「軍師官兵衛」Disc4-第17回「見捨てられた城」メモ
1578年 天正6年 5月
上月城。織田と毛利のにらみ合い。1月半。兵糧も尽きていた。
援軍は来ない。
織田信長は上月城に援軍は送らないと決めた。700対5万。播磨での織田の信用も失うと言ったが、だめだった。
秀吉 家臣 亀井新十郎
上月城に伝えに行く。毛利に降伏するように。。
「御礼申し上げる。。」
村重「所詮は使い捨てか。。」
半兵衛と官兵衛が話す。信長の非情なやり方についていけない官兵衛。。半兵衛は決断は正しかった。。という。嫌われても軍師としては最上の策をやるだけ。。と。自分のやり方を探したい官兵衛。
官兵衛と家臣団
太兵衛が孫子を!
「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」孫子
(意味:戦に勝つよりも戦わずに勝つことの方が上策)
「およそ兵戦の場は屍を止むるの地。死を必すれば即ち生き(しをひっすればすなわちいき)。生を幸いとすれば即ち死す(せいをさいわいとすればすなわちしす)」呉子(ごし)・治平(ちへい)第三
(意味:戦場とは屍(しかばね)をさらすところだ。死を覚悟すれば、生きのびることもできるが、生きながらえようと望んでいると、逆に死をまねくことになる。)
神吉城(かんきじょう)を落城。次は志方城。
滝川一益。顔に傷を負う。
万見仙千代(まんみせんちよ)信長の小姓。
荒木は6年、明智は10年。宿老。
荒木の気持ちが離れつつある。。見捨てられる。。と。
宇喜田直家が本当に味方か信用できないので、毛利軍はいったん退却。三木城(淀川長治)も、志方城(櫛橋左京進)も取り残された。。
「織田は上月を見捨て、毛利は我らを見捨てた。乱世の盟約とは儚いものよ。」
「官兵衛お前の勝ちだ。。」櫛橋左京進、切腹。
左京進の子供を官兵衛が引き取る。
平井山 秀吉本陣
改めて秀吉に付いていくと誓う官兵衛。
お紺が亡くなる。