日本史まとめ – ページ 10 – 歴史note

日本史【11】平安時代(古代ー8)

260607
日本史【11】平安時代(平安2)

延喜・天暦の治(親政=天皇自ら政治)
<醍醐天皇>
「延喜の治」

901年 昌泰(しょうたい)の変☆
右大臣・菅原道真、大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷。
(左大臣・藤原時平の陰謀)
・長官・・大宰帥(だざいのそち)
・仮の長官・・大宰権帥(だざいごんのそち)

902年 延喜の荘園整理令
初期荘園、勅旨田(直営田)(貴族の私有地)などの廃止。
班田実施。→うまく行かず。最後となった。
(cf. 後の「延久の荘園整理令」寄進地系荘園と区別。)

914年 三善清行(みよしきよゆき/つら)の意見封事十二箇条
地方政治の乱れを指摘。政治改革を提案。

<承平・天慶(じょうへい・てんぎょう)の乱>
武士の反乱
朱雀天皇・藤原忠平

★承平・天慶の乱(935~941年)
・2つの反乱を合わせてこう呼ぶ。
・「恵美押勝の乱」などは貴族の反乱。その下の武士が反乱するのはこれが初。
・東西で同時に起こる。政府の力が落ちている証拠。

・平将門の乱
935年 叔父・平国香(たいらのくにか)(国司)を討ち、北関東の国府を襲う。新皇と称す(桓武平氏)。
(根拠地:猿島(さしま)下総(千葉・茨城))
940年 鎮圧:平貞盛(国香の子) 、 押領使(地方を抑える役職)藤原秀郷

・藤原純友の乱
939年 海賊を率いて瀬戸内海で反乱。
根拠地:日振島(ひぶりじま)(伊予(愛媛))
941年 鎮圧:源経元(みなもとのつねもと)(清和源氏の祖)

<村上天皇>
村上天皇
天暦の治(てんりゃくのち)

958年 乾元大宝(けんげんたいほう)鋳造
→皇朝十二銭の最後。(天皇家が作った貨幣。最初は和同開珎)

<冷泉・円融天皇>
政:藤原実頼
天皇の権力は弱い。

969年 安和の変(あんなのへん)(☆他氏排斥の最後)
・源満仲の密告で、左大臣・源高明(みなもとのたかあきら)が大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷。→以後、摂関常置。
※源満仲は源経基の子で源氏。源高明は醍醐天皇の子。源氏ではなく、源姓を名乗っているだけ。

<円融・花山天皇>
政:6人
氏の長者(一族の長)をめぐる争い

<一条・三条・後一条天皇>
政:藤原道長
(内覧→摂政→太政大臣)
摂関政治の全盛期

・法成寺(ほうじょうじ)建立。「御堂関白(みどうかんぱく)」と呼ばれる。(関白にはなっていない)

望月の歌「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
※権力を誇った歌と言われてきたが、近年では一族の繁栄を喜んだ歌だという解釈もある。

1019年 刀伊の入寇(といのにゅうこう)
大宰権帥・藤原隆家が九州で女真族(刀伊)を撃退。

<後一条・後朱雀・後冷泉天皇>
政:藤原頼通
(摂政→関白)在位50年間

1028年 平忠常の乱
上総(千葉)で反乱。
鎮圧者:源頼信

1051年 前九年の合戦
陸奥の安倍氏の反乱。
鎮圧者:源頼義・義家親子。

1053年 宇治(京都南)に平等院鳳凰堂を建立(宇治殿)
阿弥陀如来。

<後三条天皇>
藤原氏と外戚関係なし。→親政。

1069年 延久(えんきゅう)の荘園整理令(建議:大江匡房)
・藤原氏の財源・勢力をそぐ。
・1045年以降の新規荘園、書類不十分の荘園を廃止。
・「記録荘園券契所(きろくしょうえん・けんけいじょ)」、略して「記録所(きろくじょ)」を設置。(実行チーム)
→以降、藤原氏の勢力は衰えていく・・

<白河天皇>
1083年 後三年の合戦
清原氏の内紛。
鎮圧者:源義家。清原清衡に味方して乱を鎮圧。

★奥州藤原氏の繁栄。平泉(岩手)百年、栄華が続く
・清原→藤原に名を戻す
1藤原(清原)清衡→2基衡→3秀衡(→4泰衡)
(きもをひやす)
・金と馬で繁栄

奥州→陸奥(むつ)

 

 

 

日本史【10】平安時代(古代ー7)

260606
日本史【10】平安時代(平安1)

<桓武天皇>
・784年 長岡京
・785年 藤原種継暗殺
・792年 健児の制(こんでいのせい)
軍団制(一般からの強制兵役)を廃止→郡司の師弟を兵士とする。有給。

・794年 平安京
山背から→山城へ

・民衆負担の軽減
①雑徭の半減(国衙で労役)60日→30日
②公出挙の利息軽減 5割→3割
③班田の起源倍増 6年→12年

・797年 勘解由使(かげゆし)設置。
(令外官(りょうげのかん))
解由状(げゆじょう)による国司の審査。

・797年 征夷大将軍・坂上田村麻呂を派遣
・多賀城(聖武天皇時)(宮城)鎮守府を置く。
・胆沢城(いさわじょう)(岩手)鎮守府がここに移る。802年
・志波城(しわじょう)(岩手)803年

・805年 徳政相論(とくせいそうろん)
藤原緒嗣(おつぐ)(式家)&菅野真道(すがののまみち)の論争。
軍事(蝦夷征伐)、造作(平安京造営)→中止

<平城天皇>兄
病気で譲位→政権回復めざす

<嵯峨天皇>弟
政・藤原冬嗣

・810 蔵人所(くろうどどころ)(令外官)の設置。
蔵人頭(くろうどのとう):藤原冬嗣。

・810年 薬子の変(平城上皇の変)
〇 嵯峨天皇、藤原冬嗣(北家)
VS
✕ 平城上皇、藤原薬子(式家)、藤原仲成(式家)

816年 検非違使(令外官)設置。
京都の警察、治安維持

・820年 弘仁格式(こうにんきゃくしき)編纂
格(きゃく)・・律令の補足
式(しき)・・律令の施行細則

・弘仁格式 嵯峨帝
・貞観格式(じょうがんきゃくしき)清和帝
・延喜格式(えんぎきゃくしき)醍醐帝
↓↓
三代格式(さんだいきゃくしき)と呼ぶ。

(令外官まとめ)
桓武→勘解由使
嵯峨→検非違使・蔵人所・征夷大将軍

今後は藤原氏が台頭。天皇はあまり出てこなくなる。

<藤原氏の権力掌握術>
①他氏排斥(承和の変~安和の変)
②外戚政策(母方の親戚)・・天皇の外祖父(母方の祖父)となって権力をふるう。

摂政・・幼少の天皇を代行。藤原良房が人臣(天皇家以外)で最初。
関白・・成人の天皇を補佐。藤原基経。

<藤原良房>
天皇:淳和、仁明、文徳、清和
政権:藤原良房

・833年 令義解(りょうのぎげ)
養老令の官選注釈書。

・842年 承和の変(☆←他氏排斥マーク)
謀反の疑いで、橘逸勢(たちばなのはやなり)、伴健岑(とものこわみね)、皇太子の恒貞親王らを配流。代わりに良房の甥の道康親王(文徳)を皇太子とする。

・858年 良房が9歳の清和天皇の外祖父として摂政に就任(人臣初)

良房
|
明子=文徳
|
清和

・866年 応天門の変☆
応天門の放火犯として伴善男(とものよしお)らを配流。

<藤原基経>
・884年 藤原基経が実質的関白に就任(初)。光孝天皇は政治は基経に任せる。

・887年 阿衡の紛議
宇多天皇✕ VS 〇藤原基経
宇多帝が基経を関白ではなく阿衡に任命したことで対立。基経の示威(じい)事件。→基経は関白に就任。

基経没

<宇多天皇>
政権:菅原道真

・891年 菅原道真・文章博士(もんしょうはかせ)蔵人頭に就任(摂関置かず)。
藤原氏をトップには置かない→「寛平の治(かんぴょうのち)」

・894年 遣唐使廃止
藤原氏が菅原道真を遣唐使に推薦。
菅原道真、遣唐使自体の廃止を建議。

 

 

 

日本史【9】奈良時代(古代ー6)

260602
日本史【9】奈良時代後半(奈良2)

<孝謙天皇>
749年 政・(橘諸兄→)藤原仲麻呂(武智麻呂の子、不比等の孫)

(743年↓)
752年 大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようのえ)
753年 唐から鑑真が来日(6回目で)

756年 聖武上皇没
757年 養老律令施行(718年に祖父・不比等が制定)

757年 橘奈良麻呂の乱(橘諸兄の子)
失敗。仲麻呂の権限強大化。

<淳仁天皇>
758年 政・藤原仲麻呂
→恵美押勝に改名。
太政大臣

760年 光明皇太后、没。
→仲麻呂没落→道鏡の進出

764年 恵美押勝の乱
〇 孝謙上皇・道鏡
__VS
✕ 淳仁天皇・恵美押勝
↓↓
淡路に配流(史上初)

<称徳天皇>=孝謙が復活して重祚
政・道鏡
太政大臣禅師(政治トップ)、法王(宗教トップ)

765年 加墾禁止令:寺院以外の開墾を禁止。

769年 宇佐八幡神託事件(豊前国・大分)
和気清麻呂が神託は嘘と報告。
↓↓
和気清麻呂(わけのきよまろ)は穢麻呂(きたなまろ)に改名させられ、大隅(鹿児島)に配流。
(姉の広虫(ひろむし)は狭虫(せまむし)に改名させられ、備後(広島)に配流。

770年 称徳天皇没。道鏡は下野国(栃木)薬師寺に左遷。
和気清麻呂は復帰。

 

<光仁天皇>(天智の孫)
天武系の断絶。
奈良時代の政治の混乱は、天武系だったからではという考え。→天智系に戻す。

政・藤原百川(三男・宇合の子)(式家)
藤原種継(宇合の孫)(式家)

 

<奈良・平安の外交>
奈良時代は唐、新羅、渤海の3つの国と外交した。

・遣唐使
630年(飛鳥)~838年(平安)
4隻の船・・「よつのふね」

阿倍仲麻呂 帰国できず
藤原清河

北路(ほくろ)・・朝鮮半島(新羅)の近くを通る。
新羅との関係悪化(8C)
↓ 危険
南路(なんろ)、南島路・・九州から直接行く。

894年 菅原道真 行くのをやめた。

・新羅使
630年 新羅統一

・渤海使(ぼっかいし)
中国北東部・渤海。
渤海から使節が来る(渤海使)
こちらからも送る(遣渤海使)

松原客院(越前)、能登客員(能登)、都の鴻臚館(こうろかん)に滞在。
(鴻臚館:7~11C,京都・太宰府・難波(なにわ)・博多に置かれ、外国からの来朝者を接待した館舎)

 

 

 

日本史【8】奈良時代(古代ー5)

260602
日本史【8】奈良時代(奈良1)
<権力者の移り変わり>
藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄→藤原仲麻呂(恵美押勝)→道鏡→藤原百川

<元明天皇>聖武の祖母
藤原京
政権・藤原不比等

・708年 和同開珎(わどうかいちん/ほう)
元号を「和銅」に改元。
「皇朝十二銭」の最初
(最後は乾元大宝(村上朝))

・710年 平城京へ遷都(藤原京から)
都城制。唐の長安をならう。
天子南面。天皇から見る。

___平城宮
____朱     外京(げきょう)
右京  雀  左京
____大
____路

外京に東大寺、興福寺がある。

飛鳥寺(法興寺)(by蘇我馬子)は平城京に移されて元興寺(がんごうじ)となった。

木簡が出土。

・711年 蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)
お金を貯めれば位を高くする。失敗。800年廃止。

・712年 『古事記』
稗田阿礼(ひえだのあれ)の暗記を、太安麻呂(おおのやすまろ)が筆録。

・713年 『風土記』

国域の拡大
・出羽国(でわのくに)設置。(日本海側・秋田、山形)
蝦夷対策
・大隅国(おおすみのくに)設置。(鹿児島)
隼人(はやと)対策

<元正天皇>聖武の叔母
(政)藤原不比等
・718年養老律令制定(施行は757年~)
(不比等の功名心から。大宝律令と内容大差なし)

・720年 『日本書紀』(神代~持統。編年体)
舎人(とねり)親王(天武の子)

・720年 (政)不比等没→長屋王が実権掌握。

・722年 百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうぶ)
口分田が足りない。田を開墾。→失敗。(計画倒れ)

・723年三世一身の法(さんぜいいっしんのほう)
ー 新たに開墾→ひ孫までの3代
ー 既墾地を開墾→本人1代
の「土地所有」を認める。死後は国に返還。
→一時的な「私有地」の誕生。律令制度(公地公民)が崩れ始める。

 

<聖武天皇>
(政)長屋王
・724年多賀城(陸奥国/宮城県)に、鎮守府(ちんじゅふ)(東北の役所)を設置。蝦夷対策の拠点。

・729年長屋王の変
藤原不比等の娘、藤原光明子が聖武の皇后(正式な妻)になるのを、長屋王が反対。→藤原四子により謀反の意図ありと死に追い込まれる。

(政)藤原四子(よんし/しし)
長男:藤原武智麻呂(南家)
次男:藤原房前(北家)
三男:藤原宇合(式家)
四男:藤原麻呂(京家)

737年 藤原四子が天然痘で没

(政)橘諸兄(たちばなのもろえ)→左大臣
・吉備真備(吉備地方の出身)
・玄昉(げんぼう)
(アンチ藤原が力を握った)

・740年 太宰少弐藤原広嗣(ひろつぐ)の乱→鎮圧
(おもしろくない藤原氏が反乱)

・740年 恭仁京(山城)へ遷都(平城京から)
(聖武天皇が自分のせいだと嘆いて遷都)

・741年国分寺建立の詔(国分尼寺(こくぶんにじ))
鎮護国家思想①(仏教によって国を治める)

・742年 近江・紫香楽宮(しがらきのみや)造営

・743年 墾田永年私財法
開墾地の永久私有を認める→大貴族、大寺社が開墾。
→「荘園」(初期荘園)の誕生。

・743年 大仏建立の詔
鎮護国家思想②
紫香楽宮→奈良・平城京へ

平城京から
・740年 山城・恭仁京(くにきょう)へ遷都
・744年 摂津・難波宮(なにわのみや)へ遷都(海)
・745年 近江・紫香楽宮(しがらきのみや)へ遷都(山)
(→山の中過ぎて頓挫)
・745年 大和・平城京へ遷都(戻る)
5年で3回遷都した後、平城京に戻る。定まった「くに・な・し」。

 

日本史【7】律令制度(古代ー4)

260527
日本史【7】律令制度(飛鳥2)

<文武天皇>
701 大宝律令
・刑部親王(おさかべしんのう)(天武の子)
・藤原不比等(鎌足の子)

法律
・律(りつ)・・刑法(罪と罰)
五刑・八虐(ごけい・はちぎゃく)
五つの刑罰・八つの罪
・笞(鞭で打つ)
・杖(棒でたたく)
・徒(懲役刑・・牢屋)
・流(島流し)
・死(死刑)
(ち・じょう・ず・る・し)

・令(りょう)・・民法、行政法

<中央の統治機構>
二官八省一台五衛府

■ 二官
・太政官(だいじょうかん)(上)政務
太政大臣(だいじょうだいじん)(臨時職=大きな権力)
左大臣
右大臣
|
大納言
|
左弁官
少納言
右弁官

・神祇官(じんぎかん)(下)祭祀

■ 八省
太政官の下にある八つの省
(左弁官)
・中務(なかつかさ)省・・詔勅の起草(天皇の命令づくり)
・式部(しきぶ)省・・役人の人事・教育
・治部(じぶ)省・・仏事・外交
・民部(みんぶ)省・・戸籍・税務

(右弁官)
・兵部(ひょうぶ)省・・軍事
・刑部(ぎょうぶ)省・・裁判・刑罰
・大蔵省・・財政
・宮内省・・宮中

■ 一台
・弾正台(だんじょうだい)
役人の監視

■ 五衛府(ごえふ)
都の警備
・衛門府
・左右・衛士府
・左右・兵衛府

<行政区>
■ 畿内(五畿・ごき)
・山城(京都)
・大和(奈良)
・河内(大阪)
・和泉(大阪)
・摂津(大阪・兵庫)

■ 七道(しちどう)
「道」と「地方」の2つの意味がある
・東海道
・東山銅(とうざんどう)
・北陸道
・山陽道(南)
・山陰道(北)
・南海道(四国他)
・西海道(九州)

<地方の統治機構>
国・郡・里
・国司(こくし)・・中央から来る。役所:国衙(こくが)国府。
・郡司(ぐんじ)・・地方の人がなる
・里長(さとおさ・りちょう)

戸(こ)(2、30人の固まり)×50で里という。(千人ぐらい)

・京師(けいし)(都):京職(きょうしき)

・九州:大宰府
(古代は「太」ではないので注意)
「遠の朝廷(とおのみかど)」

・摂津:摂津職(せっつしき)。難波宮がある。

<官職・位階>
・令外官(りょうげのかん)
律令制定後に加えられた官職。
中納言、関白など。

・官位相当制(かんいそうとうのせい)
三十の位階に応じた官職が与えられた。
一位が太政大臣になれる、二位は左右大臣など。
(位階は試験と勤務評定で上がる)

・蔭位の制(おんいのせい)
親の位に応じて位がもらえる。
親が一位なら、子は「従五位下(じゅごいのげ)」からスタートできる。
(貴族層の固定化)

・四等官制(しとうかんせい)
各役所の幹部を、長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)の四階級に分かれる。

<税の種類>
租・庸・調

【物】
(地方政府(国衙)へ)
・租・・米(3%)
・公出挙(くすいこ)稲の強制貸付
・義倉(ぎそう)(粟などを貯蔵)

(中央へ)
・庸・・布(2丈6尺・8mぐらい)

・調・・特産物(布や材木など)
(調布市の由来・・調に布を納めていたから)
↓↓
運脚・・中央まで持っていく

【労役】
(地方)
・雑徭(ぞうよう)・・国衙で労役(年に60日)

(中央)
・歳役(さいえき)・・土木工事。10日間。

【兵役】
(地方)
・軍団・・各地で10日間

(中央)
・衛士

(九州)
・防人

正丁の3、4人に一人

食費、交通費、武器が自費
↓↓
・浮浪(所在確認)
・逃亡(所在不明)
・偽籍(男→女。税金が軽いから)
などの増加。

<課役>
課役(庸・調・雑徭)は人頭税。

男性のみ
・正丁(せいてい)・・(21~60歳)(雑徭60日)

・中男(ちゅうなん)(小丁・しょうてい)(17~20歳)
正丁の4分の1(雑徭15日)

・老丁(次丁・じてい)(61~65歳)
正丁の2分の1(雑徭30日)

<身分制度>
・良民(りょうみん)
・賤民(せんみん)
↓↓
五色の賤(ごしきのせん)
・陵戸(りょうこ)(官有)(墓警備)
・官戸(かんこ)(官有)
・家人(けにん)(私有)
・公奴婢(くぬひ)(官有)
・私奴婢(しぬひ)(私有)
官有・・大王家
私有・・豪族

<基本台帳>
・戸籍
6年に1回作成。
班田を行うための基本台帳。租のため。

・計帳(けいちょう)
毎年作成。
課役(庸・調・雑徭)のため。

<班田収授法>
6歳以上の男女に口分田を班給。
6年に1回班給し、死後は国に返す。

良民 私有賤民
 男 2段(720歩) 240歩(良民の3分の1)
 女 480歩(男性の3分の2) 160歩(良民の3分の1)

祖:1段(たん)につき、2束2把(にそくにわ)
1段(たん)=20m×50m
1段=360歩(ぷ)

・良民・男子の祖は4束4把(よんそくよんわ)になる。
・祖だけは女性も負担。

<田地(でんち)>
・不輸租田(ふゆそでん)
税(祖)を納めなくてよい田
神田(じんでん)(神社)、寺田(じでん)(寺)、
職田(しきでん)(官職)、乗田(じょうでん)(余り)

・輸租田(ゆそでん)
税(租)を納める田
口分田、位田(いでん)(位階)、功田(こうでん)(功績)

・土地は条里制にもとづいて整然と区画された。田んぼを句切る。

__一里 二里 三里
一条
二条
三条