応天の門 5巻 メモ
魂鎮め(たましずめ)
祭儀 神泉苑
針をなくした子の父
大宅鷹取(おおやけのたかとり)
権史生(ごんのししょう)
医師(くすし)
典薬寮の職員
歴史、学びメモ
応天の門 5巻 メモ
魂鎮め(たましずめ)
祭儀 神泉苑
針をなくした子の父
大宅鷹取(おおやけのたかとり)
権史生(ごんのししょう)
医師(くすし)
典薬寮の職員
応天の門 4巻 メモ
明石の藻塩焼き
(97.来ぬ人をまつほの浦の 夕なぎにを焼くや藻塩の 身もこがれつつ/権中納言定家)
<反藤原勢力>
・伴中庸(とものなかつね)
・式家 藤原良近(よしちか)
・源融(みなもと とおる)
・南家 藤原有貞
・大江公幹(おおえのきみみき)
参議 藤原時行(ときつら)
基経のいとこ
藤原良相(よしみ)の息子
応天の門3巻メモ
清和天皇の母。染殿。明子(あきらけいこ)。
・平安時代 天皇
50 桓武天皇
|
---------------
| | |
51平城天皇 52 嵯峨天皇 53 淳和天皇
|
54 任明天皇
|
55 文徳天皇
|
56 清和天皇
701年 国・群・里
国司、群司・里長
715年 国・群・郷
国司(こくし)、群司(ぐんし)・郷司(ごうし)
郷司・・税の取り立てが主な職務
島田忠臣
島田宣来子
応天の門 2巻 メモ
図書寮(ずしょりょう)
「神農本草経」「白氏文集(はくしもんじゅう)」
高子は良房の姪。基経の妹。
2人の父は長良。
長良(ながよし)は良房の弟か。
長良の三男が基経。兄は国経、遠経。
清和天皇は良房の娘の子。つまり孫。
自分の孫に自分の姪を嫁がせる計画。
道真の父、是善は帝の侍読(じどく)。
帝に仕え学問を教える学者。
在原業平
平城帝(へいぜいてい)の血筋。
従五位(じゅごい)左近衛少将(さこのえしょうしょう)
(警察署長みたいな感じかな?)
権少将(ごんのしょうしょう)
従者 是則(これのり)
検非違使
ーーーーーーーーーーーーーーーー
平安京
外郭との羅城門
朱雀大路
大内裏への入口が朱雀門(その先は貴族の社会)
大内裏の中
政治の象徴 朝堂院
正門の応天門
さらに内裏にいたるには
建礼門、承明門をぬけ、帝のおわします紫宸殿、清涼殿へ
貴族の一部の公達(きんだち)だけ
ーーーーーーーーーーーーーーーー
伴大納言(とものだいなごん)
主上(おかみ)、帝
清和天皇
摂政 北家 藤原良房
二条 高子姫
大内裏 八省院内 大学寮
菅原道真
父 菅原是好(これよし)の三男
紀長谷雄
(長谷雄は業平の妻の縁者)
文章生(もんじょうしょう)
狩袴(かりばかま)
藤原親嗣 式家 藤原百川の長男
良房の従弟(いとこ)
護摩を焚く。麻の匂い。
公卿(くぎょう)藤原家、ほか
婢女(はしため)
米二百石
(1石5万円として1000万?ん?そんなに?)
文章生試(もんじょうしょうし)
昭姫(しょうき)
三国時代の詩人。才女。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
貴族が学ぶべき学問のトップ
「紀伝道(きでんどう)」
中国の歴史と漢文
教員
文章博士 2名
学生
文章生(もんじょうしょう)20名
擬文章生(予備生) 20名
貴族の師弟は大学寮の寮試を受け、合格すると擬文章生になる。
式部省の年に一度の文章生試に合格すれば文章生となる。
エリートコースの狭き門。
貴族社会では文学が尊重されるようになった。
特に優秀な2名は文章得業生になり、秀才試(対策、方対策)に合格すれば官職に。
大学寮で漢書から史学、漢詩、漢文学を学ぶ。
屋敷内の灯明(とうみょう)
朱雀門より内(貴族社会)は地獄…。
なら応天門より先(政界)は鬼の本丸だ。
「どうする家康」第5回「瀬名奪還作戦」メモ(2023年2月5日放送)
元康の異父弟。源三郎。
於大の再婚相手・久松長家との子。
久松源三郎勝俊(ひさまつ・げんざぶろう・かつとし)
久松長家は元康に仕える。
・鵜殿長輝(うどのながてる)
上之郷城(かみのごうじょう)
・飯尾 連龍(いのお つらたつ)
遠江国 曳馬城(ひきまじょう)⇒後の浜松城
・岡部 元信(おかべ もとのぶ)
御方様(おかたさま)・・身分の高い人の夫人。
本多正信(ほんだまさのぶ)
奇策。西三河の豪族をだまし討ちにして一網打尽に。
側役(そばやく)・・そば近く仕える役目。そばづかえ。
服部党(はっとりとう)
松平清康公がお抱えになっていた。
服部半蔵保長(はっとりはんぞうやすなが)
二代目 服部半蔵正成(まさしげ)
父は忍び。自分は武士。
駿河の浜から師崎(もろざき)の港。
御屋形様(おやかたさま)・・戦国大名の敬称、尊称。
今川領・大崩海岸(おおくずれかいがん)
丑の刻(うしのこく)午前1時から午前3時。
出奔(しゅっぽん)・・逃げ出す
ーーーーーーーーーーーーーーーー
どうする家康ツアーズ
三重県伊賀市
千賀地城(ちがちじょう)
服部一族が居城としていた。
服部家は家康の祖父の時代から徳川家に仕えていた。
服部正成(まさしげ)は徳川十六将に。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「家忠日記」
徳川家康の家臣、松平家忠が記した。江戸時代前期に家康のころのできごとを記した書物。
伊賀忍者
戦国時代は、情報収集や敵地にひそかに火を放つなどの隠密(おんみつ)行動が主な役割だった。
現在のような忍者のイメージは江戸時代に作られた。
「伊賀流忍者博物館」三重県伊賀市
ーーーーーーーーーーーーーーーー
服部一族が大切にした敢国(あえくに)神社
黒党(くろんど)祭り。(毎年11月23日)
服部一族の祭り。
戦国時代に途絶えたが平成7年に復活。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
鉄砲漬(てっぽうづけ)
忍者の携帯食。
伊賀盆地特産の白瓜を使用。
「どうする家康」第4回「清州でどうする!」メモ
(2023年1月29日放送)
清州同盟
織田信長と徳川家康が同盟を結ぶ。
清州城。
柴田勝家
木下藤吉郎(秀吉)
お市
小牧山城から美濃をとる。
尾張と三河の国境(くにざかい)
境川(さかいがわ)と家康が提案。
信長が秒でそれでよい、と答える。
臣下(しんか)の礼をとる=臣下として服従する
軍門に下る=戦いに敗れて敵に降参する
大高城で家康が勝ったのは、わざと通してくれていたことを知る。。
今川義元をおびき出す作戦だった。
夜伽役(よとぎやく)
遊び女(あそびめ)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
どうする家康ツアーズ
愛知県清須市
清州古城跡公園
五条川
御園神明社(みそのしんめいしゃ)の近くで市が開かれた
・愛知県名古屋市
のちに家康が名古屋城を築いた。
清州の町を丸ごと城下に移す清州越(きよすごし)を行ない、清州城は名古屋城の部材の一部となった。
名古屋城西北隅櫓(せいほくすみやぐら)
清州櫓(きよすやぐら)
平成元年
清州城復活
(清州城守護館の外堀)
清須市
清州城信長まつり
清州からあげまぶし
天下とりにかけてとりの唐揚げひつまぶし
「どうする家康」第3回「三河平定戦」メモ
(2023年1月22日放送)
今川氏真(いまがわうじざね)
鳥居忠吉(じい)が元康が三河に返ってくる日のためにコツコツ貯めてくれていた。米や金、槍や鎧など。
・刈谷城(かりやじょう)
水野信元(みずの のぶもと)=家康の母(於大・おだい)の兄。家康の叔父。
久松長家(ひさまつ ながいえ)=於大の再婚相手・家康の義父。
元康は3才の時に母と別れた。(母の兄が織田方に付いたので離縁された。)
本多平八郎忠勝は討ち死に・・ではなかった。
信長「うさぎを俺の目の前に・・」
元康の長女。亀姫。
今川家・吉良義昭(きらよしあきら)
東条城(とうじょうじょう)三河南部
評定(ひょうじょう)・・相談、会議
元康からの手紙 りんどう
花言葉 勝利
せなからの手紙 なでしこ
花言葉 純愛
元康が離反したため今川氏真は、松平家の家臣の妻らが処刑。
(史実では吉田(豊橋)城にて松平家の人質十三人が串刺し処刑された。
愛知県豊橋市には供養塔「十三本塚(とみもとづか)」がある。)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ツアーズ
静岡県静岡市
家康の像(鷹狩)
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)で家康の元服式が行なわれた。烏帽子親は今川義元。
駿府城は今川館の跡地に家康が建てた城。
「どうする家康」第2回「兎(うさぎ)と狼(おおかみ)」メモ
(2023年1月15日放送)
1542年(とら年)か 1543年(うさぎ年)?
天文(てんぶん)11年/12年
父: 岡崎城 城主・松平弘忠(まつだいらひろただ)
母:於大の方(おだいのかた)
家康誕生
三河・岡崎城
おのこ=男の子
嫡男(ちゃくなん)=あとつぎ。正室が生んだ長男。
寅の年=1542年
寅の日=12月26日
寅の刻=午前4時頃
ーーーーー
大高城を囲む織田軍。
三河 120人 VS 織田軍 2000人
じいのセリフ
「治部の大夫(じぶのたいふ)様が・・」←官職名。今川義元のこと。
ーーーーー
戸田宗光(とだむねみつ)
父・弘忠の再婚相手の父
1547年 家康6才
織田家の人質になる。
(8才で今川家の人質になる。)
尾張・津島
息子:織田信長
父:織田信秀(のぶひで)
ーーーーー
松平昌久(まつだいら まさひさ)角ちゃん
大草(おおくさ)松平家の当主
ーーーーー
大樹寺(だいじゅじ)
岡崎城から北へ3Km
登譽上人(とうよしょうにん)
松平家の菩提寺である大樹寺の住職
・菩提寺(ぼだいじ)=一家の先祖代々を弔う墓地
・仕官(しかん)=武士が主君に仕えるようになること。
「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」
× けがれたこの世を離れ、極楽浄土へ行け
〇 けがれたこの世をこそ、浄土にすることを目指せ
家康はこの言葉を旗印に使った。
松平 蔵人佐 元康
(くらんどのすけ)
必定(ひつじょう)=そうなるにきまっていること。
榊原 小平太 康政(さかきばら こへいた やすまさ)
酒井忠次(さかいただつぐ)
徳川四天王の一人。
忠次の妻は、家康の継母、華陽院(けよういん)の娘、碓井姫(うすいひめ)で家康の叔母。