第1回「生き残りの掟」
1590年(天正18年)
小田原 豊臣秀吉
黒田官兵衛
「人は殺せばそれまで。生かしてこそ使い道があるのです。」
天文15年(1546年)11月29日
黒田孝高(よしたか)は黒田職隆(もとたか)の嫡男として、播磨国の姫路に生まれた。
永禄元年(1558年) 播磨・姫路
黒田官兵衛 12才
小寺万吉(こでらまんきち)(幼名)
万吉のもり役
父:母里小兵衛(もり こへえ)
息子:母里武兵衛(もり ぶへえ)
万吉の母 いわ
広峯明神(ひろみねみょうじん)
農耕の神
御師(おし)
五穀豊穣のお札を諸国に売り歩く
伊吹善右衛門(いぶきぜんえもん)
山口で南蛮人、伴天連(バテレン)(神父・キリスト教者)を見た。
びいどろ(ガラス)、鉄砲
陣触れ(じんぶれ):出陣命令
姫路城城主
・黒田職隆(もとたか)・・官兵衛の父
主君は、小寺 政職(こでら まさもと)
浪人の身であったが家老に取り立ててもらい、小寺姓をもらう
黒田職隆の弟
・井手友氏(いでともうじ)/休夢(きゅうむ)
尾張 織田信長
藤吉郎 豊臣秀吉
龍野城 | 姫路城 | 御着城
赤松氏 | 黒田氏 | 小寺氏
赤松氏(播磨の守護大名)
小寺氏の家老
小河 良利(おごう よしとし)
江田 善兵衛(えだ ぜんべえ)
石川源吾
万吉の祖父 黒田重隆(しげたか)
龍野城・赤松氏に仕えていた。
目薬で財をなし、その財を民に貸し出し、代わりに家来になってもらった。
御着の殿のお目にとまり仕官することになった。
「霊験(れいげん)あらたか」神仏による効験が明らかに表れるさま
龍野・龍神池(りゅうじんいけ)
赤松氏の使者
円満(えんまん)
龍野城 城主
赤松 政秀(あかまつ まさひで)
母「万吉。まっすぐ生きるのです。
母はずっとあなたを見守っていますからね。」
後添え(のちぞえ):後妻
野武士(のぶし):山野にひそんでいて、落武者の武具をはぎ取る、武士や土民の集団。
三略「謀は密なるをもってよしとする」
尾張 熱田神宮
1560年 桶狭間の戦い
海道一の弓取り 今川義元
織田信長は、居場所を教えた梁田の報償が一番多かった。
<官兵衛紀行>
天文15年 1546年
黒田官兵衛は姫路に生まれた。
姫路城には官兵衛が普請した石垣が残る。
十字紋の鬼瓦
キリシタンだった官兵衛のゆかりの瓦。
広峯神社のお札
農業の神。
播磨灘