第2回「忘れえぬ初恋」
永禄4年 1561年
播磨・御着城
父 串橋左京亮(くしはしさきょうのすけ)(小寺のいとこ)
息子 串橋左京進(くしはしさきょうのしん)
田辺
御方様(おかたさま)
小寺政職の正室 お紺
永禄5年 1562年
播磨・龍野城
赤松政秀
赤松が小寺領内に攻め込んだ戦い
官兵衛 初陣
「半ば進み半ば退くは誘い也」孫子
善助(ぜんすけ)
織田信長
美濃・斎藤龍興(たつおき) 稲葉山城 城主
軍師 竹中半兵衛
柴田権六(ごんろく)勝家
十面埋伏の陣(じゅうめんまいふくのじん)
弟・織田信行(のぶゆき)
母・土田御膳(どたごぜん)
木曽川筋・川波宗
蜂須賀小六
小寺と赤松が職隆(もとたか)の尽力で和議。
赤松は西の浦上氏・室津城の攻略を企てていた。
浦上氏から御着城・小寺氏に同盟を求める。
浦上家の室津は海路を制する要地。浦上と小寺が結べば、赤松は追いつめられ戦になる。
永禄7年 1564年
輿入れ
<官兵衛紀行>
兵庫県 姫路市 御着城
小寺正元
小寺は播磨の守護、赤松氏の衰退に乗じて勢力拡大。
小寺大明神
御着城址(し)(JR御着 徒歩10分)
山陽道の宿の一つ
発掘
白磁小碗
香炉
囲碁、将棋の駒など
小寺氏が経済力の高い戦国大名であったことが分かる。
御着は官兵衛の青春時代の場所。