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『青天を衝け』総集編・第三部メモ(DISC2)大河ドラマ2021年

「青天を衝け」2021年(令和3年)大河ドラマ
総集編 DISC2 第三部 メモ

渋沢栄一
1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才


薩摩藩士 五代才助/友厚

天璋院様御守衛 西郷隆盛(吉之助)

薩摩藩士 大久保利通(一蔵)

岩倉具視

フランスから借款はできなかった。

目付⇒外国奉行:栗本 鋤雲(くりもと じょうん)(安芸守)

証券取引所
債権、国債

1867年 10月 大政奉還
王政復古

薩摩に江戸城に火を付けられる。

1868年 1月 戊辰戦争。
鳥羽・伏見の戦い(淀・橋本)
慶喜は朝敵となった。開陽丸で大阪へ
(ナポレオン三世にフランス軍服をもらう慶喜)

上野 彰義隊。浅草本願寺。
箱館 五稜郭


明治維新

明治時代が始まる。
コンパニー。合本(がっぽん)

栄一は駿府にいたが、政府の大隈重信(佐賀・肥前)にスカウトされる。
太政官より呼び出し。

伊藤博文(いとう ひろぶみ)

民部大蔵省(みんぶおおくらしょう)租税

改正掛(かいせいがかり)

租税、貨幣

前島密(まえじまひそか)郵便制度を作る。漢学者が使う文字。

井上馨(いのうえかおる)廃藩置県。
新政府は安定した税収を得ることができた。

官営 富岡製糸場。

主要輸出品である生糸(きいと)の増産。
養蚕(ようさん)

大阪 造幣局。
円。新貨条例。バンク。

国立銀行
名は国立だが民で作る。
三井組と小野組。
官金=政府の金

三井組ハウス。両替店。
銀行にされる。

 

『青天を衝け』総集編・第二部メモ(DISC1)大河ドラマ2021年

「青天を衝け」2021年(令和3年)大河ドラマ
総集編 DISC1 第二部 メモ

渋沢栄一
1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才


文久3年(1863年)
栄一は一橋家で働く。
慶喜は一橋家に養子に入っている。

政の中心は江戸から京へ。

孝明天皇。朝議参与に任命。
「参与会議」

薩摩藩国父 島津久光(しまづ ひさみつ)
一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ)
前福井藩主 松平春嶽(まつだいら しゅんがく)
会津藩主  松平容保(まつだいら かたもり)
前土佐藩主 山内容堂(やまうち ようどう)
前宇和島藩主 伊達宗城(だて むねなり)

薩摩が武力に勝る。

 

横浜鎖港(さこう)をめぐり、慶喜は朝廷と幕府の間で板挟みに。

朝廷は薩摩の助言で意見がすぐコロコロ変わる。

慶喜は港は閉じると主張。

朝廷(中川宮朝彦親王(なかがわのみや-あさひこしんのう))に対して強く述べる。

結果⇒薩摩と強く対立することに。。参与会議は消滅。

慶喜は禁裏(=京都御所)を警備する禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく)に任命される。


栄一は俸禄をもらう=武士になる。

 

「池田屋事件」

攘夷派の長州が、「天子様をそそのかす一橋や中川を討つ」という相談。

新選組が阻止。副長土方歳三。攘夷派を討つ。

水戸藩など攘夷派志士たちの怒りの矛先が一橋の慶喜に向かう。平岡が慶喜をそそのかしたと思い込み、水戸藩士に平岡が討たれる。


十二代家慶は慶喜のことをかっていた。「徳川を頼む」と。

「自分の輝きは幻」だと慶喜は言ったが、平岡は「その輝きは消えない、自分は尽未来際(じんみらいさい)仕える」といった。

尽未来際(じんみらいさい):仏語。 未来の果てに至るまで。 未来永劫 (えいごう) 。 永遠。

その後、平岡が討たれる。


元治元年7月19日 1864年

「禁門の変」
長州が御所に突入。蛤御門。
江戸幕府開府以来はじめての、京を戦場とする内戦。

一橋と薩摩藩の連合軍(幕府軍)が抑える。
慶喜「御所に筒先を向けるとは・・何が尊王だ・・」

幕府軍の勝利で終結。

西郷隆盛(吉之助)が慶喜を認める。「もう少し仲良くしておいた方がいいか・・」

家茂「一橋に比べ無力だ・・」
天璋院「旗本八万騎が忠誠を尽くしたいと望むのは水戸一橋ではなくあなた(徳川家茂)です」


水戸藩も内部で対立。攘夷派の武田 耕雲斎(たけだ こううんさい)(水戸藩・天狗党)らが幕府軍と戦う。

水戸の攘夷派が京都に来るが、慶喜は京を守るのが自分の役目だ・・と京都に入れない。


斉昭は「烈公(れっこう)」と呼ばれていた。

栄一は一橋を経済的に支えることにする。

懐具合をよくする。斉昭もそうだった。水戸のために、林、ガラス、茶畑を作り、ハチミツを集めた。

やったこと。

・米の入札払い

一橋の領家の年貢米は出来が良く限りがあるので、売るときに入れ札(いれふだ)で販売する。

・硝石(火薬の原料)の製造

・銀札(ぎんさつ)の発行

勘定組頭になる。


御注進:事件

家茂が逝去(せいきょ)。慶喜が将軍となる。

一橋の家臣の一部は、幕臣となる。

大阪 幕府陸軍奉行所

目付:栗本 鋤雲(くりもと じょうん)

勘定奉行:小栗忠順(おぐり ただまさ)(上野介)

 

「パリ博覧会」

慶応3年(1867) 遣欧使節団

慶喜の弟。徳川昭武(あきたけ)民部公子(みんぶこうし)

600万ドルの借款。

55日かけてフランスへ。

横浜、上海、香港、サイゴン、セイロン、アデン、スエズ、地中海、フランス・パリへ。。

スエズ運河建設中。国ではなく民間。

蒸気機関。

医師・高松凌雲(たかまつ りょううん)

薩摩・島津・琉球王国

外国奉行 支配組頭:田辺太一

薩摩藩士、実業家:五代才助/友厚(ごだい ともあつ)

薩摩藩士:大久保利通(一蔵)

イギリス公使:ハリー・パークス

「大君は日本の皇帝ではない」とパリの新聞に書かれた。

 

 

『青天を衝け』総集編・第一部メモ(DISC1)大河ドラマ2021年

「青天を衝け」2021年(令和3年)大河ドラマ

総集編 DISC1 第一部 メモ

渋沢栄一
後に「近代日本経済の父」と呼ばれる。

1840(天保11)~ 1931(昭和6)享年89才
武蔵国生まれ。

藍(あい)作り。染料にする。

1853年(嘉永6年)
マシューペリー(ペルリ)来日

前水戸藩主
徳川斉昭(なりあき)

開国には反対。尊王攘夷派

息子:七郎麻呂(後の15代将軍 徳川慶喜)

水戸から一橋家に入り、当主となる。

十二代 徳川家慶

十三代 徳川家定(家祥いえさち)

御三家:初代家康の子供の代で分かれた。
尾張、紀伊、水戸

御三卿:八代吉宗の子供の代で分かれた。
清水家(長男・家重)、田安家(次男・宗武)、一橋家(三男・宗忠)

 

岡部藩 代官

陣屋(じんや):徳川幕府直轄領の遠国奉行(おんごくぶぎょう)や代官の住居および役所が置かれた建物。

下郎(げろう):身分の低い者。ののしっていう場合にも用いる。

 

平岡 円四郎(ひらおか えんしろう)は、川路 聖謨(かわじ としあきら/せいたん)や藤田東湖(ふじたとうこ)(水戸・徳川斉昭の懐刀(ふところがたな))から見いだされ、徳川慶喜の小姓となった。

旗本の四男。

 

紀州藩主。徳川慶福(よしとみ)
後の十四代 徳川家茂(いえもち)

十三代・家定の御台所、篤姫。(後の天璋院)

 

井伊直弼(掃部頭)が大老となる。

老中首座。堀田 正睦(ほった まさよし)(備中頭)

安政5年6月。1858年。日米修好通商条約。

天皇の許しを得ないままの調印。

 

家定は水戸や越前が嫌い。処分せよと井伊に命令。

「安政の大獄」

開国派の井伊が尊王攘夷派を弾圧。

水戸藩徳川斉昭、慶喜を蟄居。

福井藩、橋本佐内を処刑。

大橋 訥庵(おおはし とつあん):儒学者、尊王論者。坂下門外の変を計画。

 

幕府が朝廷に対して不敬を繰り返したことで尊王攘夷の志士たちが過激化していった。

東禅寺(イギリス公使館)通訳殺害事件、オランダ人船長惨殺(横浜)

1860年(安政7年)3月 桜田門外の変

 

 

老中 安藤信正(対馬守)

孝明天皇の妹、和宮が家茂に嫁ぐ。

河野顕三(こうのけんぞう)

坂下門外の変

 

平岡と川村 恵十郎(かわむら えじゅうろう)が栄一と出会う。

 

横浜居留地焼き討ち計画を立てる。⇒中止に。

 

孔子。「過(あやま)ちを改(あらた)めざるこれを過(あやま)ちという。」


1862年(文久2年)

慶喜は将軍後見職に

京都へ向かう

栄一も京都へ。

 

中国王朝。替え歌

中国王朝を「アルプス一万尺」の替え歌で。

「殷(いん)、周(しゅう)、春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)、秦(しん)」

「前漢(ぜんかん)、新(しん)、後漢(ごかん)」

「三国(さんごく)、晋(しん)、五胡(ごこ)(十六国)、南北(なんぼく)」

「隋(ずい)、唐(とう)、五代(ごだい)(十国)」

「宋(そう)、元(げん)、明(みん)、清(しん)」

「中華民国(ちゅうかみんこく)」

「中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)」

「軍師官兵衛」Disc7-2 第26回「長政初陣」メモ

「軍師官兵衛」Disc7-2 第26回「長政初陣」メモ

関白・九条さんキャラ仕上がってる~。いいね~。

 

「軍師官兵衛」Disc7-2 第26回「長政初陣」メモ

秀吉軍2万
毛利との国境、備前(織田領・元宇喜田領)と備中(毛利領)の国境へ。

沼城にとどまる黒田軍。
秀吉の養子・羽柴秀勝(信長の四男)の初陣のため。

「境目七城」「備中七城」・・南から松島城・庭瀬城・日幡城・加茂城・高松城・冠山城・宮路山城
要は「高松城」

備中 高松城主
清水宗治
備中、備後の2か国の国主に、といっても条件は飲まない。
毛利に義を尽くす。「裏切りによって得た国など裏切りによって失う。。」
その後も説得するが、調略できず。


加藤清正(虎之介)
福島正則(市松)


織田は6万の軍勢で武田家を滅ぼした。
諏訪 法華寺
信長 本陣

徳川家康に駿河。
河尻秀隆(かわじりひでたか)、穴山梅雪に甲斐を与える。

滝川一益 上野/こうずけ(群馬県)一国、信濃二郡を与える。
「珠光の小茄子(しゅこうのこなす)」を欲しがるがダメ。
信忠が諏訪で後始末を。

武田に身を寄せていた六角次郎(佐々木次郎/義貞)15年間逃げ続けていた。
甲斐 恵林寺
快川紹喜(かいせんじょうき)和尚
「国師」帝に仏法を教える

1582年4月3日 恵林寺焼き討ち。150人僧侶
「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」


高松城 攻略を考える。
水気の多い沼地に囲まれた城。
足守川(あしもりがわ)
故老・・(昔からの事に通じている)老人。


秀吉2万、宇喜田1万
備中に入る。

官兵衛・小早川隆景ともに「道は一つではありませぬ」

・調略に応じた
日幡城(ひばたじょう)上原元祐・もとまさ
加茂城(かもじょう)生石(おいし)ながつかさ

・攻める
冠山城(かんむりやまじょう)
長政の初陣。

兜首(かぶとくび)をあげた。
かぶとをつけた、大将などの首。

官兵衛はあまり感心しない。猪武者だと。

・宮路山城(みやじやまじょう)


官兵衛と毛利(安国寺恵瓊)との会談

「羽柴と毛利が手を組まないか」と持ち掛けられる。
組まないが、こちらも無駄な戦はしたくない。

官兵衛が、今織田に下れば、安芸、備後、長門、周防は約束すると言うが、恵瓊は受け入れず。


竜王山 黒田本陣
高松城攻め・模型でシミュレーション
「水攻め」


官兵衛、てるに2人目の男の子。
14年ぶり。熊の介

 

「軍師官兵衛」Disc7-1 第25回「栄華の極み」メモ

「軍師官兵衛」Disc7-第25回「栄華の極み」メモ

姫路城
綱引きする子供たち。


近江 坂本城

明智光秀に朝廷の意向を伝えにくる。
公家 吉田兼和(よしだかねかず)

狼藉者に奪われていた丹波山国荘(たんばやまぐにのしょう)を光秀が取り返して帝に献上した。

106代 正親町天皇(おうぎまちてんのう)

関白 九条兼孝(くじょうかねたか)

信長が官職を返上したことが気に入らない。。


毛利攻め
姫路城で評定

・山陽道 備前 備中の国境(くにざかい)
毛利方の7つの城が並ぶ。
小早川隆景が大将。時をかけて調略する。

・山陰道 吉川元春
光秀の力を借りる。秀吉は佐吉(石田三成)に行かそうとしたが、官兵衛が行く。


近江 坂本城
光秀の娘
倫(りん)
荒木村重の嫡男・村次の妻だったが離縁して戻ってきた。

毛利を頼って安芸にいる。。

山陰 鳥取城を落とす。

官兵衛と公家・吉田兼和が会う。
朝廷の威光がないがしろにされるのは困る、、と伝える。
帝は明智光秀推し。


岡山城
備前 宇喜田直家
宇喜田秀家を秀吉に託す。妻・せんも側女に。

秀吉が天下を取ると予言する。
信長は危うい・・と。


安土城 信長。
宣教師オルガンチノと巡察師ヴァリニャーノ
セミナリオ(神学校)・・キリシタンの小中学校。
コレジオ・・大学。

黒人(アフリカ)の家臣を連れてくる。
弥助と名付ける。


姫路城
官兵衛に二人目の子供ができた。


信長
左大臣を受けるなら帝の譲位を求める。

安土城
ライトアップ

高山右近「美しすぎまする。。恐ろしいほどに。。」

信長
「わしの心を本当に分かってるのはお前たちだけ。。」と秀吉、官兵衛に言う。


毛利
備後 三原城
小早川隆景
7つの城

備中 高松城主
清水宗治(しみずむねはる)
「山陽道に知らぬ者なき」


松寿丸 元服
黒田長政(くろだながまさ)

 

「軍師官兵衛」Disc6-第24回「帰ってきた軍師」メモ

「軍師官兵衛」Disc6-第24回「帰ってきた軍師」メモ

三木城
別所長治

別所重棟は織田側についている。

地獄からの使者。官兵衛。

別所長治と一族の首を差し出すと家臣を助けるという条件。
別所長治は受け入れた。

織田の評判は悪いから、城兵を救って酒と肴を送り、織田の恩情を世間に知らしめる。

キレッキレになる官兵衛。


1580年 天正8年 1月
三木城 開城。
2年にわたる三木城攻めは終わった。

御着城 小寺政元
家臣、小河(おごう)も逃げる。嫡男 小河信章。
江田も裏切り逃げる。
小寺も城から逃げた。


有岡城
信長が酒を飲む。
能。般若。


軍師として半兵衛のようにならなくては、と気負う官兵衛。。

小寺政元を切るか・・。
切れなかった。。

「甘さ」ゆえ。。と自分で反省するが。。

秀吉はその決断にむしろ喜んだ。
憎い敵を切らずして逃がす。それでこそ官兵衛だ、と。


信長
石山本願寺と和睦

正親町(おうぎまち)天皇の仲介
佐久間信盛の交渉


信長。森蘭丸。

佐久間信盛を追放。


秀吉。
羽柴秀勝を養子にもらう。
信長の四男。

明智にライバル意識。


1580年 天正8年 9月

官兵衛は一万石の大名になる。

黒田家の紋所、旗を藤の花にする。

牢の中から見た藤の花。
辛い思いを思い出す。同時に「生きよう」という思いが湧いてくる。

「多くの死を見てきた。。死があればこそ、命は重く尊い。。黒田の者はみな命の重みをかみしめ、共に力強く生きていく。」

 

「軍師官兵衛」Disc6-第23回「半兵衛の遺言」メモ

 

「軍師官兵衛」Disc6-第23回「半兵衛の遺言」メモ

1579年 天正7年 11月
有岡城 落城

姫路に殿の無事が伝えられた。
(この時の侍女がよい。。)

秀吉が会いにくる。

信長にも会いに行く。
謀反の疑いを晴らしにいく。
松寿丸と再会。


有馬温泉
池坊(いけのぼう)
官兵衛は療養する。

 


京 妙顕寺
だしと高山右近が会う。
村重のことは恨んでいない。


善助「殿の足はもう元に戻らんかもしれん。。」
九郎衛門「わしらが生涯をかけ殿の足になればよい。」

家族の再会。。
官兵衛、てる、松寿


1579年 天正7年 12月
尼崎城で成敗が始まる。。
122名を磔。500名を火にかけた。。
裏切りの報い。。

信忠、明智光秀が懇願するも聞き入れず。

京 六条河原
村重一族郎党36名も根絶やしに。。
だしも処刑される。。


なかなか動かない足に苛立つ官兵衛。
毎晩夢にもうなされる。

半兵衛からの軍配をもらって気持ちを立て直す。


1580年 天正8年 正月

官兵衛 姫路城に戻る。

官兵衛「わしは以前のようには動けぬ。」
善助・家臣「殿!我らにお任せくださいませ!」

 

「軍師官兵衛」Disc6-第22回「有岡、最後の日」メモ

「軍師官兵衛」Disc6-第22回「有岡、最後の日」メモ

善助が忍び込んで声をかける。
生きる希望が見える。。

半兵衛が松寿丸に軍配を渡す。

1579年 天正7年6月
半兵衛亡くなる。36才。
「秀吉様。。面白うございました。。天下を。。」

半兵衛の夢を見る。。


岡山城。宇喜田直家も調子が悪い。
息子、宇喜田秀家。
織田に付くことを決めた。


村重「まだ死ぬなよ・・官兵衛・・」

1579年 天正7年9月 村重は有岡城を抜け出す。
尼崎城へ嫡男・荒木村次と共に。


1579年 天正7年10月
織田軍が有岡城に攻め込む。

織田は村重が降伏すれば助けると言ったが、それを言いにきた使者・荒木久左衛門は追い返される。。

看守。「この城も終わりだ。今まですまなかった。。逃げるがよい。。」
鍵を開けてくれる。。
息子玉松が気がかり。。
官兵衛「わしが預かろう。。」


家臣 3人が官兵衛を救い出す。

官兵衛「生きておる・・。。」

太兵衛「はい、殿は生きておいででございます!」