「軍師官兵衛」Disc2-第5回「死闘の果て」メモ – 楽しく歴史

「軍師官兵衛」Disc2-第5回「死闘の果て」メモ

「軍師官兵衛」第 5回「死闘の果て」メモ

1568年 永禄11年9月

信長、上洛。

旗に永楽通宝(えいらくつうほう)

足利義昭を守護するのが大儀名分。

秀吉はまだ歩兵。

京都に入って、わずか一月で町の乱れを正す。

民や農民を安心させるのが先決。


黒田家は倹約する。

金はいざという時に使う。

家臣に服を売る。与えるともらえない者がひがむ。


1568年 永禄11年10月

足利義昭が15代将軍に就任。

信長は副将軍は辞退。
官職も官位もいらない。
堺、大津、草津に代官を置くことを願う。


秀吉が竹中半兵衛をくどく。


官兵衛に赤ちゃん生まれる。

松寿丸(黒田長政)


龍野・赤松政秀が3000で兵をあげたが黒田家が数百で奇襲で勝つ。

家臣に褒美(銭)を渡す。


1569年 永禄12年6月

再度赤松が攻めてくる。

善助は初陣。
井手 友氏、小兵衛、武兵衛。


井上九郎右衛門(くろうえもん)井上 之房(ゆきふさ)

太兵衛(たへえ)

黒田二十四騎


<官兵衛紀行>

播磨の小京都
兵庫県たつの市

鶏籠山(けいろうさん)

龍野古城

秩父山
官兵衛率いる黒田軍が布陣したとされる。

「黒田家譜」(福岡市博物館)

母里小兵衛、武兵衛のことが記されている。