「軍師官兵衛」Disc1-第1回メモ 大河2014 – 楽しく歴史

「軍師官兵衛」Disc1-第1回メモ 大河2014

第1回「生き残りの掟」

1590年(天正18年)
小田原 豊臣秀吉

黒田官兵衛
「人は殺せばそれまで。生かしてこそ使い道があるのです。」



天文15年(1546年)11月29日
黒田孝高(よしたか)は黒田職隆(もとたか)の嫡男として、播磨国の姫路に生まれた。

永禄元年(1558年) 播磨・姫路

黒田官兵衛  12才
小寺万吉(こでらまんきち)(幼名)

万吉のもり役
父:母里小兵衛(もり こへえ)
息子:母里武兵衛(もり ぶへえ)

万吉の母 いわ


広峯明神(ひろみねみょうじん)
農耕の神

御師(おし)
五穀豊穣のお札を諸国に売り歩く
伊吹善右衛門(いぶきぜんえもん)

山口で南蛮人、伴天連(バテレン)(神父・キリスト教者)を見た。
びいどろ(ガラス)、鉄砲

陣触れ(じんぶれ):出陣命令


姫路城城主
・黒田職隆(もとたか)・・官兵衛の父

主君は、小寺 政職(こでら まさもと)
浪人の身であったが家老に取り立ててもらい、小寺姓をもらう

黒田職隆の弟
・井手友氏(いでともうじ)/休夢(きゅうむ)


尾張 織田信長
藤吉郎 豊臣秀吉


龍野城  | 姫路城 |   御着城
赤松氏  | 黒田氏 |   小寺氏
 
赤松氏(播磨の守護大名)

小寺氏の家老
小河 良利(おごう よしとし
江田 善兵衛(えだ ぜんべえ)

石川源吾



万吉の祖父 黒田重隆(しげたか)

龍野城・赤松氏に仕えていた。

目薬で財をなし、その財を民に貸し出し、代わりに家来になってもらった。
御着の殿のお目にとまり仕官することになった。

「霊験(れいげん)あらたか」神仏による効験が明らかに表れるさま


龍野・龍神池(りゅうじんいけ)


赤松氏の使者
円満(えんまん)

龍野城 城主
赤松 政秀(あかまつ まさひで)


母「万吉。まっすぐ生きるのです。

母はずっとあなたを見守っていますからね。」


後添え(のちぞえ):後妻

野武士(のぶし):山野にひそんでいて、落武者の武具をはぎ取る、武士や土民の集団。


三略「謀は密なるをもってよしとする」


尾張 熱田神宮

1560年 桶狭間の戦い

海道一の弓取り 今川義元

織田信長は、居場所を教えた梁田の報償が一番多かった。


<官兵衛紀行>

天文15年 1546年

黒田官兵衛は姫路に生まれた。

姫路城には官兵衛が普請した石垣が残る。

十字紋の鬼瓦
キリシタンだった官兵衛のゆかりの瓦。

 

広峯神社のお札

農業の神。

播磨灘