歴史note – ページ 13 – 歴史の学びメモ

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(23)「さらば半兵衛」(2026/6/14放送)

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『豊臣兄弟!』(23)「さらば半兵衛」(2026/6/14放送)メモ

【あらすじ】荒木村重(トータス松本)が謀反を起こした。独断で村重の説得に向かった官兵衛(倉 悠貴)は、捕らわれの身となってしまう。官兵衛が裏切ったという噂(うわさ)が流れる中、信長(小栗 旬)から、長浜で寧々(浜辺美波)が預かっている官兵衛の子を始末しろという命令が。半兵衛(菅田将暉)は、ためらう秀吉(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)に、幼い命を救う策を提案。だが、差配を任され長浜へ向かう半兵衛の胸には別の思惑があった。(ーNHK公式サイトより)


・毛利家
毛利家当主:毛利輝元
毛利家一門衆:小早川隆景
毛利家一門衆:吉川元春
毛利家外交僧:安国寺恵瓊
備前岡山城主:宇喜多直家

毛利家は領国安泰のために動く。それが父・毛利元就の教え。

・摂津・有岡城・荒木村重
明智光秀が説得に来るが、村重は応じず。

次に官兵衛も説得に来るが、捕まってしまう。
官兵衛も裏切ったと噂を流される。

信長は、人質の松寿丸(官兵衛の息子)を始末するよう命令。
半兵衛がその役を引き受ける。

松寿丸は長浜城(北近江)でねねに育てられていた。
安藤守就(もりなり)(慶の父)。

半兵衛は秀吉に責任が行かないように、自分が罪をかぶる(始末する)つもりだったが、小一郎の説得や、生まれた子を抱いたことで気持ちが変わり、結局、最初の策どおり、病気で亡くなった子を身代わりに出した。

信長に挨拶にいく。
「上様。これでお別れでござりまする。」
「竹中半兵衛、大義であった。」

・三木城を攻める秀吉の陣にて。
宇喜多直家が寝返る。毛利から織田側に付く。
(生野銀山の銀が調略に使われた。)

竹中半兵衛、没。(享年36)

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「豊臣兄弟!紀行」(23)

・三木城跡(兵庫県三木市)
天正6年、別所長治は織田から離反。壮絶な戦の場となる。秀吉軍は城を囲むように、山の稜線に沿って付け城を築き、平井山に本陣を置いた。

平井山の麓に、この戦のさなか病死した竹中半兵衛の墓がある。「秀吉は悲しみ劉備が孔明を失ったよう」という記述がある。

「秀吉限りなくかなしひ 劉備 孔明を失ひしに異ならず」
竹中重門(半兵衛の子)著『豊鏡』

 

法性寺/法成寺/法勝寺

 

名前 読み 建てた人 建立年
法性寺 ほっしょうじ 藤原忠平 924年
法成寺 ほうじょうじ 藤原道長 1020年
法勝寺 ほっしょうじ 白河天皇 1075年

・法住寺(ほうじゅうじ)・・後白河法王がいた場所

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(22)「播磨大誤算」(2026/6/7放送)

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『豊臣兄弟!』(22)「播磨大誤算」(2026/6/7放送)メモ

【あらすじ】
一度は播磨を手中に収めたかに見えた秀吉(池松壮亮)だったが、半兵衛(菅田将暉)の悪い予感が的中。服属したはずの国衆たちが反旗を翻し、呼応して毛利・宇喜多も挙兵する。しかも折悪く半兵衛の体調が悪化し、秀吉は味方を見捨てて撤退することに。自責の念にさいなまれる秀吉は、ある夜、足を踏み外して頭を打ち、なんと記憶をなくしてしまった! 小一郎(仲野太賀)は、秀吉の記憶を取り戻そうと手を尽くすが……。(NHK公式サイト)


・天正5年10月
秀吉・播磨出兵
国衆を次々と味方につけていた。
東播磨最大が別所氏。三木城。

・天正5年12月
尼子勝久、家臣・山中幸盛(鹿之助)。
毛利に滅ぼされるも再興をかける。上月城。

・三木城・別所長治が謀反。
織田側の加古川城を攻める。
高砂、志方(しかた)、神吉(かんき)、明石も味方。

・毛利・宇喜多が西播磨・上月城を攻める。
尼子軍
♪人の世は夢のまた夢 これ一定 楽しきも醒めやることも これ一定
(人の世は夢のようなもの。これが真実なのだ。楽しいことも、いつかその夢から醒めることも、またしかり・・。)

・囲碁で勝った半兵衛が、官兵衛に(真の)味方になってほしいと頼む。
「わしがそなたなら・・いったん織田について毛利を弱らせ、期を見て織田も滅ぼして、自分がのし上がる。それが一番面白い」と、官兵衛の本音を見抜く。

 

・上月城に織田の援軍は来ず。尼子は切腹。山中も討ち取られる。
秀吉軍は書写山 円教寺(えんぎょうじ)に。

・荒木村重(有岡城)、信長に毛利と通じていると疑われる。
(荒木家与力)
摂津・茨木城主・中川清秀
摂津・高槻城主・高山右近
の二人が、毛利家の安国寺恵瓊を連れてきてしまう。
→疑いが本当になってしまう・・。

荒木村重、謀反・・!

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「豊臣兄弟!紀行」(22)

・書写山・圓教寺(しょしゃざん・えんぎょうじ)(兵庫県・姫路市)
天台宗の別格本山として、平安中期の僧侶、性空上人(しょうくうしょうにん)が開いた古刹(こさつ)(古い由緒のある寺)。「西の比叡山」とも称された。

食堂(じきどう)に「羽柴小一郎」という文字が刻まれている柱が残る。

 

 

日本史 文化史と時代

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日本史
・時代と文化史

時代 文化史 世紀
 飛鳥時代 飛鳥文化 6~7C
 奈良時代 白鳳文化 7C
天平文化 8C
 平安時代 弘仁・貞観文化 9C
国風文化 10~11C
院政期の文化 12C
 鎌倉時代 鎌倉文化 13~14C
 室町時代 南北朝の文化 14C
北山文化 15C
東山文化 15C
 安土桃山時代 桃山文化 16C
 江戸時代 寛永期の文化 17C
元禄文化 18C
化政文化 19C
 明治時代 明治の文化 19C
 大正時代 大正の文化 20C
 昭和時代 昭和初期の文化 20C
戦後の文化 20~21C

 

 

 

日本史【13】院政(中世ー2)

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日本史【13】院政(中世2)
<院政>
・上皇・・院。譲位した天皇。太上天皇(だじょうてんのう)、治天の君(実質の政権の担い手)。
・法皇・・出家した上皇。

<統治機構>
・院庁(いんのちょう)・・院の役所。
・院司(いんし)・・院の近臣、側近。
・院宣(いんぜん)・・院の命令(直接)。
・院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)・・院庁から出る命令。
(これまで天皇は詔(みことのり)、宣旨(せんじ)、)

<軍事力>
・北面の武士(白河上皇)
・西面の武士(後鳥羽上皇)

<財政基盤>
(私有地から)
①荘園からの年貢。
上皇に寄進された荘園
・八条(女)院領(はちじょうにょいんりょう)・・鳥羽が寄進され、娘に伝えた荘園群
・長講堂領(ちょうこうどうりょう)・・後白河が寄進された荘園群

(公領から)
②知行国(院分国)からの年貢。
朝廷(天皇)が上皇に支配権を渡した国。(国司に任命)
知行国主=上皇

・平安の3人の上皇。白河、鳥羽、後白河

(1)<白河院政>
白河上皇
平氏:平正盛

《1086年》白河上皇、堀河天皇(8歳)に譲位。
→院政の開始(43年間)
・「北面の武士」の設置。院の警備をする武士。

・仏教崇拝
法勝寺(ほっしょうじ)建立。高野詣(こうやもうで)。熊野詣(くまのもうで)。

・僧兵の強訴(そうへいのごうそ)
僧が税金などの要求を強く迫る。

(南都北嶺)
・北嶺(ほくれい)・・比叡山・延暦寺の僧兵:日吉(ひよし/ひえ)神社の神輿(しんよ/みこし)をかつぐ。
・南都(なんと)・・興福寺(平城京)の僧兵:春日大社の神木をかつぐ。

・天下三不如意(てんか・さんふにょい)
(白河上皇が思い通りにならないもの)
①賀茂川の水、②双六の賽、③山法師(延暦寺の僧兵)

《1108年》平正盛(平清盛の祖父)(北面の武士)
源義親の乱を出雲で鎮圧。海賊を討伐。

(2)<鳥羽院政>
鳥羽上皇
平氏:平忠盛

《1129年》白河上皇没後、鳥羽上皇が院政開始。(27年間)

《1132年》平忠盛(清盛の父)、瀬戸内海の海賊を討伐し、昇殿を許される。

鳥羽没後・・
《1156年》保元(ほうげん)の乱

  〇 ✕
 〇後白河天皇 弟 兄 ✕崇徳上皇
〇藤原忠通(76) 兄 VS 弟 ✕藤原頼長
〇平清盛 おい おじ ✕平忠正
〇源義朝(頼朝の父) 兄 父 ✕源為義
弟 ✕源為朝

 

(3)<後白河院政>
後白河上皇
平氏:平清盛

後白河院政開始後、近臣が対立
《1159年》平治の乱

〇 平氏 ✕ 源氏
〇平清盛(父) VS ✕源義朝(父)
〇平重盛(子) ✕源頼朝(子)

→伊豆(静岡)へ配流

〇藤原通憲

(信西)

✕藤原信頼

後白河上皇が院政を開始するが、平清盛に実権を奪われる。
→平氏政権へ・・

<平氏政権>
後白河院
平氏:平清盛

保元・平治の乱のあと、平清盛が実権を掌握。
平氏政権(六波羅政権)
・外戚政策(貴族的)
・経済基盤・・知行国(公領・30国以上)と、荘園(私有地・500ヶ所)
・日宋貿易
輸入:宋銭→貨幣が流通するようになる
輸出:金
・港 大輪田泊(おおわだのとまり)(摂津・神戸)

《1167》平清盛 太政大臣になる
→貴族の役職に武士の清盛がなった。
(他には足利義満、豊臣秀吉ぐらい。)

※清盛は貴族と武士の両方の性格を併せ持つ。

《1177》鹿ヶ谷(ししがたに)の陰謀(京都・東山)
平氏打倒クーデター計画
by 俊寛(しゅんかん)、藤原成親、西光

《1179》後白河法皇を幽閉→院政停止

<治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱>・・源平の争乱

《1180》安徳天皇即位。高倉天皇と清盛の娘・徳子の子。
→清盛は外祖父に。

平清盛
_|
徳子=高倉天皇
__|
_安徳天皇

・以仁王(もちひとおう)(後白河の第三皇子)の、令旨(りょうじ)
→平氏追討・挙兵(失敗)

・福原に遷都。大輪田泊のそば。(5ヶ月で戻る。平安京の千年の歴史で、都が移ったのはこのときだけ。794~1868)

・源義仲が挙兵。信野・木曽

・富士川の戦い:源頼朝。駿河で平維盛に勝利→鎌倉に戻り、幕府を開く準備をする。

・南都焼き討ち
→興福寺や東大寺・大仏殿など、南都の寺社(反・平家)を、平重衡(清盛の五男)が焼き討ち。

《1181》平清盛、没
→後白河院、院政再開。

《1183》寿永二年十月宣旨
京都を荒らす木曽義仲や、西日本にいる平氏を討つよう、頼朝に依頼→東海道、東山道の支配権を与える。

《1184》一ノ谷の戦い(摂津/兵庫)
頼朝の弟ら、範頼(のりより)・義経が平氏を破る。

《1185》屋島の戦い(讃岐/香川)

《1185》壇ノ浦の戦い(長門/山口)
平氏滅亡。安徳天皇、入水。

《1189》奥州合戦:源頼朝が、義経をかくまったとして藤原泰衡を滅ぼす。

《1190》右近衛(うこのえ)大将・任命:頼朝は辞退。

《1192》征夷大将軍・任命:法王死後。
鎌倉幕府完成。