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世界史【18】ルネサンスと大航海時代

250909
【18】ルネサンスと大航海時代
(1)ルネサンスの始まり(14~16C)
(2)イタリア=ルネサンス
(3)ヨーロッパに拡大するルネサンス
(4)大航海時代の幕開け(15~16C)
(5)ヨーロッパ人の「新発見」
(6)古代アメリカの謎に迫る!


(1)ルネサンスの始まり
ポイント①なぜ大昔の文献を読む必要があるの?
ルネサンスは人間らしさを求めた時代

・ルネサンス(文芸復興)とは
14Cにイタリアで始まる。15C~西ヨーロッパへ。
14C(1300年代)は教会の権威がゆらいだ時代。十字軍の失敗など。

教会・神中心の価値観
↓↓
個人・個性を重んじる人間中心の価値観へ

基本精神:ヒューマニズム(人文主義)
人間の理性や尊厳を尊重・・ヒューマニスト

キリスト教世界が浸透して1000年・・人間らしく生きる方法が分からない。。その頃の本を読もう。
↓↓
・ギリシア・ローマの古典を研究
教会の価値観から離れた人間社会の赤裸々な描写

ポイント②なぜルネサンスはイタリアで始まるの?
当時のイタリアにはルネサンスがおこる条件がそろった

・イタリア=ルネサンス(14~16C)
ギリシア知識人の亡命。

オスマン帝国がビザンツ帝国(ギリシア)を圧迫(14C)
↓↓
ビザンツ帝国内のギリシア文化の知識人・学者がイタリアへ亡命

・メディチ家
フィレンツェの大富豪
毛織物・金融業・東方貿易で繁栄

・教皇レオ10世の保護
(メディチ家出身。ジョヴァンニ。)
↓↓
ローマ教皇に保護されているので、イタリア・ルネサンスは教会批判、金持ち批判はできなかった。限界。(西ヨーロッパでは教会批判できた。)

 


(2)イタリア=ルネサンス
ポイント①人間らしさを赤裸々に表現
イタリア・ルネサンスの文学・美術

(文学)
イタリア・ルネサンスの先駆者
・ダンテ『神曲(しんきょく)』(1265~1321)
トスカナ語で記述。(キリスト教は普通ラテン語)
「聖職者ローマ教皇のためではなくて、トスカナ地方の地元の人達が読みやすい本を書いたんだ。」

・ペトラルカ『叙事詩集』古代ローマ・古典ブームの火付け役
・ボッカチオ『デカメロン』14Cペスト流行のフィレンツェ。喜怒哀楽、色と欲。人間らしさ。

(政治学)
・マキァヴェリ『君主論』・・イタリア統一の必要性を説く。
「イタリアを統一するにはライオンの勇猛とキツネの狡知が必要。」
冷酷非道なリーダー論。(優れた君主の例としてチェーザレ・ボルジアを挙げている)

(美術)
・ジョット・・ルネサンス絵画の先駆者
・ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』『春』
・ミケランジェロ(1475~1564)『最後の審判』『天地創造』(天井画)システィーナ礼拝堂。ローマ教皇を選ぶときに使われる場所。現在も同じ。
『ダヴィデ像』
・レオナルド=ダ=ヴィンチ(1452~1519)『最後の晩餐』『モナ=リザ』彫刻・建築も。万能の天才。
・ラファエロ(1483~1520)多くの『聖母子像』マリアとイエス、『アテネの学堂』(ヴァチカン宮殿)

 

ポイント②教皇だってオシャレに暮らしたい?
ローマ教皇がおこなった文化活動の保護

建築(ルネサンス様式)
・サン=ピエトロ大聖堂(ヴァチカン市国)
カトリックの主聖堂。
教皇レオ10世が資金調達のために贖宥状の販売を許可。
ブラマンテ・・最初の設計者

・サンタ・マリア大聖堂(フィレンツェ)
ブルネレスキ・・赤レンガのドームを設計。

 




(3)ヨーロッパに拡大するルネサンス
ポイント①ルネサンスが西ヨーロッパに拡大する
宗教改革につながる重要な思想

北方ルネサンス(ネーデルラント)=現オランダ・ベルギー・ルクセンブルク(ベネルクス3国)
・エラスムス『愚神礼賛(ぐしんらいさん)』
16C最大の人文主義者。
カトリック教会、聖職者、王の腐敗を批判→宗教改革につながる。ルターも影響を受けた。

・ファン・アイク兄弟:油絵の技法の改良
・ブリューゲル『農民の踊り』当時の様子が分かる

北方ルネサンス(ドイツ)神聖ローマ帝国
・デューラー宗教画『四人の使徒』
・ホルバイン肖像画。『エラスムス像』。個人の絵、一般市民を描くのは珍しかった。『ヘンリ8世像』

北方ルネサンス(フランス)
・ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』
巨人の親子を題材におかしく仏社会を風刺。
・モンテーニュ『エセー』(『随想録』)

北方ルネサンス(スペイン)
・セルバンテス『ドン=キホーテ』・・近代小説。時代錯誤の騎士。

北方ルネサンス(イギリス)
・チョーサー『カンタベリ物語』・・社会風刺
・トマス=モア『ユートピア』・・架空の理想社会。(エラスムスと友人。ヘンリ8世に処刑される)
・シェイクスピア『ハムレット』『リア王』『マクベス』『オセロー』四大悲劇。

 

ポイント②ルネサンスは発明の時代
個人の能力が尊重される時代

ルネサンス三大発明(14C以降)
(ホントは「改良」。もとは中国・宋代に「発明」されている。)
・火薬・・鉄砲の発明。騎士の没落。
・羅針盤・・方位。コンパス。遠洋航海術を前進。
・活版印刷・・活字を組み合わせて原板を作る印刷方法。グーテンベルク(独)

天文学
・天動説・・地球が中心。中世キリスト教世界で支持。(ローマ文化で出てきた。プトレマイオス。)

・地動説・・太陽が中心。地球が回る。(ギリシア・ヘレニズム文化ではすでにあった。アリスタルコス)
↓↓
・コペルニクス(ポーランド)・・地動説『天球回転論』。天体観測。教会を敵に回すのでずっと黙っていたが、最後に発表した。

・ガリレオ・ガリレイ(イタリア)・・自作の望遠鏡で木星の衛星を観測。コペルニクスの地動説を擁護。「近代科学の父」

→宗教裁判で有罪になり撤回させられたが「それでも地球は回っている」(ラテン語で「Eppur si muove」)と言ったという逸話がある。

 


(4)大航海時代の幕開け
ポイント①なぜ海に出る?そしてなぜ海に出られる?
大航海時代の幕開けとなる要因を見る

〇大航海時代の要因

なぜ海に出たいのか
(要因1)
・香辛料が欲しい!
胡椒(インド原産)・クローブ・ナツメグ
ヨーロッパでは手に入らないので、東方貿易(北イタリア商人)でヨーロッパに輸入されていた。
→しかし15C、オスマン帝国が地中海を占領し、東方貿易を阻害。香辛料が割高に・・。
→自分たちでインドへ行こう!

(要因2)
マルコ・ポーロ『世界の記述』ジパング伝説

なぜ海に出られたのか
(1)羅針盤、造船技術などの向上。ガレオン船。
(2)王権が強かった→航海にはリスクもあり資金が必要→国が負担。スポンサー。中央集権的な国、王の強い力で支援した。

ポイント②ポルトガルが目指すはインド!
インドへ向かうルートを模索

〇ポルトガルのインド航路開拓(15C)
ポルトガルが一番に乗り出した理由
・レコンキスタによって成立した国なので王権が強い。
・さらにスペインより一足早くレコンキスタが終わっている。

ポルトガルの3人の航海士

・「航海王子」エンリケ(15C)
船酔いで船に乗れず。支援する。
アフリカ最西端・ヴェルデ岬へ到達(1445)

・バルトロメウ=ディアス
「嵐の岬」へ到達(1488)→喜望峰(アフリカ南端)

・ヴァスコ=ダ=ガマ
アフリカ東岸のマリンディを経て、インド西南部(カリカット)へ到達(1498)

 

ポイント③インドのその先には何がある?

〇ポルトガルのアジア進出(16C)
ゴアとマカオは20Cまでポルトガル領・・!

インドよりさらに東へ・・日本にまで!
・セイロン島(スリランカ)へ到達
・インド西岸ゴアを占領(1510~1961)(450年間)。「総督府」を建設。アジア貿易の拠点に。
・マラッカ占領(マレー半島南部)
・モルッカ諸島(マルク諸島・香料諸島)の占領。香辛料が取れる。

・ホルムズ島の制圧(1515)イスラーム商人の貿易ルートを遮断→後にオスマン帝国が奪還。

・中国・マカオ中国から「居住権」を獲得。(1557~1999)
・日本・種子島(鹿児島)へ来航(1543)・・鉄砲伝来
・平戸(1550)(長崎)

 




(5)ヨーロッパ人の「新発見」
ポイント①コロンブスの挑戦!彼がたどり着いたのは・・

スペインはポルトガルとは別航路でアジアへ出発

コロンブス(1451~1506)(ジェノヴァ出身)
「ポルトガルと別のルートでインドを目指したい・・!」
・友人トスカネリの「地球球体説」を信奉
・スペイン女王イサベル(元カスティリャ王国)の支援。レコンキスタが終了(1492)
・サンサルバドル島へ到達(1492)ヨーロッパにとって新大陸。(現バハマ。西インド諸島と呼ばれる)

ポイント②次々と探検する航海士たち
新大陸の探検活動が活発に行われる
・カブラル(ポルトガル)・・ブラジルへ漂着
・アメリゴ・ヴェスプッチ(フィレンツェ)・・着いたのはアジアではなく「新大陸」であることを報告。
・バルボア・・パナマ地峡(中米)を横断。「南の海」(太平洋)へ到達。

世界周航(1519~1522)
・マゼラン(マガリャンイス)
スペイン王カルロス1世(カール5世)の支援
↓↓
スペイン(セビリャ)→アメリカ大陸を南下。→マゼラン海峡を廻航。→太平洋を横断。
→フィリピンへ到達(1521)(マゼランはフィリピンで戦死)
→部下がインド・アフリカをまわってスペインに帰ってきた。→世界一周!

・トルデシリャス条約(1494)
スペインとポルトガルの境界線を画定。ブラジルがポルトガル領となる。それ以外はスペイン領に。

ポイント③大航海時代は世界を変えた?
ヨーロッパ、アジア、アメリカの社会に大きな影響を与える

世界の一体化
・商業革命
商品の産地・種類・量が地球規模に拡大。
商業中心は大西洋岸都市へと移動。(前は地中海・バルト海)
リスボン、アントウェルペンなど。

・価格革命
アメリカ大陸からの大量の銀が流入。
ヨーロッパの銀価が下落→物価が急激に上昇。
↓↓
西ヨーロッパで商工業が発展。
固定地代としていた領主層の没落。

 


(6)古代アメリカの謎に迫る!
ポイント①古代アメリカには高度な文明が存在した?
ヨーロッパ人が訪れる前のアメリカ

先住民の暮らし
・インディオ(中南米)・インディアン(北米)
先住民
(コロンブスがインドとまちがえたから。)
現在では「ネイティブアメリカン」という

・農耕生活
トウモロコシ、ジャガイモ、トマト

・鉄がない
・牛・馬もいない
・車輪がない
重い荷物の運搬はどうやって?不明・・

メソアメリカ(中米)、アンデスアメリカ(南米)

〇メソアメリカ文明(中米文明)

・オルメカ文明(B1200頃まで)
独特な巨石人頭像、神殿ピラミッド

・マヤ文明(B1000~16C)
ユカタン半島
高度な文明。ピラミッド状神殿、マヤ文字、二十進法、暦の発達。

・テオティワカン文明(B1~6C)
「太陽のピラミッド」巨大な神殿。

・アステカ王国(14~16C)メキシコ
(都:テノチティトラン(現メキシコシティ))
ピラミッド状神殿、象形文字の使用、太陽暦
↓↓
スペインのコルテスが滅ぼす

 

〇アンデス文明(南アメリカ文明)
・インカ帝国(15~16C)ペルー
(都:クスコ。標高3400メートル。富士山級)
都市遺跡:マチュ=ピチュ
高度な石造建築、キープ(結縄・けつじょう)数字を表す
↓↓
スペインのピサロにより滅亡

 

ポイント②破壊・略奪!スペイン人の過酷な支配
アメリカ大陸の社会が大きく変わる・・

「征服者」コンキスタドール(コンキスタドレス)
スペインから来た中南米の国々(アステカ王国・インカ帝国)の征服者。

・ポトシ銀山の発見(1545)→価格革命の原因
・現在のボリビア
・先住民を酷使して銀を採掘
→ヨーロッパに大量に輸出

・エンコミエンダ制(16C)・・先住民をキリスト教化させることを条件に労働力として使役することを許可。→強制労働で酷使。

・ラス=カサス『インディオの破壊についての簡潔な報告』
告発した(ドミニコ派修道士)

先住民の代わりに・・
↓↓
・黒人奴隷(アフリカ)の使用。労働力。

・アシエンダ制(17~18C)
広大な土地で先住民や黒人奴隷を労働力に商品作物を栽培。

=プランテーション(大農園・大農場制度)
コーヒー、砂糖など

その後スペインは中南米からアジアへアクセス。。

アカプルコ貿易(ガレオン貿易)
・ガレオン船を使用。
・フィリピン・マニラの建設(1571)
中南米を経由してマニラに行き中国商人と取引をする。
(アフリカ南周りはポルトガルに抑えられてるので、スペインはそのルートしかない。)
スペイン~アカプルコ(メキシコ)~マニラ(フィリピン)

 


 

・世界史タイトル一覧

 

世界史【17】イスラーム世界の繁栄

イスラム前回【10】イスラーム世界


【17】イスラーム世界の繁栄
(1)イラン世界の動き
(2)オスマン帝国の領土拡大
(3)インドのムガル帝国


モンゴル帝国が崩壊した後(14C~)のイスラーム世界


(1)イラン世界の動き
ポイント①ティムールの野望!
中央アジアから台頭したティムールの遠征

〇ティムール朝(1370~1507)約140年
(都:サマルカンド)

■ ティムール(鬼武者)(位1370~1405)
モンゴル人国家で生まれる。トルコ系。
西チャガタイ・ハン国から自立。

野望「モンゴル帝国を復活させたい!」
チャガタイ・ハン国の分裂をなげく。。

・イル・ハン国を征服
イラン・イラクを支配

・キプチャク・ハン国
領土を一部奪う

・トゥグルク朝を征服
西北インド

・アンカラの戦い(1402)
オスマン皇帝・バヤジット1世を捕縛

これで「草原の道」と「シルクロード」を押さえた。
次は中国・・と遠征に向かっているところで病死。
ティムールの野望はここで終わる。

 

ポイント②ティムール死後の世界
文化の発展と遊牧民族の侵入

ティムールの死後、強大な国が出て倒すことは難しくなった。さらに遠征より文化活動が盛んに。

・ウルグ=ベク(位1447~1449)
(ティムールの孫・学者)
文学・天文・暦法・建築を保護。
細密画(ミニアチュール)・・書物の挿絵

・遊牧ウズベク(ウズベク人)の侵入
中央アジアから南下→ティムール朝滅亡(1507)

遊牧ウズベクは自分たちの国を作る。
ブハラ・ハン国
ヒヴァ・ハン国
コーカンド・ハン国
→現在のウズベキスタン(都:サマルカンド)の母体。

 

ポイント③イラン世界の繁栄
イラン世界に現在でも影響を及ぼす王朝

ティムール朝が崩れたあとのイラン世界・・

〇サファヴィー朝(1501~1736)
(都:タブリーズ→イスファハーン)

イラン・イラクがメイン(中央アジアはウズベク人が入ってきたので支配してない)

■ イスマーイール
(建国者)
神秘主義教団の指導者。神との一体化をめざし、分かりやすく民衆に布教。

外の領土の広がりより、国内の守り、まとまりを重視。
↓↓
・シーア派の国教化(十二イマーム派(穏健派))
・王号シャーを採用(イランの伝統的王号)
↓↓
今でもイラン・イラクにはシーア派が多い。WWⅡ後、シーア派とスンナ派の対立など。

■ アッバース1世(全盛期)
イスファハーンへ遷都(1597)
東西交易の中継地点として繁栄。
「イスファハーンは世界の半分」
人口が増えた。

・イマームのモスク建立

・ホルムズ島の奪回(1622)
ペルシャ湾の出入口をポルトガルから奪い返す。(大航海時代に奪われていたがイラン・サファヴィー朝が奪還。)

 


(2)オスマン帝国の領土拡大
ポイント①オスマン帝国の支配!
領土拡大が必然的である制度の採用

〇オスマン帝国(1299~1922)
・ティマール制(軍事封土制)
シパーヒー(騎士)に給料は現金ではなく土地と徴税金を与える。
→領土拡大が必要
・イェニチェリ(奴隷身分兵士)・・皇帝直属の常備歩兵軍団。キリスト教徒の男子を改宗させて、高級官僚や軍人に育成。

ポイント②なぜバルカン半島に進出する?
あえて異教徒の多い地域に進出する理由は

<オスマン帝国の領土拡大>

■ オスマン1世(建国)
・アナトリア西部で自立(1299)

なぜバルカン半島へ?
→異教徒の土地の方が攻めやすい。領土拡大。
→あと、もしイスラーム教に改宗しなければ、人頭税(ジズヤ)を払ってもらえばいい。

■ ムラト1世
(都:アドリアノープル→エディルネに改名)
・コソヴォの戦い(1389)でスラブ勢力を撃破

■ 4代・バヤジット1世(稲妻・雷帝)
・ハンガリー王を破り、ドナウ川下流域を支配
↓↓
・アンカラの戦い(1402)
バヤジット1世✕ VS 〇ティムールに敗北。没。
(西のバルカン半島を攻めていたら、後ろ(東の方)からティムールに不意打ちで攻められた。)

その後、10年は皇帝不在のピンチ。。

ポイント③もう領土を広げなくてもいい!
オスマン帝国の転換期

<商業国家への転換>

■ 7代・メフメト2世(位1444~1446、1451~1481)
・ビザンツ帝国を征服(1453)
コンスタンティノープルへ遷都(→20Cにイスタンブルと改名)
東西交易の要所。→これを機に、領土拡大から商業国家へと変わる。

・クリミア半島を支配

■ セリム1世(位1512~1520)
・サファヴィー朝と抗争
・マムルーク朝を征服(1517)・・メッカ・メディナを支配。スンナ派盟主の地位を確立。=南の商業ルートの獲得。


■ スレイマン1世
(位1520~1566)(全盛期)
・ハンガリー征服

・第1次ウィーン包囲(1529)✕
神聖ローマ皇帝・カール5世と衝突。寒冷化で撤退。

・プレヴェザ海戦(1538)◯
スペイン・ヴェネツィアなどの連合艦隊に勝利
地中海域での制海権を掌握。
→完全に商業国家になる。交易でお金が集まる。

・スレイマン=モスクの完成(1557)
イスタンブル





(3)インドのムガル帝国
ポイント①インドのイスラーム国家の繁栄
ヒンドゥー教徒の多いインドをどう統治したのか

〇ムガル帝国(1526~1858)
少数のイスラーム教徒が多数のヒンドゥー教徒を支配。

■ 初代・バーブル(建国者)
(父方はティムールの子孫。母方はチンギス・ハンの子孫とも)

パーニーパットの戦い(1526)
↓↓
ロディー朝を破り、デリーを占領・建国
インドの北側に建国。
「北から入ってくる人」を「モンゴル」と呼んだ。(→ムガルの由来)

■ 3代・アクバル
・マンサブダール制度(官僚制度)

・人頭税(ジズヤ)の廃止
多数派のヒンドゥー教徒に配慮。
現代でもいい皇帝だと人気。

・アグラへ遷都

ポイント②ムガル帝国の混乱の時代へ
多数派のヒンドゥー教徒に対してとった失政

■ 5代 ・シャー=ジャハーン
・タージ=マハルの造営(1648)
シンメトリー。白大理石。アグラに建設。
↓↓
財政難に・・

■ 6代 ・アウラングゼーブ
・人頭税(ジズヤ)の復活(1679)
・デカン高原を征服、最大領土に(17C後半)
ジズヤの適用範囲を広げるため
↓↓
ヒンドゥー教徒からの反乱へ・・

ポイント③インド=イスラーム文化の発展
インドに生まれた独特のイスラーム文化

(芸術)
細密画(ミニアチュール)(中国絵画→イラン世界)の影響
↓↓
・ムガル絵画・・宮廷芸術、肖像画や動物画
・ラージプート絵画・・ヒンドゥー教の神々

(言語)
・公用語・・ペルシア語、ヒンディー語
隣のサファヴィー朝の言葉、ペルシア語を使ってもよかった。

・ウルドゥー語・・ペルシア語やアラビア語の影響。現在のパキスタンの公用語。

(宗教)
・ナーナクが創始
イスラーム神秘主義をヒンドゥー教の改革運動に導入した。
→シク教の成立(16C初)

(インダス川流域・パンジャーブ地方にシク王国建国。→英・東インド会社に征服される。)

 


 

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世界史【16】中国周辺地域史

250907
【16】中国周辺地域史
(1)モンゴル高原・内陸アジア
(2)チベット・雲南地方
(3)朝鮮半島の分裂の時代
(4)朝鮮半島の統一の時代
※中国が文化の発信地。中国の王朝をセットで覚える。


(1)モンゴル高原・内陸アジア
ポイント①中国を苦しめた最恐の民族!
匈奴の中国侵入

【中国:秦・漢】
〇匈奴(B3~1C)
騎馬遊牧民。機動性に富んだ高い軍事力。

・スキタイ(B6~B3C)(イラン系)
南ロシアの草原地帯。後世の騎馬遊牧民に影響。

冒頓単于
・匈奴の全盛期。前漢の高祖を破る(B200)。
↓↓
・前漢の武帝に敗れて衰退(B129)
・匈奴の東西分裂(B1C)
東匈奴(内モンゴル)→漢に服属
西匈奴(天山山脈)→漢に敗れて滅亡
↓↓
・東匈奴の南北分裂(1C)
南匈奴→後漢に服属
北匈奴→後漢の攻撃を受ける(モンゴル高原)
→ヨーロッパ方面へ西走?(末裔がフン族に?)

ポイント②後漢から唐にかけて中国に侵入した民族
鮮卑・柔然・突厥・ウィグル

【中国:後漢~魏晋南北朝】
〇鮮卑(2~5C)
五胡の一つ。拓跋氏が北魏を建国。
「カガン(可汗)」の称号(君主)を使用→「ハン」につながる

〇柔然(5~6C)
北魏・太武帝と対抗

【中国:隋・唐】
トルコ人は中央アジア、西アジアへ移っていった。

〇突厥(6~8C)トルコ系
・柔然を破る
・ササン朝のホスロー1世とともに、エフタル(イラン系・トルコ系)を滅ぼす→西へ進み、中央アジアまで進出。
・突厥文字・・北方遊牧民最古
・隋の時代に東西に分裂

〇ウィグル(8~9C)トルコ系
・安史の乱では唐を助けた
・中央アジアあたりまで西進
・ウィグル文字
・マニ教を国教化(後にイスラーム教)
・軍事に長けていた←イスラーム王朝が軍人奴隷(マムルーク)として採用。西アジア各地に輸出。

 


(2)チベット・雲南地方
中国の西や南

ポイント①中国?インド?どっちの影響が強い?
チベットの歴史

<チベット>
中国とインドの間。インドの影響が強い。

〇吐蕃(とばん)(7~9C)
(都:ラサ)
・ソンツェン=ガンポ(建国)
・チベット文字
インドの文字を元に制作

<中国は【唐】>
・インド・中国の仏教文化を導入
・チベット仏教
インドの大乗仏教にチベットの民間宗教が融合。(7C)

ーーーーーーー
・パスパ(高僧)(13C)
フビライに従事。チベット仏教が中国に伝わるきっかけとなる。
↓↓
・ツォンカパの改革(14C)
腐敗したチベット仏教を立て直す。
ツォンカパの改革以降、チベット仏教を「黄帽派(こうぼうは)」と呼ぶようになる。

・ダライ=ラマ
チベット仏教のリーダー。政教一致の最高権力者
ポタラ宮殿(ラサ北西)に住む。

ポイント②雲南地方ってどんな地域?
モンゴル時代に中国領土になったわけ

<雲南地方>
中国から東南アジアへの出入口

2つの国
1.南詔(なんしょう)(?~902)
<中国は【唐】>
・中国・チベット・インド文化が融合

2.大理(だいり)(937~1254)
<中国は【宋】>
・フビライ・ハンにより滅亡(1254)
理由:東南アジアへの出入口を抑えたかったため。
・雲南はここで初めて中国領土に組み込まれた





(3)朝鮮半島の分裂の時代

ポイント①古代の朝鮮は「中国」?
古代朝鮮と中国の関係

古代朝鮮は中国の一部だった。

〇衛氏朝鮮(B190~B108)
・衛満(えいまん)(建国)
中国の戦国時代に中国から渡ってきた。
・前漢・武帝により滅亡(B108)

〇中国・前漢の支配下
朝鮮4郡(拠点)
楽浪郡を置く(B108~313)
(現在の北朝鮮・平壌・ピョンヤン)
漢の政治・文化を伝導。
漢王朝が滅亡して目が行き届かなくなる。
→高句麗により滅亡(313)

↓↓
馬韓→百済(ひゃくさい/くだら)
辰韓→新羅(しんら/しらぎ)
弁韓→任那(みまな)(加羅/から・加耶/かや)→新羅に征服される

ポイント②朝鮮にも三国時代があった!?
高句麗・新羅・百済の対立

朝鮮の三国時代(4C半~7C)

〇高句麗(B1C~668)
朝鮮半島北から中国東北部。
・漢の拠点、楽浪郡を征服(313)
・広開土王(位391~412)全盛期
広開土王碑(好太王碑)の建立(414)
朝鮮や日本との戦いが記録されている
・新羅・唐に滅ぼされる(668)

〇百済(4C半~660)
・
馬韓(左側)
・
高句麗、新羅に対抗するために日本と結ぶ。
・唐・新羅により滅亡(660)
・白村江の戦い(663)
復活しようと試みるが✕
日本・百済復興勢力✕ VS 〇新羅・唐

〇新羅(4C半~935)
・辰韓(右側)
・加羅を征服(4C)
・唐(3代・高宗)(当時アジア最強)と連合。
百済(660)、高句麗(668)を滅ぼす。

↓↓
※三国時代の勝者は「新羅」!

ーーーーーーーーーーーーーーーー
〇渤海(698~926)
(都:上京竜泉府)長安をモデル
・高句麗の末裔や、靺鞨人(まっかつじん・ツングース系)が中国の東へ移動して建国
・大祚栄(だいそえい)(建国者)
・唐や日本とも交流


(4)朝鮮半島の統一の時代
ポイント①仏教文化がさかん!新羅の時代
朝鮮半島初の統一。新羅。

朝鮮半島を統一した3つの国

〇新羅(4C半~935)
(都:慶州(昔:金城))
高句麗と百済を倒して、朝鮮半島統一。

・唐は朝鮮半島の北西部に都護府を設置。→新羅にとっては屈辱・・!都護府は異民族を監視する機関。国として認められていない。。
↓↓
新羅は唐を排除。都護府を落とした。
↓↓
・朝鮮半島統一(676)
→唐に朝貢、冊封下へ入る。

唐の影響を受ける。

・骨品制(こっぴんせい)(特権的な身分制度=貴族制度)
唐がモデル

・仏国寺(ぶっこくじ)
慶州郊外にある仏教寺院。石の多宝塔。高度な技術。

ポイント②すごく似ている2つの王朝!
高麗と朝鮮の歴史。

〇高麗(935~1392)
(都:開城)
・王建(建国)

この頃、中国は【宋】
↓↓
・両班(ヤンバン)
骨品制貴族はいなくなり、特権官僚が登場。中国・宋と同じ。(両班が確立されるのは次の李氏朝鮮時代。)

・高麗版大蔵経・・仏教文化がさかん。木版印刷
・金属活字・・世界最古。出版技術が早くから発達していた。
・高麗青磁・・宋代の陶磁器(宋磁)の影響を受け、宋より高技術とも。

 

〇朝鮮(李氏朝鮮・李朝)(1392~1910)
(都:漢城(漢陽)現ソウル。元・帯方郡)

・李成桂(建国)。李さんが作ったので李氏朝鮮。

この頃中国は【明・清】
↓↓
・朱子学の官学化(上下関係を重んじる)
・科挙の実施
・両班(ヤンバン)特権身分階級
高級官職独占が登場。中国と同じ。

・世宗(せいそう)(現在の1万ウォン札に描かれている)
訓民正音(くんみんせいおん)(1446)(表音文字)
漢字は庶民は読めない→ハングル文字

・豊臣秀吉の朝鮮侵攻
壬辰・丁酉(じんしん・ていゆう)の倭乱
(文禄1592・慶長1597の役)

李舜臣・・亀船(亀甲船)の使用で、日本の侵略を食い止めた。

・「小中華」の芽生え
明滅亡後の、清(満州人国家)を正統な中国と認めない。
正統な中華を守っている継承者は朝鮮だ!という意識。
清に対して敵対心があった。


 

・世界史タイトル一覧

 

 

世界史【15】明・清の時代

250905
【15】明・清の時代
(1)明の成立と中央集権化
(2)永楽帝の時代と明への外圧
(3)晩年の明と清の中国侵入
(4)清の全盛期をみる
(5)清の中国統治と社会経済
(6)明・清の文化(1)
(7)明・清の文化(2)


(1)明の成立と中央集権化
ポイント①久しぶりに漢民族の国家が復活!
紅巾の乱で元が滅亡。
→明の建国
洪武帝(朱元璋)太祖(位1368~1398)
(都:南京)

「自分に力を集める」皇帝独裁政治
↓↓
・中書省(皇帝の命令を作る機関)の廃止、丞相(サポート)の廃止
・六部(行政)を皇帝直属に
・朱子学の官学化(官僚必須の学問)
・一世一元(いっせいちげん)の制(天皇一人につき一つの元号。洪武帝の世はずっと「洪武」という年号。)
・明律・明令
・海禁・倭寇への対策
→民間の対外交易・海外渡航を禁止
→朝貢貿易を促進(周りが頭を下げに来る。)

ポイント②民衆を徹底して管理するシステム
地方行政と民への教育
・魚鱗図冊・・土地台帳
・賦役黄冊・・戸籍・租税台帳
・里甲制・・村落。農家110戸で1里。正確な人口を把握。租税・治安維持。
・衛所制・・軍戸と指定された家が軍事訓練を受ける。免税。
・六諭(りくゆ)の発布(1397)・・朱子学の考えを広める。里老人=先生。「父母を大切に」など。

ポイント③皇帝がクーデタで即位!?
2代目・建文帝(洪武帝の長男の子)
側近の進言により、一族の勢力削減を試みる。
→燕王(洪武帝の子)の挙兵
靖難の役(1399~1402)


(2)永楽帝の時代と明への外圧
ポイント①明の全盛期!
3代目・永楽帝(位1402~1424)約20年
「外へ拡大」
・北京へ遷都(元々の自身の防衛地・燕)。紫禁城(現・故宮博物院)
・内閣大学士(政務補佐)の設置
・宦官の重用(クーデターの後ろめたさからか官僚よりは宦官・側近を使っていた)

・ベトナム出兵
一時ベトナムを支配(1400~1428)
・モンゴル遠征
皇帝自ら5回の遠征

・鄭和(イスラーム教徒の宦官)
南海諸国遠征
(1405~1433)7回の遠征
東南アジア・インド・西アジア・東アフリカ
朝貢貿易を促した。

ポイント②北から、南から…明を襲う外部勢力!
モンゴル系民族の侵入と倭寇の侵入

永楽帝の死後・・
北虜南倭(ほくりょなんわ)=外部からのプレッシャー

<北から>
オイラト・・西北モンゴリア
・土木の変(1449)
オイラトのエセン=ハン(モンゴル勢力を統合)が明の正統帝を捕縛

タタール・・東モンゴリア
アルタン=ハン 北京を包囲
↓↓
・万里の長城を修築。侵入に備える

<南から>
倭寇・・海賊集団

・前期倭寇(14C)
日本人。朝鮮半島から遼東半島にかけて略奪。

・後期倭寇(16C)
中国人。海禁に反発し武装した民間商人の略奪行為。

↓↓
これらの対応により明は財政難に・・





(3)晩年の明と清の中国侵入
ポイント①皇帝の力は弱くなるのに明は長生き!→貿易で繁栄していたから。
明末の財政改革と混乱の時代

明の財政改革
・貿易活動の活発化
日本銀やメキシコ銀(スペイン)の流入。ヨーロッパは大航海時代。中国で買い物をするので明は儲かる。西アジア、インド、日本からも。

・一条鞭法(いちじょうべんぽう)の普及(16C後半)
土地税と丁税・ていぜい(人頭税)を銀で納める

14代・万暦帝(神宗)(位1572~1620)
宰相・張居正の改革

明末の政治争い
東林派・・東林書院(顧憲成が再建した学校)出身の官僚
VS
非東林派・・宦官と結託
→政治が乱れる

明の滅亡
・豊臣秀吉の朝鮮侵略
(1592文禄・1597慶長)
朝鮮は中国の弟分なので、明は助け(援軍)を出した。財政難に。

・李自成の乱
農民反乱の指導者。
北京の攻略。
→明の滅亡(1644)

ポイント②中国の北側に新しい国家が誕生!
満州人の国家建設

後金(こうきん)(1616~1636)
初代・ヌルハチ(ツングース系)
女真(金を作った民族)を率いて建国→後金は後に満州と改称
・八旗の編成(軍隊)
・満州文字の制作

2代・ホンタイジ
中国へ侵入開始
・チャハル(内モンゴル)を征服(1635)
・国号を後金→清と改称(1636)
=「今から中国を支配するぞ」のアピール
・朝鮮を属国化(1637)

ポイント③中国人ではない民族が中国を支配!
清の北京入城と反抗勢力

清(1616~1912)
3代・順治帝(1643~1661)
1644 明が滅亡。

(清に賛成)
・呉三桂(元・明の武将)が清に協力。
関所を開けた→北京へ誘導。
→清は李自成を倒し、北京を新しい都とする。

(清に反対)
・鄭成功
(1624~1662)
清には反対。明を復興させたい。
「反清復明」はんしんふくみん

オランダ人を追い出して台湾を占拠。
→鄭氏台湾(1661~1683)を建国。
清に抵抗する拠点となる。

国姓爺(こくせんや)・・鄭成功の異名。明の一族から国王の名字をもらった英雄の意味。
『国姓爺合戦(こくせんやかっせん)』近松門左衛門の人形浄瑠璃。


(4)清の全盛期をみる
ポイント①中国史の皇帝の中でもNo.1!
平和で安定した時代。

4代・康煕帝(位1661~1722)61年間
「満州人が中国全土を支配する。漢人をつぶす」
藩王(清に協力した漢人武将・呉三桂など)の勢力削減
・三藩の乱を鎮圧(1673~1681)

・鄭氏台湾を征服(1683)

・地丁銀制(18C前)
地銀(土地税)の中に丁税(人頭税)を繰り込み一括して銀納。
人が増えても税金が変わらない→人口増加。

・ネルチンスク条約(1689)
ロシア皇帝・ピョートル1世と清・康煕帝
ロシアと清の国境を取り決めた:アルグン川~スタノヴォイ山脈(中国では外興安嶺・がいこうあんれい)

・外モンゴルを併合(1696)

・典礼問題
中国古来の先祖崇拝にキリスト宗派が反発。
イエズス会は承認。
→イエズス会以外の布教を禁止(1711)

ポイント②目立たないけど実はすごい!?

5代・雍正帝(位1722~1735)13年
・キリスト教布教の禁止(1724)
中国文化を守る

・チベット併合(1724)

・キャフタ条約(1727)
ロシアと外モンゴルとの国境を決める

・軍機処の設置(1729)
異民族統治の軍事機関→政務も兼ねる。

ポイント③いまの中国と同じ!? 清の最大領土!

6代・乾隆帝(位1735~1795)60年
(康煕帝を超えないように自分で降りた。)

・制限貿易の開始(1757)
貿易港を広州1港に限定。
銀が外に出て行かないように。国内で回すようにした。

・公行の設置
貿易を独占できる特権商人

・ジュンガルの併合(1758)(康煕・雍正の頃からの宿敵)
→現・新疆の設置
(東トルキスタン一帯の地域。中央アジア。)





(5)清の中国統治と社会経済
ポイント①清の支配領域と軍事制度
広大な領土。統治の工夫。

清の領土
・直轄地:満州(中国東北)・台湾・中国本土(旧明)
・藩部・・非漢人が優勢な地域
理藩院・・藩部に大幅な自治を与えて監督する
(唐の羈縻政策・都護府と同じ)

清の軍事制度
・八旗(軍事・行政)・・ヌルハチが編成。満州、モンゴル、漢の三軍
・緑営・・漢人のみの正規軍。治安維持など警察業務を担当。

ポイント②清のとった「アメ」と「ムチ」
少数の満州人が大多数の漢民族を統治するための工夫。

清の「アメ」
・六部:皇帝直属の行政最高機関。(明から受け継ぐ)
・科挙(明から)
・満漢併用制
重要な官職を満州人、漢人を同数任命。

清の「ムチ」
・辮髪の強制
・文字の獄(もんじのごく):反清・反満的な書物の弾圧。言論・思想弾圧
・禁書:思想統制のため特定の書籍を禁ずる。

ポイント③明と清は世界で一番お金持ち!?
明・清時代の経済活動をみる。農業・商業・貿易の3つ。

明・清時代の社会

〇農業の発達
米(中流)と商品作物(下流)がバランスよく作られる。
・「湖広(ここう)熟すれば天下足る」(明代中頃)
長江中流域の米の生産が下流域の生産をしのぐ。

cf:宋「蘇湖(そこ)(江浙(こうせつ)熟すれば天下足る」=長江下流。下流は商品作物になる。

・商品作物の栽培。茶・綿・桑

〇商業の活性化
・徽州(きしゅう)(新安)商人・・専売塩で大きな利益。
・山西商人・・北辺の軍糧補給、専売塩、金融。
国はこれらの商人から税金を取る。保護する。お互いうまい関係。
・会館、公所・・同業、同郷の商人や職人が建設。親睦・互助。

〇貿易
輸出品(よく売れる)
・生糸・・絹織物の重要材料
・陶磁器・・染付(元後期)、赤絵(明)
・貿易港・・蘇州(江蘇省)、杭州(浙江省)、広州(広東省)→乾隆帝時代は広州1港に限定。


(6)明・清の文化(1)
ポイント①国が思想を統一するための手段
明・清の国家編纂事業。国家の目線から見た文化。

【明代】4つ
・『四書大全』
永楽帝時。四書の注釈書。儒教解釈を固定化。科挙はこの解釈以外認めない。

・『五経大全』
五経の注釈書。

・『性理大全』
宋学(朱子学)の全集。

・『永楽大典』
類書(百科事典)。中国最大の編修事業。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

【清代】3つ
・『康熙字典』
漢字の字書。4万2000をこえる漢字を部首・画数で配列。

・『古今図書集成』
康煕帝~雍正帝の時代に編纂。
1万巻にわたる中国最大の類書(百科事典)

・『四庫全書』
乾隆帝の時代に編纂。
中国最大の叢書(そうしょ)。今までの中国の書物の分類分け。
→禁書の捜索という側面も

ポイント②儒学の発達
朱子学に対抗する新たな思想が登場

明・清では朱子学(知性重視)が官学化されていたが、対抗する学問が2つ出てきた。

陽明学(行動重視)明
・王守仁(王陽明)(15~16C)

・心即理・・本来持っている心そのものが人間の本質。感じたことが正しい。行動する。=「理」に合致するとした。

・知行合一
(ちこうごういつ)・・良知と行動との自然な一体化を説く


考証学
・朱子学、陽明学などの主観を批判。客観性を重視。
・儒教の古典を実証的にきわめていく
・広く確実な文献の収集。厳密な考証の実施。
「自分の行動は儒学のこれに当てはまるからいいんだ」など、儒学の本を使って考えていく。

明末:黄宗羲(こうそうぎ)、顧炎武(こえんぶ)
清半ば:銭大昕(せんたいきん)。考証学的な史学を確立

 




(7)明・清の文化(2)
市民の目線から見た文化。小説・実学・宣教師。

ポイント①時代を風刺したおもしろい作品!
庶民ウケする作品。

<小説>
【明代の小説】「四大奇書」
・『三国志演義』・・三国時代の英雄
・『水滸伝』・・北宋の豪傑の武勇
・『西遊記』・・妖怪説話を混入
(↑↑これらは元で作られ、明で完成した。かっこいい中国人が描かれている。明は久々の漢民族の国家だから。)
・『金瓶梅』・・明末の新興商人階層の色と欲

【清代の小説】
・『紅楼夢』・・長編。上流社会の栄華没落。
・『儒林外史』・・長編。官僚の腐敗・堕落。
・『聊斎志異(りょうさいしい)』・・短編。怪異妖変と人間の交錯。

ポイント②実際に役立つ学問を研究しよう!
ヨーロッパ科学の影響。実学が発達。

<実学>
・李時珍『本草綱目』・・薬物。医学
・徐光啓『農政全書』・・農業技術・農業政策
・宋応星『天工開物』・・イラスト付き、産業技術書。
(工・・工業。産業)

 

ポイント③たくさんやってきたイエズス会宣教師たち!
彼らが中国に持ち込んだ「お土産」とは・・。

【明代】
イエズス会の宣教師
カトリックの復活をめざして布教したい。。

・フランシスコ=ザビエル(1506~1552)(西)(中国にたどり着く一歩手前で没)

・マテオ・リッチ(1552~1610)(伊)
『坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)』世界地図
『幾何原本』徐光啓と共訳。エウクレイデスの幾何学。

・アダム・シャール (独)
『崇禎暦書(すうていれきしょ)』(暦法)徐光啓と共同作業

ーーーーーーーーーーーーーーーー
【清代】
・フェルビースト(ベルギー)
大砲

・ブーヴェ(仏)
『皇輿全覧図(こうよぜんらんず)』中国の国内地図

・カスティリオーネ(伊)
円明園(北京の北西郊外)清の離宮・庭園

 


・世界史タイトル一覧

 

 

世界史【14】東アジア世界の展開(宋・元)

250902
【14】東アジア世界の展開
(1)五代十国と北宋
(2)征服王朝と北宋の衰退
(3)宋の時代の社会経済と文化
(4)モンゴルの時代
(5)モンゴル人の支配
(6)元の文化
五代十国(軍人中心)→北宋(官僚中心)


(1)五代十国と北宋
ポイント①五代十国の時代(軍人中心)
有力節度使が建てた五つの王朝

唐王朝が滅亡後(朱全忠が倒す)・・

・五代十国(907~979)約70年
後梁・後唐・後晋・後漢・後周(五代)
(+小さな国、十国)

・後梁(都:開封・かいほう→黃河と大運河の合流地点)
朱全忠(建国)

・後唐(都:洛陽)

・後晋(こうしん)(都:開封)936~946
契丹の支援で建国。
お礼に、燕雲十六州を契丹にプレゼントしてしまった。。
(万里の長城の内側。燕は北京、雲は大同を指す。)

・後漢(こうかん)(都:開封)

・後周(都:開封)

ポイント②中国の混乱の時期
節度使による武断政治

唐末から五代十国の混乱で、旧貴族は没落。
→荘園の崩壊
→新興地主層の登場

・藩鎮(節度使(=軍事のみ)を主とする軍閥)
軍事・民政・財政の三権を掌握。独立の地方勢力化。

・佃戸(でんこ)(小作人)

ポイント③これまでの中国が大きく変わる
五代十国の混乱と北宋の成立

・北宋(960~1127)(都:開封)
趙匡胤(建国)(太祖)

混乱から安定へ。

節度使による武断政治から
→文治主義への移行。

経済中心地に都を置き、交易で繁栄。
節度使(軍人)の削減。

役人を増やす。
科挙に殿試。(皇帝の直接面談)


(2)征服王朝と北宋の衰退
ポイント①北宋を圧迫した周辺民族たち
遼、西夏、金について

北宋を苦しめた三つの異民族
1.  遼(契丹)キタイ(916~1125)モンゴル系初の国家
耶律阿保機(建国)

・澶淵の盟(せんえんのめい)(1004)
梁と北宋の和平条約。宋は梁に銀や絹を献上。

・二重統治体制
遊牧民(自分たち)と農耕民(中国人)を分けて統治

・金の攻撃により滅亡
西へ逃げる→西遼(1132~)(カラキタイ)となる。イスラム中央アジア。
耶律大石(やりつたいせき)(建国)

2.  西夏(1038~1227)
李元昊(りげんこう)(建国)
タングート族の国家

3.  金(1115~1234)
・完顔阿骨打(わんやんあぐだ)(建国)
・女真族→元々遼(契丹)の支配下にあったが自立した。
遼を滅ぼして北宋と接する。
・全真教(道教をモデル)

・猛安・謀克(もうあん・ぼうこく)
女真族や契丹人を統治するための軍事、行政組織。
300戸を1つの謀克、10の謀克を1つの猛安とする。

ポイント②北宋はどんどんお金がなくなる?

異民族への毎年の貢ぎ物や、増えた官僚の給料で、北宋は段々と財政難に。。

財政改革
・王安石(宰相)(任1070~)
(「紅一点」の漢詩の作者でもある)
新法(しんぽう)
※金持ちから取って貧しい農民へ
いかに富ませるか(富国)
・青苗法(貧農救済)
・均輸法(物価の安定)
・市易法(中小商人へ低利融資)
・募役法(公共事業)
いかに国を強くするか(強兵)
・保甲法(兵農一致)
・保馬法(軍馬の確保)

✕新法党(王安石) VS 〇旧法党(司馬光)王安石をしばこう

北宋は衰退へ・・

ポイント③北宋の滅亡と南宋の成立
中国の二分化

北宋の滅亡(1127)

・靖康の変(1126~1127)
金が開封を占領。徽宗・欽宗親子を連行。

一族は南へ逃げる。
↓↓
・南宋
(1127~1276)
(都:臨安(杭州)大運河の南端)
高宗(建国)

岳飛(主戦派)✕ VS 〇秦檜(しんかい)(和平派)
金と和議。国境は淮河(わいが)←黃河と長江の間
南宋は金より下の立場になる。





(3)宋の時代の社会経済と文化
ポイント①宋代に登場した新しい支配階層!
大土地所有者と官僚

・形勢戸(けいせいこ)(新興地主)
佃戸(小作人)を使用。収穫の半分を地代として納入させる。

・士大夫(したいふ)(知識人・官僚)
儒学教養を身に付けた官僚

・官戸(かんこ)
科挙に合格した家

 

ポイント②宋はお金持ち!? 宋代の繁栄!
農業、商業、貿易

■ 農業の発達
・占城稲(せんじょうとう)・・日照りに強く早く育つ稲。ベトナム・チャンパ王国より。(チャンパのことを占城と呼ぶ)

・「蘇湖(江浙)熟すれば天下たる」
=「長江下流域が稲作地帯になる。そこで米が取れれば中国全土の食料をまかなえる」

■ 商業
・草子(市。唐末期)→鎮(ちん)(地方の小都市)へと発展。

・行(こう)・・商人の同行組合
・作(さく)・・手工業者の組合

・景徳鎮(江西省)・・宋磁(青磁・白磁)の生産地
海外にも輸出される人気商品。

・銅銭・・東アジア全域に輸出。
・交子・会子・・紙幣
→遠隔地との交易が活発ということが分かる。

■ 貿易の発達
市舶司の増設(貿易の役所)
・広州(広東省)・・北宋最大の貿易港
・泉州(福建省)・・南宋時代には貿易額が広州を超える
・明州(浙江省)(寧波・ニンポー)・・日本の遣唐船、勘合貿易。

ポイント③宋の文化はこれまでの文化と変わっている?
儒学思想、絵画、雑劇など。一般市民の台頭。

■ 儒学(宋学・朱子学)
宋の時代から新しい儒学が生まれる。

・周敦頤(しゅうとんい)(北宋)
宋学の創始
「蓮(はす)は、泥(でい)より出でて泥に染まらず⇒蓮始開」『愛蓮説(あいれんせつ)』

・朱熹(朱子)(南宋)
宋学の完成(朱子学)
「知識を得ることが何よりも重要なんじゃ!知識ある者に敬意をはらうのじゃ。」
・性即理(知性を重視)
・大義名分論・・上下関係を重視(皇帝の権威拡大)
・四書を重視(今までは五経)
『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』

■ 歴史学
・司馬光『資治通鑑』編年体(年表形式)
・欧陽脩(おうようしゅう)

■ 唐宋八大家
唐:韓愈、柳宗元
宋:欧陽脩、蘇軾(そしょく)(=蘇東坡・そとうば)

■ 芸術
院体画・・宮廷様式の絵画
徽宗『桃鳩図』

■ 仏教
禅宗・・士大夫層(知識人)
浄土宗・・阿弥陀仏信仰。(一般)

 


(4)モンゴルの時代
ポイント①チンギス=ハンの野望
闇雲に戦争していたわけではない。

初代・チンギス=ハン(位1206~1227)約20年
幼名:テムジン
クリルタイ(会議)の開催
・金の都(燕京)を攻略(1214)
征服
・ナイマン(1218)
・ホラズム・シャー朝(1220)
・西夏(1227)
狙いがあった。中国とヨーロッパを結ぶ地域を抑えた。

ポイント②モンゴル帝国(大モンゴル国)の形成
オゴタイ・モンケの時代の広大な領域

2代・オゴタイ=ハン
(1229~1241)12年
・金の征服(1234)
・都カラコルムを建設(1235)

・バトゥの西征
→南ロシアのキエフ公国の征服(黒海の北)

→ワールシュタットの戦い(リーグニッツ)(1241)
ドイツ・ポーランド連合軍
オゴタイの死で引き返す

3代・グユク

4代・モンケ=ハン(1251~1259)
フラグ(モンケの弟1)の西アジア遠征
・アッバース朝(バグダード)の征服(シルクロードを抑えた)
・マムルーク朝へ侵攻

フビライ(モンケの弟2)の遠征
・大理(雲南)・チベットの征服
・高麗を服属させる

東西交易ネットワークを抑えたい

ポイント③元の一大遠征!
フビライの夢とは。海のルートも接続したい。

5代・フビライ=ハン(世祖)(1260~1294)34年
・クリルタイで即位
・大都(北京)へ遷都(1264)
・国号を元と改称(漢字に当て直す)

・ハイドゥの乱(1260〜1301)
フビライへの反乱
モンゴル人国家の分裂。

海上ルートをを抑えたい
・南宋の征服(1276)
・〇パガン朝(ミャンマー)の征服(1299)
・✕日本遠征(1274文永・1281弘安) 鎌倉幕府
・✕ベトナム遠征・陳朝に敗北(13C後)
・✕ジャワ遠征・マジャパヒト王国に敗北(13C)





(5)モンゴル人の支配
ポイント①寛大な統治の仕組み
各地に成立したモンゴル人国家。

現地にいる勢力をうまく使っていく。

モンゴルの諸ハン国(ウルス)
・チャガタイ=ハン国(1227~14C)(中央アジア)
イスラーム商人が多かった。イスラーム化(14C)
東西分裂(14C半ば)

・キプチャク=ハン国(南ロシア)
草原の道の出口に当たる。
バトゥ(建国)
イスラーム商人に合わせてイスラーム教の採用
モスクワ大公国の自立→分裂・解体

・イル=ハン国(西アジア)
フラグ(建国)
ガザン=ハンの時
イスラーム教に改宗
宰相ラシード・アッディーン『集史』
モンゴルの歴史が文字に起こされた。

ポイント②元は中国人に媚びない!
元の中国統治のシステムは。

元の中国支配
・基本的には宋代の制度を継承。
・科挙の一時停止。儒学を軽視。

モンゴル人第一主義
1・モンゴル人がトップ
2・色目人・・イラン人、中央アジア系(商業)財務官僚
3・漢人・・旧・金(女真族)
4・南人・・旧・南宋(中国人)

・駅伝制(ジャムチ)

・大運河の補修

・海運の振興。貿易港。
杭州 大運河の南端
泉州 世界第一の貿易港に
広州 古くから南海貿易の拠点

商業
・交鈔(こうしょう)(紙幣)を発行。
金代から使用された紙幣。

・ウィグル文字(表音文字)
ウィグル人が使っていた。商業活動の記録など。一般的に使われた。

・パスパ文字
(一般には広がらず)

・チベット仏教(ラマ教)
パスパを国師として厚遇
寺院建立などで莫大な費用を負担。
→交鈔を乱発してしまう。元の国力低下。

・紅巾の乱(1351~1366)紅の頭巾
白蓮教徒が中心
朱元璋

元が滅亡・・!

 


(6)元の文化
ポイント①庶民が元気!明るい文化

元曲(古典演劇)ミュージカル
・『漢宮秋(かんきゅうしゅう)』・・匈奴に降嫁した王昭君(前漢)の物語
・『琵琶記』・・出世して都で栄華な生活を送る男の話
・『西廂記(せいそうき)』・・宰相の娘と書生との恋愛

ポイント②東西交流の活発化!多くの外国人が訪れる

東西世界の交流
<3人の修道士>
・プラノ・カルピニ
ローマ教皇の命。布教と情勢偵察。カラコルム。

・ルブルック(13C)
仏王ルイ9世の命で十字軍の協力を要請。カラコルム。
モンケ=ハンがフラグを派遣。

・モンテ・コルヴィノ
中国で最初のカトリック布教者。

<2人の旅行家>
・マルコ・ポーロ
フビライ・ハンに仕えた
『世界の記述(東方見聞録)』
「黄金の国ジパング」

・イブン・バットゥータ
『三大陸周遊記(旅行記)』
フビライの死後、元に来た。モロッコ出身(ベルベル人) 。メッカ巡礼のついでに24年間の大旅行。インドはトゥグルク朝、中国は泉州に訪れた。

ポイント③イスラーム世界から科学が伝わる
中国で作成された高度な暦

・郭守敬
フビライに従事
授時暦の作成。イスラーム暦法の影響を受ける。
→日本の貞享暦(1684)(じょうきょうれき)に影響。渋川春海。

 


 

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