「青天を衝け」2021年(令和3年)大河ドラマ
総集編 DISC1 第一部 メモ
渋沢栄一
後に「近代日本経済の父」と呼ばれる。
1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才
武蔵国生まれ。
藍(あい)作り。染料にする。
1853年(嘉永6年)
マシューペリー(ペルリ)来日
前水戸藩主
徳川斉昭(なりあき)
開国には反対。尊王攘夷派
息子:七郎麻呂(後の15代将軍 徳川慶喜)
水戸から一橋家に入り、当主となる。
十二代 徳川家慶
十三代 徳川家定(家祥いえさち)
御三家:初代家康の子供の代で分かれた。
尾張、紀伊、水戸
御三卿:八代吉宗の子供の代で分かれた。
清水家(長男・家重)、田安家(次男・宗武)、一橋家(三男・宗忠)
岡部藩 代官
陣屋(じんや):徳川幕府直轄領の遠国奉行(おんごくぶぎょう)や代官の住居および役所が置かれた建物。
下郎(げろう):身分の低い者。ののしっていう場合にも用いる。
平岡 円四郎(ひらおか えんしろう)は、川路 聖謨(かわじ としあきら/せいたん)や藤田東湖(ふじたとうこ)(水戸・徳川斉昭の懐刀(ふところがたな))から見いだされ、徳川慶喜の小姓となった。
旗本の四男。
紀州藩主。徳川慶福(よしとみ)
後の十四代 徳川家茂(いえもち)
十三代・家定の御台所、篤姫。(後の天璋院)
井伊直弼(掃部頭)が大老となる。
老中首座。堀田 正睦(ほった まさよし)(備中頭)
安政5年6月。1858年。日米修好通商条約。
天皇の許しを得ないままの調印。
家定は水戸や越前が嫌い。処分せよと井伊に命令。
「安政の大獄」
開国派の井伊が尊王攘夷派を弾圧。
水戸藩徳川斉昭、慶喜を蟄居。
福井藩、橋本佐内を処刑。
大橋 訥庵(おおはし とつあん):儒学者、尊王論者。坂下門外の変を計画。
幕府が朝廷に対して不敬を繰り返したことで尊王攘夷の志士たちが過激化していった。
東禅寺(イギリス公使館)通訳殺害事件、オランダ人船長惨殺(横浜)
1860年(安政7年)3月 桜田門外の変
老中 安藤信正(対馬守)
孝明天皇の妹、和宮が家茂に嫁ぐ。
河野顕三(こうのけんぞう)
坂下門外の変
平岡と川村 恵十郎(かわむら えじゅうろう)が栄一と出会う。
横浜居留地焼き討ち計画を立てる。⇒中止に。
孔子。「過(あやま)ちを改(あらた)めざるこれを過(あやま)ちという。」
1862年(文久2年)
慶喜は将軍後見職に
京都へ向かう
栄一も京都へ。