「軍師官兵衛」第6回「信長の賭け」メモ
1571年
信長、四面楚歌。包囲網。
近江
比叡山焼き討ち。
「比叡山が滅びるときに国が滅びる」と言われていた。
「仏法廃れば王法廃る」
元亀3年 (1572年)
松寿丸 5才
2人目を求められる官兵衛夫婦。
うなぎ。
しかし官兵衛は側室は持たない。
京
十七条の意見書。
武田信玄と義昭が手を結ぶ。
武田信玄が上洛する。
太兵衛が荒れる。善助と義兄弟に。
信長 岐阜城に戻る。
1573年 徳川家康 三方ヶ原で武田信玄に敗戦。
信長は援軍は出さない。
信長は義昭の方から動き出すのを待っている。
細川藤隆
義昭が兵をあげた。
大津。逢坂の関。
摂津・荒木村重が初めて信長に会う。信長側に付く。
刀に饅頭。信長は村重に摂津を任せた。村重は浪人から国主になった。
2日で将軍を制圧。
御師(おし)
伊吹文四郎
官兵衛は姫路から摂津・茨木城に荒木村重に会いに行く。
茶の湯の師匠。千宗易(せんのそうえき)/千利休からもらった高麗茶碗。
志方城 櫛橋左京亮亡くなる。官兵衛は先に帰る。善助と太兵衛は織田軍を見にいく。太兵衛は更にやる気になって滝と戦う。
1573年
槇島城(まきしまじょう)(京都・宇治)で義昭が兵をあげたが、織田軍・秀吉が討って室町幕府滅亡。
年号が天正に改められた。
安芸・吉田郡山城
毛利家
毛利輝元(毛利元就の孫)
吉川元春
小早川隆景
<官兵衛紀行>
兵庫県・西脇市
黒田庄町
荘厳時(しょうごんじ)
もうひとつの官兵衛伝説。
官兵衛がこの地で生まれたという伝承がある。
姥が懐(うばがふところ)
兵主(ひょうす)神社
秀吉が三木城攻めのときに腰かけた石。
「太閤腰掛石」