「どうする家康」第2回「兎(うさぎ)と狼(おおかみ)」メモ
(2023年1月15日放送)
1542年(とら年)か 1543年(うさぎ年)?
天文(てんぶん)11年/12年
父: 岡崎城 城主・松平弘忠(まつだいらひろただ)
母:於大の方(おだいのかた)
家康誕生
三河・岡崎城
おのこ=男の子
嫡男(ちゃくなん)=あとつぎ。正室が生んだ長男。
寅の年=1542年
寅の日=12月26日
寅の刻=午前4時頃
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大高城を囲む織田軍。
三河 120人 VS 織田軍 2000人
じいのセリフ
「治部の大夫(じぶのたいふ)様が・・」←官職名。今川義元のこと。
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戸田宗光(とだむねみつ)
父・弘忠の再婚相手の父
1547年 家康6才
織田家の人質になる。
(8才で今川家の人質になる。)
尾張・津島
息子:織田信長
父:織田信秀(のぶひで)
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松平昌久(まつだいら まさひさ)角ちゃん
大草(おおくさ)松平家の当主
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大樹寺(だいじゅじ)
岡崎城から北へ3Km
登譽上人(とうよしょうにん)
松平家の菩提寺である大樹寺の住職
・菩提寺(ぼだいじ)=一家の先祖代々を弔う墓地
・仕官(しかん)=武士が主君に仕えるようになること。
「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」
× けがれたこの世を離れ、極楽浄土へ行け
〇 けがれたこの世をこそ、浄土にすることを目指せ
家康はこの言葉を旗印に使った。
松平 蔵人佐 元康
(くらんどのすけ)
必定(ひつじょう)=そうなるにきまっていること。
榊原 小平太 康政(さかきばら こへいた やすまさ)