「光る君へ(4)五節の舞姫」メモ
2024/01/28放送
永観二年(984年)
六位 藤原為時
藤原宣孝(のぶたか)
論語、荀子(じゅんし)、墨子(ぼくし)も人の道を説いている。
円融天皇から花山天皇に譲位。
東宮が懐仁親王(やすひとしんのう)になった。
花山天皇の側近
花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)
乳母子(めのとご)藤原 惟成(ふじわらのこれしげ)
公卿・学者:藤原 文範(ふじわらのふみのり)
左大臣:源 雅信(みなもとのまさのぶ)
盤双六(ばんすごろく)
倫子サロン
盗賊
辻(つじ)。みちばた。ちまた。
竹取物語
詮子(あきこ)が怒りの抗議。懐仁親王(やすひとしんのう)を兼家の手から取り戻し、守ろうとする。
984年8月 65代 花山天皇 即位
藤原 斉信(ただのぶ)の妹 藤原 忯子(よしこ)が入内。弘徽殿(こきでん)の女房。
為時が12年ぶりに官職を得た。
まひろ弟:藤原 惟規(ふじわらののぶのり)
史記 秦始皇本記 鹿を指して馬となす
趙高欲為乱、恐群臣不聴、乃先設験、持鹿於二世曰、馬也。二世笑曰、丞相誤邪、謂鹿為馬。問左右。左右或黙、或言馬以阿順趙高。或言鹿者、高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高
趙高乱を為さんと欲し、群臣の聴したがわざるを恐れ、乃すなわち先ず験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、馬なり、と。二世笑いて曰く、丞相誤れるか、鹿を謂いいて馬と為す、と。左右に問う。左右或は黙し、或は馬と言いて以て趙高に阿おもねり従う。或は鹿という者あり、高因よりて陰ひそかに諸もろもろの鹿という者に中あつるに法を以てす。後、群臣皆高を畏る。
(宰相となった)趙高(ちょうこう)は謀反を起こそうと考えいたが、群臣が自分の命令に従わないのではないかと疑い、まず、一計を案じ、試してみることにした。鹿をつれてきて二世皇帝に献上し、(趙高が)「馬でございます」と言うと、二世皇帝は笑って、「宰相はまちがっているのではないか。鹿を指して馬などというとは」といい、左右の群臣に問うた。群臣は、ある者は黙り込み、ある者は馬でございますと言って趙高にごまをすった。中には正直に、鹿だと言った者がいたが、趙高は後でひそかにこれらの者を法律によって罰した。以後、群臣は皆、趙高を恐れた。
花山天皇の政治。
民が銅銭を使いたがらない。長雨、日照り続き、米が実らない。物価高。
⇒布一反を百文、銅一斤(600g)を60文に固定。
凶作に際し、自ら装束や食事を減らし模範を示し、それを万民に述べ伝えるようにと。
五節(ごせち)の舞姫
収穫を祝う大嘗祭(だいじょうさい)のあとの宴、豊明節会(とよあかりのせちえ)で未婚の舞姫が舞をささげる神事(しんじ)。
高御座(たかみくら)。
<光る君へ紀行>
寝殿造り
歴史公園 えさし藤原の郷(岩手県・奥州市)
釣殿(つりどの)
納涼や月見などのために池に面してつくられた建物。