歴史note – ページ 16 – 歴史、学びメモ

どうする家康(3)「三河平定戦」メモ

「どうする家康」第3回「三河平定戦」メモ
(2023年1月22日放送)

今川氏真(いまがわうじざね)

鳥居忠吉(じい)が元康が三河に返ってくる日のためにコツコツ貯めてくれていた。米や金、槍や鎧など。

 

・刈谷城(かりやじょう)

水野信元(みずの のぶもと)=家康の母(於大・おだい)の兄。家康の叔父。
久松長家(ひさまつ ながいえ)=於大の再婚相手・家康の義父。

元康は3才の時に母と別れた。(母の兄が織田方に付いたので離縁された。)

本多平八郎忠勝は討ち死に・・ではなかった。

信長「うさぎを俺の目の前に・・」

 

元康の長女。亀姫。

 

今川家・吉良義昭(きらよしあきら)
東条城(とうじょうじょう)三河南部

評定(ひょうじょう)・・相談、会議

 

元康からの手紙 りんどう
花言葉 勝利

せなからの手紙 なでしこ
花言葉 純愛

 

元康が離反したため今川氏真は、松平家の家臣の妻らが処刑。

(史実では吉田(豊橋)城にて松平家の人質十三人が串刺し処刑された。
愛知県豊橋市には供養塔「十三本塚(とみもとづか)」がある。)

 

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ツアーズ
静岡県静岡市

家康の像(鷹狩)

静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)で家康の元服式が行なわれた。烏帽子親は今川義元。

駿府城は今川館の跡地に家康が建てた城。

 

どうする家康(2)「兎と狼」メモ

「どうする家康」第2回「兎(うさぎ)と狼(おおかみ)」メモ
(2023年1月15日放送)

1542年(とら年)か 1543年(うさぎ年)?
天文(てんぶん)11年/12年

父: 岡崎城 城主・松平弘忠(まつだいらひろただ)
母:於大の方(おだいのかた)

家康誕生
三河・岡崎城

おのこ=男の子
嫡男(ちゃくなん)=あとつぎ。正室が生んだ長男。

寅の年=1542年
寅の日=12月26日
寅の刻=午前4時頃

 

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大高城を囲む織田軍。
三河 120人 VS 織田軍 2000人

じいのセリフ
「治部の大夫(じぶのたいふ)様が・・」←官職名。今川義元のこと。

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戸田宗光(とだむねみつ)
父・弘忠の再婚相手の父

1547年 家康6才
織田家の人質になる。
(8才で今川家の人質になる。)

尾張・津島
息子:織田信長
父:織田信秀(のぶひで)

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松平昌久(まつだいら まさひさ)角ちゃん
大草(おおくさ)松平家の当主

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大樹寺(だいじゅじ)
岡崎城から北へ3Km

登譽上人(とうよしょうにん)
松平家の菩提寺である大樹寺の住職

・菩提寺(ぼだいじ)=一家の先祖代々を弔う墓地

・仕官(しかん)=武士が主君に仕えるようになること。

 

「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど  ごんぐじょうど)」

×   けがれたこの世を離れ、極楽浄土へ行け
〇 けがれたこの世をこそ、浄土にすることを目指せ

家康はこの言葉を旗印に使った。

松平 蔵人佐 元康
(くらんどのすけ)

必定(ひつじょう)=そうなるにきまっていること。

榊原 小平太 康政(さかきばら こへいた やすまさ)

 

 

どうする家康(1)「どうする桶狭間」メモ

「どうする家康」第1回メモ(2023年1月8日放送)「どうする桶狭間」

大御所(おおごしょ)
東照大権現(とうしょうだいごんげん)
神の君(かみのきみ)

家康の具足(ぐそく)←鎧(よろい)・兜(かぶと)など一式。
金陀美具足(きんだみぐそく)
久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)博物館所蔵。←ツアーズでやっていた。

1556年(弘治2年)駿府

・家康15才(元信)

徳川家康は今川義元の人質になっていた。
駿河(するが)の国、駿府城(すんぷじょう)にいる。(今の静岡県)
元服も駿府でやった。

三河の国の国衆(くにしゅう)(その国の国民)

松平 次郎三郎 元信(まつだいら じろさぶろう もとのぶ)

・仮名(けみょう)「次郎三郎」の部分
・諱(いみな)=実名(じつみょう)=「元信」や「家康」の部分

今川家
太守様(たいしゅさま)
父:今川義元(いまがわよしもと)
息子:今川氏真(いまがわうじざね)

岡崎家
・駿府にいた家臣
石川数正
平岩新吉(七之助)
鳥居元忠(彦右衛門)

・岡崎で待っていた家臣
鳥居忠吉(とりいただよし)(じい)
酒井忠次(さかいただつぐ)左衛門尉(さえもんのじょう)(えびすくいの人・四天王)
大久保忠世(おおくぼただよ)
本多忠真(ほんだただざね)(忠勝の叔父)
夏目広次(なつめひろつぐ)(夏目漱石の祖先)

本多忠勝(ほんだただかつ)(平八郎)

 

家康が父の墓参りに戻ってきたときは、岡崎城は今川家の代官(山田新右衛門/キャイーン天野君)がおさめていた。

ご城代様(ごじょうだいさま)。城主の留守中に代わって城を管理する者。

 

父:関口氏純(せきぐちうじずみ)
母:巴
娘:瀬名

お戯れを:ご冗談を
無体(むたい)な扱い:乱暴な、無礼な扱い

・家康16才
瀬名と結婚

・家康17才
元信から元康へ改名。
松平 蔵人佐 元康(まつだいら くらんどのすけ もとやす)

・家康18才
嫡男・長男 信康(のぶやす)誕生

・家康19才

「桶狭間の戦い」1560年・永禄(えいろく)3年
家康19才、信長27才

兵糧を持ち込んだのは大高城(おおたかじょう)

鵜殿長照(うどのながてる)がいた。

沓掛城(くつかけじょう)今川本陣

丸根砦(まるねとりで)
鷲津砦(わしづとりで)

下知(げち):上から下へ指図すること
狼藉(ろうぜき):乱暴なふるまい

「どうする家康」ツアーズ
久能山東照宮(くのうざん とうしょうぐう)静岡県、静岡市。
洋時計。鉛筆。眼鏡。

東照宮。徳川家康をまつる神社のこと。
神廟(しんびょう):家康の墓所。
なきがらをここへ埋めるように遺言した。

静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)

人物名

・松平忠輝(まつだいらただてる)、上総介(かずさのすけ)家康の六男

・北の政所/ねね/高台院
秀吉の正室。

浅井三姉妹

・長女
茶々(ちゃちゃ)/淀君/御母公(ごぼこう)
秀吉の側室。秀頼の母。

・次女
初(はつ)/常高院

・三女
江(ごう)/お江与(おえよ)
ニ代目将軍、徳川秀忠の正室。

・伊達政宗。独眼竜政宗。陸奥守。

・黒田官兵衛(別名:黒田如水(じょすい)・黒田孝高(よしたか)

・黒田長政(くろだながまさ)。黒田官兵衛の嫡男。

家康の政策

家康の政策

・士農工商
身分制度、階層を作る

・江戸城の大改築

・城下町造り

・鉱山開発
石見、但馬、佐渡、越後、伊豆の縄地など

・貿易振興
御朱印船9艘→150艘に。

・朝鮮と再交流。

・平戸をオランダとの貿易港として許可。

・キリシタン禁止令
スペインがキリスト教の布教を足がかりに日本征服を目論んでいると知ったため。

家康の家臣や周りの人々(江戸幕府以降)

・大久保長安(おおくぼ ながやす)
所務奉行、佐渡金山、一里塚を作る

・三浦按針(みうらあんじん)ウイリアム・アダムス(英)

オランダ船で漂着したところを家康に助けられた。(スペイン、ポルトガルは旧教、オランダ、イギリスは新教で対立している。)

大砲や造船に協力。幾何学、天文学など。

・藤堂佐渡守高虎

・長福(紀州頼宣)
・鶴千代(水戸頼房)

徳川家康ヒストリーその3

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー2

徳川家康 年表(1542-1616)

 

徳川家康ヒストリー3

■1584年(天正12年)43才

「小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦い」

秀吉VS家康・信雄(のぶかつ)信長の次男

決着が付かず。秀吉は信雄にすぐ謝り和議を結ぶ。

家康の次男の於義丸を秀吉の養子に出すことに。

秀吉の妹・朝日姫を家康の正室に。

大政所(おおまんどころ)(秀吉の母)も差し出す。

 

■1590年(天正18年)49才

・北条氏政・北条氏直親子の小田原城を攻め落とす。

 

・領地替え。

三河など東海5国から関東8国に代わる。

武蔵野の江戸に城を構える。

上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、武蔵、相模、伊豆、下総(しもうさ)、上総(かずさ)、安房(あわ)

 

1600年(慶長5年) 59才

「関ヶ原の戦い」

× 石田三成(西軍)VS 徳川家康(東軍)〇

 

1603年(慶長8年) 62才

征夷大将軍となり江戸に幕府を開く

 

■1614年(慶長19年) 73才

「大阪冬の陣」

 

1615年(元和(げんな)元年) 74才

「大阪夏の陣」

豊臣家 滅亡

 

1616年(元和2年) 75才

駿府城にて亡くなる。

「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」という神様としてまつられる。

 

 

徳川家康ヒストリー1

徳川家康ヒストリー2

徳川家康 年表(1542-1616)