「平清盛」大河2012/総集編3
平清盛 1118年-1181年(享年64才)(松山ケンイチ)
1160年
武士として初めて政に参加できる公卿になった。
宋との交易を本格化。福原に港を作る。
宋銭。
源頼朝。伊豆・蛭ケ小島(ひるがこじま)八重姫。子ができるが八重姫の父は平家のため始末されてしまう。
清盛は財力を元に出世していく。
嫡男・平重盛も参議に。平一門を次々と公卿に推挙。三男宗盛、義弟時盛。
清盛の妻・時子の妹、滋子が後白河上皇の妃となる。
王家との関係が深まる。⇒子が生まれ、のちの高倉帝となる。
東宮大夫(とうぐうだいぶ)となる。東宮の長官。
内大臣へ昇進。
治天の君(ちてんのきみ)。天皇または上皇。
ついに太政大臣にまでなる。しかし100日で辞職。出家。
福原に移る。
清盛の弟、頼盛らとともに。
大和田泊(おおわだのとまり)。
海外との拠点にする。
大和田を博多のようにして、宋や高麗、天竺と交易し富を得る。その富で国を富ませる。それを朝廷ではなく平家一門でやるつもり。
「武士が頂に立つ姿」
清盛入道(きよもりにゅうどう)
清盛は時忠に命じて、赤い装束を着た「禿(かむろ)」を京にはなつ。
平家にさからったものは罰する。
時忠「平家にあらずんば人にあらず」
福原に朝廷も移す。
福原・大和田泊完成。
遷都。
1171
高倉帝の妃に清盛の娘・得子(とくこ)を入内(じゅだい)させる。
朝廷は皇族に武士の血が入ることを反発。
厳島の社で祈願。
中宮となった得子が武家と王家の結びつきを強める。
滋子が急死。後白河天皇と清盛の蜜月が終わる。。
1177 鹿ヶ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)
「平家を討つ」相談。
藤原成親(なりちか)、僧俊寛を流罪。僧西光は斬首。
言仁(ときひと)(のちの安徳帝)の誕生。
後白河法皇を討つことを重盛が体を張って反対する。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」
重盛が病に倒れて亡くなる。⇒後白河が重盛の所領を没収。
⇒「治承三年の政変」怒った清盛は法住寺殿へ兵を差し向ける。後白河を鳥羽の離宮へ移す。。
ついに清盛が国の頂点に立つ。
1180 安徳帝の即位。
都へ福原へ。遷都(せんと)。
公卿の不満がたまる。
「暗闇ばかり。。手に入れても光に届かぬ。。」
源頼朝・挙兵。。!
源平合戦の始まり。。
駿河・富士川の戦い。
清盛の孫:平維盛(これもり)
平氏は鳥の音を敵襲と間違い逃げ出す。
諸国の寺社も謀反。
還都(かんと)。
清盛は10年あまり過ごした福原の都を後にした。。
最後に後白河法皇と清盛が双六をする。。
平安の世はおわります。武士同志が戦わされてきた。今後は武士同志が派を争う世となります。。
後白河法皇「もうさようなところまでたどりついておったのか・・」
病床に倒れる清盛。頼朝の前に現れる清盛。。
「まことの武士とはいかなるものか見せてみよ・・」
1185 3/24 壇ノ浦の戦い
二位尼(にいのあま)(清盛妻・時子)
「海の底にも都はござりましょう・・」
平家滅亡。
源頼朝「平清盛なくして武士の世はなかった。。」