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世界史【33】帝国主義と東アジア(中国・朝鮮)

251010
【33】帝国主義と東アジア
(1)中国分割と近代化運動の行方
(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
(3)朝鮮の行く末と清末の改革
(4)辛亥革命
・義和団事件1900→8カ国共同出兵→北京議定書1901
・日露戦争1904→ポーツマス条約1905


(1)中国分割と近代化運動の行方
ポイント①日本に負けた!?植民地化がさらに加速!
日清戦争後の中国の状況は?

<中国分割>
・借款(しゃっかん)を行う=「借金」のこと
日清戦争への賠償金を払うために欧から借りる。担保として鉄道敷設(ふせつ)権や鉱山採掘権を奪われる。

・租借(そしゃく)・・他国の領土の一部を条約によって借りること(事実上の領土割譲)(ジャイアン・・。一生借りてるだけだぞ。)

米は米西戦争(1898)で中国に構ってるひまがなかった。出遅れて焦った
↓↓
・門戸開放宣言
門戸開放・機会均等・領土保全(米も入れてくれ)
米・国務長官ジョン・ヘイ

<租借地>借りると言いつつ、ほぼ領土割譲
 独 膠州湾(こうしゅうわん)
 露 遼東(りょうとう)半島南部。旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)
 英 威海衛(いかいえい)、九竜半島(クーロン/きゅうりゅう)
 仏 広州湾(こうしゅうわん)
 日 遼東半島南部(旅順・大連)(※日露戦争で日本に移る)
<勢力圏>影響力を持っていた地域 鉄道敷設権
 独 山東省(さんとうしょう)
 露 満州・モンゴル 東清鉄道
 英 長江流域
 仏 広東・広西・雲南省
 日 福建省 南満州鉄道

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ポイント②日本にならって近代化を!
中国で芽生えた本格的な近代化運動

<変法運動>
日清戦争に負けた中国はショック!
↓↓
近代化運動へ・・(皇帝中心)

・11代 光緒帝(こうしょ/ちょてい)(位1875~1908)
康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう) などの、官僚らが日本の明治維新を模範にする。公羊学(くようがく)派。

憲法を立てて、皇帝を立てる=立憲君主制をめざした。(皇帝が好き勝手に政治をするのではなく、憲法やルールにのっとって政治をする。)

・戊戌の変法(ぼじゅつのへんぽう)
立憲君主制をめざし憲法制定に動いたが・・
↑↑(弾圧)
・戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)(1898)
西太后(せいたいこう)など保守派が改革を弾圧。改革は失敗に終わる。光緒帝は幽閉状態へ・・。


(2)中国をめぐる日本とロシアの対立
ポイント①外国勢力は出ていけ!中国で起きた排外運動
義和団事件とその結果は・・

「外国勢力、全員出ていけ!」
・仇教運動(きゅうきょううんどう)
反キリスト教(反ヨーロッパ)運動

・義和団事件(白蓮教系の宗教結社)(北清事変)(1900~1901)
「扶清滅洋(ふしんめつよう)」・・清を助けて、欧を追い出そう。
排外主義

ドイツ人宣教師が殺害✕→ドイツが山東へ進出。武力鎮圧。
↓↓
清は「こいつら使える・・」と、この義和団を使って欧を追い出そうとした。
↓↓
義和団が北京占領。独公使、日公使を襲う。
清「欧米日かかってこいやー!」西欧列強に宣戦布告。(西太后)
↓↓
8カ国共同出兵

「ほな、やったろかい」英仏独米露日伊墺。そうそうたるメンバー集結。
↓↓
清・義和団敗れる。北京が占領される。
↓↓
北京議定書(1901)
・巨額の賠償金。
・北京駐兵権(軍事占領)⇒中国は半植民地化になる・・。

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ポイント②日本とロシアの狙った場所が同じ!?
日露戦争へとつながる両国の帝国主義政策とは・・

<ロシアの中国東北進出>
義和団事件のあと、日本とロシアの仲が急速に悪化・・。

・ロシアの満州占領
義和団事件が終わったのに、ロシアは満州から軍をひかない。中国東北地方や朝鮮半島まで狙ってる・・?(『はいからさんが通る』)

※朝鮮は日清戦争1894で独立し、国名を大韓帝国(だいかんていこく)に。清の影響から抜けた独立国とアピール。日本が狙っていた。

日とロシアが満州・大韓帝国の取り合い。
↓↓
・日露戦争(1904~1905)
日本の攻撃で始まる。

日本海海戦で日が勝つ。
ロシアの海軍バルチック艦隊を破る。

↓↓ そんな中、、ロシア国内で

・第1次ロシア革命
ロシアは革命で戦争をやめたい。日本もお金が厳しい。
↓↓
米・セオドア・ローズヴェルト大統領が仲介。
↓↓
・ポーツマス条約(1905)(米)
→中国東北(満州)・大韓帝国(朝鮮)を日本が得る

・大韓帝国の指導・監督権を日本が得る。
・ロシアは中国東北から撤退。遼東半島南部の租借権をロシアから日本に渡す。(⇒関東州と呼ぶようになる。)(※遼東半島は日清戦争で日本が取得したが三国干渉で返したところ。ここを再度取り返した。)
・遼東半島に接続する南満州鉄道の敷設権(ふせつけん)、周りの利権を日本が得る。
・南樺太をロシア→日本に渡す。





(3)朝鮮の行く末と清末の改革
ポイント①日本の朝鮮支配完成
日露戦争後の日本の挑戦支配の動向

・日韓協約(1904~07)
(第1次は日露戦争のさなか。)

・第2次日韓協約(1905)
韓国の保護国化→外交権を朝鮮から奪う。
初代統監:伊藤博文(いとうひろぶみ)
↓↓
反日義兵闘争の激化

・ハーグ密使事件(1907)
高宗が第2回万国平和会議(オランダ)に密使を派遣。日本が不当な支配をしていると訴えた⇒失敗
↓↓
・第3次日韓協約(1907)
韓国は内政権を喪失。
↓↓
・伊藤博文暗殺(1909)
ハルビン駅で安重根(あんじゅうこん)に暗殺される。(韓国の切手にもなっている。)

↓↓ 日本は強硬手段に出る

・韓国併合(1910)
韓国という国は消え、日本領土に組み込まれた。
朝鮮総督府が設置。(天皇直属機関)
軍事・行政を統括していく。

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ポイント②清朝末期の最期の「あがき」とは?
光緒新政の「本音」と「建て前」

義和団事件のあと・・
<清末の改革>
光緒新政(こうしょしんせい)・・国内改革
(戊戌の政変で光緒帝は捕らえられている)
・新軍の整備(西洋式軍隊)
・科挙の廃止(隋から続く)→北京大学創設(官僚育成)
・憲法大綱(たいこう)の発布。
日本の明治憲法を模範(強力な君主権)
・国会開設公約

「日本の大日本帝国憲法は、天皇大権(たいけん)という強い権力がある。」
↓↓
「建前は国内改革と言ってるが、本音は皇帝や貴族のためでは・・?日本をモデルにすると皇帝の力が強いままになるのではないか。。」
↓↓
「それならもう満州人を追い出して、皇帝も追い出して、自分たち民衆のための漢民族の国を作りたい。」
↓↓
革命派の台頭
・留学生が中心。
・華僑が資金を出す。

革命派のリーダー
孫文
興中会
の結成。
↓↓
他の革命団体も一緒に団結しよう。
中国同盟会の結成(1905)
東京で結成。日露戦争に刺激を受けた。機関誌『民報』

(中国同盟会の理念)
三民主義
・民族の独立(漢民族の独立)
・民権の伸長(一般民衆の権利を認めよう)
・民生の安定(人々の生活の安定)


(4)辛亥革命
ポイント①皇帝政治を終わらせ、民に力を!
中国2000年の皇帝政治の終焉

・辛亥革命(1911~12)
(きっかけ)清が幹線鉄道の国有化を宣言。
これを担保に外国からお金を借りようとした。そんなことをしたらさらに中国の植民地化が進む・・。
↓↓
・四川暴動
市民が四川省で暴動。清は軍隊を派遣したが、その軍が清を裏切った。
↓↓
・武昌蜂起(1911)
湖北省の湖北新軍の革命派が武昌で蜂起。色んな省でも独立を宣言。

↓↓ これら各省の代表者が集まり合体した。

・中華民国建国(1912)
臨時大総統:孫文
都:南京
(黃河、長江沿岸あたり)
↓↓
清はまだ北に残ってる。清は中華民国をつぶそうとしている。
↓↓
清の大臣、袁世凱(えんせいがい)が孫文と取引を行い、清を裏切る。「その代わり私を中華民国のリーダーにしてください」

→「中華民国の軍は整っていない。戦っても清の軍に負けるだろう・・。」孫文は受け入れる。

→清の最後の皇帝・12代宣統帝(溥儀)が退位(1912)(ラストエンペラー)

清が滅亡(277年の歴史)。2000年の皇帝政治が終わる・・。

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ポイント②新生!中華民国の抱えた苦悩
皇帝政治が終わっても民が虐げられる時代へ・・

中華民国
臨時大総統:孫文→袁世凱が就任(1912)
首都:南京⇒北京へ移す。(袁世凱の本拠地)
民衆のためではなく独裁色を強める。
↓↓
袁世凱の暴走を防ぐべく国民党の結成。
中国同盟会が中心。
↓↓
・第二革命(1913)
〇袁世凱の独裁  VS  ✕国民党(→解散させられた)
正式な大総統に就任。袁世凱は皇帝になろうとした。
↓↓
・第三革命(1915)
✕袁世凱帝政  VS 〇国内の軍部(袁世凱の元部下)、革命派、日本、欧。
↓↓
袁世凱は帝政取り消し。数ヶ月後、病死・・。その後も民主政治にはならず軍部が力を握る。
↓↓
・軍閥(軍事政権)の割拠。
軍部が力を持ち抗争する。北京政府の実権をめぐって争う。


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世界史【32】世界分割と列強の対立

251009
【32】世界分割と列強の対立
(1)アフリカ分割の始まり
(2)英のアフリカ進出
(3)仏のアフリカ進出
(4)独・伊のアフリカ進出
(5)欧米の太平洋地域進出
(6)ラテンアメリカ・メキシコの動向
(7)列強の二極化。三国同盟VS三国協商


(1) アフリカ分割の始まり

ポイント①アフリカってどんなところ?
「暗黒大陸」の悲惨な歴史と探検家の活動

「暗黒大陸」
奴隷の獲得⇒資源の獲得
プランテーションの労働力。
商品作物。サトウキビ、タバコ、綿花

・大西洋三角貿易(16~18C)
黒人奴隷貿易
1.西欧⇒西アフリカ(武器)
2.西アフリカ⇒米大陸(奴隷)黒人2000万人ほど
3.米大陸⇒西欧(商品作物)

・奴隷制度の廃止(19C)
奴隷以外にアフリカには何がある・・?
↓↓
2人の探検家
[1]リヴィングストン(英・宣教使)
ナイル川の水源調査。消息不明。
↑↑(救出)
[2]スタンリー(英生まれ米)
リヴィングストンの救出に成功。
→コンゴ(アフリカの真ん中)探検。(ベルギー王が支援)。
→ベルギー王がコンゴの領有を宣言
→欧の反発。
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ポイント②アフリカをもらうなら「早い者勝ち」!?
ヨーロッパ国際会議で決定した驚きの事実とは・・

・ベルリン会議(1884~85)
(※「ベルリン会議」は2つある。1つ目は19Cロシア南下⇒ロシア=トルコ戦争のあと。ビスマルク調停(1878))

今回もビスマルク主催。
・先占権(せんせいけん)(早い者勝ち)⇒アフリカ分割に拍車をかける。
・コンゴ自由国⇒ベルギーの支配下に。


(2)英のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部への進出
何があってもエジプトとスーダンだけは他国に渡せない!

<英の縦断政策(アフリカ北部)>
スエズ運河ができたことで、英のアフリカ進出が始まる。
スエズ運河
沿いの2つの国、エジプト(北)・スーダン(南)が欲しい。安全性を確保したい。

<英がエジプトに進出>
・ウラービー運動(1879~82)
陸軍大臣アフマド・ウラービー「エジプト人のためのエジプト」。→鎮圧される→エジプトは英の保護国化に。

<英がスーダンに進出>
・マフディーの反乱(1881~98)17年
マフディー=「救世主」の意味。
ムハンマド・アフマド。
総督ゴードン戦死。
(↑ 清の太平天国の乱を鎮圧した常勝軍。)
↓↓
・ファショダ事件(1898)
✕仏 VS 英〇
スーダンのファショダという地で対峙(にらみ合い)。

・英の3C政策
ケープタウン(南ア)、カイロ(エ・埃)、カルカッタ(印)。
インドへの道を盤石なものにしたい。

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ポイント②金とダイヤモンドをめぐる南アフリカ戦争
ブール人国家との戦争

<英アフリカ縦断政策(南アフリカ)>

・ケープ植民地(中心ケープタウン)南ア
元々オランダ領だったが、ナポレオンなきあと欧の国際秩序のためのウィーン会議(1814)で蘭領から→英領となる。
(→オランダの人は北へ移動し、トランスヴァール共和国を建国。ブール人と呼ばれる。)

・セシル・ローズ
英領有の南ア・ケープ植民地の首相。元企業家。金・ダイヤモンド鉱山を発見!

金が見つかったのは隣の、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国。(英領ではない。ケープ植民地の北東)。ブール人(=オランダ人)の国。→大義名分などない、金とダイヤの争奪。
↓↓
・南アフリカ戦争(1899)
英本国から派遣⇒植民相ジョゼフ=チェンバレン
全植民地統括の大臣が来る。40万人以上の兵。
〇英 VS 蘭✕
↓↓
・南アフリカ連邦(自治領)
(ケープ植民地と、トランヴァール、オレンジを併合)
白人を優遇。白人優位の人種差別が芽生える。黒人と白人の対立を作ることで英本国への恨みをそらす。





 


(3)仏のアフリカ進出
ポイント①アフリカ北部から東西へと拡大
イギリスのアフリカ縦断政策と衝突した結果・・

<仏アフリカ横断政策>
モロッコ・アルジェリア・チュニジア
サハラ砂漠・ジブチ・マダガスカル

・アルジェリア出兵。植民地化(19C前)
(ウィーン会議で絶対王政に戻り、仏ブルボン朝が復活。王シャルル10世。国民の不満を外へ向けた)

アルジェリアを起点に東西に拡大。
・チュニジア保護国化(1881)(アルジェリアの東横)
仏と伊と関係悪化⇒独ビスマルクは見逃さない。翌年・三国同盟(独・オーストリア・伊)(1882)

・ジブチに港を建設。(紅海の一番下)
紅海からインド洋への出口。

マダガスカル(アフリカ南東の島)
サハラ砂漠(アフリカ西)

・ファショダ事件(1898)
スーダンのファショダで対峙。英〇 VS ✕仏
(仏が譲った理由)仏は独とけんか状態。英ともけんかすると敵が増えてしまう・・。仏は英に譲る。
↓↓
英仏の関係が良くなる。
↓↓
・英仏協商(1904)
英はエジプト取るから仏はモロッコ行きなよ。相互承認。

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ポイント②モロッコをめぐるドイツとの対立
2度にわたって衝突!イギリスが取った行動は?

・モロッコの領有問題
モロッコを押さえると、英のインド進出を邪魔できるので、独が狙っていた。

・第1次モロッコ事件(タンジール事件)(1905)
モロッコをめぐって、仏 VS 独 対立。独皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコのタンジール港に入ってきた。仏出ていけ。
→英援助 〇仏 VS ✕ 独
(タンジールはイブン・バットゥータの生まれ故郷。スペインの向かい・ジブラルタル海峡のアフリカ側)

・第2次モロッコ事件(アガディール事件)(1911)
また独はモロッコ・アガディール港に入る。
英援助 〇仏 VS ✕ 独

・仏モロッコ保護国化(1912)


(4)独・伊のアフリカ進出

ポイント①ドイツ・イタリアのアフリカ進出
イギリス・フランスに遅れを取って進出開始

<独>
・カメルーン(西)、東アフリカ植民地(現タンザニアなど/マダガスカル島の対面北)

<伊>
・イタリア軍がエチオピアに侵入
エチオピア〇勝利! VS ✕伊
イタリア敗北!

イタリア「このままではアフリカに植民地を持てない・・」と焦る
↓↓
・イタリア=トルコ戦争
オスマントルコとの戦争でリビア(アフリカ北)を獲得。

・ソマリランド(アフリカの角/つの)獲得。
北から英仏伊で分けた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦開始まで独立を保持した2つの国
独立を維持できた要因は?

・独立を保持した2つの国

[1]エチオピア帝国(東)
伊をアドワで撃退。優秀な君主。仏の軍事支援もあった。

[2]リベリア共和国(西アフリカの海岸線)
アフリカ最初の共和国。アメリカで解放された黒人たちがアフリカに帰ってきて作った国。国名はLibertyリバティ(自由)から。                                                →主権国家として認められていたので欧は手を出せなかった。





(5)欧米の太平洋オセアニア進出

ポイント①オセアニアってどういうところ?
2人の探検家に注目!

・オセアニア・・オーストラリア、ニュージーランド、太平洋に浮かぶ島々の辺り。

2人の探検家
[1]タスマン(17Cオランダ人)タスマニア・ニュージーランドに到達。オーストラリア大陸。

[2]クック(18Cイギリス人)タヒチ、NZ、オーストラリアを探検。オーストラリアやNZを英の所有と宣言。(侵入者と勘違いされハワイで島民に殺害される。)
↓↓
・オーストラリア
先住民:アボリジニー
1850年代 金鉱の発見。英本国やアジア各地から移民が増える。
→英の自治領に。オーストラリア連邦

・ニュージーランド
先住民:マオリ人
→英の自治領に。
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ポイント②太平洋に浮かぶ島々も欧米諸国の領土に!?
オセアニア諸地域の分割へ

・列強諸国の南洋諸島(太平洋の島々)進出
・ニューギニア
西部:オランダ|東部:英・独

・英領・・ソロモン諸島(独と分割)、フィジー、トンガ
・仏領・・ニューカレドニア、タヒチ
・独領・・ビスマルク諸島、マリアナ諸島、マーシャル諸島
・米領・・フィリピン、グアム島、ハワイ


(6)ラテンアメリカの従属化
ポイント①メキシコの内乱とフランスの干渉
初の先住民出身の大統領の苦悩

<ラテンアメリカ>
19C前半に多くの国が独立を達成。ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、エクアドル(シモン・ボリバル)。ペルー、アルゼンチン、チリ(サン・マルティン)。ブラジル
→独立したものの、英の経済的従属下に置かれる。メキシコだけは例外!

<メキシコ>
フアレス〇→ディアス✕→メキシコ革命・マデロ△→サパタ・ビリャ→憲法

フアレス大統領(先住民インディオ出身)
・自由主義革命(インディオの権利獲得など)

↓↓ 保守派が抵抗。

・メキシコ内乱(1861~67)
この内乱に仏ナポレオン3世がちょっかいを出してくる。(仏メキシコ出兵)→が、フアレスはナポ3を追い出す。米も抗議。良い改革、国作りへ・・。

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ポイント②メキシコ革命の勃発!
近代化を成し遂げられるのか!?

フアレスのあと・・
・ディアス大統領
独裁政治
。地主階級の特権を復活させてしまう。(先住民切り捨て)。
英、米から莫大な借金。頭が上がらない状態に・・。

↓↓ メキシコが食い物にされる!

・メキシコ革命(1910~17)
マデロ大統領が、ディアスを打倒し自由主義的改革をしたが、土地の改革には消極的だった。地主の権利を守ったまま。。
↓↓
・サパタ・ビリャ(農民の代表)の蜂起。マデロ失脚。サパタ・ビリャも暗殺される・・。
↓↓
・憲法制定(1917)
土地改革、地下資源の国有化。民主的。→しかし憲法はうまく機能せず。米、英の従属から逃れられなかった。

 




(7)列強の二極化

ポイント①ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の無謀な政策
第2次産業革命で自信をつけた皇帝の海外進出策

・独皇帝ヴィルヘルム2世(任1888~1918)
第2次産業革命で世界2位になり自信が付く→英を越えるぞ!ドイツも外へ出て行くんだ!

・元々、普仏戦争で、独は仏と対立している。
↓↓
(さらに新たな敵)
・海軍大拡張により⇒英と対立。
・パン=ゲルマン主義で⇒ロシアと対立。
3B政策。ベルリン・ビザンティウム・バグダード。ペルシア湾から海へ出ようと考えた。
↓↓
独と英・露・仏が対立関係に。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生
三国同盟と三国協商の対立

<ビスマルク時代>
・三国同盟(独・オーストリア・伊)1880 軍事同盟
+
・再保障条約(お互い攻めない)ロシアと独
・英「光栄ある孤立」
↓↓
ライバル仏を孤立させることに成功。

<ヴィルヘルム2世時代>
独がロシアの手を離したことから、国際関係が変わっていく。。

・独はロシアとの再保障条約を拒否!(1890)
「オーストリアと一緒にバルカン半島に行くんだ」
ロシアと独の手が離れた・・!これを仏は見逃さない!キラリ✨
↓↓
・露仏同盟(1891)
仏
がロシアに接近。手を組む。仏が露に資金提供⇒露産業革命に成功。

・英は独の海軍拡大に焦りを感じ始める。「光栄ある孤立」をついに解く。
↓↓
・日英同盟(1902)
東アジアの防衛に日本の軍事力を当てにした。
英のドアが開いた!ここで仏は英にも近づく!
↓↓
・英仏協商(1904)
独嫌いだよねーでくっつく。
↓↓
・英露協商(1907)
日露戦争が終わってロシアはバルカン半島に戻ってこようとする。また独と対立する。ロシアは英に接近する形を取った。
↓↓
三国協商(英・仏・露)VS 三国同盟(独・墺・伊)になる。
↓↓
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世界史【31】帝国主義の時代

251008
世界史【31】帝国主義の時代
(1)イギリスの動向
(2)フランスの動向
(3)ドイツの動向
(4)ロシアの動向
(5)アメリカの動向
31ーキーワード
帝国主義・・植民地(市場)を求めて外に出て行く時代
(英)ディズレーリ(保)。インド帝国。スエズ運河+キプロス島。
(仏)第三共和政。
(独)ビスマルク⇒皇帝ヴィルヘルム2世。3B政策。
(露)第1次ロシア革命⇒十月宣言(ウィッテ)⇒社会主義の政党。ボリシェヴィキ(レーニン)、 メンシェヴィキ。
(米)カリブ海政策。米西戦争(25代マッキンリー)。棍棒外交(26代S・ローズヴェルト)。宣教師外交(27代ウィルソン)


31ーガイダンス
・欧米各国で帝国主義(植民地獲得)、労働運動が起こる。
・第2次産業革命(19C後)⇒英以外の欧米。重化学(鉄鋼・造船・石油・電力)。生産増大。強い企業(独占資本)が銀行と結びつく。(第1次は英綿工業)
・1870年代世界的不況。⇒植民地(市場、原料供給、資本輸出)を求めて帝国主義へ。


イギリスの動向(1)
ポイント①イギリスの方向転換?帝国主義へ突入!
19C後以降のイギリスの帝国主義政策

首相ディズレーリ(保守党)(任1868、1874~1880)
自由貿易から⇒帝国主義(植民地獲得)へ方向転換。

インドへの道を確保したい(エジプトルートと南アフリカルート)
・スエズ運河株式買収、インド帝国の完成
・ベルリン会議への参加
キプロス島の統治権を獲得。=スエズ運河の真上の島。ロシアが入ってこないように監視。
↓↓
植民地相:ジョゼフ=チェンバレン(保守党)

南アフリカ戦争。英の支配下においた。→南アを安心して通れる。

「対外政策にお金を費やしたい。国内にお金を使いたくない・・」
↓↓
自由党内閣の時
・議会法の制定
上院・下院のうち、下院(一般市民の代表者)の優位を確立。

・アイルランド自治法の成立
しかしWW1で延期⇒イースター蜂起(シン・フェイン党も参加)

<植民地帝国の再編>
・自治領(白人が支配層の地域)を形成していく
自治を与えて、英本国はお金を使わないようにした
カナダ⇒オーストラリア⇒NZ⇒南アフリカ連邦

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ポイント②イギリスの労働運動
大英帝国の「光」と「影」

<社会主義運動の高まり>
・フェビアン協会
知識人中心(ウェッブ夫妻・劇作家バーナード=ショー)。
改良主義的な社会主義団体。ゆっくりでいいから改善。
↓↓ +他の団体
・労働代表委員会・・選挙で議席数を獲得するまでに。
↓↓
・労働党(現在まで続く)・・合法的。穏健。議会を通じて社会改革をめざす改良主義。民主的な手段。(暴力は使わない)


フランスの動向(2)
ポイント①混乱が続くフランスの第三共和制
国内の世論を二分化する重大事件発生!

二月革命(1848)の結果、王様がいなくなった。=第二共和政になった。男性普通選挙の実現。→混乱。
↓↓
ナポレオン3世の第二帝政でまとまる。普仏戦争(1870)で捕虜に。
↓↓
第三共和政ができるが混乱・・

・第三共和政(1870/71~1940)
弱さを露呈した、2つの大きな事件
・ブーランジェ事件
陸相ブーランジェ。反議会主義的運動。共和制をやめる?→未遂に。

・ドレフュス事件(冤罪事件)
ユダヤ系将校ドレフュスがスパイ容疑で逮捕。⇒冤罪だった。仏軍部が隠蔽。反ユダヤ感情をあおる。国内世論が批判。エミール・ゾラ「私は弾劾する」(ドレフュス擁護派)⇒ドレフュスは無罪に。釈放。
↓↓
シオニズム・・自らのユダヤ人国家を設立しようとする運動。イェルサレム(パレスチナ)に戻ろう・・。
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ポイント②フランスの労働運動
フランス革命の意志を受け継ぐ直接行動主義
<社会主義運動>
・サンディカリズム
議会や政党の否定。英のような議会ではなく、労働者による直接行動主義。(フランス革命のように自由平等は自分たちで勝ち取るんだ。)↑↑ VS(対立)
・フランス社会党(統一社会党 / 社会党)
議会を重視。社会主義派が結成。


ドイツの動向(3)
ポイント①ビスマルクの辞職!?ドイツの取った「新航路」
皇帝と意見が衝突したビスマルク

<ドイツ皇帝の交代>
ヴィルヘルム1世(ビスマルクが仕えていた)⇒フリードリヒ(病気で100日で交代)⇒ヴィルヘルム2世(位1888~1918)

ヴィルヘルム2世:「独も植民地を求めて外に出るべき」
VS
ビスマルク:「外交でやっと収めたのに。反対。」
意見衝突。社会主義者鎮圧法の再更新も対立。
⇒ビスマルク辞職(1890)

<ヴィルヘルム2世の対外政策>
[1]海軍の大拡張「ドイツの将来は海上にあり」⇒英と対立。

[2]パン=ゲルマン主義
パン=「広げる」の意味。ゲルマン人(ドイツ系民族)オーストリアとの連携。⇒ロシアと対立。
バルカン半島→小アジア→ペルシア湾へ。独から東南方向。
↓↓
独・3B政策(さんびーせいさく)(英露と対立)
ベルリン(ドイツ)、ビザンティウム(トルコ)、バグダード(イラク)を接続する。バグダード鉄道の建設を考えた。⇒もし実現すれば海で英と対立する。また、バルカン半島を狙うロシアとも対立する・・。
(cf 英・3C政策。ケープタウン、カイロ、カルカッタ)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ドイツの労働運動
ドイツで生まれた新しい社会主義の潮流

世界初の社会主義政党
・ドイツ社会主義労働者党(ビスマルク時代)
・社会主義者鎮圧法
ビスマルクは警戒し、この労働者党を非合法化した。せっかく統一したドイツが資本家と労働者に分裂するのを避けたかったから。⇒労働者・失業者は国が守ると主張。
↓↓
ビスマルク退陣
↓↓
・ドイツ社会民主党
「復活のチャンスだ!」名前をこれに変える。マルクス主義理論を採用。暴力革命を提唱。
↓↓ 徐々にこちらへ変わっていった
・修正主義
ベルンシュタイン。議会を通じて社会主義化を提唱。改良主義。
(英の労働運動を参考にした。)


(4)ロシアの動向
ポイント①急激な近代化で生まれた社会の歪み
フランス資本の導入で産業革命を急いだ結果・・

・ロマノフ朝(皇帝独裁政治)
南下して穀物を輸出して産業革命したい・・
⇒仏資本の導入。露仏同盟(1891)
⇒ロシアの近代化。産業革命の本格化
↓↓
・シベリア鉄道の建設(1891)
中国方面に進出したい。全長9300㎞。
(ウラジオストク(東)からモスクワ(西)まで)
ペテルブルグ(西端)

中国東北をめぐって日本と衝突。⇒日露戦争(1904)

・血の日曜日事件(1905)
戦争反対の市民デモ。軍隊が発砲。ニコライ2世。
↓↓
・第1次ロシア革命(1905)
労働者中心に暴動・スト。
↓↓
都のペテルブルグで、ソヴィエト(評議会)が成立=各地の工場の代表者が集まって話す会議。
↓↓
日露戦争終結
・ポーツマス条約(1905)

戦争は終わったが革命は終わらない。
・「十月宣言」(革命を終わらせる)
起草者:ウィッテ
・ドゥーマ(国会)を開設。
・憲法制定。立憲民主党の結成。(お金をもっている人たち)
↓↓
ウィッテは首相となり、民主的な、自由主義的な改革を行う(革命は収束へ・・)
↓↓
改革が落ち着くと突如ウィッテは首になった。
↓↓
・ストルイピンの改革
ドゥーマ(国会)を解散。
ミール(農村共同体)を解体。⇒国内は混乱。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ロシアの労働運動
労働者は不満爆発!多くの社会主義者政党が登場

<社会主義運動>
・ロシア社会民主労働党
2つの社会主義政党に分裂(この2つは労働者を代表)
↓↓
[1] ボリシェヴィキ(指導者:レーニン)
革命家による武装革命。(少数で一気に壊す。)

[2]メンシェヴィキ (指導者:プレハーノフ)
ブルジョワ民主主義革命。(多数でゆっくりで革命する。)

・社会革命党
ナロードニキの流れをくむ。こちらは農民を代表。
テロリズムによる専制政治の打倒をめざす。


(5)アメリカの動向
ポイント①世界第1位の工業生産数
イギリスを抜いた合衆国の未来とは・・

<独占の規制>
1890年代。米が世界No1に。
一部の富裕層が独占。政治的にも強くなる。
↓↓
革新主義(進歩主義)
政治経済の独占の規制。経済自由化。

<カリブ海政策(20C初)>(米の海外進出)
米がいよいよ外へ出ていく。
↓↓
・第1回パン=アメリカ会議
「アメリカの製品を買いなさい」。中南米(ラテンアメリカ)の国々に指導。

・フロンティアの消滅(1890)
白人入植者が全域に広がった。

ーーーーーーーーーー

ポイント②カリブ海政策の推進
2人の大統領とその時代の海外進出方法

[1]25代・マッキンリー大統領(任1897~1901)
・アメリカ=スペイン(米西)戦争(1898)
米はカリブ海へ進出。中南米に影響力のあったスペインと戦う。
〇米 VS 西✕

きっかけはキューバ独立運動(1895)キューバはスペインから独立を試みようとしていた。
↓↓
そんなときハバナ湾で米艦隊メイン号が撃沈。米はスペインのしわざとしてスペインに戦争をしかける。スペインは「え?」(米の自作自演?)
↓↓
米はフィリピン、グアム、プエルトリコという西の植民地を獲得。
キューバを独立させて保護国化。
↓↓
さらに太平洋へも進出。
・ハワイ併合(1898)
(※米西戦争の結果ではなく単独で。)

・門戸開放宣言(1899)
国務長官 ジョン=ヘイ
中国市場への進出をも狙う。門戸開放、機会均等、領土保全。

[2]26代・セオドア・ローズヴェルト大統領(任1901~09)
「カリブ海政策」を引き続き推進。

・「棍棒外交」(20C初)
口調は穏やかに、棍棒をたずさえて話す。(威嚇)
(例)無理やりパナマをコロンビアから分離・独立。

・パナマ運河の建設(1904~1914)
中米と南米の間。カリブ海と太平洋を接続。

ーーーーーーーーーー

ポイント③ウィルソン大統領の時代に起きた変化とは?
合衆国が持つ外交上の「使命」

28代・ウッドロー=ウィルソン大統領(任1913~1921)
・米国内「新しい自由」
弱者救済。

・対外「宣教師外交」
「アメリカと同じ民主政治をすればアメリカと同等に発展できるよ」
米風の政治を世界に伝える。それが米国の義務。
↓↓
現在でも米は独裁政治を嫌う。世界へ干渉する口実。

 


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世界史【30】アジア諸地域の植民地化

251008
【30】アジア諸地域の植民地化
(1)フランスのインドシナ進出
(2)オランダ・イギリスの東南アジア進出
(3)イギリス東インド会社のインド経営
(4)オスマン帝国の衰退
(5)オスマン帝国の近代化
(6)イラン・アフガニスタンの植民地化


30ーキーワード
<東南アジア>
・仏⇒仏領インドシナ(ベトナム・カンボジア・ラオス)
・蘭⇒オランダ領東インド(インドネシア)
・英⇒マレー連合州(マレーシア)=海峡植民地(シンガポール、ペナン、マラッカ)+α。ミャンマー。
<インド>
・英⇒印:シパーヒーの反乱(1857)⇒ムガル帝国滅亡(1858)⇒インド帝国(1877)
<オスマン帝国>
・アブデュル=メジト1世「タンジマート(恩恵改革)」
・ミドハト=パシャ「ミドハト憲法」(1876)
<その他>
・ウラービー運動(エジプトの反英運動)
・タバコボイコット運動(イランの反英運動)


30ーガイダンス(1~6)
・東南アジア・・仏・蘭・英(仏は中国への中継基地がほしい)
・インド・・英の単独支配(英仏の戦争に英が勝ったため)
英本国ではなく英東インド会社(貿易会社)がインド経営をする。(ある変化が。。貿易→徴税)
・西アジア・・オスマン帝国の衰退・近代化。イラン・アフガニスタンなど。


(1)フランスのインドシナ進出
ポイント①ナポレオン3世のインドシナ進出
なぜこのタイミングでベトナムを攻めるの?

仏(ナポレオン3世)がインドシナ(=現ベトナム・カンボジア・ラオス)に進出。

<ベトナム>
・阮朝(げんちょう)/ 越南国
建国:阮福映(げんふくえい)。仏宣教師ピニョーが支援。
清の朝貢国(弟分)。清からは越南国(えつなんこく)と呼ばれる。

ラオス  |ベ
_________|ト
カンボジア|ナ
_________|ム

仏のインドシナ(ベトナム)進出理由は・・
→アロー戦争で仏は中国進出を始めた。中継基地が欲しかった。
↓↓
・仏越(ふつえつ)戦争。〇仏ナポ3世 VS 越✕
仏がベトナムのサイゴンを獲得。
カンボジアを保護国化。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②フランス領インドシナ連邦の成立
ベトナム・カンボジア・ラオスの植民地化

ユエ条約・・仏がベトナム保護国化
↓↓
清(兄)がベトナム(弟)の宗主権(指導する権利)を主張。(清は仏にクレーム)(朝鮮の時と同じ。清は日本にクレーム。)
↓↓
・清仏戦争(〇仏 VS 清✕)(1884~5)
天津条約・・清はベトナムの宗主権を放棄。
↓↓
・仏領インドシナ連邦
(1887~1945)
(現ベトナム・カンボジア・ラオス)

 


(2)オランダ・イギリスの東南アジア進出

ポイント①オランダのジャワ・スマトラの植民地化
現在のほぼインドネシアにあたる地域をオランダが植民地化

オランダ領東インド
オランダのジャワ・スマトラ(インドネシア)を植民地化

・イギリス=オランダ協定(イギリスとオランダの打ち合わせ)
マラッカ海峡を境界に北は英、南は蘭と分けた。

・ジャワ戦争(1825)〇蘭 VS ジャワ✕
⇒蘭は勝ったが、財政窮乏に・・
↓↓
・強制栽培制度(1830)
商品作物(コーヒー)⇒ヨーロッパに販売。
オランダ産業革命の資金源になる。
↓↓
・アチェ戦争(1873)
スマトラ島の北端。✕アチェ王国 VS 蘭〇
⇒オランダ領東インド完成(現インドネシア)

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②イギリスが東南アジアを植民地化するわけは?
インド帝国とのアクセスを最優先

英植民地のインドと清(中国)をつなぐために(海回り)中継基地としてマレー半島が必要。

ぺナン、シンガポール、マラッカ(=海峡植民地)の獲得
↓↓
マレー連合州(現マレーシア)の成立
プランテーション
・錫(すず)・・華僑(中国)を労働力
・ゴム・・印僑(インド)を労働力

・ビルマ(ミャンマー)戦争
コンバウン朝を滅ぼしインド帝国に併合

 


(3)イギリス東インド会社のインド経営
ポイント①東インド会社のインド植民地の動き
商業活動を停止された会社が生き残るための工夫

<英東インド会社の進出>
・プラッシーの戦い(1757)
インド・ベンガル地方をめぐって争う 〇英 VS 仏✕

イギリス東インド会社(貿易会社)は、ベンガル(インド北東・ガンジス川下流域・豊かな土地)の徴税権を得る。
↓↓
イギリス東インド会社が商業活動停止される(1833)
↓↓
インド統治機関へと移行。
↓↓
<各地で戦争へ>
・マイソール戦争(南インド)
・マラーター戦争(中部・デカン高原)
マラーター同盟・インドの豪族
・シク戦争(北西パンジャーブ地方)シク教徒
あとはムガル帝国のみ。。

<征服地への税制>
・ザミンダーリー制
地主・領主から直接地税を徴収。(ベンガル地方)

・ライヤットワーリー制
自作農民から直接地税を徴収。(シンド地方、南インド)

徴税に加え、プランテーション経営もするようになる。
→茶、アヘンの栽培・輸出

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②全インドを揺るがす大反乱
イギリスのインド支配における転換期

・シパーヒーの反乱(1857~1859)
シパーヒーとはイギリス東インド会社に雇われたインド人傭兵(ヒンドゥー教徒+イスラム教徒)。薬包に牛と豚の脂を使っていると噂。

デリー城を占拠。ムガル皇帝を擁立。
↓↓
インド大反乱に発展。
↓↓
英本国軍が鎮圧。ムガル帝国が滅亡(1858)
↓↓
イギリス東インド会社は解散。統治権は英本国に移る。(=英はただ同然でインドを手に入れる形になった。噂は英本国が流した・・?)

↓↓

・インド帝国(1877~1947)成立
初代インド皇帝 ヴィクトリア女王
(ディズレーリ保守党内閣)

植民地なのに「帝国」と付いているのは、他のヨーロッパ諸国に向けた、英はインドを重要視しているというメッセージ。触れたらあきまへんえ・・の威嚇。

・分割統治
保守的な藩王国を懐柔。間接統治。(=農民の怒りは地主へ行く。英本国には行かない。)

 


(4)オスマン帝国の衰退
ポイント①アラビア半島での独立の動き
ムハンマドの教えに帰れ!ワッハーブ運動の展開

<アラビア半島>
オスマン帝国支配下で自立の動き
・ワッハーブ運動(ワッハーブ派)
ムハンマド時代のイスラーム教復帰を目指す。
↓↓
豪族サウード家と結んでワッハーブ王国建設。
都:リヤド
↓↓
エジプトのムハンマド・アリーの攻撃でワッハーブ王国は滅亡。
⇒アラビア半島の自立は失敗。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②エジプトでの自立の動き
オスマン帝国の部下であって部下でない?

<エジプト自立の動き>
仏・ナポレオンのエジプト占領(1798~99)
→ナポレオンはエジプト先住民(アラブ人)にオスマン帝国(トルコ人)への反抗を呼びかけた。「悔しくないのか?民族の誇りを持つべきだ!」

↓↓ エジプト自立の運動の中心

・ムハンマド=アリー
エジプトからナポレオンを追い出す。オスマン皇帝に変わってエジプト総督の地位を授かる。エジプトの自立・近代化を目指す。

オスマン帝国に要求。

・第1次エジプト=トルコ戦争(1831~33)
オスマン帝国にシリアの領有を要求し、開戦。
〇エジプト VS トルコ✕
⇒シリアを獲得。

・第2次エジプト=トルコ戦争(1839~40)
エジプトとシリアの世襲権要求。
△エジプト VS トルコ(欧の干渉もあり)
⇒シリアを返還。エジプトとスーダンの世襲権は獲得。

ムハンマド・アリーの死後・・

・スエズ運河 開通(1869)at エジプト
(仏・技術者)レセップス
地中海からインド洋に直接行ける。英は喉から手が出るほど欲しい。(英)ディズレーリ内閣。スエズ運河会社の株を買収。支配権獲得。

↓↓ トルコの次はイギリスかよ・・

・ウラービー運動(反乱)(1881)(エジプトの反英運動)
「エジプト人のためのエジプト」英支配に抵抗するが、鎮圧される。
↓↓
エジプトは英の保護国化に。(英の植民地に・・)

 


(5)オスマン帝国の近代化
ポイント①ついに目覚めたオスマン帝国!
皇帝が率先して行う「上からの近代化」とは?

<オスマン帝国>
・アブデュル=メジト1世
(位1839~1861)
「タンジマート(恩恵改革)」(1839)
ギュルハネ勅令

・皇帝が率先して近代化。「上からの改革」。司法、行政、財政、軍事、文化など。
・非イスラムへの平等課税。法的にも平等。

↓↓ 一定の成果が出たが・・(オスマン帝国を敗れるぐらい成長)

・クリミア戦争(1853~56)
〇オスマン帝国 VS ロシア✕
英・仏・サルディーニャ。

タンジマートの成果が出てトルコは勝利!
→しかしトルコは英・仏に借金。財政面では英仏の従属状態に・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②アジア初の憲法が制定されるも・・
立憲君主政への移行と皇帝の思惑

・アブデュル=ハミト2世(位1876~1909)

・宰相 ミドハト=パシャ

・ミドハト憲法
(1876)
アジア初の憲法
。(大日本帝国憲法(1889)より13年早い。)

・二院制議会、責任内閣制
立憲君主制への移行を目指した。皇帝の独占ではなく議会で話し合いをしよう。
↓↓
・ロシア=トルコ(露土)戦争(1877)
アブデュル=ハミト2世が、皇帝の力を制限されるのを嫌ってミドハト憲法を停止!

宰相ミドハト=パシャを解任(1877)。
戦争の責任を押し付けて島流しに。。

結局、皇帝独裁政治が変わらぬまま、英仏に財政面で頭が上がらないまま・・

 


(6)イラン・アフガニスタンの植民地化
ポイント①イランの植民地化
イランをめぐるイギリスとロシアの熾烈な争い

(イラン)カージャール朝(1796~1925)
北にはカスピ海、南にはペルシア湾。
北から海を求めてロシアが狙う・・。南東から英が狙う。

・トルコマンチャーイ条約(1828)
イランにロシアが押しつけた不平等条約。
アルメニアの大半を獲得。治外法権を承認。
(※トルコだがオスマントルコとは関係ない。トルコマンチャーイという町の名前)

↓↓ 何でイラン政府はロシアの言いなりなんだ・・!

・バーブ教徒の乱(イスラーム教・シーア派の一派)
イラン・カージャール朝の貧困農民中心の反乱
英・露・弱腰なイラン政府に反対するも、鎮圧される。

・タバコ=ボイコット運動(1891~92)(イランの反英運動)
タバコの独占販売権がイラン政府から英業者に渡される。
⇒民衆はタバコをボイコット。知識人(ウラマー)らも含めた反英・反国王運動。
↓↓
鎮圧される。英露のプレッシャーは続く。イランの植民地化は避けられない・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②なぜアフガニスタン?
イギリスはアフガニスタンを絶対に渡したくない!

英の2回のアフガン戦争
アフガニスタンはインドの真上。英はインドが大事。北からのロシアからの侵攻の防波堤として、アフガニスタンは押さえておきたい。
↓↓
・第1次アフガン戦争(1838~42)英✕ VS 〇アフガニスタン
何と、英・完敗!

・ベルリン会議(1878)
ロシアのバルカン半島方面の南下を阻止した。
↓↓
英「そうするとロシアは違う地域から降りてくるかも・・。やばい。アフガニスタンにも来るかも・・!」
↓↓
・第2次アフガン戦争(1878~80)英〇 VS ✕アフガニスタン
今度は英勝利。アフガニスタンを保護国化。

 


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世界史【29】中国と朝鮮の植民地化

【29】中国と朝鮮の植民地化
19C後から欧や日に侵略されていく
(1)アジア三角貿易とアヘン戦争
(2)アロー戦争と太平天国の乱
(3)ロシアの極東南下と洋務運動
(4)日本の朝鮮進出


<清>
・アヘン戦争(1840)⇒南京条約(1842)
・アロー戦争(1856)⇒天津・北京条約(1860)
↓↓重税
・太平天国の乱(1851~64)洪秀全「滅満興漢」
・洋務運動(1860~90)「中体西用」
<朝鮮>
・江華島事件(1875)⇒日朝修好条規(1876)
・壬午軍乱(1882)⇒閔氏への反乱。閔氏が日から清に傾く。
・甲申政変(1884)開化派(親日)クーデター⇒清に制圧される。
・甲午農民戦争(東学党の乱)(1894)⇒日清戦争(1894)⇒下関条約(1895)⇒三国干渉(1895)


29-ガイダンス
18C後~19C
<中国>
なぜ中国は侵略されていくのか?
・英が産業革命⇒市場を求めて中国(広い領土・多い人口)に進出したい。当時、中国は銀であふれて世界一お金持ち。

・英は中国を武力で開国⇒アヘン戦争・アロー戦争⇒賠償金から農民への重税へ。⇒農民反乱(太平天国)

中国が弱ってるなら今がチャンス・・!
・ロシアの南下⇒洋務運動(国内改革)。

<朝鮮>
・日本が朝鮮進出。朝鮮が弟。兄貴分の中国と日本が対立。⇒日清戦争へ・・


(1)アジア三角貿易とアヘン戦争
ポイント①当時のイギリスと中国の貿易をみる
中国社会を腐敗させた恐るべき貿易品・・

清の国内混乱と対外貿易

18C。清の4康熙帝、5雍正帝、6乾隆帝の全盛期は過ぎていた・・
<中国の国内状況>
・白蓮教徒の乱(暴動)(1796~1804)
・貿易港は広州1港に限定。
・公行(こうこう)=貿易独占の特許商人組合。

<英と中国の貿易関係>
(片貿易)・・物と銀の交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒清 銀
「英の銀がなくなる・・そうだ!」
 ↓↓
<アジア三角貿易>・・物々交換
・清⇒英 茶・陶磁器
・英⇒印 綿製品
・印⇒清 アヘン(お茶代を銀の代わりにアヘンで支払う)
→中毒・需要増大
→アヘン密輸。支払いは銀で。
→清から銀が流出。英は銀の回収に成功。

英は東インド会社の中国貿易独占権廃止⇒民間貿易会社も中国へ行けるようになる。⇒アヘンを売りにいく。
↓↓
英から使節(英が自由貿易を求める⇒交渉決裂✕)
・マカートニー・・乾隆帝に謁見。乾隆帝は拒否。
・アマースト・・頭を下げない(自由で対等な関係を求める)。謁見できず⇒「力づくでやるしかない・・」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②中国の植民地化が開始!アヘン戦争
圧倒的なイギリスの強さの前に中国は屈服・・
 
林則徐(りんそくじょ)
・アヘンの没収と焼却など。
・中国人密貿易者の処罰
・英商館区の封鎖
 ↓↓
英は「待ってました・・!」これを口実に戦争をしかける。
アヘン戦争(1840~1842)
清が圧倒的に敗北
 ↓↓
南京条約
(1842)
・1港(広州)⇒5港に。+上海、厦門(あもい)、福州、寧波(にんぽう)。中国の南側
・公行廃止
・英に香港を割譲
・賠償金の支払い⇒民衆に重税
 ↓↓
<不平等条約>
・治外法権(領事裁判権)の承認
・関税自主権の喪失=安い英製品をそのままの値段で売らなければいけない。
・租界の設置。外国人居留地。初めて上海に設置。(英の領土のよう)

<他国とも不平等条約>
対英 虎門寨追加条約 (こもんさい)
対米 望厦条約 (ぼうか)
対仏 黄埔条約 (こうほ)


(2)アロー戦争と太平天国の乱
ポイント①また戦争!?イギリスの不正義な戦争
アロー戦争の結果、中国はどうなる?

「戦争に勝ったけど貿易でもうからないな。港の数増やす?」

アロー号事件(1856)
清朝の警察に中国人船員が海賊容疑で逮捕。アロー号は英の国旗を掲げていた。英に許可を得ず逮捕したのは英を侮辱している!という口実。英は仏・ナポレオン3世を誘って戦争をしかける。
↓↓
アロー戦争(1856~1860)
英・仏〇 VS ✕清
↓↓
天津条約
清が発砲してしまう。戦争再開。
↓↓
・英仏軍が清の都・北京を占領。
・皇帝の離宮・円明園(えんめいえん)を破壊。(伊カスティリオーネ(郎世寧/ろうせいねい)が設計。ヴェルサイユ宮殿を手本)
↓↓
北京条約(1860)
・外国公使の北京駐在(大使館)⇒総理各国事務衙門(がもん)(=外務省)の設置。
・キリスト教布教の自由。
・南京を含む10港の開港。+天津。
・英に九龍半島の南部を割譲
・賠償金⇒重税へ

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント②農民への重税で起きた大反乱
清を倒して新しい国づくりを・・

アヘン(1840)、アロー(1856)戦争による農民への重税
↓↓
太平天国の乱
(1851~1864)
洪秀全。「滅満興漢(めつまんこうかん)」

・「神の声を聞いた。天国を樹立する。清(満州人)は滅びるべきだ。」キリスト教の影響。
・拝上帝会(キリスト教の結社)。太平天国の建国。
・南京を占領⇒天京(てんけい)。

・天朝田畝制度(てんちょうでんぽ)。土地を均等に配分。地主廃止。
・男女平等、纏足(てんそく)廃止・辮髪(べんぱつ)廃止
↓↓
地主が反対。義勇軍・郷勇(きょうゆう)を作る。
・湘軍(しょうぐん)・曾国藩(そうこくはん)
・淮軍(わいぐん)・李鴻章(りこうしょう)
+
常勝軍・・ウォード(米)、ゴードン(英)
↓↓
太平天国の乱は鎮圧される。

ロシア「ふーん、中国今弱ってるな~・・」





(3)ロシアの極東南下と洋務運動
ポイント①凍らない港を求め、ロシアが中国を狙う!
ロシアは黒海・地中海方面から→中国方面南下へシフト

【ロシアの極東南下】
4つの条約
[1]アイグン(愛琿)条約(1858)露と清
ロシア・東シベリア総督:ムラヴィヨフ
黒竜江(こくりゅうこう)(=アムール川)以北をロシアとする。
海岸線まであと少し。

[2]北京条約(アロー戦争の調停の代償)(1860)露と清
・沿海州(えんかいしゅう)(=ウスリー江以東)の獲得。
(ついに海岸線にたどり着いた!)
・要塞ウラジヴォストーク港を建設

[3]樺太・千島交換条約(1875)露と日
(対日)ロシアは樺太全島を獲得(沿海州の真向かい。北海道の北)。                                                                                                                                      千島列島は日本にあげる。

[4]イリ条約(1881)露と清
中央アジア方面に降りるときに。東トルキスタンの一部をロシアが獲得。保険をかけていた。

ーーーーーーー
ポイント②このまま黙っているわけにはいかない!中国の改革運動
ヨーロッパの技術。産業を導入するも・・

【中国・洋務運動(改革)】(1860~1890)

中国「ロシアめ・・。このまま黙ってるわけにはいかない・・」

「同治の中興」(中興=安定)
同治帝(摂政は母の西太后)時代

「中体西用(ちゅうたいせいよう)」基本精神
中国の体制(=皇帝独裁・儒学)維持にあたり、西洋の軍事・産業技術(だけ)を用いる。富国強兵。
↓↓
中心人物(洋務派)曾国藩・李鴻章(太平天国の乱を鎮圧した2人)
欧風な町並みに。。
→しかし・・清仏戦争、日清戦争のどちらも清が負ける。根本的な富国強兵にはなってなかった。ものまね改革で止まった。


(4)日本の朝鮮進出
ポイント①朝鮮の開国と閔氏の心変わり
日本の朝鮮半島進出と中国との対立

<朝鮮国内の状況>
19C後。国王・高宗(こうそう)←力がない。
后:閔妃(びんひ)。奥さんの一族:閔氏(びんし)。

閔氏(妻の一族)はおいしい思いができると期待していたが・・高宗は力がなく、父の大院君(たいいんくん)が力を持っていた。

⇒閔氏は面白くない。日本と組んで大院君を失脚させた。
⇒日本はそれをきっかけに朝鮮進出。
(古代中国で跡目争いで騎馬民族に助けを請うて、あとで乗っ取られるのと似てる・・)

↓↓ 
閔氏の独裁

江華島事件(1875)
日本の船が朝鮮から砲撃を受けた。朝鮮に開国を迫る。
↓↓
日朝修好条規
(1876)
・朝鮮・自主独立
・3港の開港(釜山/ぷさん・元山/げんさん・仁川/じんせん)
・日本の領事裁判権を承認
↓↓
「閔氏独裁になってから日本が来るようになった・・。前の大院君の方がよかったよ。。閔氏ひっこめ!」
↓↓
壬午軍乱(じんごぐんらん)(1882)
大院君軍による閔氏への反乱。←日・清が鎮圧。

<対応の違い>
清:大院君をつかまえる。閔氏を支援。
日:閔氏・朝鮮側へ多くの要求。賠償金払え。
↓↓
閔氏は日本と手を切って清に傾く・・。

朝鮮は真っ二つに
事大党(親清)閔氏ら(保守派)が中心
VS
開化派(親日)留学生金玉均(きんぎょくきん)。日本に学び、近代化を目指す。
↓↓
甲申政変
(こうしんせいへん)(1884)
開化派のクーデター。日本の武力を借りて武装蜂起。閔氏を追放。
→清に鎮圧される。
↓↓
朝鮮をめぐって日本と清がバチバチに・・。

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ポイント②朝鮮国内の動乱と日清戦争
朝鮮が国際的に独立国であることが承認される

<朝鮮末期の新思想>
・西学・・キリスト教
・東学・・民間信仰+儒教・仏教・道教
創始者・崔済愚(さいせいぐ)
⇒東学の信者はアジア以外、外国を嫌うように。。
↓↓
甲午農民戦争
(こうごのうみんせんそう)(1894)=東学党の乱
「外国勢力は出ていけ!」
朝鮮南部。全琫準(ぜんほうじゅん)の暴動。
→清に助けを求める。清が出兵。日本も出兵。
↓↓
日清戦争(1894~95)日〇 VS ✕清
↓↓
下関条約
(1895)
・朝鮮独立(清はもう関係ない=清は宗主権放棄)が承認
・日本は清から台湾、澎湖(ほうこ)諸島、遼東半島を獲得。
・開港場での企業の設立
↓↓
三国干渉(1895)
ロシア「おい日本。朝鮮を通って何中国に来ようとしてんだ・・。その遼東半島はオレが狙ってるんだよ!」ロシア・独・仏がクレーム
→遼東半島は清に返還。ロシアへの恨み。臥薪嘗胆
↓↓
閔妃はロシアに接近。→日本は閔妃を殺害(1895)
朝鮮をめぐって日本とロシアとの関係悪化・・。

 


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