桶狭間の戦いのあと、家康は、今川か織田かで迷い、織田に付いた理由は。。
当時の家康の立場は「国衆(くにしゅう)」。
国衆とは自分を保護してくれる戦国大名を選んでいく。
桶狭間のあと、今川は武田、上杉、北条の対応でいっぱいで、三河からすると切り捨てられる可能性が高い。
そのため、今後頼れるのは織田家と判断した。
織田家、尾張と組んだことで西の憂いがなくなり東へと侵攻。
東三河の牛久保城(牧野氏)を攻めた。
本證寺
城郭伽藍(じょうかくがらん)
城のような作りをした寺。
太鼓楼(たいころう)
やぐらのような役割。(見張り台)
一揆側についたが許されて後の十六将に入った
渡辺守綱
蜂屋半之丞