「軍師官兵衛」Disc6-第21回「松寿丸の命」メモ
土牢(つちろう)
1578年 天正6年12月
織田軍有岡城攻め。苦戦。
万見仙千代討ち死に。
信長ブチ切れ。
官兵衛の仕業と決めつける。
人質松寿丸の首をはねよ、と。
半兵衛が承る。
官兵衛が絶望。。
生きる気力をなくす。
藤の花。
歴史、学びメモ
「軍師官兵衛」Disc6-第21回「松寿丸の命」メモ
土牢(つちろう)
1578年 天正6年12月
織田軍有岡城攻め。苦戦。
万見仙千代討ち死に。
信長ブチ切れ。
官兵衛の仕業と決めつける。
人質松寿丸の首をはねよ、と。
半兵衛が承る。
官兵衛が絶望。。
生きる気力をなくす。
藤の花。
「軍師官兵衛」Disc5-第18回「裏切る理由」メモ
秀吉本陣 平井山。
播磨平定のため三木城の攻略に取り掛かる。
付城(つけじろ)を40作って、毛利の兵糧を入れさせない。
兵糧攻め。
荒木村重の家臣、中川清秀(茨木城)の家臣が裏切っていた。。毛利側についていた。これは宇喜田直家の指示。
毛利は九州から大友に攻められ動けない。
官兵衛は宇喜田(備前・岡山城)に「織田に付くなら今しかない」と交渉。
信長。地球儀。オルガンチノ。高山右近(高槻城)
イスパニア(スペイン)マゼランが3年かけて世界一周した。(1520年頃)50年以上前に世界が丸いことが分かった。
細川藤隆。
荒木村重の不穏な噂を報告。
光秀、仙千代が確かめにいく。
荒木村重 謀反。毛利側、本願寺に付く。
「軍師官兵衛」Disc4-第17回「見捨てられた城」メモ
1578年 天正6年 5月
上月城。織田と毛利のにらみ合い。1月半。兵糧も尽きていた。
援軍は来ない。
織田信長は上月城に援軍は送らないと決めた。700対5万。播磨での織田の信用も失うと言ったが、だめだった。
秀吉 家臣 亀井新十郎
上月城に伝えに行く。毛利に降伏するように。。
「御礼申し上げる。。」
村重「所詮は使い捨てか。。」
半兵衛と官兵衛が話す。信長の非情なやり方についていけない官兵衛。。半兵衛は決断は正しかった。。という。嫌われても軍師としては最上の策をやるだけ。。と。自分のやり方を探したい官兵衛。
官兵衛と家臣団
太兵衛が孫子を!
「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」孫子
(意味:戦に勝つよりも戦わずに勝つことの方が上策)
「およそ兵戦の場は屍を止むるの地。死を必すれば即ち生き(しをひっすればすなわちいき)。生を幸いとすれば即ち死す(せいをさいわいとすればすなわちしす)」呉子(ごし)・治平(ちへい)第三
(意味:戦場とは屍(しかばね)をさらすところだ。死を覚悟すれば、生きのびることもできるが、生きながらえようと望んでいると、逆に死をまねくことになる。)
神吉城(かんきじょう)を落城。次は志方城。
滝川一益。顔に傷を負う。
万見仙千代(まんみせんちよ)信長の小姓。
荒木は6年、明智は10年。宿老。
荒木の気持ちが離れつつある。。見捨てられる。。と。
宇喜田直家が本当に味方か信用できないので、毛利軍はいったん退却。三木城(淀川長治)も、志方城(櫛橋左京進)も取り残された。。
「織田は上月を見捨て、毛利は我らを見捨てた。乱世の盟約とは儚いものよ。」
「官兵衛お前の勝ちだ。。」櫛橋左京進、切腹。
左京進の子供を官兵衛が引き取る。
平井山 秀吉本陣
改めて秀吉に付いていくと誓う官兵衛。
お紺が亡くなる。
「軍師官兵衛」Disc4-第16回「上月城の守り」メモ
秀吉軍は書写山へ本陣を移す。
円教寺。
毛利軍。三道併進(さんどうへいしん)。
総勢5万。
上月城。尼子軍700。
荒木村重が秀吉軍に合流。
安土城で能。
上杉謙信亡くなる。
信長は官職を辞する。
右大臣、右近衛大将(うこんえのだいしょう)
朝廷を庇護しているのは自分だ。
1578年 天正6年 5月
上月城。織田と毛利のにらみ合い。1月半。兵糧も尽きていた。援軍は来ない。
「軍師官兵衛」Disc4-第15回「播磨分断」メモ
毛利との決戦に信長本人に来てもらう。
具足始(ぐそくはじめ)
虎之介、市松とともに。
本願寺との和睦はならず。
加古川城での評定で別所と櫛橋が毛利側に付くと割れる。
「軍師官兵衛」Disc4-第14回「引き裂かれる姉妹」メモ
天正5年 1577年 11月
福原城 織田と毛利が激突。1日で織田が勝つ。
播磨の中で毛利に味方するのは上月城のみとなった。
上月城
身内同士の戦い。力(りき)とてる。
官兵衛が調略にいくが上月影貞(義兄)は毛利側のまま。
官兵衛の家臣団も仲間割れ。太兵衛と右衛門が喧嘩。
山陰の麒麟児、山中鹿介(やまなかしかのすけ)、尼子勝久(あまご かつひさ)
はやる官兵衛軍を助ける。半兵衛が根回ししてくれていた。
尼子家は毛利家に滅ぼされ再興をめざしていた。
「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った。
今日は身内が相手で焦りが出た。。と反省する官兵衛。
鹿介「自らのしくじりをつぶさに顧みるはなかなかできぬこと。。官兵衛殿はいずれとてつもない戦上手になられるでしょう。生き残っておれば・・の話ですが。ははは。」
家臣が謀反。上月影貞は討たれる。上月城は落城。
(宇喜田直家が後ろで糸をひいていた)
秀吉は上月城を尼子家に任せた。
播磨平定。
しかし上月城の家臣は信長によってみな討たれた。。←謀反して降伏したため。
信長は乙御前(おとごぜ)の茶釜を秀吉に。
「軍師官兵衛」Disc4-第13回「小寺はまだか」メモ
秀吉の援軍が播磨に来る。
姫路城を明け渡す。義兄弟の書状。
粉骨砕身(ふんこつさいしん)・・(骨を粉にし身を砕いて)力の限りを尽くすこと。
秀吉のところに挨拶に来る。
神吉城主。神吉頼定 (かんきよりさだ)
三木城の別所長治と御着城の小寺は来ない。
秀吉的には別所重宗(しげむね)と官兵衛をつなぎとめるのが肝要。
重宗の娘と官兵衛の嫡男松寿丸を縁組みさせる。
長浜城で、おねの元で松寿丸、福島正則、加藤清正も一緒に育つ。
摂津。本願寺との闘い。荒木村重、高山右近、中川清秀が苦戦。
秀吉の方から小寺に会いにいく。プレッシャーかける。
天正5年 1577年 11月
秀吉8千の軍勢は西播磨へ。
福原城。
囲師必闕(いしひっけつ)。孫子の兵法。
三方を囲んで一方だけ逃げ道を作る。
大儀。天下統一。乱世を終わらせて天下泰平に。。
軍師官兵衛 ここに誕生。。
「軍師官兵衛」Disc3-第12回「人質松寿丸」メモ
天正5年 1577年8月
2年越し。播磨に秀吉の援軍がくる。
武家社会に茶の湯が流行していた。名物と呼ばれる茶道具は一国一城に匹敵するほどの価値がある。富と権力の象徴。
天正5年 1577年8月
松永久秀謀反
平蜘蛛(ひらぐも)
大和の国主。信貴山城(しぎさんじょう)
播磨から人質を取る。
9月9日
邪気を払い長寿を願う。
重陽(ちょうよう)の節句。
岐阜城 城主は嫡男・織田信忠に。
織田の当主。
松寿丸が自ら人質を申し出る。
「軍師官兵衛」Disc3-第11回「命がけの宴」メモ
1574年7月
木津川の合戦
毛利軍の勝利。織田の負け。
秀吉の援軍が来ない。
義昭の仲立ちで上杉、武田、北条が和睦。
丹波の波多野。
備前の宇喜田直家を調略する。
上月城。上月影貞。
宇喜田直家「お主の目は澄んでおるな。そのような目の男を何人か知っておる。皆早死にしたがな。ハハハ。」
常に損得で考える。人は信じない。
お道と善助が夫婦に
摂津
善助「いつでもワシらが殿を支えてみせます」
官兵衛「頼むぞ」
キリシタン大名 高槻城主・高山右近と出会う
有岡城
荒木村重に頼むが援軍もむり。
「軍師官兵衛」Disc3-第10回「毛利襲来」メモ
将軍義昭
備後 鞆の浦
石山本願寺とも手を組む
顕如
信長包囲網
1576年 天正4年
姫路に毛利軍が襲来
英賀の浜(あがのはま)
毛利 五千 VS 姫路 千
1576年
信長VS本願寺
信長が太ももを討たれる
英賀御道(あがみどう)に毛利本陣
毛利に一向宗の門徒宗も付いた。
毛利軍大将 浦宗勝
旗を立てて援軍が来たように見せる。
官兵衛が勝利する。
信長が官兵衛を褒める書状を出す。
信長、安土城を作り始める。
安土に移る。
秀吉とおねとの夫婦喧嘩をいさめる手紙を信長が書く。
天正4年7月
摂津 木津川河口
織田軍が毛利水軍に大敗する
本願寺へ兵糧を運ぶ毛利軍