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世界史【23】アメリカ世界の成立

251002
【23】アメリカ世界の成立
(1)アメリカ13植民地の苦悩
(2)アメリカ独立戦争
(3)アメリカ合衆国の政治体制
米英関係良好→英・戦争で財政難→米に課税→米不満→独立戦争へ


(1)アメリカ13植民地の苦悩
ポイント①13植民地は「イギリス人」が生活する場所
政治的・経済的状況をみる

イギリスからアメリカへ移る(17C頃)
当初、英と米との関係は良好。

【13植民地(17~18C)東海岸】
・ヴァージニア植民地(南部)
最初の植民地。英ステュアート朝ジェームズ1世時。(※エリザベス女王時は失敗。)

・ニューイングランド植民地(東北部)
ジェームズ1世に迫害されたピューリタン(ピルグリム=ファーザーズ)がメイフラワー号で渡航しプリマスに入植。例はマサチューセッツ植民地など。

・ニューヨークの獲得
英が蘭の町ニューアムステルダムを奪って改名。

・ペンシルヴェニア
クウェーカー教徒

・ジョージア

13植民地の西隣には仏植民地がある

英風の政治、文化など
・植民地議会
イギリス議会を手本に13植民地それぞれに設置

・プランテーション(大農園)
米南部。黒人奴隷。商品作物を英に輸出。

ポイント②イギリス本国が13植民地におこなった理不尽
次第に反発を強める13植民地の人々

英と米の関係が悪化していく・・

本国イギリスは、重商主義政策
輸出先を増やしたい。VS仏。
↓↓
・フレンチ・インディアン戦争(1755~1763)
仏と先住民は撤退。13植民地のライバルがいなくなった。
イギリス本国は財政難に→北米植民地への課税を強化

・印紙法(1765)
書類・刊行物(新聞、教科書、婚姻届)など
「代表なくして課税なし」
(=「英本国に議員を送ってないのに、何で課税されるんだ」)
→印紙法は廃止

・茶法(ちゃほう)(1773)
英の東インド会社の販売する茶は免税。(英の会社だけに有利)

↓↓  米市民が反発

・ボストン茶会(ちゃかい)事件(1773)
Boston Tea Party(Tea Partyを「茶会」と誤訳したが、本当はPartyは「仲間」という意味。茶法に反対した人々が起こした事件。)
先住民に変装し、英の茶を海に捨てる。

↓↓
英はボストン港を閉鎖
マサチューセッツ植民地の自治を剥奪。

↓↓
独立戦争へ・・


(2)アメリカ独立戦争
ポイント①いよいよ衝突!13植民地の独立戦争
イギリス本国軍と13植民地軍の衝突

・第1回大陸会議(1774)
開催地:フィラデルフィア
不当な課税を拒否。13植民地の通商断絶同盟の結成。
↓↓
【アメリカ独立戦争(1775~1783)】
・レキシントンの戦い(1775)
最初の戦い。レキシントンやコンコードにて。
↓↓
・第2回大陸会議(1775)
開催地:フィラデルフィア
植民地軍総司令官に、ワシントンが就任

しかし13植民地全体では意見がバラバラ・・(各3割ずつ)
国王派・・イギリス本国を支持
中立派・・戦争には否定的
愛国派・・独立支持派
↓↓
一つになろう!
2人のトマスが独立の機運を高める。

・『コモン=センス』(1776)(『常識』)
トマス=ペイン
独立の正当性と共和国建設の必要性を訴える

・「独立宣言」1776.7.4
起草:トマス=ジェファソン(3代大統領)
ロックの自然法思想に基づき「基本的人権」の尊重、「革命権」を主張

 

ポイント②戦局の転機!アメリカの独立成功!
次第に反発を強める13植民地の人々

13植民地を支援する国々の登場
・フランクリン(駐仏大使)
仏や各国に支援を求める

・サラトガの戦い(1777)
植民地軍が本国軍に勝利
↓↓
フランス、スペイン、オランダが植民地軍側で参戦

・武装中立同盟
ロシア・エカチェリーナ2世の提唱。参加しない。
露、普、スウェーデン、ポルトガル、デンマーク
→英は味方がいない。国際的に孤立。
→米の独立を間接的に支援。

・義勇兵の13植民地支援(ボランティア兵)
コシューシコ・・ポーランド出身、ワシントンの副官。
ラファイエット・・フランス出身

・ヨークタウンの戦い(1781)
植民地・仏連合軍の勝利が確定。最後の戦い。

(独立はレキシントンで始まりヨークタウンで終わる。)

【パリ条約(1783)】
・英は米の完全独立を承認。
・独立と同時に「ミシシッピ以東ルイジアナ」を英から獲得。

 




(3)アメリカ合衆国の政治体制
ポイント①アメリカ合衆国憲法をめぐる対立
各州と政府の関係をどうするか・・

独立後のアメリカは・・
アメリカ連合規約で制定

国名:アメリカ合衆国
各州で自治。政府は見守る程度で弱い。
独自の憲法、議会を持つ13州の連合体。
↓↓
しかしバラバラになってしまった。。

↓↓ 見直し。国としてまとまろう。

・憲法制定会議(1787)フィラデルフィア
議長ワシントン
もう少し13州の結びつきを強めよう。
↓↓
「アメリカ合衆国憲法」が作られる。
アメリカ連邦政府の権限を大幅に強化。中央集権的。
政府は強くなる。政府は「見守り」から⇒「統率」になる。

・徴税権、通商を規制。

・一方で各州には自治権も与える

・三権分立
立法権(議会)、行政権(大統領)、司法権(裁判所)
互いに独立して監視する。
近代的な憲法。仏・啓蒙思想家モンテスキューの影響。

対立トラブル
・連邦派・・政府強い。通商重視、親英的⇒共和党(トランプ)
・反連邦派・・政府弱い。農民、商工業者⇒民主党

 

ポイント②合衆国の初期の大統領
アメリカの発展はここから始まった

3人の大統領の時代に米発展の礎が築かれる

【初代・ワシントン大統領(任1789~1797)】
独立戦争の司令官
・国務長官ジェファソン(反連邦派)(3代)
・財務官ハミルトン(連邦派)
バランスを取った。

【3代・ジェファソン大統領(任1801~1809)】
・反連邦派の初の勝利
・ミシシッピ川以西ルイジアナを買収(1803)→領土を西に拡大
(川以東ルイジは独立時1783に獲得)

【4代・マディソン大統領(任1809~1817)】
・アメリカ=イギリス戦争(1812~1814)
(第2次独立戦争)

・英が海上封鎖で米の通商を妨害(政治的、経済的に妨害)
この間、英米間の貿易が止まる。
↓↓
・米の経済的自立が促進(米国内で自立)

・保護関税政策(1816)
米国内の初期産業を育成。
英の安い製品をシャットアウト。
⇒米がここから産業発展していく。

 


 

・世界史タイトル一覧

 

 

世界史【22】イギリスの市民革命

250920
【22】イギリスの市民革命
(1)国王と議会の対立
(2)クロムウェルの独裁と王政復古
(3)議会政治の完成と産業革命の始まり
(4)産業革命
(5)産業革命が社会に及ぼした影響


(1)国王と議会の対立
ポイント①イギリスの伝統を守らない王の登場
ステュアート朝の成立と議会の対立
=================
(ステュアート朝)
・ジェームズ1世(祖父)
・チャールズ1世(父)✕処刑
・1649 ピューリタン革命
・チャールズ2世(兄)
・ジェームズ2世(弟)亡命
・1688 名誉革命
=================
エリザベス1世没でテューダー朝が途絶える・・
↓↓
ステュアート朝を創始(1603~49、1660~1714)
【ジェームズ1世】(位1603~1625)
スコットランド王で英王を継承。

・英の伝統を無視。専制政治。王権神授説。
→議会の不満

・イギリス国教会の強制
→ピューリタン(カルヴァン派)の不満
→ピルグリム・ファーザーズとなり北米へ渡る(1620)

【チャールズ1世】(位1625~1649)
ジェームズ1世と同じ専制政治・・

・議会は「権利の請願」を提出。
課税の議会同盟や不法逮捕の禁止
→議会を強制的に解散させる(11年議会がない)

・スコットランドの反乱
チャールズ1世がスコットランドにもイギリス国教会を強制したため。
↓↓
・短期議会の招集(1640)
鎮圧費のため増税を提案。3週間のみ。議会の反発で解散。スコットランドを鎮圧できず。
↓↓
・長期議会の招集(1640~1653)
スコットランドへの賠償金支払いの増税。
王党派と議会派の対立。

ポイント②ついに勃発!ピューリタン革命
国王を処刑し圧政から解放されたイギリス市民

【ピューリタン革命(1640~1660)】
王党派・・貴族、特権商人
VS
議会派
・長老派・・立憲王政(王はいてもいいがルールにのっとってほしい)
・独立派・・制限選挙の共和制(王は不要)
・水平派・・普通選挙の共和制(王は不要)

内乱の開始(1642)
王党派優勢
↓↓
クロムウェル(ピューリタン)率いる議会派(独立派)の台頭
↓↓
1645 ネーズビーの闘い
議会派の勝利
チャールズ1世処刑(1649)

共和制が始まる・・!


(2)クロムウェルの独裁と王政復古
ポイント①イギリス史上最初で最後の共和制!
市民は圧政から解放されて生活できるハズだった・・

英・共和制(1649~1660)11年
→クロムウェルの独裁

・アイルランド征服(1649)
王党派の討伐を口実。イギリス人地主へ土地を分配。アイルランド人の小作人化が進む。

・スコットランド征服(1650)
残存する王党派を討伐

・航海法(1651)
英への輸出入は自国船か相手国船に限定。
→オランダの中継貿易(転売)を閉め出す。
→第1次イギリス=オランダ戦争(1652~1654)
英の勝利。海上覇権を得る。

・護国卿に就任(1653)
議会を解散。軍事独裁政治を断行。
ピューリタンは清貧。市民の娯楽も禁止される。
→不満がたまる・・

ポイント②スチュアート朝の復活
クロムウェルの死後、国王の支配が復活

クロムウェルが亡くなり・・
兄【チャールズ2世】(1660~1685)
王政復古。亡命先のフランスから帰国。
専制政治とカトリックの復活。(仏ルイ14世に影響される。)

議会は2つの法律で王に対抗する
↓↓
(1)審査法(1673)
公職就任者をイギリス国教徒のみに限定する。
(ピューリタンはクロムウェルの影響で不人気)

(2)人身保護法(1679)
国王による不当な逮捕、拘禁の防止

議会の仲間割れ。
王の弟ジェームズ2世への王位継承で議会が分かれる。

トーリ党(保守党の前身)・・賛成(今までのトーリに保守)
ホイッグ党(自由党の前身)・・反対

多数決でトーリ党が勝つ
↓↓
弟【ジェームズ2世】(1685~1688)
カトリックを保護、専制政治の強化
↓↓
名誉革命(1688~89)
(流血さわぎにならなかったため名誉という)

国王に出ていってもらうことを議会が決定!
オランダ総督(オラニエ公ウィレム3世)と妻メアリ(ジェームス2世の娘。スチュアート朝)を国王として招致。
(※オラニエ公ウィレム1世はオランダ独立戦争を率いた人)
↓↓
ジェームズ2世亡命
ようやく専制政治を追放・・!

 

ポイント③国王は議会に歯向かえない
名誉革命で完成したイギリス立憲政治

夫婦の共同統治
【ウィリアム3世】
【メアリ2世】
・「権利の宣言」(1689)
議会の承認による課税、恣意的な逮捕の禁止など

・「権利の章典」(1689)
権利の宣言を成分化。立憲政治の出発。
=イギリスの王は議会に刃向かわない

【アン女王】(位1702~1714)
・大ブリテン王国の成立(1707)
同君連合だったイングランドとスコットランドが合併。

アン女王没でスチュアート朝はとだえる・・





 


(3)議会政治の完成と産業革命の始まり
ポイント①「王は君臨すれども統治せず」
現在まで続くイギリス国王の地位を象徴

アン女王の死=スチュアート朝の断絶
→ハノーヴァー朝(1714~1901)

ハノーヴァー選帝侯(ドイツ出身)
→ジョージ1世(位1714~1724)
国王は英語を話せず政治に無関心。。旅行ばっかり。。
↓↓
内閣の成立(=王に代わって政務を担当する組織)
議会内の多数党によって組織

→内閣は「議会」に対して責任を負う(=責任内閣制)
(※「王」に対してではない)

例:内閣が政治に失敗した。議会に「内閣やめろー」と言われたやめなくちゃいけない。

・ウォルポール(任1721~1742)(ホイッグ党)
イギリスの初代首相。
「王は君臨すれども統治せず」

ポイント②なぜイギリスは世界初の産業革命をむかえたのか

ハノーヴァー朝の成立期に産業革命の条件がそろってくる。

3つの要素
・資本の蓄積(お金)
・市場の確保(市場)
・労働力の確保(人)

[1]「資本」の蓄積
・中世からの伝統的な毛織物業の発達→輸出してお金が蓄積されていた
・綿織物(キャラコ)(インド産)
軽くて洗える。染めやすい。楽しみやすい。→需要が高まる。
イギリス国内で作れないか・・?
安くて質の良い綿製品が作れたらいいのでは?

[2]「市場」の確保
・仏との植民地戦争の勝利。北米・インドで植民地を獲得。
・綿花などの原材料、商品作物を栽培させ、イギリスへ輸出させる。売りに行くこともできる。

[3]「労働力」の確保
・第2次囲い込み(エンクロージャー)18~19C
政府主導。合法的に共有地・耕作地を柵で囲い込む。
↓↓
・ノーフォーク農法(近代農法・農業革命)
牛や豚の飼料(かぶ、クローバー)(地力回復)と人間用の大麦、小麦を作る。次の年は場所を入れ替えていく。
→農作業の人手が要らない。

大量の失地農→都市へ流入し工場労働者となる。

あらゆる要素がイギリス産業革命を支えていく


(4)産業革命
ポイント①まずは綿工業からスタート!
需要の高い綿製品を安く丈夫につくる工夫

綿工業

大量に作る。同じ品質。
<機械>
(織機・しょっき)布を織る。糸から綿製品を作る。
・ジョン=ケイ・・飛び杼(1733)
↓↓
(紡績機)細くて丈夫な糸を作る。
・ハーグリーヴズ・・ジェニー紡績機
・アークライト・・水力紡績機
・クロンプトン・・ミュール紡績機(完成)
↓↓
・カートライト・・力織機

・ホイットニー(米)・・綿繰機(わたくりき)。綿花の種を切り離す機械。

ポイント②機械を動かす動力の開発!
人間・牛・馬よりもはるかに強い「力」を開発
<動力>
(蒸気機関)物を燃やして生まれる熱を使って動かす。
・ニューコメン 蒸気機関
・ワット(↑蒸気機関を改良。あらゆる機械の動力となる可能性を開く。完成させた)

(鉄工業)
・コークス製鉄法 ダービー父子
固い鉄が作れるようになった。石炭の不純物を除外→高温燃焼が可能。

交通革命
(蒸気船)
・フルトン
初の大西洋横断に成功。今までは風だったが、自力で進める。

(蒸気機関車)
・スティーヴンソン
試運転 ストックトン~ダーリントン間(1825)
営業運転 マンチェスターからリヴァプール間(1830)
→作ったものをすぐ港に運んで輸出できる。

 




(5)産業革命が社会に及ぼした影響
ポイント①イギリスの産業革命は社会そのものを変えた!
産業革命をむかえた国の宿命

産業革命によって「資本主義体制」が確立
↓↓
3つのトラブル
[1]資本家と労働者の対立
産業資本家(経営者)の台頭
対立
資本家(生産手段の所有者)VS 労働者(プロレタリアート)

[2]都市への人口集中
・マンチェスター 綿工業
・バーミンガム 製鉄業・機械工業
・リヴァプール マンチェスターの外港
農村部の人口減少

[3]労働問題
・女性・子どもの労働(ベテランが要らないため)→賃金低下

・機械うちこわし運動
ラダイト運動(1811~17)イングランド中・北部
手工業者・労働者たちの暴動

「世界の工場」としての地位を確立(1850年頃の英)
加工貿易の形を取る。世界から原材料を得て世界各地へ売る。

ポイント②欧米諸国も産業革命を開始!
イギリス製品に対抗するためには産業革命を起こすしかない!

英は機械を輸出する(1825)
↓↓
【先発産業革命】
・ベルギー(1830)
・フランス(1830~1860)遅い。緩慢。→フランス革命に理由がある。農民

【中期産業革命】
・ドイツ(1840~)重工業
・アメリカ(1830~)労働力不足→南北戦争後、国内市場統合

【後期産業革命】
・ロシア(1861~)資金が不足。仏の資本を導入し1890年代にようやく本格化。
・日本(1870~)
明治政府。殖産工業政策。
日清戦争後→綿織物(軽工業)
日露戦争後→重工業


 

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世界史【21】東欧絶対王政

250917
【21】東欧絶対王政
(1)オーストリア絶対王政
(2)プロイセン絶対王政
(3)ロシア絶対王政
(4)絶対王政時代の文化(1) 科学・哲学
(5)絶対王政時代の文化(2) 政治・経済
(6)絶対王政時代の文化(3) 芸術・文化

西欧絶対王政(16C~18C)→東欧絶対王政(18C)西の失敗を活かして「啓蒙専制君主」が出てくる。


(1)オーストリア絶対王政
ポイント①三十年戦争でオーストリアは得をした!?
「神聖ローマ帝国の死亡証明書」がオーストリアに与えた影響

・三十年戦争(1618~1648)
ウェストファリア条約(1648)(カルヴァン派公認)
神聖ローマ帝国は300の領邦に解体。
「神聖ローマ帝国の死亡証明書」

オーストリアの指導者は、代々神聖ローマ皇帝を兼任。
(=学級委員長が生徒会長を兼任)

神ロ皇帝の存在が無意味に・・
→神ロの仕事が減ったから、自国のオーストリアの経営に専念できる。
→オーストリアの全盛期がここから始まる。

オスマン帝国との抗争
・第2次ウィーン包囲(1683)
オーストリア〇 VS ✕オスマン帝国
↓↓
・カルロヴィッツ条約(1699)
オーストリアはハンガリーなど東欧諸地域を獲得。

 

ポイント②偉大なる女帝!マリア=テレジア!
オーストリア発展に尽力した彼女の生涯

・マリア=テレジア(位1740~1780)
父カール6世から継承。即位と同時にいちゃもんを付けられる・・。

・オーストリア継承戦争(1740~1748)
オーストリア(ハプスブルグ家)・英
VS
プロイセン・バイエルン、ザクセン選帝侯・仏・西

仏の思惑「ハプスブルグ家を倒したい・・。」イタリア戦争以来、仏とハプスブルグ家(独)とは犬猿の仲。
↓↓
・アーヘン条約(1748)
マリア・テレジアの継承権を承認。
だが、プロイセンへシュレジエン(石炭と鉄の産地。人口多)を割譲。

何をするにも仏にじゃまをされる。。
オーストリアの国益のため仏と仲直りが必要・・。
「外交革命」
シュレジエン奪回をめざすオーストリアが仏に接近
↓↓
イタリア戦争以来のオーストリアと仏の250年の対立が終わる!
娘マリ=アントワネットを仏に嫁がせた。

プロイセンが危機感を感じ・・しかけた。
↓↓
・七年戦争(1756~1763)7年
✕オーストリア・仏・露(女帝)・スウェーデン(女帝)
VS
〇プロイセン・英

墺優勢でプロイセンの都ベルリンを包囲。追い詰めたが・・ロシア女帝(エリザヴェータ)が亡くなり、ピョートル3世に。。彼はフリードリヒ2世(大王)の大ファンで、ロシアはプロイセンに寝返る。
↓↓
マリア・テレジアは、シュレジエン返還をあきらめ、戦争を終わらせた。。

ポイント③革命を試みた皇帝とその結末
富国強兵のための「上からの近代化」

オーストリア

・ヨーゼフ2世(位1765~1790)マリアテレジアの長男
啓蒙専制君主
啓蒙主義(理性に基づいて合理的か考える)的政策を実施しつつ、専制政治を行う
→上からの近代化をめざした。

・農奴解放令(1781)→✕失敗

・宗教寛容令(1781)→✕失敗
カトリック以外を認める
↓↓
貴族から反発。。
2つとも失敗に終わる

・第1回ポーランド分割


(2)プロイセン絶対王政
ポイント①プロイセンという国家の成立
2つの領土が合体して成立したドイツ最強の国家

【プロイセン(プロシア)】
2つの国が合体してできた

[1]ブランデンブルク選帝侯国
12C前 ブランデンブルク辺境伯領の成立
(七選帝侯の一つ。金印勅書1356)
15C前 ホーエンツォレルン家の支配始まる

+

[2]ドイツ騎士団領
13C前 バルト海沿岸への東方植民(神ロが人口増で東へ移った)
16C前 ルター派を受容。カトリックをやめる→プロイセン公国の成立(改名)

↓↓

【プロイセン王国】
(都:ベルリン)
(同じホーエンツォレルン家の支配なので合体できた。)
スペイン継承戦争で神聖ローマ皇帝側を支援
→王国への昇格(1701)
→ドイツ最強国家へのし上がる

(父)【フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(位1713~1740)】
(兵隊王)
軍備拡張、官僚機構の整備
→絶対王政の確立

ポイント②合理的な絶対王政!?
啓蒙思想の影響を受けた国王の登場

(子)【フリードリヒ2世(大王)(位1740~1786)】
啓蒙専制君主
「君主は国家第一の僕(しもべ)」
(=国のために尽くす一番の部下が自分)
どうすればプロイセンが強くなるか・・を考え続けた。

・啓蒙思想家ヴォルテールと親交

・農場領主制(グーツヘルシャフト)
西欧への輸出用穀物の生産。(西欧は大航海時代で商工業にシフトして農業人口が減っていたため)大農場経営に。
↑↑
・ユンカー
エルベ川以東の領主貴族。グーツヘルシャフトを行う貴族。大王が支援。

・サンスーシ宮殿(ポツダム)
(※ドイツ連邦共和国・ベルリン郊外・ポツダム宣言の場所でもある)

・オーストリア継承戦争(1740~)&七年戦争(1756~)
→オーストリアからシュレジエンの獲得
→プロイセンの産業を支える

・第1回ポーランド分割(1772)
<by 3人の啓蒙専制君主>
・ヨーゼフ2世(オーストリア)
・フリードリヒ2世(プロイセン)
・エカチェリーナ2世(ロシア)





(3)ロシア絶対王政
ポイント①ビザンツ帝国の継承者!
ロシアはビザンツ帝国の地位をすべて継承する

【モスクワ大公国(だいこうこく)】(13~17C)
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)が滅びたときに制度を引き継いだ。

・イヴァン4世(雷帝・位1533~1584)
ー「ツァーリ」の称号を正式に採用
ー コサック(ロシア南の騎馬民族)の首領イェルマークにシベリア探検を行なわせて、シベリアへ進出

【ロマノフ朝(1613~1917)】
・ミハイル=ロマノフ
ロマノフ朝の創始→農奴制の強化

・ステンカ=ラージンの反乱(農民反乱)

 

ポイント②ピョートル1世はロシア発展の基礎を築く
四方八方に領土を拡大するワケとは?

【ロシア帝国】
・ピョートル1世(大帝)(位1682~1725)

・西欧使節団の派遣
皇帝自ら西欧諸国を見聞

”貿易ルート”が欲しい・・!
↓↓
・北方戦争(1700~1721)ロシアの西
ロシア〇 VS ✕スウェーデンカール12世
↓↓
・ペテルブルクへ遷都(西洋への窓)戦の途中に
↓↓
・バルト海の覇権獲得

・アゾフ海(黒海)へ進出(17C末)ロシアの南
オスマン帝国より奪取

・ネルチンスク条約(1689)ロシアの東
清の康煕帝。中国が初めて外国と対等に結んだ条約。

ポイント③エカチェリーナ2世のちょっと変わった政治
啓蒙専制君主とされる皇帝の統治をみる

【エカチェリーナ2世(位1762~1796)】
・啓蒙専制君主(ヴォルテールと文通)
・学芸の保護、教育改革、法治主義

・農奴制の強化
農民には農業はさせておく方がロシアにはプラスと判断
(ヨーゼフ2世は解放しようとして失敗)
↓↓
・プガチョフの農民反乱(1773~1775)←鎮圧

<積極的な対外政策>
・クリミア半島を領有(黒海進出)

・ラスクマンを日本・根室へ派遣(1792)通称要求→失敗

・ポーランド分割(1772・1793・1795)
コシューシコの抵抗運動(米独立戦争に義勇兵として参加)

 


(4)絶対王政時代の文化(1)科学・哲学
ポイント①科学の大いなる発展!
絶対王政の時代にさまざまな科学的進歩がある。

<科学革命>
(物理学)
・ニュートン(1642~1727)英
万有引力の法則を発見『プリンキピア』
「リンゴが落ちた・・」

(化学)
・ラヴォワジェ 仏
質量保存の法則
「庶民から集めた税金を研究費にあてていたんだ・・(横領していた)」

・ボイル 英
「近代科学の父」気体の圧力と体積

(生物・医学)
・ジェンナー(1749~1823)英
種痘法(=天然痘の予防接種)を開発
「天然痘を抑える薬を見つけたかも・・よし誰かに試してみよう。」
最初は悪い評価→あとから評価が上がる

・リンネ スウェーデン
植物分類法

・ハーヴェー 英
血液循環説。心臓がポンプとなっていることを発見。

 

ポイント②近代的な世界観が構築される時代
哲学では合理主義的な思考が芽生える

(哲学)
====================
★【3つの哲学】
1.経験論(帰納法)フランシス=ベーコン
2.合理論(演繹法)デカルト・パスカル
3.ドイツ観念論 カント
====================

1【経験論】17~18C 英
・フランシス=ベーコン
「認識や知識は経験から得られるのだ。先天的に備わる先入観念は要らない」
『新オルガヌム』4種類の偏見を紹介
↓↓
「帰納法」
観察や実験で得られた個々の事例を集め、そこから一般的理論を導き出す。経験で結論を出す。

2【合理論】17C 仏
仮定を立てて頭で組み立てる。机上でできる。
・デカルト
「近代哲学の父」
『方法序説』「われ思う、ゆえにわれあり」(=すべての存在を疑う自分の中の自分。理性を持つ自分というのは最終的に疑うことはできない)
「人間の理性を認識の基礎とすべきだ。世界は論理的に把握できるのだ」
↓↓
「演繹法」(えんえきほう)
前提を立て、そこから論理的に結論を導き出す

「合理論」はデカルトの他にも・・
・スピノザ ユダヤ系オランダ
・ライプニッツ 独
・パスカル 仏『パンセ』『随想録』(1670)など

この2つを批判し、かつ統合
↓↓

3【ドイツ観念論】18C後~19C初
・カント
「認識とは理性が与えた形式で経験を理解すること。その理性には限界があるはずなんだ・・」
→「経験論」も「合理論」も頭が判断。人間は完全ではない・・。抜けがある。その抜けを見つける(つっこむ)ことによってよりレベルの高い意見が生まれる、とした。

『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』
” 批判する哲学 ”

 





(5)絶対王政時代の文化(2)政治・経済
ポイント①絶対王政を批判する思想の登場!
近代市民革命への思想的な基盤が完成

<政治・経済>
(市民階級の急成長・新思想の普及)
知識人が政治議論を交わす場所

・コーヒーハウス(英)
新聞・雑誌が閲覧可能

・サロン(社交場)
貴族・上流階級の女性が主催

・カフェ(仏)
文化人など市民が政治・文化を議論

=============
★【3つの政治的の考え方】
(1)自然法
(2)社会契約説
(3)啓蒙思想
=============

(1)自然法
・グロティウス 「国際法の祖」「近代自然法の父」
「私は三十年戦争の惨禍を目の当たりにし、国際法の必要性を痛感したんだ・・」
→「国に関係なく、人が守るべきルールがあるはずだ。」
『海洋自由論』『戦争と平和の法』

(2)社会契約説
国家のあり方について

・ホッブス
『リヴァイアサン』万人の万人に対する闘い
無秩序だと争いが絶えない。ある程度規制すべきだ・・絶対王政の擁護。

・ジョン=ロック
「政府とは我々の財産や幸福を守るために存在するものだ。もしおびやかすなら、政府をつぶしていいんだ」
『統治二論』(『市民政府二論』)

・ルソー
「人民に主権のある国家が理想的だ。今のフランスはおかしい」=絶対王政を批判
『社会契約論』『人間不平等起源論』

(3)啓蒙思想
・ヴォルテール
『哲学書簡』(イギリスだより)
「王権神授説」を批判。
「王の力は神から授かった?そんなのはくだらない!
私たちはもっと合理的に考えるべきだ・・!」

・モンテスキュー
『法の精神』三権分立 司法・行政・立法

・ディドロ、ダランベールら『百科全書』

 

ポイント②経済学の発展
国家を支えるための経済思想が発展

==================
★【3つの経済的な考え方】
(1)重商主義 コルベール
(2)重農主義 ケネー
(3)古典派経済学 アダム・スミス
==================

(1)重商主義 16~18C
コルベール
ルイ14世の財務総監「輸出産業を育てるには国家が積極的にお金を投資しなければ!」
国家が積極的に経済に介入する。

(2)重農主義 18C後仏
重商主義を批判。政府は経済に関与するな。=「自由放任主義」
ケネー『経済表』

(3)古典派経済学 18C後英
重農主義を受け継いだ

・アダム=スミス(1723~1790)「経済学の父」
自由放任を主張
「経済活動に国家はかかわるな。景気はすべて「見えざる手」によって調整されるのだ」
『諸国民の富』(『国富論』)

・マルサス『人口論』

・リカード
古典派経済学を確立


(6)絶対王政時代の文化(3) 芸術・文学
ポイント①宮廷を中心とした華やかな文化活動
王の権威を象徴する芸術

(美術)
【バロック美術】 16C後~18C初
派手で宮廷ごのみ
・エル=グレコ(「私はギリシアの人」という意味のPN)
「近代スペイン画の祖」
出身地クレタ島

・ベラスケス
光線の表現に工夫

・ルーベンス
「十字架立て」『キリストの十字架降下』

・レンブラント(1606~1669)
光と影の描写。『夜警』後に評価

派手なバロック美術よりもっと繊細に・・
↓↓
【ロココ美術】仏
・ワトー
田園・宮廷画

 

(音楽)
【バロック音楽】 16C後~18C初
派手で豪華

・バッハ「近代音楽の父」
プロイセン・フリードリヒ2世の宮廷で演奏

・ヘンデル 英
英・宮廷音楽家

【ドイツ古典派音楽】
・ハイドン「交響曲の父」
・モーツァルト 交響曲など多くの傑作
・ヴェートーベン
古典派音楽を集大成し、ロマン派音楽への道を拓く

ポイント②文学作品にも時代の特色が現れる!
絶対王政の時代らしい作品の登場

 

(文学)
【フランス古典主義文学】17C
ルイ14世の頃。王様好み。ギリシア、ローマ時代の調和の取れた形式的な美しさを持つ作品がモデル。
・コルネイユ 古典主義の悲劇を創始
・ラシーヌ 古典主義の悲劇を大成
・モリエール 古典主義の喜劇を大成

【イギリス市民文学】
英は市民革命を早く迎えたため(世界初)自由な作風が多い。
・ミルトン『失楽園』・・『旧約聖書』の楽園喪失を題材
・デフォー『ロビンソン=クルーソー』冒険小説
・スウィフト『ガリヴァー旅行記』英の社会風刺。小人の国や巨人の国。天空島ラプータ。

 


 

・世界史タイトル一覧

 

世界史【20】主権国家体制と西欧絶対王政

250914
【20】主権国家体制と西欧絶対王政
(1)絶対王政の特徴
(2)スペイン・オランダ
(3)イギリス・フランス
(4)フランスのルイ14世の時代
(5)第2次英仏百年戦争


(1)絶対王政の特徴
ポイント①一番大事なことは自国の損か得か
主権国家の概念を確認

主権国家体制
明確な領域(国土)を有し、確立した主権が存在する国家。主権は国内では最高権力としての性格を、対外的には独立性を持つ。

(主権国家の争いの初めての例)
→イタリア戦争(1494~1559)
仏と神聖ローマがイタリアをめぐって抗争。
仏と独の仲はとても悪くなる・・。

宗教とは無関係に国際的なつながりが持たれる。
仏(キリスト教)ーオスマン帝国(イスラーム教)
神聖ローマ帝国(カトリック)ーイギリス(プロテスタント)
=宗教・宗派が違っていても、国の損得で結びつく。

カトー=カンブレジ条約(1559)で和議

ポイント②絶対王政の構造を確認しよう
絶対王政を行うために必要なこと

絶対王政の基盤(16~18C)
・官僚制・・(封建)貴族。国王の補佐。
→言うことを聞いてもらうために高い給料。→お金がかかる
・常備軍・・国王の軍。→お金がかかる
・王権神授説・・王の権力は神から授かった。国王権を正当化。

(経済基盤)
重商主義・・国家財政を富ませる政策
・重金主義(16C)・・海外植民地から金・銀を奪う
・貿易差額主義(17C~)・・輸出を増やし、輸入をおさえて儲ける
→工場制手工業(マニュファクチャ)
分業による協業

封建貴族が官僚として国王の政治を補佐。


(2)スペイン・オランダ
ポイント①スペインは「たまたま」絶対王政を完成できた!?
新大陸からの莫大な富だけがスペインを支えた

<スペイン>
〇カルロス1世(位1516~1556)(西・独)
(=神聖ローマ皇帝 カール5世 位1519~1556)

カルロス1世は父フィリップ(独ハプスブルグ家)と、母フアナ(西王家)の子。(フアナはフェルナンドとイサベルとの娘。)

・カルロス1世の時から、スペイン=ハプスブルグ家が成立。

・広大な領土を支配
スペイン、ネーデルラント、オーストリア、シチリア、ナポリ、ミラノ、フィリピン、アメリカ大陸(ポトシ銀山)

スペイン絶対王政の完成

〇フェリペ2世(位1556~1598)(西・葡)
・ポトシ銀山からの大量の銀→絶対王政の基盤に
(たまたま転がりこんだ富)

・カトリック政策を強化
– 英王メアリ1世と結婚。英をカトリックに。
– ネーデルラント植民地に旧教を強制→オランダ独立戦争を招く

・レパントの海戦(1571)
〇スペイン・教皇・ヴェネツィア
VS
✕オスマン帝国

1538 ひっこみやプレヴェザ

1571 ひっこまないレパント

・マニラの建設(1571)
フィリピン経営の本格化

・ポルトガル併合(1580~1640)60年間
母がポルトガル王家出身。王位がとだえ、フェリペ2世がそのまま王位継承。ポルトガルの持つアジア植民地をスペイン領にした。

スペイン・・「太陽の沈まぬ国」

・無敵艦隊(アルマダ=スペイン海軍)英に敗北(1588)
アメリカ大陸へ行く道がとだえる。

銀も取り尽くし、スペイン絶対王政は終了・・。
(国内の産業や経済を育てなかった。。)

 

ポイント②17世紀はオランダの世紀!?
海上交易で世界へと進出する「小国」の勇姿

<オランダ>

スペイン(フェリペ2世時)から独立したオランダ
オランダの発展
(首都:アムステルダム)

〇アジア貿易への参入
※アジアはポルトガルが先に開拓していたが、フェリペ2世時にポルトガルはスペインに吸収された。今、船は行っていないからチャンス!

・オランダ東インド会社の設立

・ジャワ島にバタヴィア(現ジャカルタ)を建設
総督府の設置。香辛料貿易の独占を狙う。

(ルート)
オランダ→アフリカ南→インド→東南アジア
そのため各地に拠点を作る

・台湾を占領
日本、中国との通商の拠点

・ケープ植民地建設
アフリカ最南部の植民地

・アンボイナ(アンボン)事件(1623)蘭〇 VS ✕英
モルッカ諸島。オランダがイギリス商館員らを虐殺。オランダがこの頃出てきたライバルのイギリスを東南アジアから追い出す。→英はしぶしぶインドに行く。インドに行くきっかけとなった。

〇北米にも進出
・オランダ西インド会社の設立(ヨーロッパから見て米は西)

・ニューネーデルラント植民地を作る
中心地:ニューアムステルダム(現ニューヨーク)の町の建設

→交易の拠点に拠点を作りなら、アジア、アメリカへ進出。世界はオランダの船であふれていた。

 




(3)イギリス・フランス
ポイント①イギリスの絶対王政は他の国とは大違い!
伝統的な議会の存在と国王権力とのバランス

<イギリス>
英王(命令)→(中央)議会(模範議会)立法や税徴収など
英王(命令)→(地方)ジェントリ
※英王は議会やジェントリとうまく付き合う必要がある

・ジェントリ(郷紳・きょうしん)
貴族と平民の中間。地主。
治安判事など地方行政を担う。
ジェントリは無給(ボランティア)なので
工場経営などで生計を立てる。
↓↓
・毛織物工業の発達(14C~)生産・輸出
代表的産業に

・官僚制と常備軍は未発達

 

ポイント②テューダー朝の発展
ヘンリ8世からエリザベス1世の時代

<イギリス絶対王政>
ヘンリ8世が始めて、エリザベス1世で完成。

〇ヘンリ8世(位1509~1547)
民衆から人気。議会も無視できない。。
・首長法(国王至上法)(1534)
・星室庁裁判所の設置
身分の高い者を裁く国王直属の裁判所

・第1次囲い込み(エンクロージャー)
牧羊地(モコモコ羊毛がほしい→毛織物→輸出して稼ぐ)
毛織物が代表産業に。ジェントリから支持。
→農民の浮浪化・極貧化

〇エリザベス1世(位1558~1603)
国民から人気があった。
・統一法(1559)
イギリス国教会の確立(カトリック教会とは決別)

積極的な海外進出。重商主義。
・ドレーク(1540~1596)
ー 私拿捕船(しだほせん)・私掠船(しりゃくせん)
(=国王公認の海賊船)
スペイン船から金や銀を奪う。

ー ドレークは世界周航を達成。
各地を探検させ新しい土地を探させた

・北米にヴァージニア植民地を建設(→失敗に終わる)

・スペインの無敵艦隊(アルマダ)を撃破(1588)
英の経済力、海軍力の強さがヨーロッパに示される

・イギリス東インド会社の設立(1600~1858)
専門の貿易会社を作る。

ポイント③フランスは内乱のあとに絶対王政が始まる!
ユグノー戦争の終結と国王権力の拡大

<フランス絶対王政>
内乱ユグノー戦争(1562~1598)で貴族が没落→国王権力が強くなっていく。絶対王政が始まる。

ヴァロワ朝
→ブルボン朝(1589~1792)

〇アンリ4世(位1589~1610)
ユグノー(カルヴァン派)からカトリックへ改宗(1593)
ナントの王令(勅令)(1598)
ユグノー戦争終結

海外進出
・フランス東インド会社→経営不振
・ケベックの建設(1608)・・カナダの拠点

〇ルイ13世(位1610~1643)9才で即位
・三部会の招集停止
・名宰相リシュリュー
王権を強化
ドイツ三十年戦争で勝利。


(4)フランスのルイ14世の時代
ポイント①ルイ14世の時代は典型的な絶対王政!
優秀な部下に恵まれた前半の政治と、後半の波乱

<フランス絶対王政>
〇ルイ14世(位1643~1715)5才で即位。72年間!ギネス
<清の成立1644~康煕帝(位1661~1722)と同じぐらいの時期>

(宰相:マザラン)(注:世界一周はマゼラン)

・フロンドの乱(1648~1653)5年
王権の伸長に対する貴族、高等法院(王の命令を審査する貴族)の反乱。←マザランにより鎮圧

1661~マザランが亡くなり、ルイ14世、自ら政治を行う。(23才)
・「朕は国家なり」
(私が国だ。私の損得が国の損得だ。)

・神学者ボシュエ
王権神授説を確立。皇太子の教育係。

・財務総監コルベール
典型的な重商主義政策(コルベール主義)
→国家が直接経済活動に介入し、国を富ませようとした。

ー フランス東インド会社再建

ー 特権マニュファクチュアの設立
(国内産業の保護。輸入をおさえて質の高い製品を輸出する)

・ヴェルサイユ宮殿の完成(1682)
パリ郊外ヴェルサイユに建設。ルイ14世はここで政務を取った。権力の象徴。

・ルイジアナの建設(1682)
北米ミシシッピ川流域を領有宣言。フランスの植民地とした。
「ルイ14世」の名前を取ってルイジアナに。(探検家ラ・サール)

・ナントの王令(勅令)廃止(1685)
カトリック強制。→ユグノー(カルヴァン派)が国外へ。商工業者が多かったので、フランス産業が衰退。

 

ポイント②ルイ14世の対外戦争!
4回にわたる侵略戦争をみる

ルイ14世の対外侵略戦争

「自然国境説」(国境は川や山などで決めるべき)を唱える。
西のスペインとはピレネー山脈、北の英とはドーバー海峡、南のスイスとはアルプス山脈が国境だ。
→だから東はライン川まで領土を広げよう!

これら↓↓の国はライン川の内側にあるからフランスのものだと主張。(もう、むちゃくちゃ)
[1]・南ネーデルラント継承戦争
[2]・ファルツ戦争

[3]・オランダ(侵略)戦争(南ネーデルラントに味方したから報復)

そしてフランスにとって最も痛い結果に終わったのがこちら
↓↓
[4]・スペイン継承戦争(1701~1713)

スペイン=ハプスブルク家の断絶
→ルイ14世の孫フィリップの王位継承を主張。(ルイ14世の妻がスペイン王家のため)
→フィリップがフェリペ5世として即位(スペイン=ブルボン朝の創始)
↓↓
(ちょっと待ったーー!)
スペイン継承戦争
スペイン・フランス✕ VS 〇英、オランダ、オーストリア
↓↓
・ユトレヒト条約(1713)

フェリペ5世の即位は承認されたが・・
「フランス・スペインの合併は永久に禁止」となる。
(同じブルボン朝が合体することができない)
→領土拡大は失敗

(cf.ユトレヒト同盟(1579)はオランダ独立戦争で北部7州が結んだ同盟)

↓↓
この4つの戦争で、財政圧迫・・。
このあとは絶対王政が衰退。フランス革命へとつながる。

 




(5)第2次英仏百年戦争
ポイント①イギリスの世界進出!
インド・北米へと進出するイギリスの動き

<イギリス>
〇英のインドへの進出
(中心:東インド会社)
・マドラス(インド南東)・ボンベイ(インド西南)の獲得
・カルカッタ(インド北東)の獲得(ガンジス川下流)
肥沃なベンガル地方の要地

〇英の北米への進出(13植民地の形成)
アメリカ東海岸
・ヴァージニア植民地
最初の北米植民地(エリザベス1世時は失敗。これは再トライでステュアート朝・ジェームズ1世時の話)

・ピルグリム=ファーザーズ
清教徒ピューリタン(英のカルヴァン派)中心。
英から米に移る。宗教的自由を求めて。
↓↓
・ニューイングランド植民地
米北東部。プリマスなど。

・ニューアムステルダムをオランダから奪って
ニューヨークと改名。

 

ポイント②フランスの世界進出!
インド・北米へと進出するフランスの動き

<フランス>
〇仏のインドへの進出
東インド会社再建(1664)
(↑ルイ14世時の財務総監コルベールにより)

・ポンディシェリ(インド東南=マドラス(英)のすぐ南)
・シャンデルナゴル(インド北東・ガンジス川流域=カルカッタ(英)のすぐ北)

〇仏の北米への進出
・ケベック(カナダ)を建設(1608 アンリ4世)
・ルイジアナの建設(1682 ルイ14世)
ミシシッピ川流域(北米大陸の真ん中を北から南まで、斜めに縦断)

 

ポイント③イギリスとフランスの植民地争奪戦!
北米・インドでついに衝突

・第2次英仏百年戦争(1688~1815)
インド・北米の植民地をめぐって英仏が戦う

【北米での英仏戦争】
・アン女王戦争(1702~1713)
北米の植民地争奪戦。英王の名前から。

ヨーロッパで仏ルイ14世がスペイン継承戦争(1701~1713)を起こしたときに、英はあえて仏の敵に回って、英 VS 仏の形を作った。
→結果→英〇 仏✕
↓↓
ユトレヒト条約(1713)
(「スペイン継承戦争」と「アン女王戦争」の条約)

英が領土を多く獲得。
<仏→英>
→アカディア、ニューファンドランド、ハドソン湾地方(現カナダ)
→英の北米進出の足がかりとなる。

<西→英>
ジブラルタル(スペイン南)、ミノルカ島(地中海)
→英が地中海の入口を確保

・フレンチ・インディアン戦争(1755~1763)(北米)
(ヨーロッパでは七年戦争(1756~1763))
英〇 VS ✕仏
↓↓
パリ条約(1763)
さらに英は領土を広げる。
カナダ・ミシシッピ川以東ルイジアナ、(仏→英)、フロリダ(西→英)(※ミシ以西ルイジアナは仏→西)

(西)ミ (東)
=仏=シ==仏
=↓=  シ==↓
=西=ッ==英
===ピ
===川

これで北米はほぼ英領になった。

【インドでの英仏の戦い】

・カーナティック戦争

・プラッシーの戦い(1757)
英の東インド会社の書記長:クライヴの活躍
(カルカッタ(英)とシャンデルナゴル(仏)の近く)

英〇 VS ✕仏・ベンガル太守連合軍

↓↓
結果→第2次英仏百年戦争はイギリスの勝利。
英はインド・北米に植民地を増やす!

 


 

・世界史タイトル一覧

 

世界史【19】宗教改革

250912
【19】宗教改革
(1)ドイツ宗教改革の始まり
(2)ドイツ宗教改革の帰結
(3)スイス・イギリス宗教改革
(4)対抗宗教改革と宗教戦争
(5)フランス・ドイツの宗教戦争
独は分権化へ、英は王権強化。スイスは商人に受け入れ進む。


(1)ドイツ宗教改革の始まり
ポイント①ルターの怒り!カトリック教会の腐敗…
教会批判とルターの主張

<ドイツ宗教改革>

ドイツ(神聖ローマ帝国)
・教皇レオ10世(位1513~1521)
サン・ピエトロ大聖堂の改築
→教皇庁の財政ピンチ
→贖宥状(免罪符)の販売を許可。=お金を払えば罪は許される。

当時のドイツは「ローマの牝牛(めうし)」
→(意味)当時神聖ローマ皇帝の力は強くない、管理が行き届かない。だからローマ教皇が好き勝手できた。

↓↓
免罪符にNo!

・マルティン=ルター(1483~1546)
ヴィッテンベルク大学の神学部教授。
ローマ教皇、カトリック聖職者の権威を否定。
聖書主義。
「人は信仰によってのみ義とされる」(信仰義認主義)
「九十五カ条の論題」(1517)
ヴィッテンベルク教会に貼り付けた。

教皇や宗教会議の権威を否定したルターは、教皇レオ10世により破門に。
→ルター「望むところだ・・」

ポイント②国内の諸侯を巻き込む一大変革へ
皇帝と諸侯の対立に宗教が利用される

独(神聖ローマ皇帝)カール5世(1519~1556)
(=スペイン・カルロス1世)
「カトリックの教えを否定するやつは許さん!」
=皇帝はカトリックの守り主。カトリックの批判は自分への批判になるため。

・ヴォルムス帝国議会(1521)
撤回を強要。ルターは拒否。→帝国から追放。

(cf.ヴォルムス協約(1122)は叙任権が教皇になった)

・ザクセン選帝侯フリードリヒ(諸侯の一人)がルターを保護
カール5世と対立している。

ルターは『新約聖書』をドイツ語に訳す
↓↓
グーテンベルク(独)が発明した活版印刷で広がる

ルター派
反教皇、反皇帝派の諸侯から支持

ドイツ国内の混乱

・ドイツ農民戦争(1524~1525)
農奴制・領主制・十分の一税の廃止を要求

ミュンツァーが農民軍を指導
宗教改革を農奴解放、共有社会の実現へと結びつける
↓↓
ルターは最初同情するも・・「私はザクセン選帝侯にお世話になった。だから諸侯側を支持する」
↓↓
ルターは農民には受け入れられない。諸侯には人気。


(2)ドイツ宗教改革の帰結
ポイント①ドイツを取り巻く国際情勢の変化!
皇帝はルターよりも厄介な2つの敵に出会う・・

(1つ目の敵)
・イタリア戦争(1494~1559)60年間
独カール5世VS仏フランソワ1世
イタリアの支配をめぐって対立。独がローマに侵入。
→イタリア・ルネサンスは衰退・・

(2つ目の敵)
・オスマン皇帝の圧迫
ハンガリー併合(1526)
スレイマン1世
仏と争っていたら背後からオスマン帝国が来た!
↓↓
ルター派を利用。ルター派を容認(1526)
国内の結束と団結。
↓↓
第1次ウィーン包囲(1529)
冬が来たのもあり、撃退成功。
↓↓
ルター派を再禁止・弾圧(1529)
ルター派は抗議文を提出・・「プロテスタント」教皇権を否定

 

ポイント②ついに皇帝が妥協した!宗教和議の締結
ドイツに及ぼした影響とは・・

・シュマルカルデン同盟の結成(1530)
ルター派の諸侯・都市がカール5世に対抗するため結成。

・シュマルカルデン戦争(1546)
↓↓
皇帝が妥協・・

・アウクスブルクの宗教和議(1555)
ルター派
のみ公認。(カルヴァン派は✕。→のちのウェストファリア条約1648で公認される)
・諸侯に対してカトリック派 OR ルター派の選択権を認める。
(個人の信仰は認められない。)
↓↓
「領邦教会制」の確立
諸侯は、領邦内の教会への支配権を持つことになった。

皇帝の力は衰え、諸侯が強くなり、ドイツの分裂が続く・・

 




(3)スイス・イギリス宗教改革
ポイント①いまの世界があるのはカルヴァンのおかげ!?
カルヴァンの思想はヨーロッパを変えた

<スイス宗教改革>

(1)ツヴィングリ
スイス・チューリヒ
エラスムスやルターの影響を受ける。

(2)カルヴァン(1509~1564)スイス・ジュネーブ
「魂の救済は意志や善行とは無関係。すでに神によって決められているんだ。」
・『キリスト教綱要』
・「予定説」・・神の意志の絶対性、人間の行為の無意味さを強調。
天職に励むこと、仕事の成功で救済を確信。→キリスト教で初めて蓄財を承認。(カトリックは儲けることを否定)→商人に受け入れられ広がる。
・長老主義・・教会の運営は牧師と信徒の代表者
・ジュネーブで神権政治(政教一致体制)を実施
↓↓
ヨーロッパ各地に広がる

カルヴァン派の呼称
・ピューリタン(イングランド)
・プレスビテリアン(スコットランド)
・ゴイセン(ネーデルラント)
・ユグノー(フランス)

 

ポイント②イギリスの宗教改革にはウラがある!?
ヘンリ8世の離婚問題は単なる口実・・

<イギリス宗教改革>

〇テューダー朝(1485〜1603)

(初代ヘンリ7世)
4人の英王
(1)ヘンリ8世(位1509~1547)2代
英は王の力を強くするための宗教改革。(ドイツは民が中心→分裂)

・王妃カザリンとの離婚問題。教皇と対立→カトリックを辞める
・国王至上法(首長法)の発布(1534)
イギリス国教会の創設(=新しいキリスト教を作った。)
「英王は国教会の唯一最高の首長」
・修道院を解散し、没収した土地を新興市民に安く売り渡す

ヘンリ8世の子3人
↓↓
(2)エドワード6世(位1547~1553)3代
・一般祈祷書の制定(1549)
国教会の教義を整備

(3)メアリ1世(位1553~1558)ブラッディメアリ・4代
・スペイン皇太子フェリペ2世(カトリック)と結婚
・カトリックの強制→新教徒(イギリス国教会)を弾圧

(4)エリザベス1世(1558~1603)5代
・統一法の制定(1559)
イギリス国教会の確立。国王が宗教も統治。

↓↓
スチュアート朝・ジェームズ1世へ・・

 


(4)対抗宗教改革と宗教戦争
ポイント①カトリックは間違っていない!

<カトリックの対抗>

〇対抗宗教改革(反宗教改革)
(1)イエズス会(ジェズイット教団)(1534)
この2人のスペイン人↓↓が作った
・イグナティウス=ロヨラ
・フランシスコ=ザビエル
カトリックの世界伝導、ヨーロッパの再カトリック化

(2)トリエント公会議(1545~1563)
教皇至上権、カトリック教義の再確認(やっぱりカトリックは間違ってない!)
禁書目録の制定、宗教裁判、魔女狩りの流行

 

ポイント②スペインに果敢に勝負を挑んだオランダ!
宗派の違いから国家の独立戦争を起こす

<オランダ宗教戦争>

〇オランダ独立戦争(1568~1609)40年
スペイン王フェリペ2世
重税、カトリック信仰を強制
↓↓
ネーデルラントが反乱(1568)
・北部7州(オランダ):ゴイセン(カルヴァン派)が多い
・南部10州(ベルギー):カトリック教徒が多い
↓↓
・南部10州の降伏(1579)
↓↓
・北部7州→ユトレヒト同盟結成(1579)
ホラント州中心(オランダの語源)
指導者:オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム)
↓↓
・独立宣言(1581)
ネーデルラント連邦共和国(オランダ)

・休戦条約(1609)
スペインがオランダの独立を事実上承認

 




(5)フランス・ドイツの宗教戦争
ポイント①フランスで起きた宗教戦争は根が深い!
ただの宗教的な争いではない・・

<フランス宗教戦争>

・ユグノー戦争(1562~1598)30年
カトリック(多数) VS ユグノー(カルヴァン派)

国王シャルル9世、摂政・母后カトリーヌ=ド=メディシス
新旧両派の対立に有力貴族の王権をめぐる政治闘争がからむ

・サンバルテミの虐殺(1572)
国王シャルル9世の妹(王妃マルゴ・カトリック)と、アンリ(新教徒ユグノー)の婚儀をパリで開催
→王母カトリーヌはパリに集まったユグノーたちを虐殺
→大内乱に・・!

国王暗殺(ヴァロワ朝アンリ3世)
→ブルボン家アンリ4世が国王に即位
→ブルボン朝創始(1589)

・ナントの勅令(王令)(1598)
アンリ4世がカトリックに改宗してから、新教徒(ユグノー)へ条件付きの信仰の自由を保障→旧教徒とほぼ同様の権利を付与。カトリックが国教のフランスでは画期的なできごと。
↓↓
ユグノー戦争が終結・・!(1598)

(→ナントの勅令は、後にルイ14世が廃止1685)

 

ポイント②ドイツ三十年戦争はその後のヨーロッパを変えた!
主権国家体制の確立はこの時期

<ドイツ宗教戦争>
宗教戦争から国際戦争へ・・

三十年戦争(1618~1648)
・ベーメン(ボヘミア)反乱(1618)
新教徒の多い地域に対して、神聖ローマ皇帝(ハプスブルグ家)がカトリックを強要したため

・デンマークの参戦(1625)✕(プロテスタント国家)
神聖ローマの傭兵隊隊長のヴァレンシュタインに敗北

・スウェーデンの参戦(1630)✕(プロテスタント国家)
国王グスタフ=アドルフ
ヴァレンシュタインを破るが、途中で戦死

・フランスの参戦(1635)〇(カトリック国家だが・・新教支援)
宰相リシュリュー「宗教なんてどうでもいいわ。独(神聖)倒す」
仏はカトリック国家だが、ハプスブルグ家打倒のため、新教徒支援で参戦。(イタリア戦争からの宿敵を倒したい。)

↓↓
プロテスタント勝利〇
ウェストファリア条約(1648)

・アウグスブルクの宗教和議の再確認
追加事項:カルヴァン派公認

・スイス・オランダの独立・・国際的に承認
・フランスへアルザスを割譲
・スウェーデンへバルト海南岸(西ポンメルン)を割譲

・神聖ローマ帝国の有名無実化が決定(あってないようなもの)
ドイツ国内の領邦(諸侯の領土)に、ほぼ完全な主権を承認
↓↓
これ以降ヨーロッパの国は主権国家体制が確立する。
(=宗教の違いではなく、自分の国にとって損か得かで動くようになる。)

 


 

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