植民地統括の大臣が来る。40万人以上の兵。
〇英 VS 蘭✕
↓↓
・南アフリカ連邦(自治領)
(ケープ植民地と、トランヴァール、オレンジを併合)
白人を優遇。白人優位の人種差別が芽生える。黒人と白人の対立を作ることで英本国への恨みをそらす。





 


(3)仏のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部から東西へと拡大
イギリスのアフリカ縦断政策と衝突した結果・・

<仏アフリカ横断政策>
モロッコ・アルジェリア・チュニジア
サハラ砂漠・ジブチ・マダガスカル

・アルジェリア出兵。植民地化(19C前)
(ウィーン会議で絶対王政に戻り、仏ブルボン朝が復活。王シャルル10世。国民の不満を外へ向けた)

アルジェリアを起点に東西に拡大。
・チュニジア保護国化(1881)(アルジェリアの東横)
仏と伊と関係悪化⇒独ビスマルクは見逃さない。翌年・三国同盟(独・オーストリア・伊)(1882)

・ジブチに港を建設。(紅海の一番下)
紅海からインド洋への出口。

マダガスカル(アフリカ南東の島)
サハラ砂漠(アフリカ西)

・ファショダ事件(1898)
スーダンのファショダで対峙。英〇 VS ✕仏
(仏が譲った理由)仏は独とけんか状態。英ともけんかすると敵が増えてしまう・・。仏は英に譲る。
↓↓
英仏の関係が良くなる。
↓↓
・英仏協商(1904)
英はエジプト取るから仏はモロッコ行きなよ。相互承認。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②モロッコをめぐるドイツとの対立
2度にわたって衝突!イギリスが取った行動は?

・モロッコの領有問題
モロッコを押さえると、英のインド進出を邪魔できるので、独が狙っていた。

・第1次モロッコ事件(タンジール事件)(1905)
モロッコをめぐって、仏 VS 独 対立。独皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコのタンジール港に入ってきた。仏出ていけ。
→英援助 〇仏 VS ✕ 独
(タンジールはイブン・バットゥータの生まれ故郷。スペインの向かい・ジブラルタル海峡のアフリカ側)

・第2次モロッコ事件(アガディール事件)(1911)
また独はモロッコ・アガディール港に入る。
英援助 〇仏 VS ✕ 独

・仏モロッコ保護国化(1912)


(4)独・伊のアフリカ進出

ポイント①ドイツ・イタリアのアフリカ進出
イギリス・フランスに遅れを取って進出開始

<独>
・カメルーン(西)、東アフリカ植民地(現タンザニアなど/マダガスカル島の対面北)

<伊>
・イタリア軍がエチオピアに侵入
エチオピア〇勝利! VS ✕伊
イタリア敗北!

イタリア「このままではアフリカに植民地を持てない・・」と焦る
↓↓
・イタリア=トルコ戦争
オスマントルコとの戦争でリビア(アフリカ北)を獲得。

・ソマリランド(アフリカの角/つの)獲得。
北から英仏伊で分けた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦開始まで独立を保持した2つの国
独立を維持できた要因は?

・独立を保持した2つの国

[1]エチオピア帝国(東)
伊をアドワで撃退。優秀な君主。仏の軍事支援もあった。

[2]リベリア共和国(西アフリカの海岸線)
アフリカ最初の共和国。アメリカで解放された黒人たちがアフリカに帰ってきて作った国。国名はLibertyリバティ(自由)から。                                                →主権国家として認められていたので欧は手を出せなかった。





(5)欧米の太平洋オセアニア進出

ポイント①オセアニアってどういうところ?
2人の探検家に注目!

・オセアニア・・オーストラリア、ニュージーランド、太平洋に浮かぶ島々の辺り。

2人の探検家
[1]タスマン(17Cオランダ人)タスマニア・ニュージーランドに到達。オーストラリア大陸。

[2]クック(18Cイギリス人)タヒチ、NZ、オーストラリアを探検。オーストラリアやNZを英の所有と宣言。(侵入者と勘違いされハワイで島民に殺害される。)
↓↓
・オーストラリア
先住民:アボリジニー
1850年代 金鉱の発見。英本国やアジア各地から移民が増える。
→英の自治領に。オーストラリア連邦

・ニュージーランド
先住民:マオリ人
→英の自治領に。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②太平洋に浮かぶ島々も欧米諸国の領土に!?
オセアニア諸地域の分割へ

・列強諸国の南洋諸島(太平洋の島々)進出
・ニューギニア
西部:オランダ|東部:英・独

・英領・・ソロモン諸島(独と分割)、フィジー、トンガ
・仏領・・ニューカレドニア、タヒチ
・独領・・ビスマルク諸島、マリアナ諸島、マーシャル諸島
・米領・・フィリピン、グアム島、ハワイ


(6)ラテンアメリカの従属化
ポイント①メキシコの内乱とフランスの干渉
初の先住民出身の大統領の苦悩

<ラテンアメリカ>
19C前半に多くの国が独立を達成。ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、エクアドル(シモン・ボリバル)。ペルー、アルゼンチン、チリ(サン・マルティン)。ブラジル
→独立したものの、英の経済的従属下に置かれる。メキシコだけは例外!

<メキシコ>
フアレス〇→ディアス✕→メキシコ革命・マデロ△→サパタ・ビリャ→憲法

フアレス大統領(先住民インディオ出身)
・自由主義革命(インディオの権利獲得など)

↓↓ 保守派が抵抗。

・メキシコ内乱(1861~67)
この内乱に仏ナポレオン3世がちょっかいを出してくる。(仏メキシコ出兵)→が、フアレスはナポ3を追い出す。米も抗議。良い改革、国作りへ・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②メキシコ革命の勃発!
近代化を成し遂げられるのか!?

フアレスのあと・・
・ディアス大統領
独裁政治
。地主階級の特権を復活させてしまう。(先住民切り捨て)。
英、米から莫大な借金。頭が上がらない状態に・・。

↓↓ メキシコが食い物にされる!

・メキシコ革命(1910~17)
マデロ大統領が、ディアスを打倒し自由主義的改革をしたが、土地の改革には消極的だった。地主の権利を守ったまま。。
↓↓
・サパタ・ビリャ(農民の代表)の蜂起。マデロ失脚。サパタ・ビリャも暗殺される・・。
↓↓
・憲法制定(1917)
土地改革、地下資源の国有化。民主的。→しかし憲法はうまく機能せず。米、英の従属から逃れられなかった。

 




(7)列強の二極化

ポイント①ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の無謀な政策
第2次産業革命で自信をつけた皇帝の海外進出策

・独皇帝ヴィルヘルム2世(任1888~1918)
第2次産業革命で世界2位になり自信が付く→英を越えるぞ!ドイツも外へ出て行くんだ!

・元々、普仏戦争で、独は仏と対立している。
↓↓
(さらに新たな敵)
・海軍大拡張により⇒英と対立。
・パン=ゲルマン主義で⇒ロシアと対立。
3B政策。ベルリン・ビザンティウム・バグダード。ペルシア湾から海へ出ようと考えた。
↓↓
独と英・露・仏が対立関係に。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生
三国同盟と三国協商の対立

<ビスマルク時代>
・三国同盟(独・オーストリア・伊)1880 軍事同盟
+
・再保障条約(お互い攻めない)ロシアと独
・英「光栄ある孤立」
↓↓
ライバル仏を孤立させることに成功。

<ヴィルヘルム2世時代>
独がロシアの手を離したことから、国際関係が変わっていく。。

・独はロシアとの再保障条約を拒否!(1890)
「オーストリアと一緒にバルカン半島に行くんだ」
ロシアと独の手が離れた・・!これを仏は見逃さない!キラリ✨
↓↓
・露仏同盟(1891)
仏
がロシアに接近。手を組む。仏が露に資金提供⇒露産業革命に成功。

・英は独の海軍拡大に焦りを感じ始める。「光栄ある孤立」をついに解く。
↓↓
・日英同盟(1902)
東アジアの防衛に日本の軍事力を当てにした。
英のドアが開いた!ここで仏は英にも近づく!
↓↓
・英仏協商(1904)
独嫌いだよねーでくっつく。
↓↓
・英露協商(1907)
日露戦争が終わってロシアはバルカン半島に戻ってこようとする。また独と対立する。ロシアは英に接近する形を取った。
↓↓
三国協商(英・仏・露)VS 三国同盟(独・墺・伊)になる。
↓↓
第一次世界大戦へ

 


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世界史【26】19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独

251004
【26】19世紀の欧米諸国(1) 英・仏・伊・独
(1)イギリスの自由主義 世界No1!
(2)ヴィクトリア時代のイギリス
(3)フランスの政体変遷
(4)イタリアの統一
(5)ドイツの統一
(6)ドイツの発展
(7)ビスマルク体制


(1)イギリスの自由主義
ポイント①宗教で差別されることはない!
キリスト教徒であれば差別されることはなくなった

・アイルランド併合(1801)
カトリックが多い
↓↓
2つの法で宗教自由が達成
[1]審査法廃止(1828)
非国教徒(ピューリタンなど)も公職就任が可能に(カトリック教徒は除く)
※「審査法」はチャールズ2世時のカトリック勢力に対抗して議会側が制定(1673)した。=イギリス国教会のみ公職に就ける法。
↓↓
[2]カトリック教徒解放法(1829)
オコンネル尽力。カトリック教徒も公職就任が認可

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②みんなが選挙に行けるための改革!
数回にわたる選挙法改正と選挙権の拡大

産業資本家の台頭
→第1回選挙法改正(グレイ内閣)(1832)
・腐敗選挙区の廃止
・産業資本家に選挙権付与(労働者はまだ)
↓↓
・チャーティスト運動(1830~1850末)
労働者の政治運動
人民憲章(ピープルズ=チャーター)
↓↓
・第2回選挙法改正(1867)
都市労働者に選挙権付与
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③自由な貿易を目指して!
イギリスの自由貿易主義体制の確立

19C英の産業資本家は自由貿易主義(体制)を望む

・穀物法の制定
地主保護のため輸入穀物に高関税。
→英国内の高い穀物を買わなくてはいけない・・。
↓↓
産業資本家は反発。(給料を上げないとダメだから)
↓↓
反穀物法同盟(1839)
コブデン、ブライト

さらに・・
・ジャガイモ飢饉(1845~1847)
アイルランドで発生。餓死者も出る。
↓↓
ついに
[1]穀物法廃止(1846)

[2]東インド会社の中国貿易独占権の廃止
→商業活動そのものも全面禁止
→民間の会社が貿易できるようになる。
(→中国にアヘンを売りに行く)

[3]航海法廃止(1849)
(「航海法」の制定はクロムウェル(1651)。自国か相手国の船のみに制限する法)

↓↓
これら3つで、自由貿易主義が完成。

 


(2)ヴィクトリア時代のイギリス
ポイント①当時のイギリスは世界一の国家
産業革命を完成したイギリスの繁栄

(イギリス)
【ヴィクトリア女王】(位1837~1901)64年
ヴィクトリア時代=「世界の工場」
・ロンドン万国博覧会(1851)
世界初。英の国力を見せつけた

・パクス=ブリタニカ(イギリスの平和)
圧倒的な工業力と軍事力
世界に自由貿易主義を拡大

イギリス二大政党
【自由党(旧ホイッグ党)】グラッドストン
・産業資本家・労働者の支持
・自由貿易主義、平和外交
・アイルランド自治に寛容

【保守党(旧トーリ党)】ディズレーリ
・地主・貴族の支持
・保護主義、強硬外交
・アイルランド自治に否定的

ポイント②自由党と保守党の内閣
政策は違うけれど、目指すものは同じ

【グラッドストン(自由党)】国内
・教育法(1870)
学校を作った。投票の仕方などを教える。
・労働組合法(1871)
・第3回選挙法改正(1884)
農村、鉱山労働者に選挙権付与
注・✕アイルランド自治法案は「否決」される

【ディズレーリ(保守党)】外交(強硬)
・スエズ運河の支配(1875)
・インド帝国の成立(1877)
・ベルリン会議に参加(1878)

交代でバランスよく内外政策を進めた

 




(3)フランスの政体変遷

ポイント①念願の普通選挙!のはずが…
まとまらないフランスの第二共和政

(フランス)
二月革命(1848.2)で国王ルイ=フィリップが亡命
↓↓
【第二共和制】(1848~1852)
・臨時政府(1848.2)
ルイ=ブラン
(社会主義者・・労働者や失業者の支援)
・男性普通選挙の公約
・国立作業場(失業者対策)
↓↓
・四月普通選挙
社会主義力の敗北(産業資本家、農民から反発)
国立作業場の閉鎖
↓↓
・六月蜂起(暴動)→鎮圧
社会主義者、労働者が蜂起
↓↓
ルイ=ナポレオン
が大統領に
(ナポレオン1世の甥)
1851年クーデタ
武力で議会を解散。独裁体制に。

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ポイント②皇帝政治の復活!?ナポレオン3世の登場
フランスをどのようにまとめたの?

【第二帝政】(1852~1870)
ナポレオン3世 大統領→国民投票で皇帝に
ボナパルティズム(統治体制)ボナパルト風=ナポレオン1世と似た
→全フランス国民の利害対立を利用し政権を維持(独裁)
国内は平和

(多くの対外戦争)
・クリミア戦争(1853~1856)
・アロー戦争(1856~1860)
・インドシナ出兵(1858~1867)
・イタリア統一戦争(1859)
・メキシコ出兵(1861~1867)→失敗
・プロイセン=フランス(普仏)戦争(1870~1871)
スダンの戦いに敗れ捕虜となる
↓↓
第三共和制へ・・

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ポイント③第三共和制の時代
独裁者がいなくなったフランスはやはり・・

【第三共和制】(1870~1940)70年
臨時政府の発足
代表:ティエール→独(旧プロイセン)と休戦
独の条件を何でも飲む

↓↓ 弱腰に市民は反発

・パリ=コミューン(1871)
労働者による自治政府→独と仏政府ティエールに弾圧される
「血の1週間」

・初代大統領ティエール(任1871~1873)
第三共和制のスタート
しかし情勢は不安定・・


(4)イタリアの統一
ポイント①イタリア統一の難しさとは?
北部・中部・南部で異なる世界が展開

西のサルデーニャ王国が統一運動のメインとなる
北部:ロンバルディア・ヴェネツィア・南チロル(墺領)
中部:ローマ教皇領など(仏軍)
南部:両シチリア王国

※サルデーニャ王国領のサヴォイヤ、ニースは仏人が多い。

ポイント②統一運動の開始!
外交や交渉を駆使した巧みな統一方法

【サルデーニャ王国】(1720~1861)
国王:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
首相:カヴール(現実主義・冷静)→巧みな外交

・クリミア戦争参戦(露英仏VSトルコ)
英仏の要請→仏ナポ3世に顔を売った。。
サルデーニャの国際的地位が向上。

【イタリア統一運動】(1859)
・イタリア統一戦争(1859)
サルデーニャ王国 VS オーストリア
・北部ロンバルディア獲得(墺→伊)
↓↓
・中部イタリア併合
中部には仏軍がいる。ナポレオン3世と交渉
→仏にサヴォイア・ニースを割譲。
→併合を承認される。
↓↓
・南部:ガリバルディ(千人隊・赤シャツ隊)(元青年イタリア)
両シチリア王国を征服
→サルデーニャに領土を譲る
↓↓
イタリア王国の成立(1861)
↓↓
カブール没→大きな戦争に便乗する戦略に変わる。
・ヴェネツィア併合(1866)(墺→伊)
普墺戦争
(ビスマルクが事前に伊と同盟)
↓↓
・教皇領占領(1870)(仏→伊)
普仏戦争

ポイント③イタリア統一後のトラブル!!
イタリアが抱えた問題をみる

「未回収のイタリア」
トリエステ
南チロル(墺領土のまま)
→墺 VS 伊 対立に・・





(5)ドイツの統一
ポイント①ドイツ統一の難しさとは?
キリスト教の宗派対立が大きな問題となる

キリスト教の宗派対立
・プロイセン王国+北ドイツ→プロテスタント
VS
・西南ドイツ→カトリック
西南ドイツの本音「プロイセンよりオーストリア(カトリック)にドイツ統一してほしい・・」

プロイセン「墺が負けたら今度は仏に泣きつくかもしれない・・その2つとくっつくのは邪魔したい。」

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ポイント②ドイツは「鉄」と「血」で統一する!?
プロイセン王国がドイツの統一にむけて動き始める

プロイセン王国の統一(プロテスタント)

国王:ヴィルヘルム1世(位1861~1888)
↓↓ 任命
首相:ビスマルク(任1862~1890)28年(ユンカー出身)
「鉄血政策」
→ドイツ統一は、宗教が違うので話し合いや多数決ではムリ。武器(鉄)と兵士(血)で、軍事的に統一するしかない・・。

ビスマルクのドイツ統一の3つの戦争
[1]デンマーク戦争(1864)
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(ドイツ人が多い)(デ→普)
墺を誘って戦う。普〇 VS デ✕
墺との共同管理をもちかけていたが・・やっぱり墺には管理させない(挑発)
↓↓
[2]プロイセン・オーストリア(普墺)戦争(1866)
普〇 VS ✕墺
↓↓
・北ドイツ連邦を発足
プロイセンが盟主となってまとまる。西南ドイツは入らない。
「次は仏を討つ・・」

普墺戦争に敗れた墺は国の体制を変える・・
・オーストリア=ハンガリー(二重)帝国
ハンガリーに自治を付与して昇格させた。その代わりスラヴ人が暴動を起こしたら一緒に鎮圧してもらうことを約束。

・スペイン王位継承問題
普王ヴィルヘルム1世と仏が会談。
→ビスマルクは仏を無礼な態度だったと発表して挑発。
↓↓
[3]プロイセン・フランス(普仏)戦争(1870~1871)
ナポレオン3世 スダンで捕縛
普〇 VS ✕仏
仏が敗れたことで、西南ドイツは頼る相手がいなくなり、ドイツに組み込まれる。
↓↓
・ドイツ帝国成立(1871)
ドイツ統一達成
(仏ヴェルサイユ宮殿にて)

(岩倉使節団 訪独1873)


(6)ドイツの発展
ポイント①ドイツ帝国の大いなる発展!
イギリスを猛追するドイツの工業化

【ドイツ帝国】(1871~1918)47年
皇帝:ヴィルヘルム1世
宰相:ビスマルク(任1871~1890)

・連邦参議院
帝国各地の代表者。立法・条約。

・帝国議会
全ドイツ25歳以上の男性普通選挙で選ばれる。予算の審議権。

・普仏戦争→仏との講和条約(1871)
多額の賠償金とアルザス・ロレーヌを獲得(仏→独)
地下資源(石炭・鉄鉱石)豊富な鉱山地帯。
↓↓
・第2次産業革命(重工業)
保護関税法
輸入品に関税。国内産業を守る。
→1880年代末、工業生産数は世界第2位!(1位は米)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②「ドイツ国民」としての団結は超重要!
ビスマルクが徹底してこだわったこと

ドイツ国民の団結を揺るがすものはつぶす・・!
ドイツ「帝国の敵」を作る
[1]VS カトリック
・文化闘争
西南ドイツカトリック政党が反発
→ビスマルクは圧力をかける

【ビスマルクの社会政策】
[2]VS 社会主義勢力

・ドイツ社会主義労働者党の結成(1875)
世界初の社会主義政党

・社会主義者鎮圧法の制定
非合法とした。

労働者と資本家のけんかを止める。
「労働者は社会主義が守るんじゃなくて国が守るから!」
→疾病保険制度、災害保険法、養老保険法





(7)ビスマルク体制
ポイント①当時のヨーロッパは一触即発!?
問題を抱えていた国々とビスマルクの狙いとは?

[1]独 VS 仏
普仏戦争以降関係悪化・・(ドイツを許せない by 仏)

[2]露 VS 墺
バルカン半島をめぐり対立→ビスが三帝同盟で仲介

[3]伊 VS 墺
「未回収のイタリア」をめぐり対立→ビスが三国同盟で仲介

ポイント②目指すはフランスの孤立!
ドイツの安定のために外交述を駆使するビスマルク

【ビスマルク体制】(1870~1890年代)
ビスマルク(独)は、仏に露や墺と手を組んでほしくない。
挟み撃ちされたくない。仏を孤立させたい。

・三帝同盟(1873~1878)
ドイツ、オーストリア、ロシア

・ベルリン会議(1878)
主催者:ビスマルク
露・墺がバルカン半島をめぐり対立
独は墺の要求を飲んだ。
↓↓
ロシアはいったん手を離す。

・独墺同盟(1879)

・新三帝同盟(三帝協商)(1881~1887)
ドイツ、オーストリア、ロシアが再度手を結ぶ

仏と伊がチュニジア保護国をめぐってけんか。
↓↓
・三国同盟(1882)
ドイツ・オーストリア・イタリア

・新三帝同盟の崩壊

・再保障条約(1887~1890)
ドイツ・ロシアの秘密条約

「光栄ある孤立」
19C後半以降のイギリス

仏はビスマルクの思惑どおり、ひとりぼっちに・・

 


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