世界史まとめ – ページ 3 – 歴史note

世界史【38】戦間期のアジア諸地域

【38】戦間期のアジア諸地域
(1) 新文化運動と中国の民衆運動
(2) 北伐と中国共産党の動向
(3) 朝鮮と東南アジアの民族運動
(4) インドの民族運動
(5) トルコ革命
(6) イスラーム諸国の動向


当時植民地にならなかったのは日本とタイだけ。(中央集権化が進んでいたのも一因)。ほとんどのアジアは欧米列強に支配された。第一次世界大戦のあと、戦争でヨーロッパが弱っている、今が独立のチャンスと思った。

(1)新文化運動と中国の民衆運動
ポイント①中国国民を巻き込む一大運動へ!
北京大学の教授陣が中心となった啓蒙運動

<新文化運動(文学革命)>
・北京大学
教授陣が民衆の啓蒙化に尽力。

・陳独秀(→後に共産党を創始)
『新青年』
雑誌刊行
「民主主義と科学」をスローガンに。
中国の旧体制、儒学を批判。

・胡適(こせき・こてき)
白話(はくわ)文学運動 文語⇒口語

・李大釗(りたいしょう)
マルクス主義研究会の創設。中国に社会主義、共産主義を伝える。

・魯迅(ろじん)日本の東北大学医学部に留学
『狂人日記』『阿Q正伝』民衆への啓蒙

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ポイント②国民党と共産党の協力体制の完成!
孫文が目指した中国の国民革命

<五・四運動(1919)>
パリ講和会議で二十一カ条要求の取り下げが認められず。
↓↓
北京大学の学生を中心に大規模なデモが発生
→全国的な反帝国主義へ発展。
反欧米、反日、反軍閥政府。
↓↓
軍閥政府はヴェルサイユ条約調印を拒否。

・中国国民党を結成(資本主義的)
孫文。大衆政党。金持ちの味方。

・中国共産党を結成。(社会主義的)
初代委員長:陳独秀。上海で。貧しい人の味方。
(※毛沢東は途中からリーダーになった。)
↓↓
2つの党は相反する主義だが、目的は同じ
「外国を追い出して、中国国民のための国を作る」
↓↓
・第1次国共合作(1924)
国民党と共産党が力を合わせる。
孫文「連ソ・容共・扶助工農」
(共産党を受け入れよう。中国の工業・農業を育てよう。)
・国民革命の遂行(軍閥打倒)
まず外国の言いなりになっている軍閥を倒す。そのあと外国勢力を追い出そう。


(2)北伐と中国共産党の動向
ポイント①北京にいる軍閥を倒せ!
国民党と共産党がともに立ち上がるが・・

・孫文の死(1925)

<五・三〇(ごさんじゅう)運動(1925)>
上海で労働者がスト。英人警察が発砲してしまった。
→再び全国的な反帝国主義運動へ拡大。(外国出てけ。軍閥倒せ。)

・北伐(1926)
=「北京にいる軍閥を倒せ!伐つ!」という動きのこと
国民党と共産党は広州(広東かんとん)国民政府を樹立。

2つのルートに分かれて北へ向かう
・国民党右派(反共的)指導者:蒋介石
・国民党左派(容共派)指導者:汪兆銘
↓↓
・上海クーデタ(1927)
蒋介石が共産党員を虐殺する。
帝国主義勢力や地主・浙江(せっこう)財閥と結託。
(蒋介石自体も浙江財閥の出身)
↓↓
・国共分裂
国民党と共産党の関係が悪化
↓↓
・南京国民政府(国民党のみで結成)
別ルートに行った国民党左派を南京に呼び寄せる。国民党だけで北伐する。(共産党は逃げる)

当時の軍閥は奉天派と呼ばれ、日本の操り人形。
リーダーは張作霖。蒋介石の北伐に日本は焦る。
↓↓
・山東出兵(1927~1928)
日本が山東省に出兵。北伐軍(蒋介石)を邪魔したい。
→しかし蒋介石はひょいとかわし北京に入り、軍閥を倒す。
↓↓
張作霖(軍閥のリーダー)
北伐軍(蒋介石)に敗れて逃亡。
↓↓
・張作霖爆殺事件(奉天事件)(1928)
日本の関東軍がやった。口封じ。
↓↓
息子の張学良が北伐軍(蒋介石)に降伏。
→北伐完成
↓↓
南京国民政府が中国の実験を掌握

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ポイント②中国共産党の「草の根」運動!
都市から農村へ、共産党は活動場所を変えた。

上海クーデタ後の共産党
・紅軍の創設(共産党の軍隊)

・中華ソヴィエト共和国臨時政府の成立
主席:毛沢東
都:瑞金(ずいきん)
都市から農村へ。





(3)朝鮮と東南アジアの民族運動
ポイント①朝鮮でおきた「民族自決」を求める動き!
日本の朝鮮総督府、統治方法を転換

・韓国併合(1910)
朝鮮は日本領土に。

朝鮮総督府 支配機関(天皇直属)
・武断政治の実施
軍隊・力による韓国支配。
↓↓
三・一独立運動(1919)
第一次世界大戦後のパリ講和会議の民族自決の原則に触発。
朝鮮各地で民衆デモが拡大(※五・四運動より先。同年)
↓↓
朝鮮総督府は焦る・・。
・文化政治へ移行
早く日本人にする。日本語や日本文化を強制。

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ポイント②東南アジアの民族運動!
アジアで最初の「ある組織」が結成

・ビルマ(ミャンマー)の独立運動
英領インド帝国(インドの東隣)

・タキン党
ビルマの即時完全独立を要求。英の支配を終わらせるのが目的。
指導者:アウン=サン
(現在でもミャンマーでは民族的英雄として崇められている。娘はアウン・サン・スーチー。WW2後、軍部独裁の中、自由と民主化を呼びかけた。ノーベル平和賞)
==============
・インドネシア独立運動
オランダ領東インド

・インドネシア共産党の結成
(→アジア初の共産党。初は中国ではない。ロシア革命の影響)

・インドネシア国民党
指導者:スカルノ
(第3夫人:デヴィ夫人)
==============
・インドシナ民族運動(ベトナム、カンボジア、ラオス)
仏領インドシナ

・ベトナム青年革命同志会
↓↓ 発展
・インドシナ共産党
指導者:ホー=チ=ミン
労働者・農民に支持を拡大

==============
・フィリピン民族運動
フィリピン独立の約束。
フランクリン・ローズヴェルト
フィリピン独立準備政府(武力ではなく平和的に独立)


(4)インドの民族運動
ポイント①インドを裏切ったイギリスに反発!
「非暴力」「不服従」の抵抗運動

<第一次世界大戦中のインドの動き>
・国民会議派
ヒンドゥー教徒。人口の80%。反英。
VS
・全インド=ムスリム連盟
イスラーム教徒。人口の10%。(英が作った)
大戦中は一時的に反英化。
大戦で英はオスマン帝国と敵対。
ムハンマドの代理人カリフがいたため。
↓↓
2つは対立していたが、協力関係に。手を結んで反英運動に。
↓↓
焦った英は・・戦後自治の約束。
インドは英に協力した。
↓↓
しかし・・戦争後
・ローラット法の制定(1919)
(令状なしの逮捕、裁判なしの投獄など。)
自治は反故にされる。インド国民は怒り爆発!
↓↓
・アムリットサール事件(1919)
英への抗議集会。武力で弾圧される

・ガンディーの抵抗運動(1919~1922)
非暴力・不服従
英への抵抗運動。→全インド国民に呼びかけ拡大。
「サティヤーグラハ(真理の把握)」を掲げる。
(=「私たちは正しいことを知っている」)

・ラホール大会
国民会議派:ネルー
完全独立(プールナ=スワラージ)
を要求
「自治」ではなく「独立」!英出ていけ

・第2次非暴力・不服従運動(1930~1934)
「塩の行進」
英の塩の専売法に反対

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ポイント②焦った!イギリス
インドをなだめようとするも・・

イギリスの懐柔策

・英印円卓会議の開催(1930~1932)
開催地:ロンドン
ガンディーは1回だけ参加するも、あとは国民会議派はボイコット。
↓↓

・新インド統治法(改正インド統治法)(1935)
連邦制と各州の自治制を導入。
↓↓
ネルーは自治ではなく完全独立(プールナ=スワラージ)を要求!
インドの民族運動に拍車を掛ける。





(5) トルコ革命
ポイント①無力なオスマン帝国を滅ぼせ!
国民は弱腰なオスマン帝国に愛想を尽かす・・

<オスマン帝国の降伏>
第一次世界大戦に参戦。同盟国側で敗北。
↓↓
連合軍に支援されたギリシア軍がイズミル(トルコ内)に侵入・占領。(皇帝は容認)

・セーヴル条約(不平等条約)
領土の大部分を喪失、主権の制限、軍備制限、治外法権。

↓↓ 弱腰の政府に反発!

ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)
アンカラで臨時政府を樹立。
侵入ギリシア軍との戦い。→成功

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ポイント②共和政トルコの新たな改革!
西欧風近代国家を目指せ

共和制トルコ
ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)

・スルタン制の廃止(1922)→オスマン帝国の滅亡
スルタン=オスマン皇帝。トルコの国民が立ち上がって弱腰なオスマン帝国を倒した。
↓↓
・ローザンヌ条約の締結(1923)
セーブル条約に変わる新しい連合国との講和条約。イズミル回復。軍備制限や治外法権の撤廃。
↓↓
トルコ共和国の成立(1923)
(都:イスタンブルから→アンカラに変わる)

・ムスタファ・ケマルが初代大統領になり、西洋的な近代化を目指す。

・カリフ制廃止(カリフ=イスラーム世界のリーダー)
政教分離・・イスラム国家の中では政教分離は珍しい。

・女性解放

・文字改革 ローマ字採用。
コーランの文字、アラビア文字⇒ローマ字へ。識字率アップ

・尊称:「アタテュルク(トルコの父)」と議会から称号を付与。

 


(6)イスラーム諸国の動向
ポイント①イギリス支配からの脱却を目指せ
エジプト・イラン・アフガニスタンの動向・・

<エジプト>
・ワフド党(「代表」の意)の結成
エジプトの英からの独立をめざす。

・エジプト王国の「条件付き」独立(1922)
英はエジプトの防衛権を保有。英の軍隊がエジプト内にいる。(軍事占領)
↓↓ 軍、出ていって・・

・エジプト=イギリス同盟条約(1936)(完全独立)
エジプト国内の軍事占領は終了。スエズ運河地帯駐屯権を承認。

============
<イラン>
・カージャール朝
第一次世界大戦前、英(北)と露(南)に支配されていた
WW1中は両国に占領。→ロシアは革命で抜ける。英の支配。
↓↓
英の言いなりの王朝をつぶして、英に出ていってもらおう
↓↓
・パフレヴィー朝
建国者:レザー=ハーン(位1925~1941)
英との不平等条約を撤廃!
国号をペルシアから⇒イランへ

============
<アフガニスタン>インドの北
WWⅠ前 英の保護国
↓↓
・第3次アフガン戦争
英✕ VS 〇アフガニスタン
↓↓
・アフガニスタン独立(1919)
英はあっさり認める。
インドで独立運動が起こっていてそちらで手一杯。

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ポイント②現在まで続く、中東問題の諸悪の根源!
ここに原因あり!

<第一次世界大戦中のイギリス外交>
英の3つの秘密条約
[1]フセイン=マクマホン協定
アラブ人国家建設を約束

[2]サイクス・ピコ協定
トルコ領を英仏露で分割

[3]バルフォア宣言
パレスチナ(トルコ領)にユダヤ人国家の建設を支援
↓↓
委任統治(中東地域)
戦後、英仏の委任統治になった。
・仏の管理(北)
シリア、レバノン
・英の管理(南)
パレスチナ、トランスヨルダン、イラク

英仏が民族、宗派関係なく勝手に国境を引いた。WW2後その国境線のまま独立してしまった。これが今でも中東地域の情勢を不安定にしている要因。
↓↓
・イラク王国独立
・レバノン独立
(WWⅡ後)
・ヨルダン王国独立
・シリア独立

・パレスチナ
アラブ人 VS ユダヤ人
この対立を英は無視し続けた。
WWⅡ後、英は手放し、国連に渡す。

 


 

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世界史【37】第一次世界大戦後の欧米諸国

【37】第一次世界大戦後の欧米諸国
(1) 戦勝国アメリカの栄華
(2) 戦勝国イギリス・フランス
(3) 敗戦国ドイツの復興
(4) ファシズムの台頭
(5) 東欧諸国の動向


(1)戦勝国アメリカの栄華
ポイント①第一次世界大戦を勝利に導いたウィルソン!
急速に保守化するアメリカ社会・・

米が政治・経済No1に!排他・排外的になる。

<民主党政権(1913~1921)>
28代ウィルソン大統領
・禁酒法(1920~1933)
(厳格なプロテスタント(ピューリタン)の意思を反映)

・女性参政権(1920)男女平等選挙権
(総力戦で女性も兵器工場で働いた。→女性の地位向上)

モンロー主義「米は米、欧は欧」のように昔に戻そう。
・ヴェルサイユ条約の批准を拒否(上院の反対)
米は国際連盟に不参加。
さらに保守化が進み、次は共和党が政権を取る。

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ポイント②排外的なアメリカ社会の「裏」の顔
共和党政権下に露わになったアメリカの「光」と「影」

<共和党政権(1921~1933)>3代続く
排外的。(外国人出ていけ)。さらに保守的に。

・債権国アメリカ
米は債務国から→債権国になった。
WW1の連合国の兵器工場になったため。

・大量生産・大量消費
へ。
大衆消費社会。新聞やラジオ放送など。

・WASP(ワスプ)北部都市・白人中心階級
白人(White)、アングロ・サクソン(AS)、プロテスタント(P)。
↓↓
・K・K・K(クー・クラックス・クラン)活動再開。
黒人、黄色人種の差別。
↓↓
・サッコ・ヴァンゼッティ事件(伊系・冤罪)
2人のイタリアの無政府主義者への冤罪事件

・移民法(1920)
アジアからの移民は全面禁止。排日移民法。


(2)戦勝国イギリス・フランス
ポイント①躍進する社会主義勢力
イギリスでは初の社会主義政党が政権を獲得

<英>
・ウィンザー朝(1917~現在)
(王家が変わったのではなく、ハノーヴァー朝から改名。ハノーヴァーはドイツ読みなので。)
スチュワート朝⇒ハノーヴァー朝(独出身の諸侯)
(ウィンザーはバッキンガム宮殿がある地名)

<ロイド・ジョージ挙国一致内閣>
・第4回選挙法改正(1918)
21才以上の男性、30才以上の女性に選挙権。
イギリス初の女性選挙。
(※世界初の女性選挙権はニュージーランド。(1893))

・第1次マクドナルド内閣(1924)
英で初の労働党内閣。(社会主義政党)。自由党と連立したが崩壊。

・第5回選挙法改正(1928)
21歳以上の男女に選挙権。

お金に余裕がないので植民地支配の方針を変更
↓↓
・ウエストミンスター憲章(1931)
自治領をイギリス本国と同党の地位を与える。法的に制定。
「大英帝国」⇒「イギリス連邦」と改称。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フランス外交は「本音」と「建て前」!?
ヨーロッパ諸国の顔色をうかがう外交

<仏>
対ドイツ強硬外交
・クレマンソー挙国一致内閣
・ポワンカレ内閣。
ルール占領(ルール出兵)→仏は他の欧米に怒られた。
↓↓
対ドイツ協調外交に変更
本音:独のことキライ。
建前:手のひら返しで独と協調。

・左派連合政権
ソ連の承認、ロカルノ条約締結。

・ポワンカレ内閣
不戦条約(1928)パリで調印。
米ケロッグ、仏ブリアン。





(3)敗戦国ドイツの復興
ポイント①第一次世界大戦後のドイツ国内の混乱!
帝政から共和制へ移行するドイツが直面した問題

<ドイツ革命(1918~1919)>
キール軍港の水兵反乱。
「評議会(レーテ)」が成立。労働者・兵士の代表が集まる会議。
(ロシアでは「ソビエト」、ドイツでは「レーテ」と呼ばれる。)
ヴィルヘルム2世亡命。
↓↓
ドイツ共和国成立。(王や皇帝がいない)
ドイツ休戦協定を締結。

・スパルタクス団の結成。(「ドイツ共産党」の母体)
ドイツをロシアのような社会主義国家にしようと暴動。←鎮圧。
・カール・リープクネヒト
・ローザ・ルクセンブルク(ポーランド出身の女性革命者)

・ヴァイマル国民議会の開催(1919)
社会民主党が主導
初代大統領・・エーベルト
↓↓
・ヴァイマル(ワイマール)憲法
当時世界で最も民主的。主権在民、男女平等の普通選挙。労働者の団結権、団体交渉権の保障。

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ポイント②世界でもっとも民主的な国が抱えたトラブル!
巨額の賠償金がドイツ社会に大きな影響を及ぼす・・

ヴァイマル共和国(ドイツ共和国)

<賠償問題>
仏にルール占領される⇒激しいインフレ
・帝政派の軍部クーデタ
・ドイツ共産党の武装蜂起など
国内は混乱・・

<シュトレーゼマン大連合内閣>
・首相:シュトレーゼマン
・レンテンマルク紙幣の発効。(1兆マルク=1レンテンマルク)
インフレを奇跡的に収束。
↓↓
<2代目大統領 ヒンデンブルク>
・協調外交(シュトレーゼマン外相)
ロカルノ条約の締結→ドイツの国際連盟の加盟。
不戦条約の締結

着実に復興を歩む・・。
(シュトレーゼマンはノーベル平和賞受賞。仏ブリアンとともに。)


(4)ファシズムの台頭
ポイント①戦勝国なのに混乱するイタリア
民主主義の矛盾をついた新しい政治思想の登場

(イタリア)
・ヴェルサイユ体制への不満
戦勝国だけど不満→参戦の条件に英仏と約束した「未回収のイタリア」が一部回収できなかったから。
↓↓
・フィウメ問題(イタリア人が多く住む地域)
南チロル、トリエステは回収できたが、フィウメはユーゴスラヴィア領に→その後、国際連盟の管理下に

・戦後の不況問題
北イタリアでストライキ。←政府(イタリア社会党)が鎮圧。
「社会党(社会主義)」は労働者の味方じゃないのか!」失望・・。
↓↓
新しい政治思想。ファシズムの台頭。
貧富どちらにも支持される。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ムッソリーニの一党独裁体制の確立!
民衆から支持を集め、独裁政治を行う

<ムッソリーニ(ファシスト党)(1883~1945)>
ファシスト党の結成
・反社会主義
→資本家・地主・軍部に支持を拡大

・国家による経済統制
仕事は与える。物価は下げる。
→下層階級からも支持
↓↓
「ただし言論の自由は許さない!」
ファシズム=全体主義

・ローマ進軍
ムッソリーニのクーデター。
国王はムッソリーニの組閣を承認。政権を獲得。
↓↓
・フィウメ併合
国民から支持が高まる
↓↓
ファシスト党の一党独裁制
の成立
ファシズム代表議会

・アルバニア保護国化
植民地拡大(バルカン半島・モンテネグロの南)
強いイタリアをアピール

・ラテラン条約(1929)
ローマ教皇との和解
(イタリア政府とローマ教皇は断絶していた。→イタリア統一運動の普仏戦争1870で教皇領を奪ったため。)
→ヴァチカン市国(しこく)の成立承認。
(※ナポレオンもローマ教皇と和解して国民の人気を獲得していた)

↓↓
イタリア国民の仲間意識を高めていく。
当時イタリア国民はファシズムを支持。





(5)東欧諸国の動向
ポイント①独裁政治のほうが都合が良い!?
西ヨーロッパ諸国は東欧の独裁政治を認める

・ウィルソン提唱の「民族自決」が東欧には適用され独立。

<東欧諸国の独裁(ポーランド)>
・ソヴィエト✕=ポーランド戦争〇
ポーランドは勝利し、領土を獲得。
・ピウスツキの独裁体制(議会は無視)

<東欧諸国の独裁(ハンガリー)>
・ハンガリー革命(1918~1919)
社会党や共産党がソヴィエト政権(社会主義)を樹立。
→ハンガリー共和国の独立←ルーマニア軍介入で崩壊。
↓↓
・ホルティの独裁
王政を復活。社会主義を阻止。

西欧の考え
→「社会主義さえ阻止してくれれば、独裁でもいい」

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界が注目!ソ連経済の急成長
社会主義国家の計画経済とは?

・レーニンの死(1924)ロシア革命の指導者・ソ連の創始者
後継者をめぐって2人が争う。
↓↓
[1]トロツキー✕:「世界革命論」
西欧や世界に革命を広げよう。政治的援助が必要。
(→メキシコで暗殺される)
VS
[2]スターリン〇:「一国社会主義論」
社会主義の建設はソヴィエト一国で充分。

<スターリン体制(1930年代)>
・粛正
スターリン反対派を大量に処刑。

・スターリン憲法(1936)
形式的な民主主義。男女平等。民族平等。(→書いただけで実際はやらない)

<ソ連の計画経済>
■ 第1次五カ年計画(1928~1932)
・重工業重視の工業化。→工業国へと急成長。
・農業の集団化、機械化。
コルホーズ(集団農場)桑・機械などを共同で利用
ソフホーズ(国営農場)作物は国のもの。賃金を支払う。

■ 第2次五カ年計画(1933~1937)
・軽工業の発展

↓↓
ソ連は欧米に並ぶ経済大国に成長。西欧には社会主義が脅威となってくる・・。

 


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世界史【36】ヴェルサイユ体制とワシントン体制

【36】ヴェルサイユ体制とワシントン体制
パリ講和会議(1919)/ ヴェルサイユ条約(1919)/ 国際連盟
ワシントン会議(1921~2)/ ロンドン軍縮会議(1930)
(1) 敗戦国ドイツの処分
(2) 敗戦国の処理
(3) 戦後の国際秩序の維持
(4) 国際協調主義にむけて


(1)敗戦国ドイツの処分
ポイント①第一次世界大戦後の国際秩序を決めよう!
紛糾する講和会議とその議題に注目

<パリ講和会議(1919)>
・戦勝国(連合国)のみ参加。敗戦国とソヴィエト=ロシアは招かれず。(←周りの国々が警戒)
・ウッドロー=ウィルソン(米)十四カ条の平和原則
・ロイド=ジョージ(英)英の地位の復帰
・クレマンソー(仏)独に厳しい制裁をすべき

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ドイツに徹底した復讐を!
敗戦国ドイツに課された過酷な条件・・・

<ヴェルサイユ条約(1919)>独に付きつけられた条件
・海外植民地は全て喪失。
・アルザス・ロレーヌ(独仏国境。地下資源豊富)を仏に割譲。(普仏戦争1870で仏→独領に。それを返還した)
・ポーランド回廊をポーランドへ割譲。
・国際連盟の管理下に・・ザール地方、ダンツィヒ
・ラインラントの非武装・・ライン川流域。独仏の国境線。
・軍備制限・・空軍✕、潜水艦✕、徴兵制禁止など。
・巨額の賠償金・・未決定(後に1320億金マルク/約200兆円と決定)
・国際連盟の発足


(2)敗戦国の処理
ポイント①ドイツ以外の敗戦国の処分
戦勝国の思惑が反映された講和条約・・

<独以外の敗戦国との講和条約>
(連合国と各国が結んだ条約)
・サン・ジェルマン条約・・対オーストリア
・トリアノン条約・・対ハンガリー
(※オーストリア=ハンガリー帝国は切り離された。)
・ヌイイ条約・・対ブルガリア
・セーヴル条約・・対トルコ(オスマン帝国)

<東欧諸国の独立>
・バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)
・ポーランド
・フィンランド
・ハンガリー
・チェコスロバキア
・セルブ=クロアート=スロヴェーン王国→ユーゴスラビア

※ウィルソン十四カ条の「民族自決」は東欧にだけ適用。ソ連との壁・ブロックとして独立を認めた。アジア、アフリカには適用されず。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦後の西アジア情勢
21世紀まで続く中東問題の火種はここにある!

第一次世界大戦後の西アジア情勢(旧オスマン帝国領)

<アラビア独立>
・ヒジャーズ王国(アラビア半島の西)
メッカの首長:フセインが建国(フセイン=マクマホン協定)

英に協力したらアラブ人国家を作っていいよと英は言ったので、フセインはヒジャーズ王国を作った。
↓↓
しかし英は自分たちと仲がいいイブン・サウード(サウード家)を使って攻撃。
↓↓
サウジアラビア王国の成立。(=サウード家のアラビア)

<アラビア半島の北部(旧オスマン帝国領)>
委任統治
国際連盟が預かる。英仏が統治。
・英の管理・・イラク、パレスチナ、トランスヨルダン
・仏の管理・・シリア、レバノン
レバ・シリア
パレ・ヨル・イラク
英仏が民族や宗派に関係なく勝手に国境線を引いてしまったので、今でも民族紛争が絶えない・・。





(3)戦後の国際秩序の維持
ポイント①世界初の集団安全保障!
国際連盟の発足とその問題点

・国際連盟(1920)・・世界初の集団安全保障組織
本部:ジュネーヴ(スイス)
最高議決機関:総会
(理事会)
常任理事国・・英・仏・伊・日
非常任理事国 総会で選出された4カ国

・国際労働機関(ILO)
労働問題の調整機関。(社会主義革命を阻止するため)

(国際連盟の問題点)
・提唱国のアメリカ不参加
脱退・参加の自由
・全会一致の原則(各国の利害関係で機能せず・・)
・制裁規定の欠落
↓↓
だから第二次世界大戦を防ぐことができなかった・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②東アジアの国際秩序を形成せよ!
アメリカ主導で動く戦後の国際秩序とは?

東アジアの国際秩序
・ワシントン会議(1921~22)
(本心:米が日本の成長に警戒。抑制したい。。)
米ハーディング大統領が開催

・四カ国(しかこく/よんかこく)条約
太平洋地域の領土と権益の相互尊重→日英同盟解消

・九カ国条約
中国の主権、独立の尊重。→二十一カ条要求の失効。

・ワシントン海軍軍備制限条約
主力艦の保有比率
米:英:日:仏:伊=5:5:3:1. 67:1. 67
世界で軍縮(軍備縮小)の動きへ・・


(4) 国際協調主義にむけて
ポイント①ヨーロッパは皆で仲良く!?
第一次世界大戦を反省したヨーロッパ諸国の動き

国際協調主義(みんなで仲良くお互い尊重しよう)

・ロカルノ条約(1925)
西ヨーロッパの安全保障。
ドイツ外相:シュトレーゼマン(戦後ドイツの立て直し)
→独の国際連盟加入(1926)

・不戦条約(1928)(60カ国)
米国務長官:ケロッグ
仏外相:ブリアン
「国際紛争の解決は武力によらない」
(戦争放棄)(←日本国憲法にも反映される)

・ロンドン軍縮会議(1930)
補助艦の保有比率
米:英:日=10:10:7弱(←日本の海軍の反発を招いた)

(コミック『アルキメデスの大戦』)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②払えるワケがない!ドイツを苦しめたお金のトラブル
第一次世界大戦後のドイツ賠償問題の行方

賠償問題

・ヴェルサイユ条約
ドイツの賠償を規定→1320億金マルクに

独が払えない。

↓↓ 仏が怒る。「金がないならモノで払え」

・ルール占領(1923)仏とベルギー
仏が独の工業地帯ルール地方を占領。
独は消極的抵抗。生産停止→物価高インフレーション激化
↓↓
・ドーズ案
米
が独にお金を貸す。⇒独は英・仏に賠償金を支払う。⇒英仏は復興に。米に借金を返す。
これで仏もルールから撤兵。

・ヤング案
賠償金の減額。
↓↓
しかし「世界恐慌」で米に余裕がなくなった・・
↓↓
・フーヴァー=モラトリアム
ドーズ案を1年停止。かえって独英仏が苦しくなる。。経済圧迫。

 


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世界史【35】第一次世界大戦とロシア革命

【35】第一次世界大戦とロシア革命
<第一次世界大戦>1914-1918
(1) 20世紀初頭の国際情勢
(2) 第一次世界大戦の勃発
(3) 第一次世界大戦の終結
(4) ロシア二月革命
(5) ロシア十月革命。史上初、社会主義国家の誕生
(6) 内戦と諸外国の干渉


(1)20世紀初頭の国際情勢
ポイント①もう一度確認!20世紀初頭の列強の同盟関係
ドイツに対抗するために生まれた国際関係を整理

ドイツ VS ロシア
(ビスマルク時代)
・三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)
・独と露は再保障条約(秘密条約)

(ヴィルヘルム2世時代)
再保障条約を更新せず、ロシアとけんかを始める。
↓↓
仏はそれをのがさず、露と手を結ぶ。
・露仏同盟(1891)
ヨーロッパの情勢が一気に変わる。

※三国同盟のイタリアとオーストリアは領土をめぐって、実はギクシャク状態。(未回収のイタリア)

ヴィルヘルム2世はこれを解決せず、露にけんかを売ってしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生!
三国同盟と三国協商の対立

ドイツ VS イギリス(三国協商の成立)

独はロシアにけんかを売ったあと、英にもけんかを売る。
ドイツの方が工業力で上になった。
↓↓
「光栄ある孤立」だった英が、他の国と初めてくっつく。
・日英同盟(1902)
↓↓
・英仏協商(1904)
一緒にドイツを止めましょう。エジプト(英)とモロッコ(仏)の相互承認。
↓↓
・英露協商(1907)
↓↓
・三国協商(1907)

三国同盟:独・伊・オーストリア
VS
三国協商:英・仏・露
↑↑
独キライ同盟。
露仏同盟(1891)。英仏協商(1902)。英露協商(1907)。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント③バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」
一つの火種が大爆発を起こす

<バルカン半島の危機>
なぜ危険?→独や露の思惑がバルカン半島にあったため。

パン=ゲルマン主義(ドイツ)
VS
パン=スラヴ主義(ロシア)
セルビア・・パン=スラヴ主義の中心勢力。バルカン半島はスラブ人が多い。独は入ってくるな。

バルカン半島の情勢が悪化していく・・

青年トルコ革命(1908)→オスマン帝国(トルコ国内が混乱)
・便乗する形でブルガリアが独立。
・そのすきにオーストリアが無理やり隣のボスニア・ヘルツェゴビナを併合。バルカン半島に勢力を伸ばしてくる。
↓↓
隣のセルビアは反発。

・イタリア=トルコ戦争
イタリアが、弱っているオスマン帝国に侵入。アフリカのリビアを獲得。
↓↓
セルビアは、この弱っているオスマン帝国の領土を奪う
↓↓
・バルカン同盟(1912)
セルビア・ブルガリア・モンテネグロ・ギリシアの同盟(+ロシアの支援)

・第1次バルカン戦争(1912)
バルカン同盟 〇VS ✕オスマン帝国敗北

・第2次バルカン戦争(1913)
セルビア・モンテネグロ・ギリシア ルーマニア・オスマン帝国〇VS✕ブルガリア。仲間割れしてブルガリアが敗北。
↓↓
負けたオスマン帝国とブルガリアは、セルビアやロシアに反感を持つようになる。
↓↓
独、オーストリア側(三国同盟側)に付く。


(2)第一次世界大戦の勃発
ポイント①第一次世界大戦の引き金をひいたある事件!
セルビアの青年が放った銃弾が世界大戦を引き起こす・・

・サライェヴォ事件(1914.6.28)
オーストリア帝位継承者夫妻・フェルディナント夫妻。
陸軍演習の視察でサライェヴォ(ボスニアの州都)を訪問。ボスニアはオーストリアが無理に併合した地域。

セルビア青年が夫妻を暗殺。
「にっくきオーストリアめ・・」
↓↓
オーストリアがセルビアに宣戦。
↓↓
ロシア(協商国=連合国)がセルビアを支援。
↓↓
ドイツ(同盟国)がオーストリア側に付く。露・仏に宣戦布告。
↓↓
第一次世界大戦へ・・

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ロシア・フランス・イギリスに囲まれたドイツの戦術とは?
<ドイツの短期決戦作戦>
独は不利。三方を囲まれている。
英
仏 独 露
墺

独は短期決戦をめざし、まずは全力で仏を倒してその後ロシアへ。

■ 西部戦線(仏との戦い)
独はベルギーの中立を侵犯し、仏・パリを攻めようとした。
(中立国は攻めてはいけない。国際ルール)
英が怒る⇒英の対ドイツ宣戦。

・マルヌの戦い(1914.9)
〇仏 VS ✕独

■ 東部戦線(露との戦い)
・タンネンベルクの戦い(1914.8)
仏に向かうさなか、ロシアが後ろから来た。独はロシアに勝利。
〇独 VS ✕露
勝った勢いのままロシアに侵攻するが、そこでは独は敗北。

→膠着状態。長期戦へ・・。

■ 海上戦(英との戦い)
独は潜水艦を使う。
ルシタニア号の撃沈。軍艦ではなく一般客船。
米の国民が犠牲に。⇒米が怒る





(3)第一次世界大戦の終結
ポイント①日本の参戦!イタリアの裏切り!?
各国の思惑が一気に噴出した大戦の様相

<日本の参戦(1914)>
日英同盟
があったため英側(協商国側)に付く。
→独が持つ中国領土を攻める。
・膠州湾と青島(チンタオ)を占領。
・二十一カ条の要求・・大隈重信内閣(早稲田大学創設)
どさくさに紛れて中国の植民地化を進める。
・ドイツ領南洋諸島占領(マーシャル諸島など)

<イタリアの参戦(1915)>
三国同盟の伊は中立を保っていた。それに英と仏は目を付ける。
→「未回収のイタリア」を渡すから・・と交渉。
→イタリアの裏切り!三国同盟を離脱して英・仏に付く。

<英の秘密条約>
どうしても勝ちたい英の3枚舌外交。オスマン帝国領土の3重契約。
[1]フセイン・マクマホン協定
オスマン帝国は英の敵の独側(同盟国側)。そこでアラブ人をオスマン帝国内で反乱を起こすようけしかける。アラブ人国家の独立を約束。(映画『アラビアのロレンス』)

[2]サイクス・ピコ協定
オスマン帝国領を英・仏・露で分割しよう。

[3]バルフォア宣言
パレスチナ(オスマン帝国領内)におけるユダヤ人国家建設を支援。「だからユダヤ人さん、お金を貸して」
↓↓
現在まで続く中東問題の諸悪の根源に・・。

・英は植民地のインドにも自治の約束

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②世界大戦の終結に向けて
1917年は世界大戦の動向に大きな影響を与えた年!

協商国(連合国)英・仏・露・米・日・伊など20カ国
VS
同盟国 独・墺・オスマン帝国・ブルガリア

・総力戦
国民全員で一致団結。
女性の工場労働。兵器工場。

・ヴェルダン要塞をめぐる攻防
独✕ VS 〇仏

・ソンムの戦い
英軍が初めて戦車(タンク)を使う。→決着は付かず

・独・無制限潜水艦作戦(1917)
「すべての船を無警告で撃沈する。」
⇒米が怒る。米参戦を決定。(1918)
ウィルソン大統領
十四カ条の発表

・ロシアの単独講和
ブレスト=リトフスク条約(1918)
ロシア革命が起こり、ロシアは戦線離脱。独と休戦。

・ブルガリア、オスマン帝国、オーストリア降伏

・ドイツ革命(1918~19)
キール軍港の水兵反乱
各地にレーテ(評議会)が成立
→皇帝ヴィルヘルム2世は亡命。共和制へ・・。

・ドイツ休戦協定
第一次世界大戦終結

 


(4)ロシア二月革命
ポイント①ついにロシアで不満が爆発!ロシア二月革命
第一次世界大戦の戦況悪化が革命の引き金に・・

・ロシア二月革命(1917)(西暦では三月革命)
第一次世界大戦で民衆が不満を高める。
・ペトログラード蜂起(←ロシア読み。「ペテルブルク」は独語)
労働者、兵士も合流。
↓↓
・ソヴィエトの結成
労働者と兵士の代表による評議会(会議)。皇帝に対し早く戦争終結を求める。
↓↓
・皇帝ニコライ2世の退位
ロマノフ朝の滅亡。皇帝がいなくなり共和制(王や皇帝がいない)へと移る。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②二重権力の時代
臨時政府とソヴィエトが併存するロシア社会の行方

・臨時政府
中心:立憲民主党
金持ちが支持。戦争継続の方針。

ロシアの4つの政党
[1]立憲民主党・・富裕層が支持
[2]社会革命党・・農民が支持
[3]メンシェヴィキ・・穏健派
[4]ボリシェヴィキ・・急進派

・ソヴィエト
中心:社会革命党・メンシェヴィキ
即時講和(戦争を終わらせる)

二重権力
臨時政府 VS ソヴィエト

・レーニン(ボリシェヴィキ)
亡命先のスイスから帰国し「四月テーゼ」を発表。
「すべての権力をソヴィエトへ」臨時政府はいらない。
即時講和を主張。
→臨時政府に追われて亡命

・ケレンスキー
社会革命党=ソヴィエトの主導者
臨時政府の首相に就任。二重権力のリーダーが同じになった。
→戦争が終わると思いきや、何と戦争継続の方針を継続。
→民衆は社会革命党(ソヴィエト)に失望・・。
↓↓
ボリシェヴィキに期待するようになる・・。

 





(5)ロシア十月革命。史上初、社会主義国家の誕生
ポイント①臨時政府を打倒!ロシア十月革命の勃発
ついにすべての権力がソヴィエトへ結集

・ロシア十月革命(1917)(西暦では十一月革命)
レーニン・ボリシェヴィキの武装蜂起
臨時政府の消滅
世界史上初の社会主義国家を樹立

・全ロシア=ソヴィエト会議
臨時政府打倒とソヴィエト権力の樹立を宣言

・「平和に関する布告」の採択
無併合・無償金・民族自決・・領土を取らない。賠償金を請求しない。独立は認める。
全交戦国に講和条約のあり方を提唱した(→欧は黙殺)

・「土地に関する布告」
地主廃止
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ボリシェヴィキの独裁体制へ!
レーニンの強引な政権の掌握

ボリシェビキの一党支配

・憲法制定のための選挙を実施
→第1党:社会革命党(農民支持)
第2党:ボリシェヴィキ
(何とレーニン負ける。)

どこにアンチがいるかあぶり出す・・

・チェカ(非常委員会)を作る
革命政権を守るための治安組織。秘密警察。

・憲法制定会議の開催
1週間で武力で解散。
↓↓
ボリシェヴィキの一党支配に(プロレタリア独裁期間)

・ブレスト=リトフスク条約
ロシア全権:トロツキー
独との単独講和。第一次世界大戦から離脱。

・赤軍(せきぐん)の設立
社会主義の色

・ロシア共産党と改称
ボリシェヴィキは「多数派」の意味。「ロシア」を政党名に入れて愛国心の高揚をめざす。

・モスクワへ遷都
欧とは距離を置くため


(6)内戦と諸外国の干渉
ポイント①国内は混乱!外国勢力も干渉!どうするロシア・・
社会主義政権に反発する内外の勢力

ロシア内戦(1917~1921)
・反革命軍(白軍・はくぐん)の蜂起
ソヴィエト政権に反対する勢力。地主・貴族・反ボリシェヴィキの反乱+諸外国

・対ソ干渉戦争(1918~22)
シベリア出兵。チェコ兵救済を理由に勝手にロシアの領土に入る。

・ポーランド=ソヴィエト戦争
ポ〇 VS ✕ソ

↓↓ これに対してレーニンは・・

・コミンテルンを結成
ロシア共産党が中心。全世界で革命を起こさせよう!

(経済政策)
・戦時共産主義(1918~1921)
「みんな、ごめん。外国を追い出すから食料を政府がいったんもらうね・・」農作物を強制徴発・食料配給制に。→人々はやる気を失う。生産力低下。
↓↓
・新経済政策(ネップ)(1921~27)
穀物徴発制の廃止。小規模私企業、小農の経営を認める。→やる気を取り戻す。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②ソ連の誕生!
内戦を終結したロシアは新体制へ移行

・ソヴィエト社会主義共和国連邦(1922)
(ソ連、ソ連邦)

4つの共和国で発足
・ロシア
・ウクライナ
・ベラルーシ/白(はく)ロシア
・ザカフカース(現ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン)カフカス山脈の南。
→後に15の共和国に。

・ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法の制定

<各国のソ連承認>
・ラパロ条約(1922) 独がソ連を承認。欧で初。
・英、伊、仏、日の順に承認。
・アメリカのソ連承認(1933)→ソ連国際連盟加入。

 


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世界史【34】帝国主義とアジアの民族運動

【34】帝国主義とアジアの民族運動
(1)インドの反英運動
(2)東南アジアの民族運動
(3)西アジアの民族運動


(1)インドの反英運動
ポイント①当初は親英的?インド国民議会の結成
インドの民族運動を懐柔するためにイギリスが取った政策

<インド民族運動の形成>
・インド国民会議の結成(ヒンドゥー教徒中心)ボンベイ
英がインド支配にあたってインドの知識人を抱き込む。「君たちの意見を政策に反映させるよ」。
↓↓
・国民会議派
インド国民会議に参加した人々による親英的な政治結社。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②イギリスなんて早く出ていけ!
親英的な組織が反親英組織へ・・

<反英運動の高まり>
・ベンガル分割令(1905)(カーゾン法)
ベンガルでイスラーム教徒とヒンドゥー教徒を分けて住まわせる政策。
↓↓
英は宗教対立を引き起こして団結するのを防ごうとした。国民会議派に見破られた。
↓↓
国民会議派は激怒。親英から反親英に。
↓↓
・カルカッタ大会4綱領(こうりょう)の採択
国民会議派の急進派・指導者:ティラク
4つの綱領
[1]英貨排斥(えいかはいせき)(英製品の不買)
[2]スワデーシ(国産品愛用)スワ「自分の」デーシ「国の」
[3]スワラージ(自治の獲得)スワ「自分の」ラージ「支配」
[4]民族教育

英は焦る。
↓↓
・全インド=ムスリム連盟を発足。
英の支援で結成。インドのイスラーム教徒の政治団体。
VS
国民会議派 ヒンドゥー教徒

・ベンガル分割令撤回(1911)
撤回はされたが宗教対立は残ってしまった。


(2)東南アジアの民族運動
ポイント①ベトナム・インドネシアの民族運動
フランス・オランダに対する民族運動の行方・・

<ベトナム民族運動>
フランス支配下・仏領インドシナ
・ファン=ボイ=チャウ
維新会の結成(←日本の明治維新を参考にしている)
↓↓
・ドンズー(東遊)運動=日本に留学生を多く送る。
ベトナムの近代化をめざす。日露戦争での日本の勝利に影響。

↓↓ しかし・・日本は仏と手を組みドンズー運動は弾圧を受ける。

・ベトナム光復会(今度は中国をモデルに)

<インドネシア民族運動>
オランダ支配・オランダ領東インド

・サレカット=イスラーム結成
「イスラーム同盟」という意味。商人や知識人を中心に組織を拡大。自治を要求。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②フィリピンの民族運動
スペイン支配の次はアメリカ支配!?

<フィリピン独立運動>
スペイン支配下
・ホセ=リサール
小説でスペインを批判。銃殺刑に・・。

・アギナルド
スペイン支配からの独立をめざしフィリピン革命をおこす。革命政府大統領になったがスペインに追われて逃げる。
↓↓
・米西(アメリカ=スペイン)戦争(1898)
アギナルドが米の援助で帰国。フィリピン共和国の建国。スペインからの独立。
↓↓ ところが・・
フィリピンは米の領土になってしまう。
↓↓
・フィリピン=アメリカ戦争(1899~1902)
フィリピン✕ VS 〇アメリカ
アギナルドは反米闘争→逮捕。フィリピンは独立できず米支配に。





(3)西アジアの民族運動
ポイント①オスマン帝国では立憲運動が再発!?
日露戦争の影響がオスマン帝国にまで届く

<オスマン帝国立憲運動>
・皇帝アブデュル=ハミト2世(位1876~1909)
ロシア=トルコ戦争時に、ミドハト憲法を停止した。
↓↓
領土縮小。もう一度皇帝の力を抑えようという動き。
↓↓
・「青年トルコ人」の結成
中心団体:「統一と進歩団」
日露で勝った日本に影響。憲法復活をめざす
↓↓
・青年トルコ革命(1908)
ミドハト憲法復活!(日露戦争の影響)
皇帝アブデュル=ハミト2世→退位。
オスマン帝国は立憲君主制を確立。
(しかしもう遅かったか・・。列強の植民地支配から脱却できず。)

ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント②イランの立憲運動の行方
英露の干渉に耐えるイランで起きた運動とは?

<イラン立憲運動>
・パン=イスラーム主義
アフガーニーが提唱
「全てのイスラム教徒が団結して、欧米の帝国主義に対抗しよう」
↓↓
・タバコ=ボイコット運動(1891)
イランの民衆が反英、反国王運動。

・イラン立憲革命(1905~1911)
日露戦争の影響。日本の明治維新を参考にして仮憲法の制定、国会開設までいくも・・
↓↓
・英露協商(1907)
ペルシア分割(イランの領土が一部英露に支配される)
北部:露領(カスピ海の南半分周辺)
南部:英領(ペルシア湾周辺)
※英と露はイランをめぐって対立していたが、独に対抗するため手を結ぶ。
↓↓
イラン立憲革命は英露が干渉し、つぶす。

憲法制定して国内を立て直し、外国を追い出す。
⇒オスマン帝国は成功〇、イランは失敗✕。

 


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