「光る君へ」第1回メモ
貞元(じょうげん)二年(977年)
大内裏(だいだいり)
陰陽寮(おんようりょう)・・天文・時・暦・占い。
中務省(なかつかさしょう)(天皇の命令作りの原案作り)に属する。
安倍晴明(あべのはるあきら/せいめい)天文博士(てんもんはかせ)正七位下
まひろ(紫式部)
父・藤原為家(学者)
蒙求(もうぎゅう)
王戎簡要 (おうじゅうかんよう)
母・北の方様
(まひろの母)
布を食べ物に換える。
琵琶を弾かなくなった。
<藤原道長の家>
父・藤原兼家(かねいえ)(東三条殿・大納言⇒詮子入内で右大臣に)
長男・藤原道隆(みちたか)
次男・藤原道兼(みちかね)
長女・藤原詮子(せんし/あきこ)
三男・藤原道長(みちなが)
道隆の嫡妻(ちゃくさい)(本妻):高階貴子(たかしなのたかこ)
藤原信孝(のぶたか)為家の親戚
・式部省(しきぶしょう)・・教育、役人の人事(今の文部科学省)
・少丞(しょうじょう)・・判官(じょう)(3番目)、従六位上(じゅろくいじょう)
・除目(じもく)・・天皇、大臣、参議以上の公卿による人事の会議。諸官職や国司を任命する朝廷の儀式。
春(正月)=県召の除目(あがためしのじもく)国司の任命
秋(8月)=司召の除目(つかさめしのじもく)内官の任命
・清涼殿(せいりょうでん)・・天皇の日常の居所。政治の中心場所。
「史記」馬鹿の語源
権力を欲しいままにした趙高(ちょうこう)。
「鹿」を連れてきて、これは「馬」だと言った。正直に「これは鹿です」と言った者は処刑され、「馬です」と言った者は助かった。
64代 円融天皇
在位年:969(11才)~984(26才)
父:藤原頼忠(よりただ)関白・太政大臣
娘:藤原遵子(じゅんし/のぶこ)
藤原基経(もとつね)
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藤原忠平(ただひら)
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藤原実頼(さねより)
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藤原頼忠(よりただ)
大仰(おおぎょう)・・大げさ
散楽(さんがく)
コウメイ。源高明。
安和の変(969年)で藤原氏に排斥された。
それを演じている。
午の刻(うまのこく):11時~13時
未の刻(ひつじのこく):14時~16時
東宮・師貞親王(もろさだしんのう)
後の65代・花山(かざん)天皇
春宮坊(とうぐうぼう)
<光る君へ紀行>
平安神宮。
平安遷都1100年を記念して作られた。(1894年)
大極殿(だいごくでん)。政治の場。
時代祭。平安遷都の10月22日。
京都市北西部。紫野(むらさきの)。
紫式部が生まれたとも、晩年を過ごしたとも言い伝えられている。