「平清盛」大河2012/総集編2保元・平治の乱
平清盛 1118年-1181年(享年64才)(松山ケンイチ)
1153
近衛帝は病に。
次の帝は崇徳上皇の皇子か。
鳥羽法皇は謝ろうとしたが、信西が阻止。
後白河天皇が美濃にいる。
1155
後白河帝の誕生。信西がコントロールするため。
1156 保元の乱
鳥羽法皇崩御。
崇徳院は政から遠ざけられた。鳥羽法皇、後白河天皇側を恨む。
崇徳院と左大臣・藤原頼長が手を組む。
〇 ×
(鳥羽法皇)
後白河帝 崇徳上皇
信西
藤原 藤原頼長
平清盛(おい) 平忠正(おじ)
源義朝(息子) 源為義(父)
清盛の弟:平頼盛
清盛の母(忠盛の妻):池禅尼。(忠正から見ると姉)
平氏を絶やさないため、忠正(叔父)は崇徳側についた。
清盛は、忠盛がなれなかった公卿(くぎょう)になり、政に関わり世を変えるのが目標。
白河の北殿(崇徳)を倒すため、後白河側は夜討ちをかける。
後白河側の勝利。
だが・・信西が申し付ける。
平清盛(おい)が平忠正(おじ)と、その子ら4人を斬首。
源義朝(息子)が源為義(父)を斬首。
息子・義朝が殿上人になったことを喜ぶ父・為義。。
為義「殿上人になったそうじゃな。」
義朝「はい。」
為義「もう20数年も前か。平氏の棟梁、忠盛が殿上人となったとき、わしは悔しくてならなんだ。だが今お前がこうしてわしの望みを叶えてくれた。まこと孝行なせがれじゃ。」
義朝「・・・」
為義「義朝、我が首をはねよ。源氏の棟梁の証のその太刀で。」
清盛は播磨守(はりまのかみ)に昇進。
義朝は左馬権頭(さまのかみ)止まり。
院の近臣
藤原信頼(のぶより)(つかっちゃん)
藤原成親(なりちか)
後白河天皇の遊び。今様(いまよう)の宴。
遊びをせんとや生まれけん・・
時子の妹、滋子。
保元の乱ののち、信西入道が朝廷の実権を握る。清盛と手を組む。
源義朝(よしとも)は低い官位のまま出世せず。妻・由良が亡くなる。
信西への反発
藤原惟方(これかた)
藤原経宗(つねむね)
諸国よりうすく広く税を集める。民の暮らしは上向きに。
信西の国造りに清盛はかけた。
清盛は自分が先に高みに登って、義朝を待つつもりだった。
だが不満を持った義朝と貴族が反乱。
信西を討てば、官位、領地も思いのままとそそのかされる。
1159 平治の乱
源義朝、謀反。
信西の館を襲撃。
藤原信頼(のぶより)(塚地)
藤原成親(なりちか)
藤原惟方(これかた)
藤原経宗(つねむね)
藤原信頼(のぶより)(塚地)が、三条殿(さんじょうでん)にいた後白河上皇、二条帝を幽閉。
義朝・謀反に驚く清盛(京から離れていた)。
嫡男平重盛(しげもり)は賢明であり、信西の源氏にへの冷遇を考えれば分かる話だと冷静に分析。
源氏の家臣。源頼政(よりまさ)
信西は自害。。
清盛は後白河上皇と二条帝の奪還に成功。
源氏と平氏の棟梁同志、源義朝と平清盛が戦うことになる。
賀茂川で一騎打ち。
「わが身は滅びても源氏の魂は断じて滅びぬ」
清盛は謀反に関わった貴族を処罰する。
貴族が武士に処断されるのは前代未聞。
義朝は落ち延びる途中、身内の裏切りにあい果てる。
頼朝を助けるように母・池善尼(いけのぜんに)から願われる。
友である義朝の刀、髭切(ひげきり)を頼朝に渡す。自分は下りないと宣言。
伊豆に流罪。
友・義朝の妻、常盤御前は清盛のもとへ。
清盛はついに武士で初めて公卿になった。
(朝廷に仕える三位(さんみ)以上の人。)