歴史note – ページ 15 – 歴史、学びメモ

応天の門 7巻

応天の門 7巻 メモ

弾正大忠(だんじょうだいちゅう)

紀貞則(きのさだのり)の一子
紀長谷雄

讃岐守 紀夏井(きのなつい)兄
紀豊城(きのとよき)弟

 

 

応天の門 6巻

応天の門 6巻 メモ

兄:源信(みなもとのまこと)

弟:源融(みなもとのとおる)
別荘、庭園など。
和歌の世界の再現を狙った。
彼の邸宅、河原の院。

右大臣 藤原良相。
藤原冬嗣の五男。良房の弟。

 

用語集 平安時代

公卿(くぎょう)・・太政官の最高幹部として国政を担う職位。太政大臣、左右大臣、大中納言、参議らの高官。

公達(きんだち)・・親王・貴族など身分の高い家柄の青少年。

節会(せちえ)・・宮中で節日などに天皇が臣下を集め、酒食を賜る公式行事。

庵主(あんじゅ)・・尼の総称

眷属(けんぞく)・・親しく従う者、脇侍。

大師(だいし)・・高徳の僧

応天の門 5巻

応天の門 5巻 メモ

魂鎮め(たましずめ)

祭儀 神泉苑

針をなくした子の父
大宅鷹取(おおやけのたかとり)
権史生(ごんのししょう)

 

医師(くすし)
典薬寮の職員

 

 

応天の門 4巻

応天の門 4巻 メモ

明石の藻塩焼き

97.来ぬ人をまつほの浦の 夕なぎにを焼くや藻塩の 身もこがれつつ/権中納言定家

 

<反藤原勢力>

・伴中庸(とものなかつね)

・式家 藤原良近(よしちか)

 

・源融(みなもと とおる)

14.「みちのくの」 河原左大臣

 

・南家 藤原有貞

・大江公幹(おおえのきみみき)

 

 

参議 藤原時行(ときつら)
基経のいとこ
藤原良相(よしみ)の息子

 

 

 

 

応天の門 3巻

応天の門3巻メモ

清和天皇の母。染殿。明子(あきらけいこ)。


・平安時代 天皇

50 桓武天皇
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51平城天皇 52 嵯峨天皇 53 淳和天皇
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54 任明天皇
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55 文徳天皇
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56 清和天皇


701年 国・群・里
国司、群司・里長

715年 国・群・郷
国司(こくし)、群司(ぐんし)・郷司(ごうし)

郷司・・税の取り立てが主な職務

 

島田忠臣
島田宣来子

 

応天の門 2巻

応天の門 2巻 メモ

図書寮(ずしょりょう)
「神農本草経」「白氏文集(はくしもんじゅう)」

高子は良房の姪。基経の妹。
2人の父は長良。
長良(ながよし)は良房の弟か。
長良の三男が基経。兄は国経、遠経。

清和天皇は良房の娘の子。つまり孫。
自分の孫に自分の姪を嫁がせる計画。

道真の父、是善は帝の侍読(じどく)。
帝に仕え学問を教える学者。

応天の門 1巻

在原業平

平城帝(へいぜいてい)の血筋。

従五位(じゅごい)左近衛少将(さこのえしょうしょう)

(警察署長みたいな感じかな?)

権少将(ごんのしょうしょう)

従者 是則(これのり)

検非違使

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平安京

外郭との羅城門

朱雀大路

大内裏への入口が朱雀門(その先は貴族の社会)

大内裏の中

政治の象徴 朝堂院

正門の応天門

さらに内裏にいたるには

建礼門、承明門をぬけ、帝のおわします紫宸殿、清涼殿へ

貴族の一部の公達(きんだち)だけ

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伴大納言(とものだいなごん)

主上(おかみ)、帝

清和天皇

摂政 北家 藤原良房

二条 高子姫

大内裏 八省院内 大学寮

菅原道真

父 菅原是好(これよし)の三男

紀長谷雄

(長谷雄は業平の妻の縁者)

文章生(もんじょうしょう)

狩袴(かりばかま)

藤原親嗣 式家 藤原百川の長男

良房の従弟(いとこ)

護摩を焚く。麻の匂い。

公卿(くぎょう)藤原家、ほか

婢女(はしため)

米二百石

(1石5万円として1000万?ん?そんなに?)

文章生試(もんじょうしょうし)

昭姫(しょうき)

三国時代の詩人。才女。

 

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貴族が学ぶべき学問のトップ

「紀伝道(きでんどう)」

中国の歴史と漢文

教員

文章博士 2名

学生

文章生(もんじょうしょう)20名

擬文章生(予備生) 20名

貴族の師弟は大学寮の寮試を受け、合格すると擬文章生になる。

式部省の年に一度の文章生試に合格すれば文章生となる。

エリートコースの狭き門。

貴族社会では文学が尊重されるようになった。

特に優秀な2名は文章得業生になり、秀才試(対策、方対策)に合格すれば官職に。

大学寮で漢書から史学、漢詩、漢文学を学ぶ。

屋敷内の灯明(とうみょう)

 

朱雀門より内(貴族社会)は地獄…。

なら応天門より先(政界)は鬼の本丸だ。

 

どうする家康(5)「瀬名奪還作戦」メモ

「どうする家康」第5回「瀬名奪還作戦」メモ(2023年2月5日放送)

元康の異父弟。源三郎。

於大の再婚相手・久松長家との子。

久松源三郎勝俊(ひさまつ・げんざぶろう・かつとし)

久松長家は元康に仕える。

 

・鵜殿長輝(うどのながてる)
上之郷城(かみのごうじょう)

・飯尾 連龍(いのお つらたつ)
遠江国 曳馬城(ひきまじょう)⇒後の浜松城

・岡部 元信(おかべ もとのぶ)

御方様(おかたさま)・・身分の高い人の夫人。

 

本多正信(ほんだまさのぶ)
奇策。西三河の豪族をだまし討ちにして一網打尽に。

側役(そばやく)・・そば近く仕える役目。そばづかえ。

服部党(はっとりとう)
松平清康公がお抱えになっていた。
服部半蔵保長(はっとりはんぞうやすなが)

二代目 服部半蔵正成(まさしげ)
父は忍び。自分は武士。

駿河の浜から師崎(もろざき)の港。

御屋形様(おやかたさま)・・戦国大名の敬称、尊称。

今川領・大崩海岸(おおくずれかいがん)

丑の刻(うしのこく)午前1時から午前3時。

出奔(しゅっぽん)・・逃げ出す

 

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どうする家康ツアーズ

三重県伊賀市
千賀地城(ちがちじょう)

服部一族が居城としていた。

服部家は家康の祖父の時代から徳川家に仕えていた。

服部正成(まさしげ)は徳川十六将に。

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「家忠日記」
徳川家康の家臣、松平家忠が記した。江戸時代前期に家康のころのできごとを記した書物。

伊賀忍者
戦国時代は、情報収集や敵地にひそかに火を放つなどの隠密(おんみつ)行動が主な役割だった。

現在のような忍者のイメージは江戸時代に作られた。

「伊賀流忍者博物館」三重県伊賀市

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服部一族が大切にした敢国(あえくに)神社

黒党(くろんど)祭り。(毎年11月23日)
服部一族の祭り。

戦国時代に途絶えたが平成7年に復活。

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鉄砲漬(てっぽうづけ)
忍者の携帯食。
伊賀盆地特産の白瓜を使用。

どうする家康(4)「清州でどうする!」メモ

「どうする家康」第4回「清州でどうする!」メモ
(2023年1月29日放送)

清州同盟
織田信長と徳川家康が同盟を結ぶ。

清州城。

柴田勝家
木下藤吉郎(秀吉)
お市

小牧山城から美濃をとる。

尾張と三河の国境(くにざかい)
境川(さかいがわ)と家康が提案。
信長が秒でそれでよい、と答える。

臣下(しんか)の礼をとる=臣下として服従する

軍門に下る=戦いに敗れて敵に降参する

大高城で家康が勝ったのは、わざと通してくれていたことを知る。。
今川義元をおびき出す作戦だった。

夜伽役(よとぎやく)
遊び女(あそびめ)

 

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どうする家康ツアーズ
愛知県清須市

清州古城跡公園

五条川

御園神明社(みそのしんめいしゃ)の近くで市が開かれた

 

・愛知県名古屋市

のちに家康が名古屋城を築いた。

清州の町を丸ごと城下に移す清州越(きよすごし)を行ない、清州城は名古屋城の部材の一部となった。

名古屋城西北隅櫓(せいほくすみやぐら)
清州櫓(きよすやぐら)

 

平成元年
清州城復活
(清州城守護館の外堀)

清須市
清州城信長まつり
清州からあげまぶし

天下とりにかけてとりの唐揚げひつまぶし