【22】イギリスの市民革命
(1)国王と議会の対立
(2)クロムウェルの独裁と王政復古
(3)議会政治の完成と産業革命の始まり
(4)産業革命
(5)産業革命が社会に及ぼした影響
(1)国王と議会の対立
ポイント①イギリスの伝統を守らない王の登場
ステュアート朝の成立と議会の対立
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(ステュアート朝)
・ジェームズ1世(祖父)
・チャールズ1世(父)✕処刑
・1649 ピューリタン革命
・チャールズ2世(兄)
・ジェームズ2世(弟)亡命
・1688 名誉革命
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エリザベス1世没でテューダー朝が途絶える・・
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ステュアート朝を創始(1603~49、1660~1714)
【ジェームズ1世】(位1603~1625)
スコットランド王で英王を継承。
・英の伝統を無視。専制政治。王権神授説。
→議会の不満
・イギリス国教会の強制
→ピューリタン(カルヴァン派)の不満
→ピルグリム・ファーザーズとなり北米へ渡る(1620)
【チャールズ1世】(位1625~1649)
ジェームズ1世と同じ専制政治・・
・議会は「権利の請願」を提出。
課税の議会同盟や不法逮捕の禁止
→議会を強制的に解散させる(11年議会がない)
・スコットランドの反乱
チャールズ1世がスコットランドにもイギリス国教会を強制したため。
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・短期議会の招集(1640)
鎮圧費のため増税を提案。3週間のみ。議会の反発で解散。スコットランドを鎮圧できず。
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・長期議会の招集(1640~1653)
スコットランドへの賠償金支払いの増税。
王党派と議会派の対立。
ポイント②ついに勃発!ピューリタン革命
国王を処刑し圧政から解放されたイギリス市民
【ピューリタン革命(1640~1660)】
王党派・・貴族、特権商人
VS
議会派
・長老派・・立憲王政(王はいてもいいがルールにのっとってほしい)
・独立派・・制限選挙の共和制(王は不要)
・水平派・・普通選挙の共和制(王は不要)
内乱の開始(1642)
王党派優勢
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クロムウェル(ピューリタン)率いる議会派(独立派)の台頭
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1645 ネーズビーの闘い
議会派の勝利
チャールズ1世処刑(1649)
共和制が始まる・・!
(2)クロムウェルの独裁と王政復古
ポイント①イギリス史上最初で最後の共和制!
市民は圧政から解放されて生活できるハズだった・・
英・共和制(1649~1660)11年
→クロムウェルの独裁
・アイルランド征服(1649)
王党派の討伐を口実。イギリス人地主へ土地を分配。アイルランド人の小作人化が進む。
・スコットランド征服(1650)
残存する王党派を討伐
・航海法(1651)
英への輸出入は自国船か相手国船に限定。
→オランダの中継貿易(転売)を閉め出す。
→第1次イギリス=オランダ戦争(1652~1654)
英の勝利。海上覇権を得る。
・護国卿に就任(1653)
議会を解散。軍事独裁政治を断行。
ピューリタンは清貧。市民の娯楽も禁止される。
→不満がたまる・・
ポイント②スチュアート朝の復活
クロムウェルの死後、国王の支配が復活
クロムウェルが亡くなり・・
兄【チャールズ2世】(1660~1685)
王政復古。亡命先のフランスから帰国。
専制政治とカトリックの復活。(仏ルイ14世に影響される。)
議会は2つの法律で王に対抗する
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(1)審査法(1673)
公職就任者をイギリス国教徒のみに限定する。
(ピューリタンはクロムウェルの影響で不人気)
(2)人身保護法(1679)
国王による不当な逮捕、拘禁の防止
議会の仲間割れ。
王の弟ジェームズ2世への王位継承で議会が分かれる。
トーリ党(保守党の前身)・・賛成(今までのトーリに保守)
ホイッグ党(自由党の前身)・・反対
多数決でトーリ党が勝つ
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弟【ジェームズ2世】(1685~1688)
カトリックを保護、専制政治の強化
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名誉革命(1688~89)
(流血さわぎにならなかったため名誉という)
国王に出ていってもらうことを議会が決定!
オランダ総督(オラニエ公ウィレム3世)と妻メアリ(ジェームス2世の娘。スチュアート朝)を国王として招致。
(※オラニエ公ウィレム1世はオランダ独立戦争を率いた人)
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ジェームズ2世亡命
ようやく専制政治を追放・・!
ポイント③国王は議会に歯向かえない
名誉革命で完成したイギリス立憲政治
夫婦の共同統治
【ウィリアム3世】
【メアリ2世】
・「権利の宣言」(1689)
議会の承認による課税、恣意的な逮捕の禁止など
・「権利の章典」(1689)
権利の宣言を成分化。立憲政治の出発。
=イギリスの王は議会に刃向かわない
【アン女王】(位1702~1714)
・大ブリテン王国の成立(1707)
同君連合だったイングランドとスコットランドが合併。
アン女王没でスチュアート朝はとだえる・・
(3)議会政治の完成と産業革命の始まり
ポイント①「王は君臨すれども統治せず」
現在まで続くイギリス国王の地位を象徴
アン女王の死=スチュアート朝の断絶
→ハノーヴァー朝(1714~1901)
ハノーヴァー選帝侯(ドイツ出身)
→ジョージ1世(位1714~1724)
国王は英語を話せず政治に無関心。。旅行ばっかり。。
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内閣の成立(=王に代わって政務を担当する組織)
議会内の多数党によって組織
→内閣は「議会」に対して責任を負う(=責任内閣制)
(※「王」に対してではない)
例:内閣が政治に失敗した。議会に「内閣やめろー」と言われたやめなくちゃいけない。
・ウォルポール(任1721~1742)(ホイッグ党)
イギリスの初代首相。
「王は君臨すれども統治せず」
ポイント②なぜイギリスは世界初の産業革命をむかえたのか
ハノーヴァー朝の成立期に産業革命の条件がそろってくる。
3つの要素
・資本の蓄積(お金)
・市場の確保(市場)
・労働力の確保(人)
[1]「資本」の蓄積
・中世からの伝統的な毛織物業の発達→輸出してお金が蓄積されていた
・綿織物(キャラコ)(インド産)
軽くて洗える。染めやすい。楽しみやすい。→需要が高まる。
イギリス国内で作れないか・・?
安くて質の良い綿製品が作れたらいいのでは?
[2]「市場」の確保
・仏との植民地戦争の勝利。北米・インドで植民地を獲得。
・綿花などの原材料、商品作物を栽培させ、イギリスへ輸出させる。売りに行くこともできる。
[3]「労働力」の確保
・第2次囲い込み(エンクロージャー)18~19C
政府主導。合法的に共有地・耕作地を柵で囲い込む。
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・ノーフォーク農法(近代農法・農業革命)
牛や豚の飼料(かぶ、クローバー)(地力回復)と人間用の大麦、小麦を作る。次の年は場所を入れ替えていく。
→農作業の人手が要らない。
大量の失地農→都市へ流入し工場労働者となる。
あらゆる要素がイギリス産業革命を支えていく
(4)産業革命
ポイント①まずは綿工業からスタート!
需要の高い綿製品を安く丈夫につくる工夫
綿工業
大量に作る。同じ品質。
<機械>
(織機・しょっき)布を織る。糸から綿製品を作る。
・ジョン=ケイ・・飛び杼(1733)
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(紡績機)細くて丈夫な糸を作る。
・ハーグリーヴズ・・ジェニー紡績機
・アークライト・・水力紡績機
・クロンプトン・・ミュール紡績機(完成)
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・カートライト・・力織機
・ホイットニー(米)・・綿繰機(わたくりき)。綿花の種を切り離す機械。
ポイント②機械を動かす動力の開発!
人間・牛・馬よりもはるかに強い「力」を開発
<動力>
(蒸気機関)物を燃やして生まれる熱を使って動かす。
・ニューコメン 蒸気機関
・ワット(↑蒸気機関を改良。あらゆる機械の動力となる可能性を開く。完成させた)
(鉄工業)
・コークス製鉄法 ダービー父子
固い鉄が作れるようになった。石炭の不純物を除外→高温燃焼が可能。
交通革命
(蒸気船)
・フルトン
初の大西洋横断に成功。今までは風だったが、自力で進める。
(蒸気機関車)
・スティーヴンソン
試運転 ストックトン~ダーリントン間(1825)
営業運転 マンチェスターからリヴァプール間(1830)
→作ったものをすぐ港に運んで輸出できる。
(5)産業革命が社会に及ぼした影響
ポイント①イギリスの産業革命は社会そのものを変えた!
産業革命をむかえた国の宿命
産業革命によって「資本主義体制」が確立
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3つのトラブル
[1]資本家と労働者の対立
産業資本家(経営者)の台頭
対立
資本家(生産手段の所有者)VS 労働者(プロレタリアート)
[2]都市への人口集中
・マンチェスター 綿工業
・バーミンガム 製鉄業・機械工業
・リヴァプール マンチェスターの外港
農村部の人口減少
[3]労働問題
・女性・子どもの労働(ベテランが要らないため)→賃金低下
・機械うちこわし運動
ラダイト運動(1811~17)イングランド中・北部
手工業者・労働者たちの暴動
「世界の工場」としての地位を確立(1850年頃の英)
加工貿易の形を取る。世界から原材料を得て世界各地へ売る。
ポイント②欧米諸国も産業革命を開始!
イギリス製品に対抗するためには産業革命を起こすしかない!
英は機械を輸出する(1825)
↓↓
【先発産業革命】
・ベルギー(1830)
・フランス(1830~1860)遅い。緩慢。→フランス革命に理由がある。農民
【中期産業革命】
・ドイツ(1840~)重工業
・アメリカ(1830~)労働力不足→南北戦争後、国内市場統合
【後期産業革命】
・ロシア(1861~)資金が不足。仏の資本を導入し1890年代にようやく本格化。
・日本(1870~)
明治政府。殖産工業政策。
日清戦争後→綿織物(軽工業)
日露戦争後→重工業