日本史まとめ – ページ 9 – 歴史note

日本史【16】鎌倉時代の社会経済(中世ー5)

260622
日本史【16】鎌倉時代の社会経済(中世5)

鎌倉時代の人々の生活
<惣領制>
惣領:一族の長
庶子:それ以外の人
一門:一族全体

武家の中心
惣領
|  |
庶子 庶子

「惣領」が幕府と主従関係を結び、地頭に任命され「御家人」となる。

・相続の方法
分割相続(鎌倉時代)→単独相続(鎌倉末期)になった。
跡継ぎにだけ。所領の細分化になってしまうため。

<武士(御家人・地元のリーダー)の生活>
・館(やかた):武士の居館。所領の中心地。武家造。
武士の館『一遍上人絵伝』に残る。

・武芸
☆騎射三物(きしゃみつもの)(馬と弓)
・流鏑馬(やぶさめ)(連射)
・笠懸(かさがけ)
・犬追物(いぬおうもの)先は丸いかぶら矢

☆兵の道(つわもののみち):武士の守るべき道徳

<地頭の荘園侵略>
・地頭(元・荘官)の仕事・・荘民(農民)から税金を取り、荘園領主に渡す

荘園領主
↑↑(渡す)
地頭(集める)
↑↑(税金納める)
荘民

①「荘民」への侵略・・税金の取り過ぎ
紀伊国 阿氐河荘(きいのくに あてがわのしょう)

②「荘園領主」への侵略・・税金を渡さない
「承久の乱」以降、武士が貴族の言うことを聞かなくなってきた。
↓↓
(解決法・妥協案)
・「地頭請」(じとううけ)
荘園領主が地頭に、荘園の支配権(税金何%など)を譲る代わりに、年貢を納めることを約束させる。

・「下地中分」(したじちゅうぶん)
「荘園領主」と「地頭」で土地を半分ずつ支配する。
「伯耆国東郷荘(ほうきのくに・とうごうのしょう)」(鳥取)

・「悪党」(あくとう)
「鎌倉幕府」や「荘園領主」に抵抗した地頭や、非御家人などの「新興武士層」のこと。
例・楠木正成など

<鎌倉時代の農業>
・二毛作(1年の間に別のモノを作る。米と麦など。)
(cf.二期作→1年の間に同じ物を2度作る)
裏作:麦。畿内・西日本で広がる。

・鉄製農具、牛馬耕の普及。

・副業の発達
荏胡麻(えごま)(灯油の原料)などを栽培。→家の中に灯がともるようになった。

・肥料の発達
刈敷(かりしき)・・草を刈って敷く→肥料に。
草木灰(そうもくかい)・・草木を燃やして灰にする→肥料に。

<鎌倉時代の経済>
・宋銭の流通→経済が発達

・三斎市(さんさいいち)・・定期市
備前国 福岡市 定期市(岡山県)『一遍上人絵伝』

・見世棚(みせだな)・・常設店舗
(「店」の語源。)

・借上(かしあげ)・・高利貸し
・問丸(といまる)・・運送業者
・為替(かわせ/かわし)・・遠隔地間の手形決済制度。お金の代わりの紙。

日本史【15】鎌倉時代(中世ー4)

260620
日本史【15】鎌倉幕府(中世4)

<承久の乱の結果>
1221年 承久の乱
後鳥羽上皇✕ VS 〇鎌倉幕府(2代執権・北条義時)
(朝廷・貴族✕ VS 〇武士)

☆3上皇の配流
・後鳥羽上皇→隠岐(島根)
・土御門上皇→土佐(高知)
・順徳上皇 →佐渡(新潟)

・譲位 仲恭天皇→後堀河天皇へ譲位させられる 。

・京都守護→「六波羅探題」設置。(六波羅は平清盛が政治していた所。ここで北条氏が政治をする。)
初代・北条泰時・時房→西国支配権も確立。(政治・裁判)

・「新補地頭(しんぽじとう」)・・乱後、新たに任命した地頭(幕府の御家人)のこと。
(補任(ぶにん)=任命すること)
→得分は「新補率法(しんぽりっぽう)」による。(反別五升の加徴米・特別権利)。(そうすると集まりやすいから。)
_

<3代執権・北条泰時>
2代執権・義時が亡くなり、子の義時が、京都・六波羅探題から鎌倉幕府に戻ってきて、3代執権になる。

1225年 「連署(れんしょ)」(=執権補佐・署名を連ねる)を設置→初代・北条時房(泰時の叔父)

1225年 「評定衆(ひょうじょうしゅう)」設置
合議制機関(政務・裁判)
13人(執権1人+連署1人+評定衆11人)

1226年 摂家将軍(藤原将軍)擁立
→初代・九条頼経(くじょうよりつね)(=関白・藤原道家の子・藤原頼経・幼名「三寅(みとら)」北条政子が後見人に。)

☆藤原氏の分裂→五摂家
近衛(筆頭格)、一条、二条、九条、鷹司

<貞永式目(じょうえいしきもく)>
1232年(貞永元年) 「貞永式目(御成敗式目・ごせいばいしきもく)」制定。
(式目・・法律の条文。「法式条目(ほうしきじょうもく)」の略。)
・最初の武家法。
・平易で文字の読めない武士も理解した。対象は武士のみ。(幕府と御家人のルール)
朝廷→公家法(=律令)。荘園→本所法。(本所は荘園領主のこと)

※鎌倉時代は武士と農民がきちんと分かれていない。普段農民をしていて戦になると戦う。こういう人は貞永式目の対象に含まれていない。あくまで「御家人」のためのルール。

・51ヶ条。「守護・地頭の職務」、「所領問題」が中心。
(法律・条文は17条がいいと言われた。十七条憲法などから。その3倍)

・「道理」・・武家社会の慣習。
(現代の「道理」とは意味が違うので注意。)
・「先例」・・頼朝以来の政治・裁判。
(土地を20年支配したらその御家人のもの。→今の民法にもつながる。)

・追加法は「式目追加」という。

<5代執権・北条時頼>(3代泰時の孫)
1247年 宝治合戦(ほうじかっせん):三浦泰村滅亡(他氏排斥⑤最後)

1249年 「引付衆(ひきつけしゅう)」を設置。
「裁判事務」を行ない、「評定衆」を補佐。

1252年 「皇族将軍」(親王将軍)を擁立。
(摂家(藤原)将軍よりレベルアップ。)
宗尊(むねたか)親王・後嵯峨天皇の子。

(出家後→最明寺入道時頼)
(徒然草184段。時頼の母・松下禅尼。母の兄・安達義景。)

 

<鎌倉幕府将軍 9人>
・源氏将軍(3人)・・①源頼朝②源頼家③源実朝
・摂家(藤原)将軍(2人)・・④九条頼経⑤九条頼嗣
・皇族(親王)将軍(4人)・・⑥宗尊親王⑦惟康親王⑧久明親王⑨守邦親王

1253年 建長寺(けんちょうじ)創建。(鎌倉五山第一位)
(開山・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう))

 

<執権8代・北条時宗>

★元寇(蒙古襲来)
・チンギス=ハン(カーン)がモンゴル統一。
・孫のフビライ(クビライ)=ハンが元を建国。日本へ服属要求→時宗は何度も拒否。

・1274年 文永の役
元軍は暴風雨で撤退。

・異国警固番役(いこくけいごばんやく)を強化(1275年)。
沿岸に石塁(せきるい)(石築地(いしついじ))を設置。

・1281年 弘安の役
元軍は暴風雨で撤退。(もしくは統制が取れていなかった。南宋は服属したばかり(→1276年)で、元にやらされているので。)

・元軍のてつはう(火薬)攻撃と集団戦法に苦戦。
・恩賞不十分→御家人困窮・・。

・『蒙古襲来絵巻(もうこしゅうらいえまき)』御家人・竹崎季長(たけさきすえなが)
(絵を描かせた。自分が描かれている。)

 

<執権9代・北条貞時>
鎌倉時代後期
1293年 「鎮西探題」を設置。
九州の支配権を強化。

1285年 霜月騒動(しもつきそうどう)
→「得宗専制体制」が確立。合議ではなく得宗の独裁になっていく・・。

〇平頼綱(内管領・うちかんれい)
VS
✕安達泰盛(有力御家人)

・得宗・・北条氏の嫡流
・御内人(みうちびと)・・得宗の家臣
・内管領・・御内人の最有力者

・将軍=御家人・・力弱まる
・得宗=御内人(トップは内管領)・・力強まる

1293年 平禅門(ぜんもん)(頼綱)の乱
平頼綱が北条貞時に滅ぼされる。

<永仁の徳政令>
1297年 永仁の徳政令
目的:元寇で窮乏した御家人の救済

・売却や質入れされた「土地を御家人に返還」する。
(御家人が借金のかたに取られた土地を無償で返還してもらえる。借金の帳消しのようなもの)

・金貸しは土地を取られて困るが、幕府にとって御家人の方が重要だから(戦ってくれるから)この法令が出された。

(例外)(金貸しにではなく)御家人に売却した土地で、しかも売却後20年以上経った場合は返還不要。

 

<執権14代・北条高時>
(朝廷)
皇統の分裂
後嵯峨法王の死後、皇位をめぐり対立。

兄・後深草天皇 VS 弟・亀山天皇
持明院統       大覚寺統
(長講堂領)     (八条女院領)
↓
この争いに鎌倉幕府が仲介に入る。
1317年 文保の和談(ぶんぽうのわだん)(幕府の仲介)
①両統迭立(りょうとう てつりつ)
交互に皇位に就く
②後醍醐天皇(大覚寺統)皇位就任

執権14代・北条高時は、政治に興味なし。闘犬・田楽など。
→内管領・長崎高資(たかすけ)が実権。
鎌倉幕府はうまく機能せず、人々は不満が高まる。

・倒幕計画(by 後醍醐天皇)
1331年 元弘(げんこう)の変
(※1331年(元弘元年)『徒然草』が書かれた。)

幕府は後醍醐天皇を捕らえて、隠岐に配流。

倒幕に向けて、各地で武士が立ち上がる。

①楠木正成(くすのきまさしげ)、河内(山中の砦)で挙兵。
②後醍醐天皇、隠岐を脱出。
③足利高氏(尊氏)、六波羅探題を攻め落とす。(下野国(栃木)・足利の出身・源氏)
④新田義貞(にったよしさだ)、(上野国(群馬)出身・源氏)鎌倉を攻め落とす。
→北条高時自刃。鎌倉幕府滅亡(1333年)

 

 

日本史【14】鎌倉時代(中世ー3)

260618
日本史【14】鎌倉幕府(中世2)

<鎌倉幕府の統治機構>
鎌倉幕府・相模国(神奈川県・鎌倉市)

_将軍
(後に執権、連署(れんじょ)、評定衆、引付衆など)
__|
ーーーーー
|   |
地方 中央
_
(中央)鎌倉
・侍所(さむらいどころ)・・武士の統率、リーダー。
初代別当(長官)→和田義盛(武士)(1180)

・公文所(くもんじょ)→政所(まんどころ)・・政務一般。
初代別当(長官)→大江広元(貴族)(1184)
(※後三条天皇時・大江匡房の子孫)

・問注所(もんちゅうしょ)・・訴訟・裁判所
初代執事(長官)→三善康信(貴族)(1184)
(※醍醐天皇時・三善清行の子孫)

(地方)
・京都守護(京都)(1185)→後の六波羅探題(1221)
・鎮西奉行(九州)(1185)→後の鎮西探題(1293)
・奥州総奉行(陸奥)

☆守護(1185年)
・国ごとに設置。
・職務は最初「大犯三カ条(たいぼんさんかじょう)」のみ。(大番(おおばん)催促、謀反人逮捕、殺害人逮捕)

☆地頭(1185年)=御家人
・公領(郡・郷・保)や、荘園ごとに設置。(国にたくさんいる。)
・職務は税徴収、土地管理、治安維持。
(荘園の荘官、公領の郡司だった人が地頭に任命される。)
・地頭たちの中から守護(リーダー)が一人選ばれる。

<封建制度>
主人と従者が土地を通じて「御恩」と「奉公」の関係で結ばれている制度。

_[将軍]
↓御恩↓ ↑奉公↑
_[御家人]

鎌倉幕府は全国の御家人(将軍の家来・武士)を束ねる政府。
(「御家人」とは家人(けにん・家来)を丁寧に言っている)

<御恩と奉公>
☆「御恩」・・御家人を地頭に任命すること(税収を認める。領有権を保障する。)
・本領安堵(ほんりょうあんど)領有権を承認。
・新恩給与(しんおんきゅうよ)新たに与える。

※平安時代までは朝廷貴族が政治をしていたが、鎌倉幕府(武家政権)に変わってどうなるか不安。支配者が変わっても土地を承認してほしい。この「承認」のことを「御恩」という。

☆「奉公」・・軍役や警備
戦時:軍役「いざ鎌倉」
平時:御家人役(ごけにんやく)
①京都大番役(朝廷警護)
②鎌倉番役(幕府警護)

最初は非御家人も多くいたが、御家人(鎌倉幕府の家来)が増えていく。

<鎌倉時代の政治>
初期:「将軍」独裁(初代・源頼朝のみ)
中期:「執権」政治(北条氏)
後期:「得宗」専制(北条氏の嫡流・本家)

<源頼朝>
・1192年 源頼朝・征夷大将軍に就任
・1199年 頼朝・没

<初代執権・北条時政>
北条時政(頼朝を監視していた)
|
北条政子=源頼朝

☆北条時政が他氏排斥(ライバル潰し)を行なう。
・1200年 梶原景時の乱【他氏排斥①】
・1203年 比企能員の乱(頼家の義父)【他氏排斥②】
・1205年 畠山重忠の乱【他氏排斥③】

☆時政は将軍までも排斥
・1203年 3代将軍・源実朝が就任。
→2代頼家を伊豆・修善寺(しゅぜんじ)に幽閉。
・1204年 源頼家を討つ。@修善寺

☆北条時政、政所(元・公文所)別当に就任。
別当が二人体制に。
・貴族出身 大江広元
・武士出身 北条時政

<2代執権・北条義時>
・北条義時も他氏排斥をする。
1213年 和田合戦:和田義盛(侍所の初代別当)を破る。【他氏排斥④】
→北条義時が「侍所」と「政所」の別当を兼務。
→この兼務する人を「執権」と呼ぶようになる。
→「執権」の地位を確立。

1219年 3代将軍・源実朝が甥の公曉(くぎょう)に暗殺される。鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)@鎌倉(義時の陰謀?)

この時点では、鎌倉幕府は東国支配のみ。

<承久の乱>
(乱の前)
「公武二元支配」
後鳥羽上皇(西国支配)ー北条義時(東国支配)
貴族・朝廷 VS 武士

1221年 承久の乱
後鳥羽上皇✕ VS 〇北条義時
・朝廷・後鳥羽上皇が義時追討の院宣を出す。
・朝廷を攻めるのは御家人の士気が低い→北条政子(尼将軍)が檄を飛ばす「今こそ将軍・幕府に恩を返すとき」→御家人奮起

・北条泰時(義時の子)と北条時房(義時の弟)が京都を攻め、幕府軍の圧勝。
↓↓
以降、幕府の支配地域が西日本にまで広がる(九州は別)。

武士の時代へ・・!となるターニングポイント。

 

日本史【13】院政(中世ー2)

260609
日本史【13】院政(中世2)
<院政>
・上皇・・院。譲位した天皇。太上天皇(だじょうてんのう)、治天の君(実質の政権の担い手)。
・法皇・・出家した上皇。

<統治機構>
・院庁(いんのちょう)・・院の役所。
・院司(いんし)・・院の近臣、側近。
・院宣(いんぜん)・・院の命令(直接)。
・院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)・・院庁から出る命令。
(これまで天皇は詔(みことのり)、宣旨(せんじ)、)

<軍事力>
・北面の武士(白河上皇)
・西面の武士(後鳥羽上皇)

<財政基盤>
(私有地から)
①荘園からの年貢。
上皇に寄進された荘園
・八条(女)院領(はちじょうにょいんりょう)・・鳥羽が寄進され、娘に伝えた荘園群
・長講堂領(ちょうこうどうりょう)・・後白河が寄進された荘園群

(公領から)
②知行国(院分国)からの年貢。
朝廷(天皇)が上皇に支配権を渡した国。(国司に任命)
知行国主=上皇

・平安の3人の上皇。白河、鳥羽、後白河

(1)<白河院政>
白河上皇
平氏:平正盛

《1086年》白河上皇、堀河天皇(8歳)に譲位。
→院政の開始(43年間)
・「北面の武士」の設置。院の警備をする武士。

・仏教崇拝
法勝寺(ほっしょうじ)建立。高野詣(こうやもうで)。熊野詣(くまのもうで)。

・僧兵の強訴(そうへいのごうそ)
僧が税金などの要求を強く迫る。

(南都北嶺)
・北嶺(ほくれい)・・比叡山・延暦寺の僧兵:日吉(ひよし/ひえ)神社の神輿(しんよ/みこし)をかつぐ。
・南都(なんと)・・興福寺(平城京)の僧兵:春日大社の神木をかつぐ。

・天下三不如意(てんか・さんふにょい)
(白河上皇が思い通りにならないもの)
①賀茂川の水、②双六の賽、③山法師(延暦寺の僧兵)

《1108年》平正盛(平清盛の祖父)(北面の武士)
源義親の乱を出雲で鎮圧。海賊を討伐。

(2)<鳥羽院政>
鳥羽上皇
平氏:平忠盛

《1129年》白河上皇没後、鳥羽上皇が院政開始。(27年間)

《1132年》平忠盛(清盛の父)、瀬戸内海の海賊を討伐し、昇殿を許される。

鳥羽没後・・
《1156年》保元(ほうげん)の乱

  〇 ✕
 〇後白河天皇 弟 兄 ✕崇徳上皇
〇藤原忠通(76) 兄 VS 弟 ✕藤原頼長
〇平清盛 おい おじ ✕平忠正
〇源義朝(頼朝の父) 兄 父 ✕源為義
弟 ✕源為朝

 

(3)<後白河院政>
後白河上皇
平氏:平清盛

後白河院政開始後、近臣が対立
《1159年》平治の乱

〇 平氏 ✕ 源氏
〇平清盛(父) VS ✕源義朝(父)
〇平重盛(子) ✕源頼朝(子)

→伊豆(静岡)へ配流

〇藤原通憲

(信西)

✕藤原信頼

後白河上皇が院政を開始するが、平清盛に実権を奪われる。
→平氏政権へ・・

<平氏政権>
後白河院
平氏:平清盛

保元・平治の乱のあと、平清盛が実権を掌握。
平氏政権(六波羅政権)
・外戚政策(貴族的)
・経済基盤・・知行国(公領・30国以上)と、荘園(私有地・500ヶ所)
・日宋貿易
輸入:宋銭→貨幣が流通するようになる
輸出:金
・港 大輪田泊(おおわだのとまり)(摂津・神戸)

《1167》平清盛 太政大臣になる
→貴族の役職に武士の清盛がなった。
(他には足利義満、豊臣秀吉ぐらい。)

※清盛は貴族と武士の両方の性格を併せ持つ。

《1177》鹿ヶ谷(ししがたに)の陰謀(京都・東山)
平氏打倒クーデター計画
by 俊寛(しゅんかん)、藤原成親、西光

《1179》後白河法皇を幽閉→院政停止

<治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱>・・源平の争乱

《1180》安徳天皇即位。高倉天皇と清盛の娘・徳子の子。
→清盛は外祖父に。

平清盛
_|
徳子=高倉天皇
__|
_安徳天皇

・以仁王(もちひとおう)(後白河の第三皇子)の、令旨(りょうじ)
→平氏追討・挙兵(失敗)

・福原に遷都。大輪田泊のそば。(5ヶ月で戻る。平安京の千年の歴史で、都が移ったのはこのときだけ。794~1868)

・源義仲が挙兵。信野・木曽

・富士川の戦い:源頼朝。駿河で平維盛に勝利→鎌倉に戻り、幕府を開く準備をする。

・南都焼き討ち
→興福寺や東大寺・大仏殿など、南都の寺社(反・平家)を、平重衡(清盛の五男)が焼き討ち。

《1181》平清盛、没
→後白河院、院政再開。

《1183》寿永二年十月宣旨
京都を荒らす木曽義仲や、西日本にいる平氏を討つよう、頼朝に依頼→東海道、東山道の支配権を与える。

《1184》一ノ谷の戦い(摂津/兵庫)
頼朝の弟ら、範頼(のりより)・義経が平氏を破る。

《1185》屋島の戦い(讃岐/香川)

《1185》壇ノ浦の戦い(長門/山口)
平氏滅亡。安徳天皇、入水。

《1189》奥州合戦:源頼朝が、義経をかくまったとして藤原泰衡を滅ぼす。

《1190》右近衛(うこのえ)大将・任命:頼朝は辞退。

《1192》征夷大将軍・任命:法王死後。
鎌倉幕府完成。

 

 

 

日本史【12】荘園公領制(中世ー1)

260608
日本史【12】荘園公領制(平安3)

・土地には、「公領(公地)」と「荘園(私有地)」がある。

・荘園公領制・・「公領(公)」と「荘園(私)」が入り交じり、重層的に管理された体制のこと

★「公領」について
<9~10C初の公領>
・公領(国衙領)・・国司(国)の支配地域=荘園(私有地)ではない所、口分田。
(国衙:国司のいる役所)

・班田収授法が浮浪、逃亡などでうまく機能せず。→直営田が生まれる。
・直営田・・空いた班田、土地を貴族が勝手に使い収入を得ること。
(直営田の例)
・公営田(くえいでん)(大宰府の財源。勝手に使う。)
・官田 (政府役所)
・勅旨田(天皇)
→国家に収入が入らない
↓↓
①禁止:延喜の荘園整理令《902年》(醍醐天皇)
②最後の班田実施→失敗
↓↓
「土地制度の大転換」が必要・・!

<10C半以降の公領>

荘園公領制

・名(みょう)・・口分田をいくつかまとめて、ある程度大きな一まとまりの土地にしたもの。

・田堵(たと)・・有力農民

・国司は、田堵に、名(土地)の経営を任せる。

・大名田堵(だいみょうたと)・・大規模経営を行なう田堵のこと。

・国司は農民一人ずつから税金を取るのではなく、田堵からまとめて取る。

国司
↑
郡司(ぐんじ)、郷司(ごうじ)、保司(ほじ)
税金の名前が租庸調から→「官物(かんもつ)(米)」、「臨時雑役(りんじぞうやく)(労役)」になる。
↑
田堵
↑
作人(耕作者)、下人・所従(隷属民)

<国司の実態>
国司は儲かるようになってくる。(都に一定額を納めれば、あとは自分のものにできるため。)

国司の地位が売買されるようになる。
→売官売位(ばいかんばいい)

賄賂を送って国司になる。
(寺社の修築をやる、私財を投じるなど)

・成功(じょうごう)・・国司になる。(1回目)

・重任(ちょうにん)・・任期を延長。もう一度同じ国の国司に任命してもらう。(2回目以降)

・遙任(ようにん)・・任国に赴任しない国司。目代(もくだい)(代理人)を派遣する。

※実際には在庁官人(ざいちょうかんじん)(地元の役人=郡司・郷司など)が政治を行なう。

・受領(ずりょう)・・任国に赴任する国司
下級・強欲貴族
ex 藤原元命(ふじわらのもとなが)
「尾張国郡司百姓等解文(おわりのくに・ぐんじ・ひゃくせいら・げぶみ)」《988》で訴えられる。

 

★「私有地(荘園)」について

<荘園の発生>・・「初期荘園」

・荘園は私有地。公地公民の例外の土地のこと。

・荘園には「初期荘園(墾田地系荘園)」と「寄進地系荘園」がある。

・奈良時代の墾田永年私財法《743》により、「初期荘園」が発生。大貴族や大寺社などが経営。

・このころは輸租田で、税金の義務があった。

・平安時代には衰退し、延喜の荘園整理令《902》でなくなる。

<荘園の開発>・・「寄進地系荘園」

・大名田堵なども開墾を行なうようになる→開発領主(土地の持ち主)になる。

・国司の税金の圧力から逃れるため、都にいる貴族や寺社に寄進する。(土地を寄付する。所有権を渡す。)

・開発領主は寄進後、荘官(現地管理人)になる。

→寄進地系荘園(寄進した荘園)の誕生

<寄進地系荘園>

・荘園領主(本家、領家)・・都にいる土地の所有者
・本所(ほんじょ)・・荘園への実質的支配権を持つ

ーーーーーーーーーーーーー
[都]
・本家(ほんけ)(身分の高い貴族など)
↑↑
↑↑(再寄進)
・領家(りょうけ)(身分の低い貴族など)
↑↑
↑↑(寄進)
ーーーーーーーーーーーーー
[現地]
・荘官(元・田堵で開発領主)
(=預所・あずかりどころ、下司・げし、公文・くもん)
↑↑
(税金の種類)
・年貢(米)←(元・租)
・公事(くじ)(米以外の物)←(元・庸調)
・夫役(ぶやく・ぶえき)(労役)←(元・雑徭)
(10C半ば平安~19C江戸まで続く)
↑↑
・田堵(有力農民。後に名主(みょうしゅ)と呼ばれる)
荘官と契約し、名(名田)を耕作する。
↑↑
・作人(耕作民)、下人・所従(隷属民)

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・荘官は荘園領主に寄進した見返りに「特権」をもらう。

→「不輸不入の権」

国司の圧力に対抗する。
・不輸の権・・税の免除(寄進することで、その土地は不輸租田に変わる)
・不入の権・・役人(検田使)の立入を拒否できる

※税金を国司に払うより、荘園領主(貴族)に払う方が安くすむ。

寄進地系荘園の発展
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藤原氏(貴族)が繁栄
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藤原氏の財源をつぶしたい。
「延久の荘園整理令《1069年》」を発布。
(覚え方)登録(トウロク1069)を抹消

後三条天皇。
=貴族に寄進せず、国司(天皇)に払いなさい。
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天皇の政治復活。(院政など)