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漫画『史記』1巻 横山光輝 メモ

「史記」1巻 横山光輝

史記の作者。司馬遷(しばせん)(前145年~前86年頃)

五経・・「易」「書」「詩」「礼(らい)」「春秋(しゅんじゅう)」

武帝は儒学を発展させるため五経博士の官職を置いた。

前漢の七代皇帝・武帝(ぶてい)

司馬遷は武帝により、宮刑(きゅうけい)となり宦官(かんがん)になった。

「太子公書(たいしこうしょ)」=「史記」を書く。


名宰相・管仲

周王朝は2つに分けられる
春秋(前770~前403)
戦国(前403~前221)

春秋時代。
「斉(せい)」・・釣りの太公望、呂尚が始祖。

斉の桓公(かんこう)→ 天下の覇者になった。
名宰相・管仲。

「管鮑の交わり」(かんぽうのまじわり)
管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)は親友同士。

管仲「衣食足りて礼節を知る」
民を豊かにして国を豊かにした。

他の国は、魯、燕、晋、宋など。(地図P63)


「晋(しん)」
重耳(ちょうじ)⇒ 晋の文公に

斉は桓公から孝公になったが力は弱まった。

晋は周の武王の子を始祖とする国。

十九代・献公。
側室・驪姫(りき) 子・奚斉(けいせい)

世継ぎ騒動
太子申生(しんせい)は自害。
兄・重耳(ちょうじ)、弟・夷吾(いご)は亡命。


夷吾(いご)が晋の君主に⇒恵公(けいこう)

秦の繆公(ぼくこう)


春秋五覇
斉(せい)の桓公(かんこう)
秦の繆公(ぼくこう)
宋のじょうこう
晋の文公(重耳)
楚の荘王


 

光る君へ(5)告白 メモ

光る君へ(5)告白 メモ
2024/02/4放送

永観二年(984年)

侍従宰相(じじゅうさいしょう)

式部丞蔵人(しきぶのじょうのくろうど)藤原為時(六位)


・四条の宮
公達4人が話す。

関白:藤原頼忠(よりただ)→息子:藤原公任
左大臣:藤原雅信
右大臣:藤原兼家
大納言:藤原為光(兼家の異母弟)→息子:藤原 斉信(ふじわらのただのぶ)

・藤原行成(ふじわらのゆきなり)
三蹟(さんせき)の1人。

・花山天皇の側近
花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)
乳母子(めのとご)藤原 惟成(ふじわらのこれしげ)

・花山天皇の政治
贅沢を禁じ、銅銭を広め、正しい手続きをしていない荘園を没収しようとする。

・荘園整理令
荘園整理令は、1069年・後三条天皇 による延久の荘園整理令が有名だが、それまでにも何度か出されていた。しかし藤原氏の協力が得られなかった。後三条天皇は藤原氏と外戚関係がなかったため実行した。


殿御(とのご):夫


藤原道綱母・寧子(やすこ)『蜻蛉日記』作者
兼家の妾(しょう)

道綱は順番的には次男だが、立場が違う。


<光る君へ紀行>

雅楽。

「光る君へ(4)五節の舞姫」メモ

「光る君へ(4)五節の舞姫」メモ
2024/01/28放送

永観二年(984年)

六位 藤原為時

藤原宣孝(のぶたか)

論語、荀子(じゅんし)、墨子(ぼくし)も人の道を説いている。


円融天皇から花山天皇に譲位。

東宮が懐仁親王(やすひとしんのう)になった。

花山天皇の側近
花山の叔父 藤原 義懐(ふじわらのよしちか)
乳母子(めのとご)藤原 惟成(ふじわらのこれしげ)


公卿・学者:藤原 文範(ふじわらのふみのり)


左大臣:源 雅信(みなもとのまさのぶ)

盤双六(ばんすごろく)


倫子サロン

盗賊

辻(つじ)。みちばた。ちまた。

竹取物語


詮子(あきこ)が怒りの抗議。懐仁親王(やすひとしんのう)を兼家の手から取り戻し、守ろうとする。


984年8月 65代 花山天皇 即位

藤原 斉信(ただのぶ)の妹 藤原 忯子(よしこ)が入内。弘徽殿(こきでん)の女房。


為時が12年ぶりに官職を得た。

まひろ弟:藤原 惟規(ふじわらののぶのり)

史記 秦始皇本記 鹿を指して馬となす

趙高欲為乱、恐群臣不聴、乃先設験、持鹿於二世曰、馬也。二世笑曰、丞相誤邪、謂鹿為馬。問左右。左右或黙、或言馬以阿順趙高。或言鹿者、高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高

趙高乱を為さんと欲し、群臣の聴したがわざるを恐れ、乃すなわち先ず験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、馬なり、と。二世笑いて曰く、丞相誤れるか、鹿を謂いいて馬と為す、と。左右に問う。左右或は黙し、或は馬と言いて以て趙高に阿おもねり従う。或は鹿という者あり、高因よりて陰ひそかに諸もろもろの鹿という者に中あつるに法を以てす。後、群臣皆高を畏る。

(宰相となった)趙高(ちょうこう)は謀反を起こそうと考えいたが、群臣が自分の命令に従わないのではないかと疑い、まず、一計を案じ、試してみることにした。鹿をつれてきて二世皇帝に献上し、(趙高が)「馬でございます」と言うと、二世皇帝は笑って、「宰相はまちがっているのではないか。鹿を指して馬などというとは」といい、左右の群臣に問うた。群臣は、ある者は黙り込み、ある者は馬でございますと言って趙高にごまをすった。中には正直に、鹿だと言った者がいたが、趙高は後でひそかにこれらの者を法律によって罰した。以後、群臣は皆、趙高を恐れた。


花山天皇の政治。

民が銅銭を使いたがらない。長雨、日照り続き、米が実らない。物価高。

⇒布一反を百文、銅一斤(600g)を60文に固定。

凶作に際し、自ら装束や食事を減らし模範を示し、それを万民に述べ伝えるようにと。


五節(ごせち)の舞姫

収穫を祝う大嘗祭(だいじょうさい)のあとの宴、豊明節会(とよあかりのせちえ)で未婚の舞姫が舞をささげる神事(しんじ)。

高御座(たかみくら)。


<光る君へ紀行>

寝殿造り

歴史公園 えさし藤原の郷(岩手県・奥州市)

釣殿(つりどの)
納涼や月見などのために池に面してつくられた建物。

 

百人一首と勅撰和歌集

・百人一首はそれまでの勅撰和歌集10冊の中から選ばれている。

※「勅撰(ちょくせん)和歌集」とは、天皇や上皇の命によりまとめられた公式の和歌集のこと。

・飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、約600年の間に歌われた名歌が収められている。

・『古今和歌集』から選ばれた歌が一番多く、24首選ばれている。

平安前期 905 古今和歌集 こきんわかしゅう
951 後撰和歌集 ごせんわかしゅう
平安中期 1005 拾遺和歌集 しゅういわかしゅう
1086 後拾遺和歌集 ごしゅういわかしゅう
平安後期 1127 金葉和歌集 きんようわかしゅう
1151 詩歌和歌集 しかわかしゅう
平安末期 1187 千載和歌集 せんざいわかしゅう
鎌倉時代 1205 新古今和歌集 しんこきんわかしゅう
1235 新勅撰和歌集 しんちょくせんわかしゅう
1251 続後撰和歌集 しょくごせんわかしゅう

 

 

古今和歌集 24 60 醍醐天皇 優雅で繊細な歌が多い
後撰和歌集 7 62 村上天皇 贈答歌が多い
拾遺和歌集 11 65 花山院(編) 恋の歌が多い
後拾遺和歌集 14 72 白河天皇 女流歌人の歌が多い
金葉和歌集 5 72 白川院 写実的な歌が多い
詩歌和歌集 5 75 崇徳院 古い歌と新しい歌がある
千載和歌集 14 77 後白河院 同時代の歌人の歌が多い
新古今和歌集 14 82 後鳥羽院 美しく絵画的な歌が多い
新勅撰和歌集 4 86 後堀河天皇 幕府の歌人の歌が多い
続後撰和歌集 2 88 後嵯峨院 優雅で絵画的な歌が多い

 

後宮(こうきゅう)/七殿五舎(しちでんごしゃ)

■七殿(しちでん)
弘徽殿(こきでん)
承香殿(じょうきょう/しょうきょうでん)
麗景殿(れいけんでん)
登華殿(とうかでん)
貞観殿(じょうがんでん)
宣耀殿(せんようでん)
常寧殿(じょうねいでん)五節舞姫の帳台試が行われる。五節殿ともいう

■五舎(ごしゃ)
飛香舎(ひぎょうしゃ)(藤壺/ふじつぼ)
凝花舎(ぎょうかしゃ)(梅壺/うめつぼ) 藤原詮子
昭陽舎(しょうようしゃ)(梨壺/なしつぼ)梨壺の五人
淑景舎(しげいしゃ)(桐壺/きりつぼ)
襲芳舎(しゅうほうしゃ)(雷鳴壺/かんなりのつぼ)

後宮。七殿五舎(しちでんごしゃ):平安京内裏の紫宸殿(ししんでん)や仁寿殿(じじゅうでん)の後方に位置し、主に天皇の后妃(こうひ)の住まう殿舎(でんしゃ)を指す。

これらは後宮(こうきゅう)と総称され、后妃以外にも東宮やその妃、また親王・内親王などもしばしば殿舎を賜った。

七殿は内裏創建時から存在し、五舎よりも格が上であるとされる。

by Wikipedia

諸子百家・中国古典

諸子百家 ( しょしひゃっか ) とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。

「諸子」は孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子などの人物を指す。

 

孔子(こうし):「論語」弟子がまとめた。儒家の始祖。

孟子(もうし):性善説

荀子(じゅんし):性悪説

老子(ろうし):道教の祖。

荘子(そうし):老子の思想を発展させる。「胡蝶の夢」

韓非子(かんぴし):法治思想

孫子(そんし):孫武の尊称。


「史記」司馬遷(しばせん)

「光る君へ」と百人一首

「光る君へ」登場人物と百人一首

・紫式部(むらさきしきぶ)
57. めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな

・清少納言(せいしょうなごん)
62. 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ

・儀同三司母(ぎどうさんしのはは)/ 高階貴子(たかしなのたかこ)
54. 忘れじの行く末まではかたければ 今日を限りの命ともがな

・大納言公任(だいなごんきんとう)/ 藤原公任
55. 滝の音は耐えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ

・赤染衛門(あかぞめえもん)
59. やすらはで寝なましものを小夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな

・右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)/藤原寧子(ふじわらのやすこ)
53. 嘆きつつ独りぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る

「光る君へ(3)謎の男」メモ

「光る君へ(3)謎の男」メモ
2024/01/21放送

永観二年(984年)

・放免(ほうめん)・・検非違使(けびいし/京都の治安を守る役職)の下で働く元罪人。犯罪者を探索し、捕縛や拷問を担当。

・看督長(かどのおさ)検非違使庁に属する下級の役人。牢獄(ろうごく)の管理や犯人の逮捕を行う。

・懐仁親王(やすひとしんのう/のちの一条天皇)
円融天皇と詮子の皇子。

・懸想(けそう)する・・恋い慕うこと。

関白:頼忠
左大臣:雅信
右大臣:兼家
大納言:為光


宿直(とのい)・・宮中や役所・貴人の邸宅を警備するために夜間警備を行うこと。

・藤原公任(ふじわらのきんとう)
関白・藤原頼忠の息子。円融天皇の中宮・遵子の弟。

・藤原 斉信(ふじわらのただのぶ)
道長の長兄・道隆のもとに仕える。大納言・藤原為光(兼家の異母弟)の息子。
倫子(ともこ)に想いを寄せる。

・藤原行成(ふじわらのゆきなり)
三蹟(さんせき)の1人。


頭中将(とうのちゅうじょう):藤原実資(ふじわらのさねすけ)
蔵人頭(蔵人所の長)と近衛中将(近衛府の次官)を兼任。

内侍所(ないしどころ)内侍司の女官が詰めた所。温明殿(うんめいでん)の北側の母屋。


高階貴子
定子(さだこ/ていし):道隆と貴子の皇女。

・諸貞親王(もろさだしんのう/のちの花山天皇)
63代・冷泉天皇の第1皇子。円融天皇は叔父にあたる。

 

土御門殿(つちみかどどの)・宇多天皇の血筋。宇多源氏の祖。

・左大臣・父・源雅信(みなもとのまさのぶ)。宇多天皇の孫。
・北の方・母・藤原穆子(ふじわらのむつこ)・まひろの遠縁
・一の姫・源倫子(みなもとのともこ)黒木 華(くろきはる)


前播磨権少丞(さきのはりまのごんのしょうじょう)
藤原朝臣為時娘(ふじわらのあそんためときのむすめ)まひろ

官職はない

偏つぎ(へんつぎ)

・赤染衛門(あかぞめえもん)


孟子(もうし)
「人に忍びざるの心」
他人が苦しんでいるのを、放ってはおけないという気持ち。

「孟子」
「人は皆、人に忍びざるの心有り(人間ならばだれでも、他人が苦しんでいるのを放っておけない気持ちを持っている)」。その証拠として、赤ん坊が井戸の中に落っこちそうになっているのを見れば、誰だって慌てて助けようとするという例を挙げています。孟子の説く性善説を端的に説明したものとして、有名な一節です。

「人皆人に忍びざるの心有りと謂(い)ふ所以(ゆゑん)の者は・・」


倫子サロン

「古今和歌集」752
「見てもまた またも見まくの 欲しければ 馴るるを人は いとふべらなり」

(訳)逢えばまた逢いたくなるので馴れ親しむのをあの人は避けているのでしょう

「古今和歌集」・・日本最初の勅撰和歌集。 選者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑。 60代・醍醐天皇の勅命を奉じ、延喜13年頃(913年)に完成。 20巻、歌数約1100首。

恋の歌3 小野小町
「秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば ことぞともなく 明けぬるものを」

(訳)秋の夜は長いと言うけれど、名ばかりだった。愛しいあなたに逢ったら、あっけなく、あっという間に明けてしまうのだから。


<光る君へ紀行>

「年中行事絵巻」

装いの中に季節の花や自然の色を取り入れた。

かさね色目。

梅かさね(早春)

松かさね(祝いの日など)

女郎花(おみなえし)かさね(秋)

京都市・風俗博物館

 

「光る君へ(2)めぐりあい」メモ

「光る君へ」第2回メモ
2024/01/14放送

永観二年(984年)

成人の儀式。裳着(もぎ)

「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」
(訳)子を持つ親の心は闇というわけではないが、子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものです。

藤原兼輔(かねすけ)の歌。まひろの曾祖父。
百人一首。27「みかの原わきて流るゝ泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ」中納言兼輔


検非違使
別当(べっとう)・・長官

蔵人頭(くろうどのとう)円融天皇の側近の長。秘書。
藤原実資(さねすけ)「小右記」

懐仁(やすひと)親王。後の66代一条天皇。

 

道長:右兵衛権佐(うひょうえのごんのすけ)。従五位下(じゅごいのげ)。

詮子:梅壺(うめつぼ)の女御(にょうご)

凝花舎(ぎょうかしゃ/[梅壺]うめつぼ)後宮の殿舎のひとつ。壺(中庭)に紅白の梅を植えたことから「梅壺」ともいう。飛香舎(ひぎょうしゃ)の北に建つ。


斉(せい)の名君。孟嘗君(もうしょうくん)

鶏鳴狗盗(けいめいくとう)

秦の昭王(しょうおう)に捕らわれた


「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」

(訳)近くによってはっきり御覧になったらどうですか。黄昏時にぼんやり見えた夕顔の花を

 

源氏物語。夕顔。

「あなたはもしや光源氏ではありませんか?」という問いかけに

「心あてに それかとぞ見る 白露の 光添へたる 夕顔の花」(訳)しっかりとみてみれば光源氏かどうかわかりますよ、会ってみませんか。

と返した。


散楽(さんがく)
春の女御(遵子)
秋の女御(詮子)


痴れ者(しれもの)。おろかな者。

道兼:蔵人。
陪膳(ばいぜん/はいぜん)。食事係。


高麗人(こまびと)高麗の国の人


ちょうこう【趙高】  中国、秦の宦官(かんがん)。始皇帝の死後、丞相の李斯(りし)と謀って、始皇帝の長子扶蘇を殺し、次子の胡亥(こがい)を二世皇帝とした。


式部丞(しきぶのじょう)・・式部省の判官(3番目)四人の総称。 大丞は正六位下、少丞は従六位上相当。


<光る君へ紀行>第2回

京都御所。京都市中心部。

鎌倉末期から江戸の終わりまで天皇の住まいだった。

今の建物は1855年に再建。

今も皇室行事や国賓をもてなす場として使われている。

紫宸殿(ししんでん)。内裏の正殿。

 

御所から西に位置する千本丸太町。

大極殿跡。

平安宮があった場所。

弘徽殿(こきでん)跡。