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世界史【28】19世紀の欧米諸国(3)文化史

251006
【28】19世紀の欧米諸国(3)文化史
(1)文学
(2)芸術
(3)哲学・社会主義思想
(4)科学・技術


(1)文学
ポイント①形式的な美しさに対抗し、個性・感情を爆発!
古典主義とロマン主義

<19Cの文学>
古典主義・・形式的な美しさ。ギリシア、ローマ時代から続く。
・ゲーテ(独)『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』
晩年は調和の取れた美しさ、典型的なストーリーに魅了される。

ロマン主義・・個性や感情を重視。主観的。
・グリム兄弟(独)(兄弟ともに言語学者)『ドイツ語辞典』(方言を集めた)グリム童話。
・ハイネ(仏)『歌の本』革命詩人。パリで七月革命を目にした。
・ヴィクトル=ユゴー(ユーゴー)(仏)『レ=ミゼラブル』虐げられる人々。
・バイロン(英)ギリシア独立戦争に義勇兵として参戦。

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ポイント②客観性を重視した文学の潮流
できるだけ主観を排した結果、見えてきたものは?

写実主義(リアリズム)・・ロマン主義を否定。客観的。
・スタンダール(仏)『赤と黒』仏・七月革命
・バルザック(仏)『人間喜劇』
・トルストイ(露)『戦争と平和』ナポレオン戦争中のロシア
・ドストエフスキー(露)『罪と罰』(露)
・ディケンズ(英)『二都物語』イギリスの下級社会。
↓↓
自然主義・・客観性+社会問題を重視。
・イプセン(ノルウェー)『人形の家』女性解放
・モーパッサン(仏)『女の一生』
・エミール=ゾラ(仏)『居酒屋』ドレフュスの冤罪事件(仏政府を批判)


(2)芸術
ポイント①時代を彩る数々の名画が誕生
激動の19世紀の中で生まれた画家が見たものとは・・

<19Cの美術>
古典主義絵画(19C前)・・形式的な美しさ。
・ダヴィド『ナポレオンの戴冠式』

ロマン主義絵画
・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』。仏七月革命。ギリシア独立戦争でギリシア応援。

写実主義絵画・・客観的にありのまま
・クールベ『石割り』。ナポレオン3世失脚後、パリ・コミューンにも参加。

自然主義絵画・・客観的、人間の内面、社会の真実
・ミレー『晩鐘(ばんしょう)』『落ち穂拾い(おちぼひろい)』

印象派・・戸外制作。光。
・マネ『草の上の食事』『笛を吹く少年』
・モネ『印象・日の出』『睡蓮』(↑↑マネに影響を受けた)
・ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』

後期印象派
・セザンヌ『赤いチョッキの少年』『サン=ヴィクトワール山』
・ゴッホ(1853~1890)『自画像』『ひまわり』

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ポイント②音楽だって時代を反映する!
その時代を象徴する音楽、出来事を風刺する音楽

<19Cの音楽>
バロック音楽(17C初~18C半)・・自由でダイナミック
↓↓
ドイツ古典派音楽(18C後~19C初)・・整然とした形式美
・ハイドン
・モーツァルト
・ベートーヴェン(集大成)
↓↓
ロマン主義音楽・・
感情を込める。
・シューベルト『美しき水車小屋の乙女』

・ヴァーグナー(ワグナー)『ニーベルングの指輪』・・ゲルマン民族の物語。楽劇。ヒトラーが愛した。

・ショパン(1810~1849)『革命』・・仏・七月革命の影響で、祖国ポーランドが独立を求めてロシアに反乱、鎮圧された。(1830)ロシアへの怒りを込めてこの曲を作った。





(3)哲学・社会主義思想
ポイント①人々が時代に合わせて取った思考プロセスとは
よりよく生きるための方法を生み出す

<19Cの哲学>
ドイツ観念論(批判する哲学)(カントが始めて⇒ヘーゲルが完成)
・ヘーゲル 弁証法哲学
「全てのものはある部分から見れば正しい、ある部分から見れば間違っている。」→2つを統合した新しい考え方→また反対意見がある→レベルアップしていく

↓↓ ヘーゲルの考えを応用

史的唯物論
・・「歴史の動き方」に法則を持たせる
・マルクス(独)
エンゲルスとともに歴史の発展法則(動き方)を探求→社会主義

功利主義・・利益主義
・ベンサム(英)「最大多数の最大幸福」多数決
↑↑(反対)
・ジョン=ステュアート=ミル(英)「幸福の中身・質にも注目」

実証主義
・コント(仏) 社会学の祖。科学的な方法を哲学に取り入れた。因果関係を見つけていく。

実存主義
・ニーチェ(独・哲学者)「神は死んだ」

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ポイント②資本家と労働者の対立をなくすための社会主義
空想から科学へ・・資本主義の矛盾を追及

<19Cの社会主義思想>
資本家と労働者の対立をなくす考え方・・社会主義

空想的社会主義
・ロバート=オーウェン(英)・・社会主義(労働者を助ける)。工場法の制定に尽力。→優しさだけでは根本的な解決にならない。
↑↑(批判)
科学的社会主義
・マルクス(独)、エンゲルス(独)・・『共産党宣言』「労働者は革命を起こして、工場から資本家を追い出して、利益は労働者で分配すればいい」「万国のプロレタリア(労働者)よ、団結せよ」


(4)科学・技術
ポイント①経済学にもさまざまな考え方が登場
イギリスに対抗するために生まれた経済学

<19Cの経済学>
(経済学)
歴史学派経済学
・リスト(独)・・英に対抗して保護貿易を主張。英は自由貿易を求めてくるが、英の思うツボだ。関税をかけて独国内を守ろう。
→ドイツ関税同盟の結成。ドイツ統一に尽力。
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ポイント②歴史の研究や法学研究にも新展開
合理的に歴史や法を研究する姿勢
<19Cの歴史・法学>
(歴史学)
近代歴史学
・ランケ 史料批判を通して実証的・科学的に史実を求める。→現在まで続く。根拠、分析。

(法学)
・サヴィニー「歴史法学」の創始
歴史、民族精神に基づく法律の制定
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ポイント③世界の一体化が促進
地域をつなぐ電信・通信技術の発達

19Cの発明は現在まで直結。
<19Cの科学・技術>
(物理学)
・ファラデー・・電磁気学の発展
・マイヤーとヘルムホルツ・・「エネルギー保存の法則」を発見。ガソリンエンジン。
・レントゲン・・X放射線の発見。第1回ノーベル物理学賞。

(化学)
・キュリー夫妻・・ラジウム、ポロニウムなどの元素を発見。

(生物)
・ダーウィン・・『種の起源』進化論を発表。人は猿から進化した。

(医学)寿命が伸びることに貢献
・パストゥール・・狂犬病の予防接種
・コッホ(独)・・結核菌・コレラ菌を発見

(技術・発明)
・ノーベル・・ダイナマイトを発明。
・モース(モールス)・・電信機。モールス信号。
・ベル・・電話機。
・マルコーニ・・無線電信。
・エディソン(米)・・「発明王」。蓄音機(録音)。白熱電灯。映画(映写機)。


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世界史【27】19世紀の欧米諸国(2)露・米

251005
【27】19世紀の欧米諸国(2)露・米
(1)ロシアの南下政策
(2)ロシアの近代化とバルカン進出
(3)アメリカ合衆国の発展
(4)アメリカが抱えた問題
(5)南北戦争とその後

(1)ロシアの南下政策
ポイント①ロシアがこだわった南下政策とは?
なぜロシアは凍らない港を求めるのか

英に対抗するため産業革命を進めたい。お金が必要。
→麦などを輸出したい。農作物販路の確保を目指す

バルカン半島ルートが行きやすい・・
口実に
①ギリシア正教徒の保護
②パン=スラヴ主義
を掲げ、黒海・地中海へ
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②南下政策の本格化!
ギリシア独立戦争とエジプト=トルコ戦争

ロシア南下政策・両海峡をめぐる3つの戦争。
(有利になるように首をつっこむ)

[1]【ギリシア独立戦争(1821~1829)】
〇 ギリシア+英仏露+ロマン派文化人・英バイロン・仏ドラクロワ
VS
✕ オスマン帝国+エジプト(ムハンマド=アリー)

ギリシア独立達成。
ロシアがオスマン帝国に要求
ダーダネルス・ボスフォラス両海峡の自由通航権を獲得
(黒海の南西)

[2]【第1次エジプト=トルコ戦争(1831~1833)】
エジプト総督ムハンマド=アリーがシリアを要求→獲得
〇エジプト+英仏墺
VS
✕オスマン帝国+露
→オスマン帝国に協力したので、要求する。
→露が両海峡を独占できるようになる。

[3]【第2次エジプト=トルコ戦争(1839~1840)】
エジプト総督ムハンマド=アリー
エジプトとシリアの世襲権を要求

エジプト+仏
VS
オスマン帝国+英露墺普

・ロンドン会議(1840)
エジプトはシリアを返還
その代わり→エジプト・スーダンの世襲権を承認

すべての外国軍艦が両海峡を通航することを禁止
→露も通れなくなった・・

「黒海ルート」が塞がれた・・


(2)ロシアの近代化とバルカン進出
ポイント①クリミア戦争がその後のロシアを変えた!?
ロシアの南下政策とそれを阻止する大規模な衝突

【クリミア戦争】(1853~1856)
オスマン帝国が仏に聖地(イェルサレム)管理権を譲渡。
ロシア・ニコライ1世はギリシア正教徒の保護を口実に開戦。

ロシア ✕ VS 〇オスマン帝国+英仏サルディーニャ
↓↓
【パリ条約】(1856)
黒海の中立化
→南下政策失敗

【皇帝アレクサンドル2世】(位1855~1881)
クリミア戦争に負けてロシアの遅れを痛感。近代化をめざす。
⇒農奴解放令(1861)
農奴は解放。ただし土地は有償。
↓↓
・ミール(農村共同体)シェアハウス
・ポーランド反乱(一月蜂起)←鎮圧
↓↓
アレクサンドル2世
「改革をすると他の民族が独立を求めてしまう。皇帝独裁に戻そう・・。」
↓↓
・ナロードニキ(人民主義者)の活動。ナロード=人民
インテリゲンツィア(知識人)中心。平等社会をめざす。
スローガン「ヴ=ナロード(人民の中へ)」
→農民に理解されず。。失敗。徐々に過激に・・。
↓↓
・アレクサンドル2世の暗殺
テロリズムの横行

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②バルカン半島へ方向を転換!
執拗に南下を試みるロシアの動き

南下政策を諦めない・・!今度は「バルカン半島」ルートだ。

【ロシア=トルコ戦争(1877~1878)】
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの反乱←鎮圧
(↑スラヴ人が多い)
ロシア、パン=スラヴ主義を掲げて宣戦
ロシア〇 VS ✕オスマン帝国
↓↓
【サン・ステファノ(講和)条約(1878)】
・ルーマニア、セルビア、モンテネグロの独立
・ブルガリアの自治権獲得(ロシアが保護)

↓↓ 「ちょっと待ったーー」by英・墺

【ベルリン会議(1878)】
主催者:ビスマルク「誠実な仲買人(なかがいにん)」フェアに調整します。
【ベルリン条約(1878)】
(サン・ステファノ条約をやりなおす)
・ルーマニア、セルビア、モンテネグロは変更なし(=独立を承認)
・ブルガリアの領土縮小(ロシアの保護廃止→単にオスマン帝国の自治領土になった)→ロシア通れなくなる・・

<さらにロシアを見張るため・・>
・ボスニア・ヘルツェゴビナ→墺が統治(後のWW1の原因へ・・)
・キプロス島→英が統治

南下政策「バルカン半島」ルートも失敗。次はアジアだ・・。





(3)アメリカ合衆国の発展
ポイント①19世紀前半の大統領と合衆国の成長
初期の資本主義的な産業が成長する

【4代・マディソン大統領】(任1809~1817)
・アメリカ=イギリス戦争(1812~1814)
第2次独立戦争
ナポレオンの大陸封鎖令に対抗して、英が海上封鎖。
→米の通商が妨害される。両国で開戦。
→米の商工業が育つようになる。英からの経済自立。
・保護関税政策・・米国内の初期産業を育成

【5代・モンロー大統領】(任1817~1825)
モンロー宣言(1823)
米欧の相互不干渉=孤立主義

【7代・ジャクソン大統領】(任1829~1837)
ジャクソニアン=デモクラシー
白人男性だけに普通選挙権。(✕先住民、✕黒人、✕女性)

・先住民強制移住法(1830)
先住民をミシシッピ川以西の荒地に強制的に移住
チェロキー族の「涙の道」

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ポイント②領土を広げることは「神の思し召し」!?
西側へと領域を拡大する合衆国

【西部開拓(西漸(せいぜん)運動)】(漸は「近づいていく」の意)
・フロンティア(辺境)
アメリカ西部における開拓地と未開拓地の境界線

「マニフェスト=ディスティニー(明白な天命)」当然である

西へ領土拡大
・ルイジアナ買収
ミシシッピ川以西のルイジアナ
フランスより買収

・フロリダ買収(1819) 5代モンロー大統領時
スペインより

・テキサス併合
テキサス共和国がメキシコから独立
→合衆国に編入

・〇アメリカ=メキシコ✕戦争
カリフォルニア獲得。
↓↓
・ゴールド=ラッシュ
カリフォルニアで金鉱発見
西側の人口が増える。

 


(4)アメリカが抱えた問題
ポイント①アメリカの北部と南部ではここまで違うの!?
南北間に生じた軋轢・・

・黒人奴隷問題

北部 南部
経済 資本主義的商工業 綿花プランテーション
(→英に輸出)
支持基盤 産業資本家・銀行家 大農園者(プランター)
貿易 保護貿易
(国内産業を育てたい)
自由貿易
奴隷制 反対
(工場で働いてほしい)
賛成
政治体制 連邦主義(中央集権)
政府強い
州権主義(地方分権)
政府弱い
政党 共和党 民主党

 

ポイント②奴隷州拡大の危機を迎える!
国内では奴隷賛成派・反対派で世論が二極化

自由州 VS 奴隷州
(奴隷NG) (奴隷OK)

・ミズーリ協定(1820)
モンロー大統領
北緯36度30分以北:自由州
以南:奴隷州
州の数は同じが望ましい

↓↓ ミズーリ協定が破られる

・カンザス・ネブラスカ法(1854)
自由州になるか奴隷州になるかを住民投票で決める。
カンザス州・ネブラスカ州は奴隷を使いたい・・
↓↓
共和党の結成(1854)
奴隷制反対運動。
ストウ夫人『アンクル=トムの小屋』
(ハリエット・ストウ)





(5)南北戦争とその後
ポイント①アメリカの市民が殺しあう!?南北戦争の勃発!
奴隷制度の賛否をめぐる問題から内戦へ突入

【南北戦争(1861~1865)】
リンカン大統領(任1861~1865)共和党
→
奴隷廃止!を主張

南部諸州が合衆国より離脱
・「アメリカ連合国(連邦)」を建国
都:リッチモンド
反連邦主義、奴隷制擁護、自由貿易

・南軍の攻撃により開戦(1861)
初期は南軍が優勢

↓↓ それに対してリンカン大統領は・・

・ホームステッド法(自営農地法)
公有地で5年間定住・開墾
→一定限度の土地を無償で与える
西部の開拓農民から支持

・奴隷解放宣言(1863)
戦争目的の明確化。国際世論も味方にする(英仏はすでに奴隷廃止)

・ゲティスバーグの戦い(1863)
最大の激戦地
「人民の、人民による、人民のための政治」演説

・リッチモンド陥落(1865.4.9)
北軍の勝利

・リンカン大統領暗殺(1865.4.15)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②19世紀後半のアメリカは急速に成長する!
国内の市場統合、鉄道の開通、労働力の確保

・黒人奴隷の解放
憲法修正第13条により奴隷制度の廃止
↓↓
黒人は北部の工場に行かず農場にとどまった
・シェアクロッパー(分益小作人)となる
南部の土地制度

・K・K・K(クー・クラックス・クラン)
テネシー州で結成された反黒人秘密結社

<経済状況>
・産業の急成長
北部主導で商工業が発達
資本主義の発達→第2次産業革命(1870年代)

・アメリカ労働総同盟(AFL)の結成
(穏健的。熟練の労働者が意見を社長に伝える)

・移民の増加→労働力不足を解消する
旧移民(1840~50)アイルランド系(ジャガイモ飢饉1845)、ドイツ系、アジア系
新移民(1880)東欧系

・大陸横断鉄道の開通(1869)
東部・西部の結合
アメリカの政治的・経済的統一が進展

・フロンティアの消滅(1890年代)
海外市場の確保を目指し、カリブ海や中国へ進出

英を抜いて世界1位に・・!

 


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世界史【26】19世紀の欧米諸国(1)英・仏・伊・独

251004
【26】19世紀の欧米諸国(1) 英・仏・伊・独
(1)イギリスの自由主義 世界No1!
(2)ヴィクトリア時代のイギリス
(3)フランスの政体変遷
(4)イタリアの統一
(5)ドイツの統一
(6)ドイツの発展
(7)ビスマルク体制


(1)イギリスの自由主義
ポイント①宗教で差別されることはない!
キリスト教徒であれば差別されることはなくなった

・アイルランド併合(1801)
カトリックが多い
↓↓
2つの法で宗教自由が達成
[1]審査法廃止(1828)
非国教徒(ピューリタンなど)も公職就任が可能に(カトリック教徒は除く)
※「審査法」はチャールズ2世時のカトリック勢力に対抗して議会側が制定(1673)した。=イギリス国教会のみ公職に就ける法。
↓↓
[2]カトリック教徒解放法(1829)
オコンネル尽力。カトリック教徒も公職就任が認可

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②みんなが選挙に行けるための改革!
数回にわたる選挙法改正と選挙権の拡大

産業資本家の台頭
→第1回選挙法改正(グレイ内閣)(1832)
・腐敗選挙区の廃止
・産業資本家に選挙権付与(労働者はまだ)
↓↓
・チャーティスト運動(1830~1850末)
労働者の政治運動
人民憲章(ピープルズ=チャーター)
↓↓
・第2回選挙法改正(1867)
都市労働者に選挙権付与
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③自由な貿易を目指して!
イギリスの自由貿易主義体制の確立

19C英の産業資本家は自由貿易主義(体制)を望む

・穀物法の制定
地主保護のため輸入穀物に高関税。
→英国内の高い穀物を買わなくてはいけない・・。
↓↓
産業資本家は反発。(給料を上げないとダメだから)
↓↓
反穀物法同盟(1839)
コブデン、ブライト

さらに・・
・ジャガイモ飢饉(1845~1847)
アイルランドで発生。餓死者も出る。
↓↓
ついに
[1]穀物法廃止(1846)

[2]東インド会社の中国貿易独占権の廃止
→商業活動そのものも全面禁止
→民間の会社が貿易できるようになる。
(→中国にアヘンを売りに行く)

[3]航海法廃止(1849)
(「航海法」の制定はクロムウェル(1651)。自国か相手国の船のみに制限する法)

↓↓
これら3つで、自由貿易主義が完成。

 


(2)ヴィクトリア時代のイギリス
ポイント①当時のイギリスは世界一の国家
産業革命を完成したイギリスの繁栄

(イギリス)
【ヴィクトリア女王】(位1837~1901)64年
ヴィクトリア時代=「世界の工場」
・ロンドン万国博覧会(1851)
世界初。英の国力を見せつけた

・パクス=ブリタニカ(イギリスの平和)
圧倒的な工業力と軍事力
世界に自由貿易主義を拡大

イギリス二大政党
【自由党(旧ホイッグ党)】グラッドストン
・産業資本家・労働者の支持
・自由貿易主義、平和外交
・アイルランド自治に寛容

【保守党(旧トーリ党)】ディズレーリ
・地主・貴族の支持
・保護主義、強硬外交
・アイルランド自治に否定的

ポイント②自由党と保守党の内閣
政策は違うけれど、目指すものは同じ

【グラッドストン(自由党)】国内
・教育法(1870)
学校を作った。投票の仕方などを教える。
・労働組合法(1871)
・第3回選挙法改正(1884)
農村、鉱山労働者に選挙権付与
注・✕アイルランド自治法案は「否決」される

【ディズレーリ(保守党)】外交(強硬)
・スエズ運河の支配(1875)
・インド帝国の成立(1877)
・ベルリン会議に参加(1878)

交代でバランスよく内外政策を進めた

 




(3)フランスの政体変遷

ポイント①念願の普通選挙!のはずが…
まとまらないフランスの第二共和政

(フランス)
二月革命(1848.2)で国王ルイ=フィリップが亡命
↓↓
【第二共和制】(1848~1852)
・臨時政府(1848.2)
ルイ=ブラン
(社会主義者・・労働者や失業者の支援)
・男性普通選挙の公約
・国立作業場(失業者対策)
↓↓
・四月普通選挙
社会主義力の敗北(産業資本家、農民から反発)
国立作業場の閉鎖
↓↓
・六月蜂起(暴動)→鎮圧
社会主義者、労働者が蜂起
↓↓
ルイ=ナポレオン
が大統領に
(ナポレオン1世の甥)
1851年クーデタ
武力で議会を解散。独裁体制に。

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ポイント②皇帝政治の復活!?ナポレオン3世の登場
フランスをどのようにまとめたの?

【第二帝政】(1852~1870)
ナポレオン3世 大統領→国民投票で皇帝に
ボナパルティズム(統治体制)ボナパルト風=ナポレオン1世と似た
→全フランス国民の利害対立を利用し政権を維持(独裁)
国内は平和

(多くの対外戦争)
・クリミア戦争(1853~1856)
・アロー戦争(1856~1860)
・インドシナ出兵(1858~1867)
・イタリア統一戦争(1859)
・メキシコ出兵(1861~1867)→失敗
・プロイセン=フランス(普仏)戦争(1870~1871)
スダンの戦いに敗れ捕虜となる
↓↓
第三共和制へ・・

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ポイント③第三共和制の時代
独裁者がいなくなったフランスはやはり・・

【第三共和制】(1870~1940)70年
臨時政府の発足
代表:ティエール→独(旧プロイセン)と休戦
独の条件を何でも飲む

↓↓ 弱腰に市民は反発

・パリ=コミューン(1871)
労働者による自治政府→独と仏政府ティエールに弾圧される
「血の1週間」

・初代大統領ティエール(任1871~1873)
第三共和制のスタート
しかし情勢は不安定・・


(4)イタリアの統一
ポイント①イタリア統一の難しさとは?
北部・中部・南部で異なる世界が展開

西のサルデーニャ王国が統一運動のメインとなる
北部:ロンバルディア・ヴェネツィア・南チロル(墺領)
中部:ローマ教皇領など(仏軍)
南部:両シチリア王国

※サルデーニャ王国領のサヴォイヤ、ニースは仏人が多い。

ポイント②統一運動の開始!
外交や交渉を駆使した巧みな統一方法

【サルデーニャ王国】(1720~1861)
国王:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
首相:カヴール(現実主義・冷静)→巧みな外交

・クリミア戦争参戦(露英仏VSトルコ)
英仏の要請→仏ナポ3世に顔を売った。。
サルデーニャの国際的地位が向上。

【イタリア統一運動】(1859)
・イタリア統一戦争(1859)
サルデーニャ王国 VS オーストリア
・北部ロンバルディア獲得(墺→伊)
↓↓
・中部イタリア併合
中部には仏軍がいる。ナポレオン3世と交渉
→仏にサヴォイア・ニースを割譲。
→併合を承認される。
↓↓
・南部:ガリバルディ(千人隊・赤シャツ隊)(元青年イタリア)
両シチリア王国を征服
→サルデーニャに領土を譲る
↓↓
イタリア王国の成立(1861)
↓↓
カブール没→大きな戦争に便乗する戦略に変わる。
・ヴェネツィア併合(1866)(墺→伊)
普墺戦争
(ビスマルクが事前に伊と同盟)
↓↓
・教皇領占領(1870)(仏→伊)
普仏戦争

ポイント③イタリア統一後のトラブル!!
イタリアが抱えた問題をみる

「未回収のイタリア」
トリエステ
南チロル(墺領土のまま)
→墺 VS 伊 対立に・・





(5)ドイツの統一
ポイント①ドイツ統一の難しさとは?
キリスト教の宗派対立が大きな問題となる

キリスト教の宗派対立
・プロイセン王国+北ドイツ→プロテスタント
VS
・西南ドイツ→カトリック
西南ドイツの本音「プロイセンよりオーストリア(カトリック)にドイツ統一してほしい・・」

プロイセン「墺が負けたら今度は仏に泣きつくかもしれない・・その2つとくっつくのは邪魔したい。」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ドイツは「鉄」と「血」で統一する!?
プロイセン王国がドイツの統一にむけて動き始める

プロイセン王国の統一(プロテスタント)

国王:ヴィルヘルム1世(位1861~1888)
↓↓ 任命
首相:ビスマルク(任1862~1890)28年(ユンカー出身)
「鉄血政策」
→ドイツ統一は、宗教が違うので話し合いや多数決ではムリ。武器(鉄)と兵士(血)で、軍事的に統一するしかない・・。

ビスマルクのドイツ統一の3つの戦争
[1]デンマーク戦争(1864)
シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(ドイツ人が多い)(デ→普)
墺を誘って戦う。普〇 VS デ✕
墺との共同管理をもちかけていたが・・やっぱり墺には管理させない(挑発)
↓↓
[2]プロイセン・オーストリア(普墺)戦争(1866)
普〇 VS ✕墺
↓↓
・北ドイツ連邦を発足
プロイセンが盟主となってまとまる。西南ドイツは入らない。
「次は仏を討つ・・」

普墺戦争に敗れた墺は国の体制を変える・・
・オーストリア=ハンガリー(二重)帝国
ハンガリーに自治を付与して昇格させた。その代わりスラヴ人が暴動を起こしたら一緒に鎮圧してもらうことを約束。

・スペイン王位継承問題
普王ヴィルヘルム1世と仏が会談。
→ビスマルクは仏を無礼な態度だったと発表して挑発。
↓↓
[3]プロイセン・フランス(普仏)戦争(1870~1871)
ナポレオン3世 スダンで捕縛
普〇 VS ✕仏
仏が敗れたことで、西南ドイツは頼る相手がいなくなり、ドイツに組み込まれる。
↓↓
・ドイツ帝国成立(1871)
ドイツ統一達成
(仏ヴェルサイユ宮殿にて)

(岩倉使節団 訪独1873)


(6)ドイツの発展
ポイント①ドイツ帝国の大いなる発展!
イギリスを猛追するドイツの工業化

【ドイツ帝国】(1871~1918)47年
皇帝:ヴィルヘルム1世
宰相:ビスマルク(任1871~1890)

・連邦参議院
帝国各地の代表者。立法・条約。

・帝国議会
全ドイツ25歳以上の男性普通選挙で選ばれる。予算の審議権。

・普仏戦争→仏との講和条約(1871)
多額の賠償金とアルザス・ロレーヌを獲得(仏→独)
地下資源(石炭・鉄鉱石)豊富な鉱山地帯。
↓↓
・第2次産業革命(重工業)
保護関税法
輸入品に関税。国内産業を守る。
→1880年代末、工業生産数は世界第2位!(1位は米)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②「ドイツ国民」としての団結は超重要!
ビスマルクが徹底してこだわったこと

ドイツ国民の団結を揺るがすものはつぶす・・!
ドイツ「帝国の敵」を作る
[1]VS カトリック
・文化闘争
西南ドイツカトリック政党が反発
→ビスマルクは圧力をかける

【ビスマルクの社会政策】
[2]VS 社会主義勢力

・ドイツ社会主義労働者党の結成(1875)
世界初の社会主義政党

・社会主義者鎮圧法の制定
非合法とした。

労働者と資本家のけんかを止める。
「労働者は社会主義が守るんじゃなくて国が守るから!」
→疾病保険制度、災害保険法、養老保険法





(7)ビスマルク体制
ポイント①当時のヨーロッパは一触即発!?
問題を抱えていた国々とビスマルクの狙いとは?

[1]独 VS 仏
普仏戦争以降関係悪化・・(ドイツを許せない by 仏)

[2]露 VS 墺
バルカン半島をめぐり対立→ビスが三帝同盟で仲介

[3]伊 VS 墺
「未回収のイタリア」をめぐり対立→ビスが三国同盟で仲介

ポイント②目指すはフランスの孤立!
ドイツの安定のために外交述を駆使するビスマルク

【ビスマルク体制】(1870~1890年代)
ビスマルク(独)は、仏に露や墺と手を組んでほしくない。
挟み撃ちされたくない。仏を孤立させたい。

・三帝同盟(1873~1878)
ドイツ、オーストリア、ロシア

・ベルリン会議(1878)
主催者:ビスマルク
露・墺がバルカン半島をめぐり対立
独は墺の要求を飲んだ。
↓↓
ロシアはいったん手を離す。

・独墺同盟(1879)

・新三帝同盟(三帝協商)(1881~1887)
ドイツ、オーストリア、ロシアが再度手を結ぶ

仏と伊がチュニジア保護国をめぐってけんか。
↓↓
・三国同盟(1882)
ドイツ・オーストリア・イタリア

・新三帝同盟の崩壊

・再保障条約(1887~1890)
ドイツ・ロシアの秘密条約

「光栄ある孤立」
19C後半以降のイギリス

仏はビスマルクの思惑どおり、ひとりぼっちに・・

 


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世界史【25】ウィーン体制の成立と崩壊

251003
【25】ウィーン体制の成立と崩壊
(1)絶対王政時代への復帰
(2)ウィーン体制への反発
(3)ウィーン体制の動揺
(4)ウィーン体制の崩壊
1830七月革命、1848二月革命でウィーン体制は崩れていく・・


(1)絶対王政時代への復帰
ポイント①会議は踊る!されど進まず・・・
ナポレオン失脚後のヨーロッパ秩序の回復

絶対王政に戻そう

【ウィーン会議】(1814~1815)オーストリアの首都
メッテルニヒが主催(オーストリア外相→宰相)
オスマン帝国を除く全ヨーロッパ君主
→大国の勢力均衡を協議

理念を決めたのはタレーラン(仏外相)
正統主義・・フランス革命前の状態、絶対王政へ戻そう。領土・主権。

「会議は踊る。されど進まず」
各国の利害がぶつかって進展せず・・1年かけてようやくまとまる。

ポイント②フランス革命前のヨーロッパへ!
各国の領土変更と国家体制の変更

【ウィーン議定書】(1815)
<領土変更>
・イギリス・・セイロン島(蘭→英)、ケープ植民地(南ア)獲得
・ロシア・・ポーランド立憲王国の国王を兼ねる(ポーランド復活)
・プロイセン・・ラインラントを獲得
・オーストリア・・ロンバルディア・ヴェネツィア獲得→北イタリア
(19Cイタリア統一時のトラブルの種に・・)
・オランダ・・南ネーデルラント(ベルギー)獲得

<国家体制の変更(国の形の変更)>
・ドイツ連邦の成立(盟主オーストリア)
「革命前に戻すなら神聖ローマ帝国復活じゃないのか・・?いや、どうせみんな皇帝の言うことは聞かない。それなら墺がリーダーでまとめよう。」
・スイス永世中立(他国の戦争に干渉しない)
・フランス・スペイン・・ブルボン朝復活
・オランダ王国の成立

ポイント③ウィーン体制を支える2本の柱
各地の自由主義・国民主義を弾圧

・ウィーン体制
革命前の絶対王政に戻す。市民が反発してきたらつぶす。2つの同盟
↓↓
1【神聖同盟】(1815)
・アレクサンドル1世(ロシア皇帝)が提唱
「同じキリスト教同士、助け合おう(カトリックもプロテスタントも)」
・全ヨーロッパ君主参加
(不参加)
・英(英にとって不都合)
・オスマン(イスラーム)
・ローマ教皇(カトリックだから。プロテスタントはちょっと・・)

2【四国同盟】(1815)
・ヨーロッパの現状維持を目的
・英・露・墺・普の軍事同盟
途中で仏が加盟して五国同盟となる


(2)ウィーン体制への反発
ポイント①ヨーロッパで起きたウィーン体制への反発
自由主義運動・国民主義運動の頻発

4つの自由主義運動→全て失敗✕
[1]✕ブルシェンシャフト(ドイツ学生同盟)ドイツの自由を!
→オーストリア軍により鎮圧

[2]✕カルボナリ(炭焼党)イタリアの自由を!
→オーストリア軍の干渉により鎮圧

[3]✕スペイン立憲革命「憲法を作ってブルボン朝の王の力を制限しよう」→フランス軍の干渉で挫折

[4]✕デカブリストの乱(1825)ロシア「皇帝独裁反対!」
→新帝ニコライ1世により鎮圧

ーーーーーーーーーーーーーーーー
【ナショナリズム(国民主義)】→独立したい!
・〇ギリシア独立戦争(1821~1829)→成功
(当時、オスマン帝国領土。俺たちはトルコ人じゃない、ギリシア人だ!)英、仏、露も参戦。英バイロン、仏ドラクロワも応援。
→ロンドン会議(1830)
ギリシアの独立を国際的に承認
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ラテンアメリカの独立
独立にあたってヨーロッパはどう対応したのか・・

【ラテンアメリカ】
・ハイチ独立(1804)カリブ海の小さな国(仏の支配下)
ラテンアメリカで初の独立。黒人共和国。
トゥサン=ルベルチュール(黒人指導者)の独立闘争
ナポレオン軍により捕縛・獄死

・シモン=ボリバルの活躍(ベネズエラ出身)
現地生まれの白人地主=クリオーリョ(※自分たちの利益のために独立したので、その後も先住民は土地問題に悩まされる・・)
ナポレオンが暴れてヨーロッパが混乱。独立するなら今かも?
(スペイン支配下)ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ボリビア独立

・サン=マルティンの活躍(アルゼンチン出身)
(クリオーリョ)
(スペイン支配下)アルゼンチン、チリ、ペルー

【その他】
・メキシコ独立 スペイン支配→イダルゴ神父の独立宣言
・ブラジル独立 ポルトガル支配→ポルトガル王子が皇帝即位

ラテンアメリカ独立に際して、列強指導者の対応は・・
(墺)メッテルニヒ・・反対!独立運動の弾圧を企図→断念
(英)カニング・・賛成!ラテンアメリカをイギリスの製品市場にしたい
(米)モンロー・・賛成!米欧両大陸の相互不干渉 モンロー宣言(教書)→アメリカで起きていることに欧は口出ししないで・・とメッテルニヒを牽制





(3)ウィーン体制の動揺
ポイント①ブルボン復古王政と七月革命
復活した王朝への不満と革命の勃発

(フランス)ナポレオン失脚後・・
【ブルボン復古王政】(1814~1830)
兄ルイ18世(位1814~1824)
↓↓
弟シャルル10世(位1824~1830)
反動政治の強化

・アルジェリア出兵(1830)
政治から外に目をそらせた

その間に絶対王政への復帰を急いだ・・
・未招集議会の解散(議会を開くと言いながら開かなかった)
・選挙資格の大幅制限
・言論・出版の統制を強化

↓↓そんなことはさせない!

【七月革命】(1830)
市民が暴動を起こす。
シャルル10世は亡命、ブルボン朝は崩壊。
→ルイ=フィリップの即位(オルレアン家)

ポイント②七月革命の影響
ヨーロッパ各地で起きたウィーン体制への反発

ヨーロッパの自由主義、国民主義

【七月革命の影響】
↓↓
・〇ベルギー独立
オランダから

・✕ポーランド蜂起
ロシア支配から離脱を求め蜂起→鎮圧
(ショパン『英雄』。祖国ポーランドへの思いとロシアへの怒り)

・✕ドイツ反乱
各地で憲法が制定→鎮圧

・✕イタリア反乱
カルボナリが蜂起するもオーストリア軍により鎮圧
→カルボナリは解散
→「青年イタリア」リーダーはマッツィーニ

 


(4)ウィーン体制の崩壊
ポイント①金持ちしか相手にしてくれない!?
フランスの七月王政への不満と革命の勃発

七月革命によりブルボン朝が倒れ・・

【七月王政】(1830~1848)
ルイ=フィリップ
・極端な制限選挙
少数の銀行家・大ブルジョワジー(金持ち)の利益を中心とした政治
人口の1%未満しか投票に行けない

・産業革命の進展
中小産業資産家や労働者の登場(新しい階級の登場)
→男性普通選挙を求めて、選挙法改正運動を展開

↓↓ パリ市民の不満が爆発。

【二月革命】(1848)
パリの労働者、学生、資本家による暴動。七月王政を打倒。

カール・マルクス(独)の影響
「万国のプロレタリア(労働者)よ、団結せよ!」

↓↓
第二共和制へ・・

社会主義者 ルイ・ブラン
労働者、失業者側の味方
国立作業場を作る→選挙で負けて後に閉鎖・・

ポイント②二月革命の各地への影響
ウィーン体制の完全崩壊と新たなヨーロッパへ・・

仏二月革命はヨーロッパ各国に大きな影響を与えた!
=「諸国民の春」(1848年革命)

【二月革命の影響】
↓↓
・ウィーン三月革命
→メッテルニヒ失脚。ウィーン体制の崩壊。

・ベルリン三月革命
国王に憲法制定を約束
ーーーーーーーーーーーーーーーー

オーストリアは多民族国家
・✕ハンガリー民族運動
マジャール人(アジア系)がオーストリアから独立を求めた。
コシュートの独立宣言→鎮圧

・✕ベーメン(ボヘミア)民族運動
チェック人(スラヴ系)がオーストリアから独立を求めた。
プラハを中心に蜂起→鎮圧

ーーーーーーーーーーーーーーー

(独)【フランクフルト国民議会】→失敗
ドイツ統一と憲法制定を協議

大ドイツ主義✕ VS 〇小ドイツ主義
・大ドイツ主義:オーストリア中心で独統一しよう
・小ドイツ主義:プロイセン中心で独統一しよう・オーストリアは除く(ドイツ人以外も住んでるから)
→小ドイツ主義が勝ったが、プロイセンの王が独統一を拒む。オーストリアに対して気まずいから。

(伊)【イタリア民族運動】
・サルデーニャ王国の統一運動→✕
・ローマ共和国の建国(青年イタリアのマッツィーニが自分たちの国を作ろうとした)→✕ルイ・ナポレオンにより鎮圧

(英)【チャーティスト運動】
労働者の参政権要求。議会請願、デモ運動、ストライキの実施。

 


 

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世界史【24】フランス革命とナポレオン

251002
【24】フランス革命とナポレオン
(1)革命前夜の状況と革命の勃発
(2)国民議会と立法議会
(3)国民公会と総裁政府
(4)ナポレオン時代のはじまり(1799~1815)
(5)ナポレオン時代の終焉

・国民議会(立憲君主)王様はあり。ルールに基づく。
・立法議会(穏健共和)王様は不要。(緩く)
・国民公会(急進共和)王様は不要。(早く・独裁)
・総裁政府(5人。混乱)
(ナポレオン)
・統領政府(秩序の回復)
・第一帝政(大陸制覇)仏革命の理論を拡大


(1)革命前夜の状況と革命の勃発

ポイント①こんなフランスはおかしい!
アンシャン・レジームの矛盾と財政の危機

【アンシャン・レジーム(旧体制)】
第一身分:聖職者 (特権身分)免税 ↘
第二身分:貴族  (特権身分)免税 →人口の2%
第三身分:平民 98%
・富裕層(立憲王政)王様はいてもいい。法律に則ってほしい。
・中産階級(穏健共和)王様は要らない
・下層階級(急進共和)王様は要らない。早急な改革を望む。
→小作人2000万人・都市労働者400万人。人口の90%

束縛はイヤだ
・啓蒙思想の普及。自由、平等。
・アメリカ独立革命の成功

ヨーロッパ内の戦争、植民地戦争、米独立戦争の支援など
↓↓
財政難

ポイント②革命前夜の財政改革
特権身分への課税を試みるも・・

【財政改革(ルイ16世・マリ=アントワネット)】
2人の改革
・テュルゴー
重農主義。穀物取引の自由化、ギルドの廃止→失敗

・財務総監ネッケル
特権身分への課税→猛反発

↓↓

・三部会の再開(1789)170年ぶり
(1302年フィリップ4世が開く→1614年ルイ13世が停止)
身分別議決法(課税反対2・賛成1にしかならない)をめぐり紛糾。

・シェイエス(下級聖職者)
『第三身分とは何か』・・特権身分を批判
(「全てだ」)

・第三身分の代表者が三部会から離脱
↓↓
・「国民議会」の開催(1789年6月)
球戯場(テニスコート)の誓い(1789)
「憲法制定まで解散しない!」

国王軍がヴェルサイユへ集まり始める・・


(2)国民議会と立法議会
ポイント①いよいよ革命のスタート
革命の初期は思いもよらぬ形で波瀾万丈・・

【国民議会】(1789~1791)
立憲君主派が中心=王様はいてもいい。

<フランス革命スタート!>
・バスティーユ牢獄襲撃(1789.7.4)
政治犯が収容。武器があった。
ネッケルの罷免と国王軍のヴェルサイユ集結に市民が反発。襲撃。
↓↓
しかし農民反乱を誘発してしまった。全国に広がる。
↓↓
国民議会はあわてて農民反乱をおさえようとする。
<2つの策>
[1]封建的特権の廃止
中世から続く諸々の税を廃止(領主裁判権、十分の一税、死亡税など)
※封建地代は有償廃止=「ただし土地代だけは払ってね。」
→このときの国民議会(立憲君主派)は地主が多いため。

[2]「人権宣言」の発表(1789)
革命の方向性を示す
貴族:ラ・ファイエットら起草(米独立戦争の義勇軍)
自由・平等

ポイント②革命の急進化!国王への信頼は下がり続ける↓↓
共和主義者の人気が上昇

・ヴェルサイユ行進(1789.10)
パリの穀物価格高騰を受け、婦人らが雨中20kmを行進。
「パンが買えない!」
国王一家がヴェルサイユからパリへ連行される。

・ミラボーの死去
国王と国民議会との裏取引役。王は不安に・・
↓↓
・ヴァレンヌ逃亡事件(1791.6)
国王一家がオーストリアへ逃亡→失敗。国王の権威失墜・・!
→代わりに共和主義者の台頭。

・ピルニッツ宣言(1791.8)
オーストリア皇帝とプロイセンが革命への干渉を諸国へ呼びかけ。
「仏王に手を出すな」と脅迫。
↓↓
国民議会はプロイセンとの関係を考え、憲法制定。

・1791年憲法の制定
立憲君主政、財政資格選挙(金持ちのみ選挙)→国民議会の解散

 

ポイント③国王のいないフランスへ
共和制へ向けての移行と訪れた苦難

制限選挙(金持ちのみ投票)が行われる
↓↓
【立法議会(1791~1792)】(穏健共和)

・議会内での対立
フイヤン派(立憲王政=国民議会)vs ジロンド派(穏健共和)

・ジロンド派内閣の成立
王様には消えてほしいが、ピルニッツ宣言がある・・。それならまずオーストリアを倒す必要がある。

対オーストリア宣戦→フランスは劣勢
各地より義勇軍がパリに集結。

【8月10日事件(1792.8)】(=テュイルリー宮殿襲撃)
・サンキュロット(都市労働者)や義勇兵が、仏国王のいるテュイルリー宮殿を襲撃。
・議会は裕福な人たちだから通らない。直接王に直談判。実力行使。
→立法議会は王権の停止を宣言。議会を解散。
→普通選挙を約束して混乱を鎮める。

↓↓ 革命軍はやる気が上がって

・ヴァルミーの戦い(1792.9.20)
仏革命軍が初めてプロイセン軍に勝利〇

 




(3)国民公会と総裁政府
ポイント①ついに初の男性普通選挙の開催
ジャコバン派政権の恐怖政治

初の男性普通選挙の結果・・
【国民公会(1792~1795)】
・ジャコバン派(急進共和派)
貧困市民・農民代表

・ルイ16世処刑(1793)
=第一共和政(仏初の王がいない状態)(1793~1804)

・第1回対仏大同盟(1793~1797)
英首相ピットの提案
「他の国に広がらないようにフランス革命をぶっつぶそう・・」

それに対して国民公会は
・徴兵制の実施
→ヴァンデーの農民反乱(徴兵制は失敗)
→山岳派(ジャコバン派の過激派)が急速に台頭

・恐怖政治(1793~1794)
公安委員会に権力を集中
指導者:ロベスピエール
反対派はギロチンで処刑される。

・封建地代の無償廃止
借りていた土地はただで農民のものになった。小作農→自作農に。
これで農民はもう満足してしまった。
<※人口の8割以上が自作農に→仏で産業革命が遅れる原因になる>

・最高価格令、革命暦(共和暦)、メートル法の制定

・1793年(ジャコバン)憲法
男性普通選挙制、主権在民、人民の生活権、労働権
→混乱していて実施されず。。

・テルミドール(9日)のクーデタ(1794.7)
ロベスピエール派の逮捕・処刑

 

ポイント②もう独裁はこりごり。リーダー5人の政府
右派・左派の攻撃をうけ動揺する政府

【総裁政府(1795~1799)】
・1795年憲法の制定
財産資格による制限選挙制の復活
5人の総裁による政府
→時間がかかる・・

・王党派の反乱(フランス革命を抑えたい)(右派・保守)

・バブーフの陰謀(左派)
私有財産の廃止を計画。共産主義のはしり。→処刑される

【ナポレオン=ボナパルトの登場】
・イタリア遠征
仏〇 VS ✕ オーストリア
→第1回対仏大同盟の崩壊

・エジプト遠征
仏✕ VS 〇英
英のインドルートを邪魔しようと思ったが・・
→英提督ネルソンに敗北
→第2回対仏大同盟の結成

フランス革命の敵であるオーストリアと英と戦ったので国民に人気が出る。
↓↓
・ブリュメール18日のクーデタ(1799.11)
ナポレオン、総裁政府を打倒
→フランス革命の集結

<フランス革命はバスティーユで始まりブリュメール18日で終わる>

 


(4)ナポレオン時代のはじまり
ポイント①統領政府時代のナポレオン
国民からの人気を集めるための方法

【統領政府(1799~1804)】
・リーダー3人の統領。ナポレオンは第一統領。事実上の独裁官。

・ローマ教皇と和解
カトリック信仰を正式に復活。
(対立していた理由。フランス革命はキリスト教に敵対する革命でもあったから。第一身分が聖職者なので)

・アミアンの和約
英との休戦条約
→第2回対仏大同盟が崩壊
→フランスに平和が戻る
終身統領に。。

・ナポレオン法典(1804)
私有財産の不可侵
、契約の自由などを規定
=フランス革命の成果を法的に保障した。
(ナポレオンの人気が一気に上昇!)

ポイント②皇帝に即位した英雄ナポレオンの動向
大陸制覇にむけての遠征をスタート

国民投票でナポレオンが皇帝に即位
【第一帝政(1804~1815)】
ナポレオン1世(位1804~1815)

周りの諸国が警戒
↓↓
・第3回対仏大同盟(1804~1815)(英・墺・露)

・トラファルガーの海戦 ✕
英提督ネルソンに敗北

・アウステルリッツの三帝会戦 〇
ロシア皇帝、オーストリア皇帝、仏ナポレオン皇帝が三つ巴。
仏勝利〇、ロシアとオーストリアを撃破
→第3回対仏大同盟が消滅

・ライン同盟の結成(1806)
西南ドイツ諸侯とナポレオンの同盟
→神聖ローマ帝国消滅(1806)

・大陸封鎖令(ベルリン勅令)(1806)
(プロイセンをぶっとばして、プロイセンの首都ベルリンで発布したので「ベルリン勅令」ともいう。)
→大陸諸国とイギリスの通商や交通を全面的に禁止。
「今まで英から買っていたものは仏から買いなさい」→他国を仏の市場にする

・ティルジット条約
プロイセンは莫大な賠償金と領土の大半の割譲

 




(5)ナポレオン時代の終焉
ポイント①ナポレオンを追い出せ!
プロイセンの近代化改革とスペイン反乱

プロイセンはティルジット条約が許せない・・
↓↓
【プロイセン改革】強い国にする!
首相シュタイン→ハルデンベルク
・農民解放
・行政機構の改革、営業の自由化など

・「ドイツ国民に告ぐ」フィヒテ
「私たちはドイツ人なんだ。仏の支配はおかしい」
国民意識を人々に植え付けた。

【スペイン反乱】(1808~1814)
ナポレオン兄が国王に即位
↓↓
農民が主体となってゲリラ戦で抵抗
(→絵画『1808年5月3日』ゴヤ)

 

ポイント②ナポレオンの没落までの道
各地で発生したナショナリズム運動

“ナポレオンの牙が折れる瞬間・・!”

【ロシア(モスクワ)遠征(1812)】
ロシアは大陸封鎖令を無視。英と貿易再開。
ナポレオン軍モスクワへ・・
→ロシアの焦土戦術により失敗
60万の軍が壊滅・・
↓↓
【ナポレオンの失脚】
・ライプツィヒの戦い(1813)=諸国民戦争
ヨーロッパ連合〇 VS ✕ナポレオン
ナポレオン皇帝退位
エルバ島へ流刑。(実家コルシカ島のすぐ北)
↓↓
・ブルボン朝の復活(1814)
絶対王政に戻りそうになる・・
→ナポレオン、エルバ島を脱出
パリに帰国、皇帝に復位
↓↓
・ワーテルローの戦い(1815)
ヨーロッパ諸国が攻める。
ナポレオン再退位
セントヘレナ島へ流刑(アフリカの西)

※ナポレオンの侵攻により国民意識(ナショナリズム)が芽生えた。「自分たちはドイツ人、スペイン人。フランス人は嫌だ」

 


 

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