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世界史【13】中世ヨーロッパ世界の各国史

【13】中世ヨーロッパ世界の各国史
(1)イギリス・フランス史
(2)ドイツ史
(3)イタリア・イベリア半島・北欧
(4)ビザンツ帝国の歴史
(5)中世東ヨーロッパ諸国
(6)中世ヨーロッパ文化


(1)イギリス・フランス史
■ 中世イギリスの王様は最初から権力が強い!
⇒その後、王の権力を抑え、徐々に議会の力が強くなる。

・ノルマン朝(1066~1154)
ウィリアム1世(征服王)(1066~1087)
=ノルマンディー公ウィリアム
北仏のノルマンディー公国(ロロが建国)から来て、英を征服した。だから最初から王の力が強い。

・プランタジネット朝(1154~1399)
ヘンリ2世(位1154~1189)
=元々、仏の貴族、アンジュー伯爵だった。妻はアキテーヌ侯爵の一人娘。結婚によりアキテーヌ候領を継承。仏西部大半を領有。
↓↓
英王が仏の領土をたくさん持っているので、仏王との仲が悪くなる。対立が始まる・・。

ジョン王(位1199~1216)
・インノケンティウス3世に破門される。(1209)

・仏王フィリップ2世に敗北。(1214)
大陸英領土の大部分を喪失。

・マグナ・カルタ(大憲章)の承認(1215)
課税する時貴族の同意を必要とする。=王の力を制限する。

ヘンリ3世
貴族シモン・ド・モンフォールの反乱(1258)
シモン・ド・モンフォールの議会
諮問議会の開催(1265)・・イギリス議会の起源

エドワード1世
「模範議会」の招集(1295)・・身分制議会

エドワード3世(1327~1377)
・「二院制議会」・・上院(貴族院)と下院(庶民院)
・仏王位継承権に口出し→百年戦争

ーーーーーーーーーーーーーーーー

■ フランスの王様は権力が弱い
⇒少しずつ領土を広げ力が強くなる↑↑

・カペー朝(987~1328)
フィリップ2世(位1180~1223)
英王ジョンを破り、大陸の英領を没収。

ルイ9世(位1226~1270)
・アルビジョワ十字軍(第6回・7回)(1229)
→異端アルビジョワ派を討伐。南仏を征服。

・ルブルックをモンゴル帝国・カラコルムへ派遣。援軍を要請。

フィリップ4世(位1285~1314)
・三部会の開催(1302)
・アナーニ事件(1303)
・教皇のバビロン捕囚(1309~1377)

 

■ 100年にわたる対立。英仏百年戦争

・ヴァロワ朝(1328~1589)
王位継承権問題
フィリップ6世が仏王に即位してヴァロワ朝を開いたが・・英王エドワード3世がいちゃもんを付ける。「俺が仏王になる権利あるんじゃね?俺はカペー朝の仏王フィリップ4世の孫だぞ。」と王位継承権を主張。

フランドル地方(毛織物)の領有問題
↓↓
百年戦争(1339~1453)
初めは英優勢。→後に仏が巻き返す。

・英エドワード黒太子(エドワード3世の子)の活躍
クレシーの戦い(1346)
長弓兵の使用

ポワティエの戦い(1356)
仏王を捕虜とする
↓↓
仏王シャルル7世の反撃(位1422~1461)
聖女ジャンヌ・ダルクがオルレアンを解放。
仏の逆転勝利。
↓↓
英軍、カレーのみを残して撤退(1453)

その後・・
【英】
・バラ戦争(1455~1485)
ランカスター家🔴(ヘンリー7世)勝ち〇
VS
ヨーク家〇(リチャード3世)負け✕

王位継承権をめぐり争う。
ヘンリー7世が勝ち、テューダー朝(1485)を開く。

【仏】
・イタリア戦争(1494~1498)
仏が独(神聖ローマ皇帝)と対立。伊は戦地になった。

 


(2)ドイツ史(神聖ローマ帝国)
■ ローマ皇帝であるがゆえの苦悩
皇帝の力を強くする工夫は。

オットー1世(位962~973)(東フランク)
初代神聖ローマ皇帝

ローマ皇帝とは地上における神の代理。キリスト教世界を守る。
国内の諸侯が言うことを聞いてくれない(仏と同じ悩み)
↓↓
・帝国教会政策・・教会を味方に付けて諸侯に対抗しようとした。聖職者の任命権を皇帝が持つ。聖職者を仲間にしようとした。

・イタリア政策(10~12C)(シュタウフェン朝)
カトリックの中心地であるイタリアを支配下におさめたい。が、ドイツ国内が皇帝不在のため、諸侯が力を付ける。
↓↓
「領邦」の形成(13~14C)
諸侯の領土が独立国のようになる。外交もできる。通貨の発行。
300以上。
↓↓
叙任権闘争
ハインリヒ4世 VS グレゴリウス7世
カノッサの屈辱(1077)
これで聖職者を味方にする手段も失う。

■ 皇帝の努力が裏目に出た?
皇帝の言うことなんてもうきかない。

・大空位時代(1256~1273)約20年間
皇帝不在の時代

■ 皇帝はみんなで選ぼう
皇帝の選挙制度が確立。

・金印勅書の発布(1356)
皇帝カール4世
皇帝選出権。7人の選帝侯が皇帝を選ぶ。

1438年以降、皇帝位はハプスブルグ家が世襲

 





(3)イタリア・イベリア半島・北欧
■ まとまらないイタリア
北部・中部・南部でまったく違う社会。

北部は都市国家が乱立。(独立)
・ヴェネツィア共和国(アドリア海の女王)
・ジェノヴァ共和国
・ミラノ公国
・フィレンツェ共和国

____ミラノ
ジェノ____ヴェネ
____フィレ

・中部は教皇領(ローマ教皇の領土)

・南部はアラブ人(イスラーム教徒)→ノルマン人が奪う
ナポリ王国とシチリア王国→二つを合わせて「両シチリア王国」と呼ぶ。

■ イベリア半島。(現スペイン・ポルトガル)
キリスト教徒の土地を奪い返せ

※ずっと戦っているので王の力が強い。

・レコンキスタの進展。
国土回復運動(8C初~1492)
再び征服をしよう。

(キリスト教国家)
右から
・アラゴン王国(1035~1479)
・カスティリャ王国(1035~1479)
・ポルトガル王国(1143~1910)カスティリャ王国から独立。

ポル・カス・アラ
イ ス ラ ム

イサベル王女(カスティリャ王国)とフェルナンド王子(アラゴン王国)の結婚。
→スペイン王国(イスパニア王国)の成立(1479)
(ポルトガルが一足早くレコンキスタを完成させたので、焦っていた。)

ナスル朝の滅亡(1492)
グラナダ陥落

■ 北欧。北ヨーロッパの国々は合体
生き残りをかけて工夫。

・カルマル同盟(1397)
デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの同君連合(マルグレーテ女王)
デンマーク連合王国(デンマークがリーダー格)

カルマル同盟を組んだ理由→北海・バルト海商業圏(北欧商業圏)でドイツの都市国家に交易で負けそうになっていたから。以降、ハンザ同盟とバチバチ対立していくようになる。

 


(4)ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の歴史

ポイント①ローマ帝国の復活か

● ユスティニアヌス大帝(位527~565)(ユスティニアヌス1世)
ローマ帝国を復活させようとした。
(領土)
・ヴァンダル王国の征服
・東ゴート王国の征服
・西ゴート王国からイベリア半島南部を奪取
・ササン朝ペルシア(ホスロー1世)との抗争

・皇帝が政教一致の最高権力者として君臨。
(=政治も宗教のトップもやる。ローマ帝国のコンスタンティヌス帝と同じ考え方)

(法)
・『ローマ法大全』(534)の編纂
法学者トリボニアヌス

・ハギア=ソフィア聖堂(コンスタンティノープル)

(産業)
・絹織物業の育成。高級品を輸出。

ポイント②どんどん領土が小さくなる

ユスティニアヌス大帝の死後、異民族の侵入が増える。
→領土縮小(ギリシアとトルコの辺りのみ残る)
・ランゴバルド族の侵入
・ササン朝の攻撃
・アジア系民族(アヴァール人、ブルガール人)の圧迫
・イスラーム勢力の侵入

<ビザンツの工夫>
・軍管区制(テマ制)・・司令官に軍事・行政権を与え統括する。(秦の始皇帝の郡県制と同じ。)

・屯田兵制(兵農一致)・・兵士に土地を与えて防衛力を高める

・公用語:ラテン語→ギリシア語に。(ギリシア人が多いため。)
・宗教:ギリシア正教会

●ビザンツ皇帝・レオン3世(位717~741)
聖像禁止令(726)
聖画像(イコン)の崇拝を禁止
↓↓
聖像崇拝論争
ローマ教会と対立

ポイント③ビザンツを苦しめたある勢力とは?

セルジューク朝の圧迫(11C後半)
・小アジアを奪われる→十字軍

・プロノイア制(11C~)
統治を諦める。有力貴族に領土分割。

・第4回十字軍(1204)
ヴェネツィア商人主導。ラテン帝国建国→ビザンツ帝国は一時滅亡→立て直そうとしたが・・
↓↓
オスマン帝国の圧迫(13C末~)
メフメト2世によりコンスタンティノープル陥落(1453)
千年帝国の幕を下ろす・・。
↓↓
その後、ビザンツの役割(ローマ皇帝の地位とギリシア正教会の指導権)をロシアが引き継ぐ。

 





(5)中世東ヨーロッパ諸国

■ ポイント①スラブ人は住む場所によって宗教が違う
西スラヴ・南スラヴ・東スラヴの特色

・西スラヴ(神聖ローマ帝国・カトリック)
・南スラヴ(宗教が混在)
・東スラヴ(ビザンツ帝国・ギリシア正教)

___________東スラヴ(ギ)
神聖ローマ(カ)・西スラヴ(カ)
________南スラヴ(カ・ギ)
___________ビザンツ(ギ)

■ ポイント②西スラヴ・南スラヴの歴史

西スラヴ人(カトリック)
・ポーランド人(カトリック)
リトアニア大公国と合体
=ヤゲウォ朝(1386~1572)

・チェック人(カトリック)→チェコ
ベーメン(ボヘミア)王国

・スロヴァキア人(カトリック)

南スラヴ人(混在)
・セルビア人(ギリシア正教)
バルカン半島北部を統合→オスマン帝国により敗北

・クロアティア人、スロヴェニア人(カトリック)

1990ユーゴスラビア内戦につながる→セルビア VS クロアティア

ポイント③東スラブの歴史

東スラヴ人(ロシア人・ギリシア正教)
ビザンツ帝国の後継者

・ノブゴロド国(ノルマン人)(862)
リューリクがルースを率いて建国
→次第にスラヴ化

・キエフ公国(9~13C)
ウラディミル1世
ギリシア正教を国教化

・「タタールのくびき」
中国方面からモンゴル人が来て、支配される。

・モスクワ大公国(だいこうこく)(14~16C)
ビザンツ帝国の黒海挟んだ北側。ビザンツ帝国を継承。

・イヴァン3世(位1462~1505)
妻がビザンツ帝国の皇女。
ビザンツ帝国が滅亡(1453)→イヴァン3世が引き継ぐ。
「ツァーリ(皇帝)」を自称。

・イヴァン4世(1533~1584)(雷帝)
「ツァーリ」を正式に採用
皇帝の称号や、ギリシア正教会。
ロシアがビザンツ帝国を引き継ぐ。


(6)中世ヨーロッパ文化
■ ポイント①中世を象徴する学問の発達
神学研究と文学活動

スコラ学(キリスト教研究)
「哲学は神学の婢(はしため)」
(=「人間の考えよりキリスト教研究が上」の意)

・実在論 アンセルムス
「神って何だろうなんて考えるなんて恐れ多い。神は実在する」
VS
・唯名(ゆいめい)論 アベラール
「神とは何だと考えて何が悪い。キリスト教を信仰している証だ」
↓↓
この2人を取り持ったのが・・
・トマス・アクィナス(13C)
『神学大全』(カトリック神学の集大成)
「神を定義するのは難しいだろう。神は我々を作ったのだから・・」

↓↓しかしだんだん分離していく・・

・ウィリアム・オブ・オッカム(オッカム村のウィリアム)・・理性(考察)と信仰を分離
・ロジャー・ベーコン・・イスラーム科学の影響。実験と観察を重視。

文学(騎士道物語)
・『ローランの歌』・・カール大帝の対イスラーム戦
・『アーサー王物語』・・ケルト人の伝説的英雄
・『ニーベルンゲンの歌』・・ゲルマン神話。フン族の王アッティラも出てくる。

■ ポイント②大学の登場
イスラームの高度な科学が中世の大学に刺激を与える。

● 大学(universitasウニベルシタス)ラテン語
・ボローニャ大学(法学)現存するヨーロッパ最古の大学。北伊。
・サレルノ大学(医学)アラビア医学の影響。南伊。
・パリ大学(神学)中世神学の最高権威。仏。
・オクスフォード大学(神学)パリ大学をモデルに設立。英。

■ ポイント③教会建設は時代と地域によって個性あり

・ビザンツ様式(ビザンツ帝国で発達)(東欧)
ドーム(丸い屋根)とモザイク壁画(小さな石を組み合わせる)
(例)ハギア=ソフィア聖堂

・ロマネスク様式(11~12C)(西欧)
石造の天井を支える重厚な石壁。小さな窓。荘重感。
柱が分厚い石でできている。穴が開けられない。
(例)ピサ大聖堂

↓↓レベルアップする。木を重ねて高くする。

・ゴシック様式(12C末)(西欧)
尖頭アーチ(とがっている)とステンドグラス
(例)ノートルダム大聖堂(仏)(コンセントのような形)、ケルン大聖堂(独)

 


 

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世界史【12】中世ヨーロッパ世界の展開

【12】中世ヨーロッパ世界の展開
(1)ローマ=カトリック教会の発展
(2)ローマ=カトリック教会の全盛期
(3)中世西ヨーロッパ世界の膨張
(4)中世都市の発展
(5)封建社会の崩壊と教皇権の衰退


(1)ローマ=カトリック教会の発展
■ 西ローマ帝国滅亡後のローマ教会の苦悩

〇ローマ=カトリック教会
教会と国の関係。
民衆に教えを広めるのは教会。
緊急事態(敵襲)などは皇帝が教会を守る。

・西ローマ帝国(395~476)
ローマ教会
→西ローマ帝国が滅亡したとき、守ってくれる後ろ盾を探した。

・東ローマ帝国(395~1453)
コンスタンティノープル教会

・ローマ教会は「首位権」を主張。(イエスの一番弟子ペトロが亡くなったから)→自分をブランド化。ビザンツ帝国に守ってもらおうとした。

・教皇グレゴリウス1世がゲルマン人(主にブリタニア)への布教。
東ローマ皇帝が、ローマ教会もコンスタンティノープル教会も守る。

・ベネディクトゥス(480~547)
モンテ=カシノ(伊・中部)に修道院を建設。
「清貧・純潔・服従」→「祈り、働け」
→ローマ教会の力が強くなる。

・階層制組織
教皇(法王)ー大司教ー司教ー司祭
農村部では村落ごとに教会が設備

■ ローマ教会とビザンツ帝国が大ゲンカ

東西教会の対立。
ローマ教会 VS コンスタンティノープル教会
ローマ教会はゲルマン人への布教に絵、聖像を用いていた。

・聖像禁止令(726)
ビザンツ皇帝・レオン3世
イスラム教徒に攻められる原因を減らそうとした。

→ローマ教会は反発。ビザンツ皇帝と絶縁。
ローマ教会 VS ビザンツ皇帝
↓↓
ローマ教会はフランク王国をボディガードにした。
ローマ教会の支店でゲルマン国家などに干渉した。

これが中世西ヨーロッパの特徴。

 


(2)ローマ=カトリック教会の全盛期

■ 腐敗を許すわけにはいかない
ローマカトリック教会の内部改革。

・教会刷新運動(修道院運動)
神聖ローマ帝国がローマ教会の支店を利用し始めた。買収など。ローマ教会が焦る。

教会の腐敗
・聖職売買・聖職者の結婚
地位を売ったり、買ったり。教会の世俗化が進む。
↓↓
・クリュニー修道院(910)
教会刷新運動の中心。教会の改革は修道院を中心に行われた。

・シトー修道会(11C末)
仏中部の荒野に新しく村を作っていく。純粋なキリスト教を広める。

・托鉢修道会(13C)
フランチェスコ修道会(1209)アッシジ
ドミニコ修道会(1215)南仏
都心部を中心に正しいキリスト教を広めていく。

ローマ教会が神聖ローマ帝国に警告。
↓↓
・聖職叙任権闘争
教皇グレゴリウス7世 VS 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世
(↑クリュニー修道院の教会改革の精神を受け継いだ)
自分の命令が届かないので腐敗を正す。
聖職叙任権(聖職者を任命する権利)をめぐって対立。
教皇は皇帝を破門。
↓↓
カノッサの屈辱(1077)
皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に謝罪。破門は解かれた。
教皇〇 VS ✕皇帝
↓↓
ヴォルムス協約(1122)
叙任権は教皇が保持することが決定。

■ 教皇権の絶頂
世俗権力を押さえ込み西欧No1の力に。

〇インノケンティウス3世(位1198~1216)
「教皇(権)は太陽、皇帝(権)は月である」
(=メインは教皇だ。皇帝は飾りだ。)

・英ジョン王を破門。仏王、神聖ローマ皇帝も屈服させる。
・第4回十字軍を提唱(1204)

 





(3)中世西ヨーロッパ世界の膨張

■ 政治的な安定と気候の温暖化
穀物が今まで以上に収穫できる

10C頃から気候が暖かくなってくる。
・中世農業革命(10~12C)

・三圃制(さんぽせい)の普及
春耕地、休耕地に分け、3年周期で輪作。

・重量有輪犂(じゅうりょうゆうりんすき)
牛に犂を引かせる鉄製重量農具。広範囲に深耕が可能。

穀物がたくさん取れる。
→人口が増える
→土地が足りないので広げていく

・大開墾時代(12~14C)
修道院を中心に開墾。

・東方植民(12~14C)
エルベ川以東への進出。
ドイツ騎士団(キリスト教会が作った軍)が中心。

・国土回復運動(レコンキスタ)
イベリア半島。イスラーム教徒を追い出して、土地を奪い返そうという動き。

■ 教会の洗脳が行き届いた結果
荘園では教会が絶対。

巡礼の流行(11~12C)
・ローマ・・カトリック教会の総本山
・イェルサレム・・パレスチナ
・サンチャゴ・デ・コンポステラ・・イベリア半島のキリスト教の遺跡
いつかは聖地巡礼したい・・という気持ちが膨らむ。。

・ビザンツ帝国の危機
セルジューク朝がシリア、アナトリアに進出。ビザンツ帝国を圧迫。
ローマ教皇に救援を要請。
↓↓
ローマ教皇・ウルバヌス2世
クレルモン宗教会議(1095)
十字軍の派遣を提唱。

・聖地巡礼できる
・土地が手に入れられるかも
この2点で盛り上がる。

■ まさに中世を象徴するできごと
⇒なぜなら教皇がその権力で軍を動かしたから。武器は自費調達。

200年に及ぶ十字軍運動の開始
十字軍の歴史

・第1回十字軍(1096~1099)
聖地イェルサレムの奪還、回復。
イェルサレム王国の建国。

・第3回十字軍(1189~1192)
アイユーブ朝のサラディンがイェルサレムを占領。
英王リチャード1世、仏王、神聖ローマ皇帝が参加。

・第4回十字軍(1202~1204)
教皇インノケンティウス3世の提唱。
ヴェネチア商人の策略でコンスタンティノープルを占領。(ビザンツ帝国の都)
ラテン帝国(1204~1261)を建国。
本来の目的、聖地回復からズレていく。

・第6回、第7回十字軍(1248~1254、1270)
仏王ルイ9世の遠征
エジプト、チュニジアを攻撃するも失敗。

<十字軍の失敗の影響>
・教皇権への信頼、力が落ちていく。
・諸侯(軍の主力)も落ちる。
・国王の力が強まる。


(4)中世都市の発展
■ 商業ルネサンス
閉ざされていた西欧世界で商業が復活。
十字軍がきっかけで交易ルートが活発に。

①地中海商業圏

・東方貿易(レヴァント貿易)
アジアから香辛料、宝石、絹織物、(高級品・奢侈品(しゃしひん)、贅沢品)を輸入。
北イタリア・・ヴェネチア、ジェノヴァ、ピサ、ミラノ、フィレンツェ

②北ヨーロッパ商業圏
北海・バルト海交易
海産物、穀物、木材、毛皮、毛織物(生活必需品)を取引。
・北ドイツ・・リューベック、ハンブルク、ブレーメン

・フランドル地方(毛織物)
ガン(ヘント)、ブリュージュ、アントウェルペン

③内陸商業圏
地中海商業圏・バルト海商業圏を接続する、中継(なかつぎ)貿易で繁栄。
キエフ、ケルン、マインツ、アウクスブルク

・シャンパーニュ地方(仏東北部)
1年に5、6回の大規模な定期市。最大の商品集積地。

■ 中世の都市の特徴は
現代との違いは。

・中世都市
封建領主から特許状を取得(買収or闘争)
「自治権(=独立)」の獲得
中世の自治権とは独立した都市のこと

・コムーネ(自治都市)
北部・中部イタリア

・帝国都市(自由都市)
ドイツの皇帝直属の自治都市

・都市同盟
自治や商業を守るため都市同志が結束する。軍事同盟も。諸侯や王に対抗。
ロンバルディア同盟(12~13C)ミラノ中心、北イタリア
ハンザ同盟(盟主リューベック)北ドイツ

■ 都市は自由、人は不自由?
都市で生活する人々の暮らし。
領主からは自由になれたが、身分制度には縛られていた。

「都市の空気は(人を)自由にする」
(ドイツのことわざ)
都市自体が領主の支配からは独立しているという意味。人が平等というわけではない。

荘園の農奴が都市に逃げ込む。1年と1日住めば都市の市民になれる。
都市の独立性。諸侯や領主も手を出せない。

・商人ギルド(組合)
商業利益、相互扶助。
市政を掌握。

・同職ギルド(手工業者の組合)(ツンフト)
親方、職人、徒弟、と、厳格な身分制度があった。
親方だけが同職ギルドの構成員になれた。

・ツンフト闘争
市政を独占していた大商人・商人ギルドに対して同職ギルドが結束して戦う。





(5)封建社会の崩壊と教皇権の衰退
■ ついに崩れた!中世の象徴

※14世紀は、中世ヨーロッパの封建社会が崩壊し、諸侯・騎士・教皇が没落していくターニングポイント。

荘園制の崩壊
貨幣経済の普及(14C)

諸侯が十字軍の借金などで没落。

・貨幣地代への移行。
農民は農作物を市場などで販売。
領主への隷属制を弱める。

・農奴解放(13C)
死亡税や相続税などの撤廃や緩和が進展。
権利を貨幣で買い取る⇒自営農民となる。
領主は次第に地主化。

・黒死病(ペスト)の流行(14C)
農業人口の激減(人口の1/3を喪失)。
農民への待遇改善。農民の解放が進展。
↓↓
領主の収入も減る。
困窮化した領主が封建的な諸権利を再強化。(昔に戻そうとした)
↓↓
農民反乱が起こる
・ジャックリーの乱(1358)仏
(「農民ども」の意味)
↓↓
・ワット・タイラーの乱(1381)英
ジョン・ボール(思想的な指導者)
「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰が貴族であったか」

■ 教皇なんてもう怖くない
教皇の権威は衰退。キリスト教を見直す動きに。。
王の力が強くなる。
諸侯、騎士は延臣(ていしん)となる。
延臣(ていしん)・・国王に仕える家臣。

荘園制の解体と戦術の変化(鉄砲の登場。剣のプロ・騎士が没落)。

教皇権の衰退
〇仏王・フィリップ4世(位1285~1314)
聖職者への課税を提案。
教皇ボニファティウス8世と対立。
↓↓
三部会の開催(1302)
聖職者・貴族・平民からなる身分制議会。
国内の支持を得る。

・アナーニ事件(1303)
仏王フィリップ4世は教皇ボニファティウス8世をアナーニ(伊ローマ郊外)に幽閉。教皇は後に解放されるが憤死。

・教皇のバビロン捕囚(1309~1377)約70年
教皇庁(教皇の仕事場)をローマからアヴィニョン(南仏)に強制移転。管理下に置いた。
↓↓
・教会大分裂(大シスマ、1378~1417)約40年
混乱。自称教皇がローマ、アヴィニョン、ピサに登場。
↓↓
・宗教改革の先駆的な動き
「教会や教皇は要らない。聖書を読めばいい。」
教会批判
ウィクリフ(聖書の英訳)1320~1384
フス(聖書のチェコ語訳)1370~1415
↓↓
・コンスタンツ公会議(1414~1418)
教皇庁をローマに置き、教会大分裂は収束。(1417)

さらに教会が困っているときに教会の文句を言ったということで
ウィクリフ・フスは異端として、フスは焚刑される。(1415)

 


 

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世界史【11】中世ヨーロッパ世界の成立

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【11】中世ヨーロッパ世界の成立
成立期の中世ヨーロッパ世界をみる視点
(1)ゲルマン人の大移動
(2)フランク王国の発展
(3)第2次民族移動の時代
(4)封建社会の成立


(1)ゲルマン人の大移動
■  ゲルマン人の生活
古ゲルマン社会
ライン川、ドナウ川の北
先住のケルト人を圧迫しながら居住地域を拡大。
・民会(最高議決機関)
・従士制(有力者に忠誠を誓う)
・キリスト教が広まる(異端:アリウス派)

■  西ローマ帝国の命運
ゲルマン人の大移動(4~6C)
フン人の侵入。(匈奴の一派?)
ゲルマン人を圧迫。

・西ゴート人が南下開始(375)
ゲルマン人の大移動スタート。
西ローマ帝国に保護を求めて入ってくる。

・カタラウヌムの戦い(451)
西ローマ・ゲルマン〇 VS ✕フン人(アッティラ大王)
フン人の侵入を止めた。

・西ローマ帝国滅亡(476)
✕←ゲルマン人傭兵隊長オドアケル

■  ゲルマン人国家の乱立
なぜ短命なのか。
・西ゴート王国
イベリア半島
→ウマイヤ朝が滅ぼす(711)

・東ゴート王国
イタリア半島。テオドリック大王。
→ビザンツ帝国・ユスティニアヌス大帝が滅ぼす

・ヴァンダル王国
北アフリカ
→ビザンツ帝国・ユスティニアヌス大帝が滅ぼす

・ブルグンド王国
ガリア(仏)東南

・フランク王国
ガリア(仏)北

・ランゴバルド王国(ロンバルディア王国)
北イタリア

・アングロ=サクソン七王国(ヘプターキー)
大ブリテン島に建国
七つの国
エグバートの統一(829)
=イングランド

 


(2)フランク王国の発展
■ なぜフランク王国は長生きしたのか?
⇒改宗、防衛、ローマ教皇へ接近の3つ。
ローマ系住民や教会との関係。

〇フランク王国(481~843)約360年
(前半)
メロヴィング朝(481~751)
・クローヴィス(481~511)(建国)
異端アリウス派から、正統アタナシウス派に改宗

・トゥール・ポワティエ間の戦い(732)
ウマイヤ朝(イスラーム)✕ VS 〇フランク王国
宮宰(王のサポート)カール・マルテル

(後半)
カロリング朝(751~843~987)
・ピピン
ピピンの寄進(756)
ランゴバルド王国を攻撃し、ラヴェンナ地方を教皇へ献上
⇒ローマ教皇領の起源

■ 西ローマ帝国の復活?
・カール1世(カール大帝)シャルルマーニュ(位768~814)
(アッバース朝・ハールーン・アッラシードと使節を交換)

領土的にも文化的にもローマを復活させようとした

旧西ローマ帝国領土の回復
・ランゴバルド王国征服(北イタリア)
・ザクセン人(北ドイツのゲルマン人)の平定
・アヴァール人(アジア系遊牧民)を撃退

・カロリング=ルネサンス
古典文化(ローマ)の復興にも力を尽くした。アルクイン(英・神学者)を招く。キリスト教の発展、ローマ文化。
(都:アーヘン)

・伯(地方行政を担当)
巡察使を派遣して監察。
「伯爵」の語源。

・カールの戴冠(800.12.25)
ローマ教皇レオ3世がカール大帝に「ローマ皇帝」の帝冠を授ける。
⇒名目上「西ローマ帝国」の復活。

「ゲルマン」・「ローマ」・「キリスト教」の3要素の結合した世界を
「中世・西ヨーロッパ世界」と言う。

 





(3)第2次民族移動の時代
■ フランク王国の分裂

・ヴェルダン条約(843)
東フランク・西フランク・中部フランク

・メルセン条約(870)
東フランク・西フランク・中部フランク
ドイツ・フランス・イタリアの原型に

・東フランク(843~911)
カロリング朝の断絶→ザクセン家から王を選出。ザクセン朝。
↓↓
・神聖ローマ帝国(962)
オットー1世
マジャール人(アジア系遊牧民)を撃退。
ローマ教皇からローマ皇帝位を授与。(カール大帝がもらった冠と同じ状況)

・西フランク(843~987)
カロリング朝の断絶→パリ伯ユーグ=カペーが国王に。カペー朝。

・中部フランク
早くにカロリング朝の断絶→近代まで分裂状態

ほぼ同じ頃に・・↓↓

■ また民族の侵入?
第2次民族移動の時代。

・ノルマン人(北のゲルマン人)(ヴァイキング:入り江の民)
8Cから気温が下がってノルマン人が南下。

現住地:スカンディナヴィア半島、ユトランド半島。
デンマーク王国、ノルウェー王国、スウェーデン王国を建国。
海上ルートで移動。

〇ロシア
・ノブゴロド国(862)
リューリク(建国)。
ルーシ族(ノルマン人の一派・ロシアの語源に)を率いて建国。
↓↓
ノブゴロド国の将軍が南下。
・キエフ公国(862)
ドニエプル川流域。

〇北フランス
・ノルマンディー公国(911~1066)(現在・仏ノルマンディー地方)
ロロ(建国)

〇イギリス
アングロ・サクソン七王国が統一(イングランド王国)
アルフレッド大王がデーン人を撃退。
↓↓
・クヌート(1016~1035)(デーン人王子)再度、英を攻める。
(『ヴィンランド・サガ』)
イングランドを征服。イギリス、デンマーク、ノルウェーを支配。北海帝国。
↓↓
クヌートの死後、再びアングロ・サクソン系が支配

〇南イタリア
両シチリア王国(1130~1860)

古代ローマ以来の商業ルートが復活していく。


(4)封建社会の成立
■ 自らを守るための工夫
国王・諸侯・騎士の契約関係。

フランク王国の分裂、ノルマン人の侵入など、不安定な時代。

・封建制度
恩貸地制度(ローマ末期)+従士制(古ゲルマン)
(自分の土地を寄進して、そこから借りる。)

主君は家臣に封土(領地)を与える
↓↑ 双務的契約
家臣は主君に軍役の義務を負う

階層制(ヒエラルヒー)
・国王・・形式上のリーダー
・諸侯・・広大な支配領域と家臣を持つ有力者
(諸侯から選ばれた代表者が国王。学級委員長みたいな。国王の力はそんなに強くはない。)
・騎士・・騎乗して戦

※「封建時代」は自分の土地、財産を守るための工夫。みんなで守っていこうという制度。その守りたい「土地の話」がこちら↓↓

 

■ 西ヨーロッパは閉ざされた世界
荘園における農民の生活とは

・荘園(領主の所有地)

一つの村のようなもの。

〇2種類の土地
・領主直営地・・領主が直接経営した土地。
・農民保有地・・領主が農民に保有させた(=貸す)土地。

・不輸不入権(インムニテート)
国王の課税権や裁判権などの行使を、領主が拒否する権利。荘園内は閉ざされている。

・領主裁判権
領主が農民に対して行使した裁判権。理不尽でも絶対的。

・農奴(領主に隷属する農民・小作人)
賦役・・領主の土地を無償で耕作
貢納・・収穫物の一部を領主に収める(家賃)
十分の一税・・教会への税
結婚税・・結婚で領外に出る場合納入
死亡税・・相続税

閉鎖的な村で唯一の情報発信者が教会。
ローマ教会の発言を妄信的に信じていく。


 

・世界史タイトル一覧

 

 

世界史【10】イスラーム世界

250818
【10】イスラーム世界
(1)ムハンマド時代
(2)アラブ帝国からイスラーム帝国へ
(3)西方イスラーム世界
(4)東方イスラーム世界
(5)アフリカ・東南アジアのイスラーム化
(6)イスラームの社会・文化


(1)ムハンマド時代(610~632)

■ イスラーム教の誕生秘話
ビザンツ帝国 VS ササン朝 戦い
争いを避けて商人は南下。アラビア半島を行くようになる。

・アラビア半島(アラブ人)
メッカ
クライシュ族の支配、多神教、貧富の差

・ムハンマド(570~632)
メッカで生まれた。クライシュ族。ハーシム家。
神の啓示(610)→イスラーム教の創始。

■ ムハンマドの苦難の道
・ヒジュラ(622)聖遷
(=イスラーム暦の元年)
メッカで迫害。メディナへ移動

・ウンマ(イスラーム共同体・国)
・メッカを征服(630)
・ムハンマド死去(632)

・イスラーム・・神への絶対的服従。
・ムスリム・・イスラーム教徒。信者はみな平等。

■ イスラーム教
・アッラー・・唯一神

・「ムハンマドは『最後』にして最高の預言者」⇒モーセやイエスも預言者として認めている。イスラーム教はユダヤ教やキリスト教に影響を受けて生まれた。

・偶像崇拝の禁止。聖職者は存在せず。

・『コーラン』(クルアーン)・・聖典(650)
アラビア語で「読誦すべきもの」

・六信五行
(五行)
喜捨・・貧しい人への施し
断食・・ラマダーン

・カーバ神殿(メッカ)
立方体。メッカはイスラム教徒しか入れない。
イスラームの聖地:メッカ
第2の聖地:メディナ
第3の聖地:イェルサレム


(2)アラブ帝国からイスラーム帝国へ

■ カリフって何

・正統カリフ時代(632~661)30年
カリフ・・代理人。
ムハンマドの後継者。宗教的指導権はない。アッラーの声は聞けない。

・「正統カリフ」・・選挙で選ばれた4人
1. アブー・バクル
2. ウマル
3. ウスマーン(ウマイヤ朝)「コーラン」編纂
4. アリー

領土拡大
・ジハード(聖戦)
神のため自己を犠牲にして戦う。

・ニハーヴァンドの戦い(642)
正統カリフ〇  VS  ✕ササン朝ペルシア(イラン・イラクを征服)

・ビザンツ帝国からエジプト・シリアを奪う

・ミスル(軍営都市)を各地に建設

■ ウマイヤ朝の支配は苦痛
ウマイヤ朝(661~750)約90年
(都:ダマスクス)
・ムアーウィヤ(建国)シリア総督
カリフをウマイヤ家の世襲にした。さらなる領土拡大。

・西ゴート王国の征服(711)
イベリア半島。ゲルマン人国家。

・トゥール・ポワティエ間の戦い(732)
ウマイヤ朝✕  VS  〇フランク王国(メロヴィング朝)宰相カール・マルテル

・アラブ人のみ優遇、免税。
非アラブ人(イラン人、エジプト人)は、イスラーム教でもジズヤ(人頭税)、ハラージュ(地税)が課税される。

■ アッバース朝の支配は完璧
アッバース朝(750~1258)
(都:バグダード)
アブー・アル・アッバース(建国)(位749~7)

・タラス河畔の戦い(751)
唐✕ VS 〇アッバース朝
製紙法が唐から伝わる。

・5代 ハールーン=アッラシード(全盛期)
イスラーム帝国

・イスラーム教徒はハラージュのみ払う。
※人種に関係なく、イスラーム教徒はみなジズヤ免税。
・非イスラーム教徒はジズヤとハラージュを払う。

・アミール(軍隊の司令官・総督)が自立化

・モンゴル・フラグにより滅亡(1258)





(3)西方イスラーム世界

■ キリスト教徒と混在する地域

イベリア地方~マグリブ地方(北西アフリカ)
1.後ウマイヤ朝
2.ムラービト朝
3.ムワッヒド朝
4.ナスル朝

 

1.後ウマイヤ朝(756~1031)
都:コルドバ

2.ムラービト朝(1056~1147)
北アフリカのベルベル人が建国

3.ムワッヒド朝(1130~1259)
ベルベル人

4.ナスル朝(1232~1492)
都:グラナダ
アルハンブラ宮殿(獅子の噴水)
レコンキスタ

■ エジプトの王朝は商売上手!?

エジプト(都:カイロ)
1.ファーティマ朝
2.アイユーブ朝
3.マムルーク朝

 

1.ファーティマ朝(909~1171)
・シーア派。こだわりの強い派。
アリーの子孫のみが後継者と認める。(子孫のみにシーヤ)
・アズハル学院・・イスラム最古の大学

2.アイユーブ朝(1169~1250)
・サラディン(建国)
・十字軍

3.マムルーク朝(1250~1517)
・カーリミー商人を保護(アイユーブ朝の頃から活躍)
木造船を使った貿易。エジプトに莫大な富をもたらした。
ダウ船。三角の帆。地中海、インド洋。
(cf:中国商人はジャンク船)


(4)東方イスラーム世界

■ 中央アジア。東西交易の要衝にイスラーム教が浸透!

中央アジア
1.サーマーン朝
2.カラハン朝
3.西遼(カラキタイ)
4.チャガタイ・ハン国

カスピ海の東辺り。

1.サーマーン朝(875~999)
多くのトルコ人奴隷を西アジアに輸出して利益を得ていた。

2.カラハン朝(940~1132)
最初のトルコ系イスラーム王朝(※トルコ人奴隷が乗っ取った。)

3.西遼(カラキタイ)(1132~1211)
耶律大石(建国)(中国系)
(北宋時代に遼(契丹)が金に滅ぼされ、西へ逃げてきた。)

4.チャガタイ=ハン国(1227~14C後半)
(モンゴル系)
東西に分裂。西チャガタイハンからティムールが出る。
 

■ 西アジアが支配したイスラーム王朝

西アジア(イラン・イラク)
1.ブワイフ朝
2.セルジューク朝
3.ホラズム・シャー朝
4.イル・ハン国

カスピ海の南

1.ブワイフ朝(932~1062)
・シーア派
・バグダード入城。アッバース朝のカリフに圧力をかけ、大アミールの称号を得る。軍事、行政権を獲得。

2.セルジューク朝(1038~1194)
(トルコ系)
・トゥグリル・ベク(鷹の君主)(建国)
・ブワイフ朝を滅ぼしアッバース朝のカリフを救済。スルタンの称号をもらう。
・ビザンツ帝国を撃破。小アジア、エルサレム。十字軍の原因となる。
・イクター制の整備(ブワイフ朝で始まる)
軍人・官僚に土地の管理と徴税権を与えた制度。(給料を現金でなく)→オスマン帝国のティマール制へ。

3.ホラズム=シャー朝(1071~1231)
アフガニスタン方面へと領土拡大
→モンゴル・チンギス・ハンにより滅亡(1220 or 1231)

4.イル・ハン国(1258~1353)

・フラグ(建国)
アッバース朝を滅ぼす

・ガザン=ハン(全盛期)
宰相ラシード=アッディーン『集史』

 

■ インドにイスラーム教が浸透

インド
1.ガズナ朝
2.ゴール朝
3.デリー・スルタン朝
ー 1.奴隷王朝
ー 2.ハルジー朝
ー 3.トゥグルク朝
ー 4.サイイド朝
ー 5.ロディー朝

インドがヒンドゥー教からイスラーム教へ。
アフガニスタンから西北インドに成立した王朝

1.ガズナ朝(962~1186)
北インドに侵入を繰り返し、ヒンドゥー教の寺院を破壊。
フィルドゥシー『シャー=ナーメ』

2.ゴール朝(1148~1215)
北インドのイスラーム化を促進。

3.デリー・スルタン朝(1206~1526)
インド初のイスラーム王朝。
五つの王朝をまとめた言い方
(都:デリー)

①奴隷王朝(1206~1290)
・アイバク(建国)元奴隷
アフガニスタン(インダス川の西)からインドの西北

・クトゥブ・ミナールを建設(高い塔・イスラーム寺院)
インド最古の大モスク

②ハルジー朝

③トゥグルク朝
・イブン・バットゥータが来訪
・ティムールが征服

④サイイド朝
⑤ロディー朝





(5)アフリカ・東南アジアのイスラーム化
■ アフリカにも広がるイスラーム!?

〇西アフリカ(ニジェール川流域)
・サハラ交易
ニジェール産:金
↑↓
サハラ産:岩塩

(西アフリカ)
1.ガーナ王国
2.マリ王国
3.ソンガイ王国
(東南アフリカ)
モノモタパ王国
(アフリカ東海岸)
スワヒリ文化(マリンディ、モンバサ他)

1.ガーナ王国(7C~)

2.マリ王国(1240~1473)
(都:トンブクトゥ)
マンサ=ムーサ

3.ソンガイ王国
(都:トンブクトゥ)

〇東南アフリカ(ザンベジ川流域)
・モノモタパ王国(11~19C)
大ジンバブエ遺跡

〇アフリカ東海岸
・スワヒリ文化
スワヒリ語
現地語+アラビア語

スワヒリ文化の都市:マリンディ、モンバサ、ザンジバル、キルワ

 

■ 東南アジアは一部だけイスラーム化
イスラム商人が船で立ち寄る港町

東南アジア
1.マラッカ王国(マレー)
2.マタラム王国(ジャワ東)
3.アチェ王国(スマトラ北)

 

・マラッカ王国(14C末~1511)
マレー半島

・マタラム王国(1580~1755)
ジャワ島・東

・アチェ王国(15C末~1912)
スマトラ島・北

 


(6)イスラームの社会・文化
■ 活気にあふれるイスラーム社会
社会基盤
・シャリーア・・イスラーム法
(コーランやハディースが基となる)

・ハディース・・ムハンマドの言行の記録

・モスク・・礼拝施設。
ミナレット(光塔)が付いている→礼拝への呼びかけ

・マドラサ・・学院
・ウラマー・・学者・知識人
・ワクフ・・財産寄進の制度。モスクやマドラサの運営。

・市場・・スーク、バザール
・キャラバンサライ・・隊商宿

■ ヨーロッパよりも優れた高度な文明?!
ギリシアの哲学や科学がさらに発達。

文学
・フィルドゥシー『シャー=ナーメ(古代イラン王の書)』(10C)
ガズナ朝でイラン=イスラーム文化が開花。ペルシア文学の最高峰。

・ウマル=ハイヤーム『ルバイヤート』四行詩集(11~12Cセルジューク朝)
→太陽暦の作成

・『千夜一夜物語』『アラビアン・ナイト』(→ルイ14世から欧に広がる)

歴史学
・イブン=ハルドゥーン『世界史序説』(14C)
王様ではなく、人々の社会生活、環境(農業、商業など)に固有の文明があると考えた。当時、中国や欧にもない考え。
チュニス生まれ→ナスル朝(グラナダ)→晩年はマムルーク朝(カイロ)で仕えた。

旅行家
・イブン=バットゥータ『三大陸周遊記(旅行記)』(1304~1368?)
モロッコ(タンジール)生まれ。中国、インド、西アジア、アフリカなどを旅する。

哲学・神学
・イブン=ルシュド(ラテン語名:アヴェロエス)(11~12C)
アリストテレスの全著作に分かりやすい解説を付けた。→欧でも読まれる。

・ガザーリー・・スーフィズム(神秘主義思想)を研究。神をもっと近くに感じよう。体で表現。踊りながら神を感じる。一般に受け入れられた。

科学(医学・数学)
・イブン=シーナー(ラテン語名:アヴィケンナ)
『医学典範』(10~11C)手術、薬の研究。→欧で読まれる。

・フワーリズミー・・インド数学を導入。代数学の発展。

芸術
・アラベスク・・美術工芸品、建築の模様(植物の茎など)
・細密画(ミニアチュール)・・精密な技法。挿絵、写本の絵画。


・世界史タイトル一覧

 

世界史【09】東アジア文明圏の形成(隋・唐)

250817
【06】東南アジア前近代史
(1)隋の時代
(2)唐の政治体制の確立
(3)唐の支配体制の動揺
(4)唐の社会経済と周辺諸国との関係
(5)唐の文化
隋(大興城(長安))→唐(長安)


(1)隋の時代
〇優秀な人材を集めるために
■ 隋(589~618)約30年
(都:大興城(長安の近く))

初代・文帝(楊堅)
北周から禅譲。
先に北を抑える。
・突厥(トルコ系)を攻撃→突厥は東西に分裂(583)
次に南へ。
・陳の征服(589)

・科挙(598)
学科試験。貴族の高級官職独占を防ぐ。
身分、家柄を問わず優秀な人材を採用。

〇中国の南北をつなぐ大動脈
2代・煬帝(楊広)(604~618)
煬:「天に逆らい民を虐げた愚か者」の意
帝:わざと「だい」と読む。皇帝の器ではない。
・大運河の造営
・長城の修復
・高句麗遠征の失敗(3回)

〇三大制度の確立
隋・唐で整備。中国統治体制の基盤となる

・均田制(土地制度)
国が土地と民を管理する。
北魏で始まり、隋・唐で整備される。唐の半ばまで続く。
牛、妻、奴隷への給田を廃止。→金持ち優遇を是正。

・租調庸制(税制)
租(穀物)調(布)庸(労役)

・府兵制(兵制)
西魏で始まる。均田制で土地を支給された農民から徴兵。
首都や辺境の警備。その間税金は免除。


(2)唐の政治体制
〇皇帝の力の強弱は?→弱い
■ 唐(618~907)(都:長安)
★初代・高祖(李淵)
隋の武将

★2代・太宗(李世民)626~649
・貞観の治

・三省六部
皇帝の力はあまり強くない。貴族が決定権を持つ。

三省(中央政府の最高機関)
ー 中書省・・詔勅(皇帝の命令)の立案
ー 門下省・・詔勅を審議(←権限が最も強い。貴族が独占)
ー 尚書省・・詔勅の施行
↓↓
六部(6つの官庁の総称)
吏・戸・礼・兵・刑・工
吏部(文官の人事)、戸部(財政)、礼部(礼儀・教育)、兵部(軍事)、刑部(司法)、工部(土木)

御史台(官吏の監察)

〇安定した統治体制の完成。
・律令国家体制
法律による統治体制→朝鮮、日本、ベトナムなどに波及。
律(刑法)
令(行政法・民法)
格(さらに付け加えたいとき)
式(実行に当たっての注意点。さらに細かいルール)

・州県制(隋・唐に確立)・・≒ 郡県制(秦)。皇帝が任命した役人が統治。
・東突厥(モンゴル高原)を征服(630)

・科挙(官吏登用)
・均田制、祖調庸制、府兵制
・雑徭(ぞうよう/ざつよう)・・地方官庁での力役(りきえき)。橋の修復など

〇中国皇帝のプライド?
周辺の異民族に対する中国の支配方法は。

3代・高宗(649~683)
・領土が最大に
・白村江の戦い(新羅を支援)
・西突厥を攻撃。分裂。

・羈縻(きび)政策(異民族統治)
各部族長に自治を与え、異民族の文化、宗教を容認。ただし反乱は許さない。
↓↓
「都護府」の設置。
官吏と軍隊が駐屯。異民族の自治を監督。





(3)唐の支配体制の動揺
〇中国史上唯一の女帝
■ 周(武周)
則天武后(位690~705)
3代・高宗の妻。子の代わりに即位した。
・科挙官僚の積極的登用。貴族勢力を抑圧。

〇女性の心を奪われた玄宗
★6代・玄宗(位712~756)
開元の治
・節度使の設置
周辺異民族にそなえて儲けられた軍の指揮官。国境を守ろうとした。

・募兵制の実施
均田農民の没落・逃亡を受けて金銭で兵を徴集。

しかし後半は・・
・楊貴妃を溺愛
政治の乱れ、豪奢(ごうしゃ)な宮廷費
↓↓
・安史の乱(755~763)
節度使の安禄山(ソグド系)、史思明の反乱。
(中央アジアのイラン系)
異民族ウイグルの支援を得て平定。
↓↓
均田制が崩壊。
羈縻政策の破綻。

〇財政の再建策が持つ「意義」
税制の改革。財政の再建をめざした。

★両税法の制定(780)
・夏・秋に分けて徴税
・土地の所有者が税を負担
各戸の資産に応じた銭納。耕作面積に基づく穀物納入。
↓↓
均田制の崩壊。
「もう土地は誰が持っていても、国は干渉しない。」

★黄巣の乱(875~884)
塩の密売商人。国の塩の専売に反発。

・荘園(貴族の土地)の荒廃
・地方の節度使(軍人)が自立化。(もう王朝のいうことを聞かない。)
↓↓
・藩鎮(節度使のレベルアップバージョン)・・節度使が軍事権、財政権、民政権の3種を掌握。

★唐の滅亡(907)
・節度使の朱全忠
唐を滅ぼして後梁を建国。


(4)唐の社会経済と周辺諸国との関係
〇国際色豊かな社会
外国商人、文化との接触
・ムスリム(イスラーム教徒)商人
ダウ船。ヨットのような大きな帆。海上貿易。

・ソグド人(イラン系)
内陸の交易

・阿倍仲麻呂(698~770頃)
玄宗に仕えた。日本に帰れず。

〇貿易都市や商業都市の成立
・長安・・唐の最盛期(8C初)人口100万人

・広州(広東省)
南海貿易の拠点。初めて市舶司(海上貿易を管理する官庁)が置かれた。

・揚州(ようしゅう)
長江北岸

・草子(そうし)(都市の城郭外に開設)
非公認の市。商人が集まった。
「粗末な市」の意味。唐末から発生。

〇冊封体制と羈縻政策

★冊封(さくほう)体制
・中国が周辺「諸国」と形式上の君臣関係を結んで形成された国際秩序。
・朝貢した首長に対し官爵を与え、その統治を承認する。

朝鮮、日本、東南アジアなどから。
・青海・チベット(唐の西方)・・吐蕃(とばん)(7~9C)
・雲南地方・・南詔(~902)
・東南アジア・・チャンパー、シュリーヴィジャヤ
・朝鮮・・新羅、渤海国

★羈縻(きび)政策
・周辺「異民族」に対して取った政策。遊牧民。
・唐の北方(モンゴル高原)など。
・各地の部族長に対して自治を認める間接統治。
・都護府を設置し周辺異民族を監督。





(5)唐の文化
〇国際色豊かな文化
・ポロ競技(西アジア起源)
(乗馬ホッケーのようなもの)

・唐三彩
唐代で作られて東アジアに広まる

★宗教
・仏教
浄土宗・・阿弥陀仏信仰。極楽浄土への往生。一般に広まった。
禅宗・・禅、瞑想、座禅など。知識人に。

・唐代三夷教
・ゾロアスター教(祆教)
・マニ教(摩尼教)・・ウイグルで国教化
・景教・・ネストリウス派キリスト教

・イスラーム教
回教、清真教

〇儒学の発達
唐の統治を支えた。

★訓詁学の確立。
訓詁学とは後漢に始まった経書の字句解釈。

・孔穎達(574~648)
『五経正義』・・五経の解釈を統一、固定化した。(古文単語帳のようなもの)
→科挙のテキストになった。暗記中心に。
VS
・韓愈(韓退之)
儒学の固定化に反発。儒学を昔に戻そう。儒学の復興を主張。仏教や道教を排撃。柳宗元と共に古文の復興もめざす。唐宋八大家の一人。

〇芸術分野の発達
★詩
・李白(701~762)
詩仙。自由奔放。

・杜甫(712~770)
詩聖。妻子と流浪の生活を送る。

・白楽天(白居易)(772~846)
「長恨歌」玄宗と楊貴妃の悲恋。

・王維(701~761)
「詩中に画あり、画中に詩あり」
自然をテーマに。山水画も描く。

★山水画
・呉道玄(8C)
人物、神仏

★書
・顔真卿(8C)
力強い書風。安史の乱を抑えた軍人でもある。

 


・世界史タイトル一覧