「青天を衝け」2021年(令和3年)大河ドラマ
総集編 DISC1 第二部 メモ
渋沢栄一
1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才
文久3年(1863年)
栄一は一橋家で働く。
慶喜は一橋家に養子に入っている。
政の中心は江戸から京へ。
孝明天皇。朝議参与に任命。
「参与会議」
薩摩藩国父 島津久光(しまづ ひさみつ)
一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ)
前福井藩主 松平春嶽(まつだいら しゅんがく)
会津藩主 松平容保(まつだいら かたもり)
前土佐藩主 山内容堂(やまうち ようどう)
前宇和島藩主 伊達宗城(だて むねなり)
薩摩が武力に勝る。
横浜鎖港(さこう)をめぐり、慶喜は朝廷と幕府の間で板挟みに。
朝廷は薩摩の助言で意見がすぐコロコロ変わる。
慶喜は港は閉じると主張。
朝廷(中川宮朝彦親王(なかがわのみや-あさひこしんのう))に対して強く述べる。
結果⇒薩摩と強く対立することに。。参与会議は消滅。
慶喜は禁裏(=京都御所)を警備する禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく)に任命される。
栄一は俸禄をもらう=武士になる。
「池田屋事件」
攘夷派の長州が、「天子様をそそのかす一橋や中川を討つ」という相談。
新選組が阻止。副長土方歳三。攘夷派を討つ。
↓
水戸藩など攘夷派志士たちの怒りの矛先が一橋の慶喜に向かう。平岡が慶喜をそそのかしたと思い込み、水戸藩士に平岡が討たれる。
十二代家慶は慶喜のことをかっていた。「徳川を頼む」と。
「自分の輝きは幻」だと慶喜は言ったが、平岡は「その輝きは消えない、自分は尽未来際(じんみらいさい)仕える」といった。
尽未来際(じんみらいさい):仏語。 未来の果てに至るまで。 未来永劫 (えいごう) 。 永遠。
その後、平岡が討たれる。
元治元年7月19日 1864年
「禁門の変」
長州が御所に突入。蛤御門。
江戸幕府開府以来はじめての、京を戦場とする内戦。
一橋と薩摩藩の連合軍(幕府軍)が抑える。
慶喜「御所に筒先を向けるとは・・何が尊王だ・・」
幕府軍の勝利で終結。
西郷隆盛(吉之助)が慶喜を認める。「もう少し仲良くしておいた方がいいか・・」
家茂「一橋に比べ無力だ・・」
天璋院「旗本八万騎が忠誠を尽くしたいと望むのは水戸一橋ではなくあなた(徳川家茂)です」
水戸藩も内部で対立。攘夷派の武田 耕雲斎(たけだ こううんさい)(水戸藩・天狗党)らが幕府軍と戦う。
水戸の攘夷派が京都に来るが、慶喜は京を守るのが自分の役目だ・・と京都に入れない。
斉昭は「烈公(れっこう)」と呼ばれていた。
栄一は一橋を経済的に支えることにする。
懐具合をよくする。斉昭もそうだった。水戸のために、林、ガラス、茶畑を作り、ハチミツを集めた。
やったこと。
・米の入札払い
一橋の領家の年貢米は出来が良く限りがあるので、売るときに入れ札(いれふだ)で販売する。
・硝石(火薬の原料)の製造
・銀札(ぎんさつ)の発行
勘定組頭になる。
御注進:事件
家茂が逝去(せいきょ)。慶喜が将軍となる。
一橋の家臣の一部は、幕臣となる。
大阪 幕府陸軍奉行所
目付:栗本 鋤雲(くりもと じょうん)
勘定奉行:小栗忠順(おぐり ただまさ)(上野介)
「パリ博覧会」
慶応3年(1867) 遣欧使節団
慶喜の弟。徳川昭武(あきたけ)民部公子(みんぶこうし)
600万ドルの借款。
55日かけてフランスへ。
横浜、上海、香港、サイゴン、セイロン、アデン、スエズ、地中海、フランス・パリへ。。
スエズ運河建設中。国ではなく民間。
蒸気機関。
医師・高松凌雲(たかまつ りょううん)
薩摩・島津・琉球王国
外国奉行 支配組頭:田辺太一
薩摩藩士、実業家:五代才助/友厚(ごだい ともあつ)
薩摩藩士:大久保利通(一蔵)
イギリス公使:ハリー・パークス
「大君は日本の皇帝ではない」とパリの新聞に書かれた。