歴史note – ページ 9 – 歴史の学びメモ

日本史【27】江戸時代(近世ー5)

260707
日本史【27】江戸時代(近世ー5))

<寺請(てらうけ)制度>
寺に戸籍を作らせて、寺を通じて民衆を把握する。
民衆を檀家(だんか)として寺に登録させる。
登録した民衆に「宗門改」(しゅうもんあらため)(宗教調査)をして、「宗旨人別帳」(しゅうしにんべつちょう)に記載。

<徳川家光③>
大名統制
1635年 「武家諸法度 寛永令」(林羅山起草)
(cf. 1615年・2代秀忠・元和令・崇伝の起草)
①「参勤交代」を制度化
②大船(たいせん)(500石積(こくづみ)以上)建造禁止
☆大名の義務
①参勤交代:江戸と国元を原則1年交代で往復。(夏4月中に。今の5月頃)
②証人の制(人質):妻子や家族、重臣を江戸におく。地元で反乱を起こさないように。

<農民統制>家光③~家綱④
1643年 「田畑永代(でんぱたえいたい)売買の禁」
土地の売買禁止←農民の没落防止
↓
1643年~ 田畑勝手作禁止令
商品作物、栽培禁止令
↓
1673年 分地制限令(ぶんちせいげんれい):土地分割制限
狭い土地(10石以下)を分割するのは禁止。
為政者の農民観
「百姓は財の余らぬように、不足なきように」(本佐録)
「百姓共は死なぬ様に、生きぬ様にと・・」(家康・昇平夜話)

<四つの口・窓>
(鎖国後の外交)
長崎・薩摩・対馬・蝦夷(この4ヶ所で外国と関係を持った)

(1)長崎・・出島(オランダ)
・・唐人屋敷(中国)
(2)薩摩・・島津氏(琉球)
(3)対馬・・宗氏(朝鮮)
(4)蝦夷(松前)・・(蠣崎氏→松前氏)ー蝦夷(アイヌ)
蠣崎→松前 慶広
米が取れない。アイヌと交易。

(1)長崎
・出島(オランダ)
オランダ商館長(カピタン/(キャプテン))が「オランダ風説書(ふうせつがき)(海外事情書)」を幕府に提出。

・唐人屋敷(中国)
明→清 建国(1616年)

(2)薩摩・・島津氏(琉球)
慶賀使(日本の将軍の代替わり)、謝恩使(琉球国王の代替わり)が来日

(3)対馬・・宗氏(朝鮮)
(朝鮮)通信使が来日

(4)蝦夷(松前)
1669年 シャクシャインの戦い:アイヌの反乱
(cf. 室町時代・1457年コシャマインの戦い。コが先→シャが後で覚える。)

「商場(あきないば)知行制」:藩主・松前氏が家臣にアイヌとの交易場所を任せ、交易の利益を取らせる。
↓↓
「場所請負制(ばしょうけおいせい)」:藩主から与えられた交易場所を、さらに商人に任せる。

 

日本史【26】江戸時代(近世ー4)

260707
日本史【26】江戸時代(近世ー4)

<統治機構の全体図>
[将軍]ー(側用人・将軍側近)
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(・大老(臨時1人)(太政大臣のようなもの))
・老中(もと年寄)(常時3~5人)(左大臣など)
・寺社奉行★
・京都所司代(朝廷の監視)
・若年寄(わかどしより)(老中補佐)
↑↑ここまで譜代大名から任命
(譜代大名:徳川家に古くから仕えていた大名)

ーーーーーーー
[老中]
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・大目付(おおめつけ)(大名の監視)
・勘定奉行★
ー 郡代(ぐんだい)・・10万石以上の天領の役人
ー 代官(だいかん)・・10万石以下の天領の役人(直接、税金を取る人)(中世の「地頭」「荘官」)
・町奉行(江戸)★
※ただ「町奉行」というと「江戸の町奉行」のことを指す。他は地名が前に付く。「大坂町奉行」など。

(遠国奉行・おんごくぶぎょう)
・町奉行(大阪・京都・駿府)
・奉行(長崎・佐渡・日光・山田(伊勢))
・城代(二条城・伏見城・駿府城)

[若年寄]
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・目付(直参の監視)
↑↑ここまで旗本から任命

★三奉行(さんぶぎょう):寺社奉行、勘定奉行、町奉行(江戸)。3つのうち最高格は「寺社奉行」。将軍直属。

・1635年 要職は月番制(つきばんせい)1ヶ月交代。権力集中を防ぐ。

<幕府の軍事基盤(武士の種類)>
・「大名(1万石以上)」と「直参(将軍直属)(1万石以下)」に分かれる。

☆大名
・大名(約300人ほど)・・「藩」を作る。(300藩)。藩の中は自由、自己責任。税金など。

・大名は以下の3つに分かれる。
[1]親藩(しんぱん)・・徳川一門。家康の親戚。
(御三家:尾張(義直)、紀伊(頼宣)、水戸(頼房))
2代秀忠の弟たち

[2]譜代(ふだい)・・関ヶ原より前からの家臣

[3]外様(とざま)・・関ヶ原以後の家臣

☆直参(直属部下)藩は作れない

・旗本(はたもと):御目見得(おめみえ)以上→将軍への謁見ができる)
土地をもらったり、米をもらう

・御家人(ごけにん):御目見得以下(将軍へ謁見できない)
土地はもらえず、米をもらう

<幕府の財政機構>
全国の土地から米で収入が入る。
・幕領・天領(幕府の直轄地)・・400万石
・旗本知行地(幕府直属の部下)・・ 300万石
・大名領・・2000万石
・他・・50万石(天皇の禁裏御料、寺社の土地)

・幕府分は700万石(全国の4分の1)→収入が多く、大名の反乱を押さえられる。「安定した政権」につながる。
・大名分は2000万石(4分の3)。大名1人平均6万石。

<朱印船貿易>
朱印船貿易(1601~1635年)
日本人が外国に行って貿易する。
朱印状(渡航許可証)を使用
東南アジアでの、中国との出会貿易が中心(秀吉の時代から)

・背景:明の海禁政策
(日本との直接貿易禁止。日本が中国にも行けないし、中国から日本に来ることもできない)

・貿易地:ルソン(フィリピン)、インドシナ半島→アンナン(ベトナム)、カンボジア、シャム(タイ)

・輸入品:生糸(白糸・しらいと)
・輸出品:銀

<貿易家と日本町>
☆朱印船貿易家
・角倉了以(すみのくらりょうい):京都。大堰川(保津川)や高瀬川の治水事業も。
・茶屋四郎次郎:京都。糸割符仲間。
・末吉(すえよし)孫左衛門:大坂平野(ひらの)
・末次平蔵(すえつぐへいぞう):長崎

☆日本町(にほんまち)の形成
・山田長政(ながまさ):アユタヤ(シャムの首都)の日本人町の長。シャムの王に気に入られて、のちリゴールの太守になる。

<徳川家光③>
1623年 秀忠、将軍職を子の徳川家光に譲り、大御所となる。(→1632年死去)

1623年 イギリス、貿易競争に敗れ、自ら撤退。

1624年 イスパニア船、来航禁止。

1627年 紫衣事件(しえじけん)
後水尾(ごみずのお)天皇が幕府の許可なく与えた紫衣勅許を、幕府(秀忠)が無効とした。抗議した沢庵は流罪。(山形へ)
→後水尾天皇は怒って明正天皇(娘)に譲位。(幕府に政治は任せたが、宗教まで口を出されるいわれはない。)女帝は8人。7番目。

1629年 絵踏開始。
踏絵を使って隠れキリシタンを捜す。

1631年 奉書船(ほうしょせん)制度:海外渡航船に老中奉書の所持を義務づける。(朱印状+奉書)

1633年 鎖国令①
奉書船以外の海外渡航の禁止

1635年 鎖国令③
日本人の海外渡航、及び帰国の全面禁止(奉書船もダメ)

1637年 島原の乱
島原(長崎)・天草(熊本)での圧政(税金取り過ぎ)に対し、天草四郎時貞ら4万の農民が原城(はらじょう)跡に立てこもる。
→翌年、老中・松平信綱が鎮圧。

1639年 鎖国令⑤
ポルトガル船の来航禁止

1641年 オランダ商館を長崎の出島に移す
→【鎖国の完成】
ただし江戸時代もオランダとは貿易を続けていた。

 

日本史【25】江戸時代(近世ー3)

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日本史【25】江戸時代(近世ー3)

<江戸幕府の成立前>
「1600年」は16世紀最後の年。1601年から17C。
・1600年 リーフデ号(蘭の船)、豊後臼杵(ぶんごうすき)に漂着
→乗組員が家康に仕え、外交顧問となる。
・ウィリアム=アダムズ(英)(三浦按針・みうらあんじん)(三浦半島に屋敷をもらったため)
・ヤン=ヨーステン(蘭)(耶揚子・やようす)

紅毛人(こうもうじん)・・イギリス・オランダ。キリスト教の布教ではなく貿易優先。
(南蛮人・・イスパニア・ポルトガル。)
→肥前平戸の商館で貿易開始(蘭1609・英1613~)

・1600年 関ヶ原の戦い(美濃/岐阜)
西軍・石田三成✕ VS 〇東軍・徳川家康
秀頼

<徳川家康①>
・1603年 徳川家康 征夷大将軍となる。(後陽成天皇から任命。)
・1604年 「糸割符制度(いとわっぷせいど)」
中国のマカオから、中国産の生糸(白糸)を日本に持ち込み、暴利をあげていたポルトガル人対策。(需要が多く、オークションのように価格が上がっていった。)

消費財の購入に、日本の銀が流出するのは良くない→糸割符仲間に価格を決めて一括購入させる。

糸割符仲間(五箇所商人)5つの町
割符→生糸を買っていいよという札
長崎・堺・京都 + 大坂・江戸

・1605年 将軍職を秀忠に譲り、駿府(静岡市)に引退。大御所(引退した将軍)となる。
→「徳川の世襲(せしゅう)」を世に知らしめたかった。

<徳川秀忠②> 親子2人の政治
・1607年 朝鮮から「通信使」が来日。捕虜を返還。

・1609年 「己酉約条(きゆうやくじょう)」(慶長条約)
「朝鮮」と「対馬の宗氏」の通商条約。(仲直り条約)

・1609年 島津家久、琉球を武力で征服。
→以後、琉球から使節が来日。
「慶賀使(けいがし)」・・徳川将軍の交代ごと。「おめでとうございます」の意。
「謝恩使(しゃおんし)」・・琉球の国王の交代ごと

・1613年 慶長遣欧使節
仙台藩主・伊達政宗が、藩士・支倉常長(はせくらつねなが)をイスパニア(スペイン)へ派遣した。直接貿易を要請→失敗

ーーーーーー
・1612年 天領(幕府の直接支配地)に禁教令→翌年、全国に禁教令。
・1614年 キリシタン大名・高山右近らを国外追放。

(大名統制)
・1615年 大坂夏の陣
豊臣秀頼(秀吉の子)、自刃。豊臣氏滅亡。
元和偃武(げんなえんぶ)の宣言:戦争終結、平和宣言。

・1615年 一国一城令:本城以外の城の破却を命令。

・1615年 「武家諸法度・元和令(げんなれい)」
(「御成敗式目」(1232年・北条泰時)を元にしている。)
(金地院 崇伝(こんちいん すうでん)の起草)
①大名間の同盟・私婚の禁止
②城の無断修築・新築の禁止

☆大名への罰
・改易(かいえき)・・領地取り上げ。取り潰し(一番厳しい)
・転封(てんぽう)・・別の場所へ移転させられる。
・減封(げんぽう)・・領地を削減される。

(朝廷統制)
①1615年 「禁中並公家諸法度」(17条・金地院崇伝の起草)

②朝廷の直轄地:「禁裏御料(きんりごりょう)」→あえて少なくしている。多くすると軍事力につながるため。1万石。(幕府は400万石。)

(寺院統制)
①1601~16年 「寺院法度(じいんはっと)」
各宗派ごとに発布。「諸宗諸本山法度」ともいう。(崇伝)

1616年 家康、没
1619年 福島正則、改易:広島城の無断修築のため。
1622年 元和の大殉教:55名の宣教師、信者が長崎で殉教。

 

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』(26)「信長を笑わせろ!」(2026/7/5放送)

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『豊臣兄弟!』(26)「信長を笑わせろ!」(2026/7/5放送)

【あらすじ】信長(小栗 旬)は、長宗我部元親(磯部寛之)との約束を翻し、労せずして阿波と讃岐を手中に収める。元親は激怒し、間を取り持った光秀(要 潤)は苦しい立場に陥る。そんな中、信長は甥(おい)の信澄(緒形 敦)が長宗我部と内通して謀反を企てていると疑い、蟄居(ちっきょ)を命じる。光秀から事の顛末(てんまつ)を聞き、信長の苦しみを察した小一郎(仲野太賀)と秀吉(池松壮亮)。羽柴家一同である計画を立て、信長と市(宮﨑あおい)を長浜城に招く。(ーNHK公式サイトより)


・天正9年(1581年)
近江・安土・桑実寺(くわのみでら)(藤原鎌足の子、定恵(じょうえ)が創建)
信長は阿波の三好一族の願いを受け入れ、長宗我部の四国統一を翻す。
三好康長。

四国担当は明智光秀から→織田信孝(信長三男)に変えられる。
今井宗久に鉄砲を依頼。
※三宗匠(さんそうしょう)・・今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうぎゅう)、千利休

一行は賊に襲われ、織田信澄(のぶずみ)(信長の弟・信勝の子)が信長を守りケガをする。

・秀吉、鳥取攻め終了。次は備中。秀吉は茶会、茶の湯を希望する。秀吉と光秀には茶会を許されている。

・信澄が長宗我部と通じていたと、信長は謀反を疑う。信澄は談判していただけと弁明。

・羽柴秀勝
秀吉の養子。信長の五男。

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「豊臣兄弟!紀行」(26)

・末森城跡(愛知県・名古屋市)
織田信勝(信長の弟)の子、信澄(のぶずみ)は、柴田勝家の元で養育された。興福寺の僧侶の日記『多門院日記抄』には「一段の逸物(いちぶつ)なり(並外れた器量の持ち主)」と記されている。琵琶湖を囲むように建てられた4つの城の一つ、大溝城(おおみぞじょう)の城主となる。

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_______/_琵__/ ▲長浜城(秀吉)
_ 大溝城▲ /_琶__/
_(信澄) /_湖__/
___ _/____/ ▲安土城(信長)
坂本城▲ /___/
(明智)

 

日本史【24】豊臣秀吉(近世ー2)

260704
日本史【24】豊臣秀吉(近世ー2)

<豊臣秀吉・全国への進出>
1582年 「山崎(やまさき)の戦い」:本能寺の変後、毛利氏と講和し京都へ戻り、明智光秀を破る(山城)。自分が後継者だと表明。

1583年 「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」:近江で柴田勝家を破る。

1583年 大坂城築城:石山本願寺の跡地。
(※大「阪」になるのは明治。)

1584年 「小牧・長久手の戦い」:徳川家康・織田信雄(信長の次男)連合軍と講和(尾張)。

<朝廷権威の利用・西の平定>
1585年 関白就任(→日本全国に命令できる。)
惣無事令(戦争禁止令)を発布。
(戦国時代の「喧嘩両成敗」を継いだ。)

1585年 【四国平定】:長宗我部元親を破る。

1586年 太政大臣就任:豊臣の姓をもらう。
羽柴→豊臣

1587年 【九州平定】:島津義久を破る。

<人民統制・東の平定>
1587年 「バテレン追放令」:宣教師の国外退去令(20日以内)

1588年 「刀狩令」:農民の武器所有を禁止。
一揆の防止と、兵農分離が目的。

1590年 【小田原平定】(相模):北条氏政・氏直親子を破る。

1590年 【東北平定】:伊達政宗(独眼竜)が小田原攻めの際に帰属し、全国平定。

1591年 「人掃令」(ひとばらいれい)(身分統制令):武士の農民への転換などを禁止。目的は「兵農分離」。→江戸の「士農工商」につながる。

1592年 「文禄の役」(朝鮮出兵①)
(朝鮮の暦から壬辰倭乱(じんしんわらん)と呼ぶことも。)

加藤清正、小西行長らを朝鮮に派遣。
秀吉は名護屋(肥前/佐賀)で指揮。

李舜臣(亀甲船)や義兵(一般民兵)などの強い抵抗で苦戦。

1596年 「サン・フェリペ号事件」:スペインの船が土佐に漂着。乗務員が「領土拡張に宣教師を利用している」と証言。↓↓
1596年 「二十六聖人殉教(にじゅうろくせいじん・じゅんきょう)事件」:フランシスコ会などの宣教師・信者26人を長崎で処刑。
(殉教:宗教で命を落とすこと)

1597年 「慶長の役」(朝鮮出兵②)
(丁酉倭乱(ていゆうわらん)ともいう)

1598年 秀吉の死去により撤退。

<太閤検地>
天正の石直し(こくなおし)
「山崎の戦い」以降、直接役人を派遣し、全国を検地して石高を決定した。
(太閤:前関白。関白を譲って辞めた人。)

☆単位の統一
・長さ:六尺三寸(=1間(けん)=191cm)四方を、一歩(いっぷ)とする。

・面積:町(ちょう)・段(たん)・畝(せ)・歩(ぷ)
(1町=10段=100畝=3000歩)(1段=300歩)

・はかり(容積):「京枡」を採用。米を数える。

→公正に税金を取る。

☆「石高制(こくだかせい)」を採用
(前は貴高制(かんだかせい))

・石高は「米の量」
石高=面積 × 石盛(こくもり)(1段あたりの標準収穫高)
1石(こく)=10斗=180リットル

「貴」(お金の単位)から「石高」(容積・体積)に代わった。

石高に応じた年貢を課す。
上田(じょうでん)、中田(ちゅうでん)、下田(げでん)、下々田(げげでん)

年貢率は「二公一民」(税率66%)が原則
→各地で一揆誘発。

☆「一地一作人(いっちいっさくにん)」の原則
直接、耕作民を「検地帳」に登録し、その作人から年貢を徴収。
「中間搾取層(作合)」(荘官、領家、本家など)の否定。
→「荘園制(私有地)」の崩壊
すべての土地は秀吉(次は江戸幕府)のもの。

<秀吉の諸政策>
☆直轄地=「蔵入地(くらいりち)」(200万石)
(cf. 江戸幕府「天領」「幕領」
室町幕府「御料所」)

☆重要鉱山の直轄化
・佐渡・相川金山
・石見(いわみ)・大森銀山(島根)(元は毛利氏のもの)
・但馬・生野銀山
軍隊を編成する、武器を買うなど。

☆貨幣鋳造
天正大判(金貨)(恩賞用・by 後藤徳乗)

<五奉行と五大老>
☆五奉行(秀吉の部下)
・浅野長政
・石田三成
・前田玄以
・増田(ました)長盛
・長束(なつか)正家

☆五大老(有力大名)
・徳川家康(関東)
・前田利家(加賀)
・宇喜多秀家(中国)
・毛利輝元(中国)(元就の孫)
・(小早川隆景(北九州))
・上杉景勝(北陸)